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2022年12月31日

孫のことは

 久しぶりの日記更新だ。
 10月からは大学等の講義がつまり、目一杯忙しかった。とくに、新たにあさくら看護学校が加わり、これは甘木にあるので、通勤に時間がかかる。長い通勤時間はしかし、本を読むのにはいい。家は書物や資料の山で雑然として読む気にならない。貧しい身なので、大学教員がもつような書庫のある書斎などもてないのだ。

 看護学校や歯科大学などで講義することもあり、流行の新型コロナにも触れる。最初は、感染対策の矛盾など指摘していたが、本格的に学ばないと批判もできないということで、医学部テキストの微生物学や生化学、薬理学などを購入し、自分で勉強した。どんどん深みにはまり、細胞生物学、遺伝生物学なども学んだ。私が高校で学んだ生物とは全然違う今の生物学はとてもおもしろい。地球科学や宇宙論などと並んで、この40年日進月歩の学問だったようだ。

 ハンス・ヨナスなどの生命哲学が哲学分野の生命論だったが、その古さを痛感させる進歩だ。生命科学に従事する者たちは地道な実験のたいへんさはあったかと思うけれど、次々と新しい内容の論文が出て、進歩を実感できる時代だったのかもしれない。

 10月5日は田主丸に住む友人東郷さんに一年半ぶりに会う。朝倉市は卑弥呼の墓と呼ばれている古墳を観光地として売り出しているので、彼も興味があり、その場所を訪れたり、中村哲さんがアフガニスタンの用水路建設で参考にした日本の伝統工法の山田堰など見たりした。三連水車がすっかり観光地化していたのが残念だった。



山田堰


 10月23日は、子ども寺子屋カフェの教育福祉講演会を実施した。講師の金原先生は2月にも呼び、その続きである。ここで医療的ケア児の看護ステーションである「にこり」の松丸さんを紹介していただき、よい出会いとなった。
 「にこり」には11月21日訪問した。そのときの報告はこちらにある。学ぶことの多いいい時間だった。
 
 11月8日は、妻と北九州市立美術館の「スコットランド国立美術館展」に行った。今回だけかもしれないが、すべての絵の写真撮影ができるようになっていた。ようやく日本もヨーロッパの美術館なみになったか。看板になる代表的な名作はなく、ヨーロッパの地方都市の美術館レベルではあるものの、よい絵がそろい、十分楽しめた。

スコットランド国立美術館展


 16日は、午後の九州歯科大の講義がないので、あさくら看護学校の帰りに、秋月に寄った。ドイツへ留学する前の年、すなわち1987年に行って以来だ。福岡県はいい城下町がないので、比較的面影を残す秋月が観光地となっており、春秋には観光客が来る。しかし、飫肥、杵築、長府などの城下町の方がはるかに風情があるので、その後は訪ねる意欲もなかった。紅葉にはまだ早かったものの、観光客は多く、昼食時には食べ物屋は行列ができていた。

秋月

秋月の紅葉

 28日には、その長府へ行った。毎年恒例である。昔は、11月末は紅葉のピークだったのに、今はまだ青い葉もたくさんある。12月最初の数日が見頃になっている。観光客は多いが、月曜日だったこともあり、混雑は避けられた。昨日の日曜日はきっとすごい数だったろう。いつも行く洋食屋「イムジン」で昼食を食べた。一年ぶりである。

長府(下関市)古江小路の紅葉

覚苑寺の紅葉

功山寺山門


 10月8日と11月5日は、九響の定演にいった。8日は楽しみにしていたマーラーの「復活」だ。20年の9月に予定されていたが、コロナ流行で声楽はできなくなり、2年後の演奏となった。九響のマーラーは、18年の8番「千人の交響曲」、19年の3番と聴いてきて、感動する名演だった。録音もされ、とくに3番は日頃聴くテンシュテット、ハイティンク、ヴァント、アバドなどよりも録音のよさもあって愛聴盤となっているほどだ。
 期待を大いにしていたが、今回は期待が大きすぎたのかそこまで心に響かなかった。九響の内部に詳しい知人がいうには、コロナ対策で合唱団の人数を減らし、間隔を空けたためだという。たしかに迫力がなかったのはたしかだ。決して悪い演奏ではないが、アルトの独唱だけはすばらしかった。
 11月の定演は、ブルックナーの4番「ロマンティック」である。カーチュン・ウォンは毎年のように九響に客演しており、何度も聴いている。若いけれども、安定した指揮ぶりに定評がある。今回もしっかりした演奏だった。小泉さんが音楽監督を23年で終えるので、次期常任指揮者でもなればいいなと思っていたら、先に日フィルに採られてしまった。九響は同じく若い太田弦くんに決まったが、若いがゆえにベテラン奏者になめられることがなければよいがと少し心配している。

九響マーラー2番のカーテンコール

九響ブルックナーの4番のカーテンコール

 他に11月21日に、NDRハノーファーフィルハーモニー交響楽団のコンサートにいった。アクロスが改装を終えて秋から公演を始めて、その最初の一つになる。指揮者のアンドリュー・マンゼは、古楽で有名なバイオリン奏者で今は指揮もしている。彼のCDはいくつかもっていて、興味があった。NDRは北ドイツ放送局専属のオケで、ハンブルクにあるオケがより有名だ。レベル的にはドイツの主要都市のオケなので、そこまで高いわけではない。最近はドイツに行けてないので、旅行をしてそこのオケを聴くという感じでいった。

 11月3日は、NPO法人「生活と教育」の石村夫妻に呼ばれて、熊本の御船町で講演をした。「生のための学び」というタイトルでデンマークの教育についてである。参加者も多く、グルントヴィ協会の会員であるMさん、Yさんもわざわざ参加して下さった。交流会は会場隣のオーガニックカフェで、これもいい雰囲気だった。
 石村夫妻は夕食にもつきあって下さり、一日すべてお世話になった。4日は、古くからのつきあいがあるFさんと会い、熊本城を歩き、古民家フレンチレストランで昼食を食べた。Fさんは熊本の子ども劇場の役員をずっとされた人で、とてもすてきな方だ。この2日は仕事に追われるさなかでよい気分転換になった。

熊本城公園でFさんと

 仕事では、12月6日に、予備校のレギュラーの授業が終わり、29日には冬期講習が終わった。1月に直前講習を残すが、河合塾講師は今年度で最後である。定年が65歳で、その後2年間は委託業務という形式だった。人気取りをせず、受験勉強を教えなかったので、アンケートでいつ切られるかとずっと思っていたが、とうとう最後まで勤め上げた。これまでにしたことはないが、社会系小論文の最後の授業ということで記念に写真を撮った。年老いてこんなときもあったなと思い出すよすがになるだろう。

生徒たちと私


 12月5日は、その河合塾北九州校で昔人文系小論文の生徒だった直子さんに再会した。彼女は今は夫とアメリカに住み、仕事をしている。永住権も取れるようだ。日本に数週間戻るので会いたいとメールが来て、18年ぶりに会った。彼女は大学生になっても、グルントヴィ協会の札幌でのセミナー(2004年8月)などにも来てくれて、予備校はたしか2002年だったと思う。
 福岡市、北九州市の親戚、友人にかけあしではしごで会い、私の番は5日の午後2〜4時だった。ずっと米国にいるので、日本的なものが懐かしいだろうと思い、博多で唯一昔の面影が残る聖福寺界隈を散歩した。本人も満足したようだ。

聖福寺で直子さん

 聖福寺の塔頭の一つ、西光寺によると住職がいた。目があったので、挨拶をした。「昔、ここにアダムと何回か来たことがあるものですから」というと、アダムを知っていた。先代の息子さんであとを継いだらしい。ここは一朝軒という普化宗の寺も兼ねている。アダムはフルブライト留学生で、九大に来て尺八と普化宗を学んでいたので、ここに来て尺八の修行をしたことがあり、そのときチューター役を私がしていたので、いっしょに来たのだ。これも懐かしい想い出だ。

 前は年末は門司港や小倉へイルミネーションを見にいっていた。最近は、これが早くからあるので、もう何度も見て新鮮味がない。孫がもう少し大きくなったら、またいっしょにいってみようかと思う。孫のことを到津の動物園に一度連れていき、気に入って二度目もいったようだ。福岡市の動物園もよいが、休日は混む。しかし、到津はそこまで多くはないのが、子どもにとってもいい。

小倉のイルミネーション

 孫が2歳から来年2月で3歳になる。20年の2月に生まれて、もう3年たとうとしている。年月の経過を孫の成長で実感する年齢となったと感慨深い。

 

2022年9月19日

孫のことはとカノコユリ

 4月30日以来だから、4ヶ月と20日ぶりの更新になる。例年、この時期はひたすら仕事に追われる日々なので、単調な毎日だ。8月はかつては余裕ができて、比較的いろいろなことができたが、最近は大学や看護学校などの集中講義が入り、やはり仕事の連続になっている。

 年齢を重ねているせいもあり、大学の講義を以前より負担に感じることが多い。3コマも続くと疲労感でぐったりとなる。それでも毎年内容を改訂するという努力はしており、そのせいか年々学生の反応はよくなっている気がする。きついなかで、それはよい点だろう。
 
 8月2-5日は、広島修道大学の国際コミュニティ学部で「民主主義論」というテーマの集中講義をした。修道大学は初めてである。中国地方では一番の私大だけあって、施設、スタッフ、環境ときちんと整備された大学であった。学食など学生向けの厚生設備も充実しており、経営の苦しい私大のように手を抜いていない。学食は夏休みに入ったせいもあり、3ヶ所のうち一番大きなところしかやっていなかったが、メニューも工夫され良心的で、毎日昼食時に通っても飽きることがなかった。

広島修道大学

 教務担当の教員に聞くとスポーツ推薦などはないそうで、学生もまじめで、何のために学校に来て授業を受けているのかがわかっていないタイプの学生をあまり見なかった。

 前日の8月1日から前泊したが、早めに来て宮島へ行ってみた。安芸は先祖の出身地になるから、厳島神社は大事な神様だった。昔から来てみたかった場所で、いい機会と足を伸ばしてみた。

 宮島口駅につき、フェリーに乗り換える。やはり海は気持ちが解放される。夏の海と空の青さ、雲の白さのコントラストがすばらしい。残念ながら鳥居を修復中で、海に浮かぶ姿を見ることができなかった。港からは厳島神社まで暑い中を歩く。観光写真では瀟洒な神社であるが、実際に行ってみるとふつうの神社とそこまで変わりはなかった。古い建物でもあるし、観光施設のように、しょっちゅう塗り替えをしているわけではないから、それはそれで由緒ある神社ということで悪くはない。

宮島口駅からのフェリー

鹿があちこちにいる

厳島神社本殿前で

 ここの祭神も宗像と同じ宗像三姉妹である。これは海人族の神なので、瀬戸内海、九州北部共通に信仰されていたのだろう。しかし、古くはこの島自体に神が宿るとされており、弥山を崇めていたのが起源の姿で、社を建てたときに形ある祭神として三姉妹が選ばれたと思われる。とりあえず、先祖のいわれの地に来て満足。

厳島神社

五重塔

 5日で集中講義が終わり、広島駅までの帰り道、平和記念公園を訪れた。翌日6日が平和祈念式典なので、準備、予行演習などがあり、テレビ局はカメラのセッティングなどをしていた。公園内のカフェ「レストハウス」によって一休みをする。ここには広島にいくつかある「被爆ピアノ」の一つ「明子さんのピアノ」が置かれていた。

平和記念公園

レストハウス

コーヒーともみじまんじゅう

明子さんのピアノ

テレビ局のカメラのテスト

原爆ドーム

 原爆ドームに寄るのは、2007年のパッチ・アダムズ広島講演会のときに来て以来である。あのときいっしょに来た二人の女子学生は今は立派に医療従事者として働いているだろう。

 8月の終わりは、中津ファビオラ看護学校での集中講義である。4コマが3日連続するときは、きついので8月30日は一泊した。しかし、中津ではなく、杵築にした。中津は大分県3番目の都市だから、ホテルはいくつもあるが、杵築はあまりない。「いな里」というホテルにしたが、ここに来る途中に大きなミスをしてしまった。

 仕事の疲れで放心していたこともあり、バスの中に財布と携帯電話の入った袋を忘れてしまったのだ。電話もないので、ホテルへ行き、フロントの人に説明して、バス会社に電話してもらう。そしたら大分空港まで行くバスで、この日には戻らないという。翌朝7時に空港から戻るバスがあるということで、運転手にもってきてもらい、バス営業所で受けとることになった。フロントの男性はたいへん親切で、何度もバス会社に電話して、すべて手配してくれた。

 県民割の期間だということで、商品券2,000円分もらう。ICカードにも残額が8,000円くらいあったので、コンビニなら、財布を使わずとも買い物はできた。

 とりあえず戻ってくることがわかり、ほっとして町へ出る。夕方だんだんと薄暗くなってくる時間で、道行く人や高校生が「こんばんは」とか「こんにちは」と挨拶してくる。「ああ、そうだったな」と気づき、こちらも挨拶を返す。杵築はよそ者であっても、町中で会えば住民が挨拶を交わす街なのだ。

 わずか一時間ほどだが、酢屋の坂など散策して宿に戻る。短い時間ながら、昼間の疲れ、忘れ物での気分の消耗などが消えていく感じで、杵築に泊まってよかったと思った。ホテルのフロント、街の人の親切が景観以上に安らぎを与えてくれた。忙しい日々、まるで異次元の心安らぐ世界の街に来たような感覚だった。これはひとえに場所のもつ力だ。

酢屋の坂

武家屋敷街

綾部味噌

勘定場の坂

 翌朝、バス営業所で忘れ物を受けとり、少し待って駅までのバスに乗る。このバスの主な利用者は駅までの途中にある杵築高校の生徒たちだ。典型的な田舎の県立高校のようで、純朴な高校生たちである。部活に精を出す者、大学進学などを目指す者。都会のすれた高校生とは違い、ひたむきなそのまなざしは昔の青春ドラマに出てくるような高校生を感じさせた。雰囲気のある杵築の街で、清楚な女子高校生が主人公となると大林宣彦の映画になるが、彼も鬼籍に入った。臼杵が舞台の映画「なごり雪」はつくっているけれども、杵築でも撮ってほしかったと思う。

 それにしても、昨年夏は竹田、今年は杵築と、多忙な中、短い旅がとてもいい気分転換になり癒やしになった。大分は九州では一番私に縁がない県であったが、桐原書店の小論文講演で臼杵高校など、大分県内の高校に行く機会が増え、今では一番よく行く県の一つになった。大都会がないということもあってか、古きよき田舎の風景を残している。新幹線、飛行機の現代だと交通の要所にはならないが、船や徒歩が主流の昔だと逆に大分は交通の要所で、古代から豊かな文化を継承しているから、歴史的に見どころが多い。

 

2022年4月30日

山田

 4月も終わる。4月は新年度の始まりで、何かと忙しい。大学の授業の準備をするが、毎年バージョンアップするので、けっこう手を取られる。しかし、そのように工夫しても、まじめに聞く学生はひとにぎりというのが辛いところである。単位を取るための強制の勉強だから、こちらも無理はいえない。

 医療倫理は避けていたが、歯科大学や看護系の学校の授業が増えるとそうもいっておられない。90年代に流行っていたハンス・ヨナスの本などを改めて読み直すと、昔『共感する心、表現する身体』を書いた頃の関心がよみがえってきた。彼はドイツ哲学を根本にしていることもあり、超越論哲学と彼の生命の哲学は同じ圏域にあることに気づいた。私の考えてきた関心と重なるのだ。長いことホコリをかぶっていたメルローポンティの書物なども新しい目で再読することができるかもしれない。

 新年度なので、他にもいろいろすべきことがある。家の塗装もそうで、これにあわせて部屋のカーテンも付け替えた。10年以上古いものを使っていた。スクーターも、バッテリーがへたったので、自分で交換した。エアクリーナーも換えた。この二つをバイク屋に頼むと2万近く取られていたかもしれないが、自分でやると部品代5千円少しですむ。バッテリーは処分がたいへんだが、隣人が助けてくれた。オイル交換もできるが、これもオイル処分が面倒なので、バイク屋に頼んだ。

スクータ

 子ども寺子屋カフェ関係の事務仕事も多く、さわやか福祉財団の地域助け合い基金の助成金申請などをした。社協などとの協力関係が条件だったので、連絡を取り、会議などした。そしたら、今後の協力関係もできた。簡易フードパントリーなど、いくつか新しい事業が始まる。

 新年度の寺子屋カフェは、会員総会や地域交流会が別にあり、この準備もした。毎回、「みんなでダンス」というプログラムで、かんたんなダンスの振りつけを私が考え、みんなで踊る。今年は、2月にプロコル・ハルムのゲイリー・ブルーカーが亡くなったので、ひそかに彼を偲んで「ウィザード・マン」にした。みな知らないと思うので、純粋に私個人だけの思いである。中学生の頃から、一番好きなロックバンドで、私の生涯の同伴者だったともいえるバンドだ。

みんなでダンス

 4月は花が美しい季節だ。桜は小倉城にN君といき、孫のことはと山田地蔵にもいった。藤の花は、八所宮と正助村にことはをつれて行き、弁当をいっしょに食べた。

 青葉もまぶしい。去年は温度が低くて北欧の夏という感じで気持ちよかったが、今年はやや蒸し暑かったと思う。今日30日は気温が19度で、まさにさわやかな天気だった。

小倉城

山田地蔵

山田地蔵で孫のことは

八所宮の藤棚

八所宮でことは

八所宮

正助村の藤

山田

 今年の夏で67歳になるが、年齢はだませず、あちこちにガタが来ているようだ。右膝が何も無理していないのにいきなり痛くなったし、動きが少しずつ鈍くなっているのか、モノに手足が当たることが増えた。バランスを崩しても前はひらりとかわして元の姿勢にもどれたが、最近は倒れてしまうことがあった。老いを自覚しないといけない年頃になったようだ。

2022年3月18日

建仁寺

 22年に入って最初の更新だ。もう2ヶ月と18日が過ぎようとしている。

 3月13日から15日まで、京都に行った。本来の目的は、14日の大阪箕面市の「箕面子どもの森学園」の取材だが、京都も近いので、工藤先生(元同志社大学教授)のお宅にもお邪魔し、旧交を温めた。

 もう一つ旧友の砂川さん(大津市)にも会う予定だったが、彼がこの時期まだタイにいるということで、これはできなかった。

 13日の午後に京都に着いて、観光はせず、京都市交響楽団の定期演奏会に行った。常任指揮者の広上淳一さんの最後の公演ということもあった。会場の京都コンサートホールは、とてもすてきな場所で、ヨーロッパのコンサートホールを意識した設計だった。ワインード型で、エッセンのザールバウやライプツィヒのゲヴァントハウス・ホールに感じが似ていた。いつも聴く福岡市のアクロスは、シューボックス型なので、新鮮な感じがした。

京都コンサートホール概観

広上さんの最終公演祈念パネル

ホールの中

 京都市交響楽団は広上さんとのコンビで、飛躍的に技術が上がったといわれている。演奏はたしかに繊細で上手だった。しかし、マーラーの一番だったわりには、だんだんと気持ちが盛り上がる迫力には乏しい気がした。その点は九響のもつ荒さの魅力が優ると感じた。協奏曲の緩徐楽章ならすごい魅力的な演奏をするのではないか。

 広上さんの指揮は、九響や日フィルの九州公演で何度も聴いているが、地元の京都ということもあってか、身振りやジャンプは九州での公演よりはるかにオーバーだった。アウェイの九州では遠慮気味だったとわかった。漫画(ドラマ)の「のだめカンタービレ」に出てくる片平は、広上さんがモデルとされている。まさに片平のジャンプで、ドラマの観衆のように、私も笑みがこぼれざるをえなかった。

カーテンコール

 2013年1月から2014年5月まで定演のチケットが毎回完売だったという。広上さんのパフォーマンスも一役買っていたに違いない。

 今回もコロナウィルス感染が減らない中、きっと聴衆は少ないだろうと思って当日券を買うと、8割以上埋まっていて、端っこの席しかなかった。最終公演というせいもあるが、人気ぶりがよくわかる。プレトークも親しみやすさに貢献していた。

 14日は、箕面まで阪急電車で行き、子どもの森学園を取材した。21年度最後の見学日とあって、私以外にも4組、見学や取材者が来ており、スタッフは大忙しだった。小学部、中学部の授業を見学し、理事長の辻さん、学園長の藤田さんと昼食を食べながら、質問などする。

箕面こどもの森学園

 見学日は週二日(月と金)あるが、こういうふうにオープンに誰にでも学びの様子を見せることができるのは、それだけ中味に自信があるからだ。公立学校のように、授業参観日仕様がない。これについては、グルントヴィ協会の22年度の会報(来年3月発行)に書く予定である。

 14日の夜は、工藤先生のお宅にお邪魔し、手づくりのすばらしい晩餐をいただいた。これもとても充実したすてきな夜だった。

 15日は帰る日だが、この日になってようやく京都観光をした。宿泊したホテルが洛東の南だったので、洛東が主で、これまで寄っていない場所を訪れた。まずは銀閣寺に行き、庭園を堪能した。春たけなわや秋の紅葉時はもっときれいだろう。

銀閣寺

哲学の道

 この近辺にある「哲学の道」も少し歩いた。南禅寺近くの終点は前にもいったことがある。西田幾多郎がそこから名前を取ったドイツのハイデルベルクの「哲学者の道」もずいぶん昔に歩いたが、銀閣寺付近のこちらは若干パッとしないかもしれない。明治、大正の当時はもっと趣があったとは思う。

 その後は知恩院に行く。ここも25年くらい前に寄ったことはある。しかし、そのときは閉門時間ギリギリでじっくり見ることができなかったのだ。粉雪舞う寒い日で、薄暗くなった巨大な三門だけが記憶にある。今回は天気にも恵まれ、ゆっくりと歩くことができた。

知恩院三門

石段を登る

巨大な本堂

 知恩院の魅力は伽藍の大きさ、壮大なつくりだ。浄土宗、法然上人の性格とは対照的だなと思っていたが、江戸時代に徳川幕府が、対抗勢力の京都の人々にその権威をひけらかすためにこういう巨大な寺院にしたらしい。

 昼食は近くの地元のそば屋さんでにしんそばを食べた。これは九州では食べられない京都の名物なので、京都に来たらよく食べる。九州でのゴボウ天ソバみたいなものか。

にしんそば

 午後は、京都国立博物館をまず見た。耐震工事中とかで休館は閉館、新館で常設展を見るが、これも一部だけの展示。それゆえ、あまり印象に残る展示がなかった。

京都国立博物館

 最後は建仁寺へ行った。京都で好きな寺院は大徳寺で、その塔頭の庭を見るのが好きだが、建仁寺も臨済宗のお寺なので、芸術の香りが高いはずと考えた。予想通りで、庭園やふすま絵など大いに楽しめた。博多の聖福寺と同じで開祖が栄西なので、雰囲気はよく似ている。

建仁寺法堂

舞妓姿の女性

石庭

海北友松のふすま絵

 観光客はだいぶ戻っているとは京都の人に聞いた。たしかにそこそこの数はいたが、それでもかつての喧噪に比べるとゆったりして静かである。

 若者の観光客が目についた。海外へ行けない分、京都に来ているのだろうか。建仁寺では、20代そこそこの男性3人組の写真撮影を頼まれた。彼らはオーバーなポーズをとって私に撮影された。

 若い女性だけのグループ、男女のカップルはわかるが、若い男だけのグループが京都を観光するというのは、昔は多くはなかった気がする。海や山、ゲーム、アニメや鉄道などのテーマパークなら男性だけのグループも多いだろう。そういう固定観念が自分の世代の古さを自覚させた。

2021年12月31日

博多駅のイルミネーション

 21年も終わるが、去年と同じ日々で、あまり変化のない年だった。コロナ対応で、19年以前とは違っているのはたしかだが、この2年は似たような毎日だった。

 8日は、九響の定演に行った。今年も定期会員だ。本来のプログラムは、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」だったが、コロナが終息しないということで、合唱が取りやめになり、ブラームスの交響曲3番と2番だった。小泉さんは、3月にやはり曲目変更で、ブラームスの交響曲4番と1番をして、21年は4曲全部演奏したことになる。1番は、最近流行のテンポを微妙に変える演奏でガッカリしたが、それ以外はオーソドックスな演奏でよかった。

九響定演

 12日のバレエ、くるみ割り人形は「家族ダイニング・さんさん」で私が行けなくなったので、妻が知人といった。もともとは生のフルオーケストラのはずだったのに、やはりオミクロン株でオケは入国ができず、録音演奏になったようだ。

 25日の九響の第九は妻と小倉の方にいった。合唱団は九響合唱団がはるかにうまいので、福岡の方がいい。しかし、小倉の方がだいぶ安いのとエグモント序曲がある分お得だった。理由はいってみてわかった。去年と今年はアジア文化都市の指定を受けて、北九州市が予算をつけていたのだ。だから、去年ウィーンフィルが、政府同士の特例で来日して公演があったわけだ。

 合唱団は口元に宗教団体のようなヴェールを垂らすことで飛沫を防いでいた。プロの東京混声合唱団が半分くらい入っていたので、いつもよりは合唱もよかった。アマチュア合唱団のフロイデコールの意義は大いに評価してはいるのではあるが。

九響の合唱(小倉)

 23日は、クリスマス・ピザ・パーティに行った。イタリア語をいまネイティブのルーチョさんに学んでおり、彼が務める会社の企画に誘われたのだ。イタリア人が他に何名か来るかなと思っていたら。彼だけだった。福岡市大名の本格的なナポリ・ピザの店で行われた。

主催者のLucioさんのあいさつ

ピザ・パーティ。女性がAさん

 「子ども寺子屋カフェ」にボランティアで来てくれている学生のAさんをお礼もかねて招待した。同じクラスのヒロさんや彼の友人たちと座り、ピザや談笑を楽しんだ。イタリア・フィレンツェの革製品などが当たるビンゴゲームは、周りの人は次々に当たるのに、私はさっぱりだった。同席していた参加者の一人は「こんなもので運を使い切ってはもったいない」といっていたが、その彼もしっかり当たってよいものをもらっていた(笑)。

 12月は12日に「家族ダイニング・さんさん」をして、19日には、子ども寺子屋カフェで「北欧のクリスマス」をした。やはりサンタクロースの登場は子どもたちの最大の楽しみだった。これについては、子ども寺子屋カフェニュースにつけたエッセイも読んでほしい。

 子ども寺子屋カフェの活動については、21年は夏に天候やコロナウィルス感染防止に伴う会場の休館などで、一部実施できず、その分勢いに水を差された。だが、その後は徐々に取り戻し、いい感じで終えることができたと思う。詳しくは上のFacebookのページを見てほしい。

 去年、日記を書いていないので、ここで初めて報告することになるが、昨年2月に孫のことはが生まれた。12月で1歳10ヶ月になる。この2年ではこれが一番大きな変化だ。そういう意味では、幸福感をもらっているので、了とすべきだろう。

孫のことは

 

2021年12月7日

長府・古江小路

 11月27日には、長府へ紅葉を見にいった。去年いっしょにいったMさんが今年は仕事で来られないので、下関在住の元同僚のOさんを誘った。Oさんは長府にある豊浦高校の出身でいわば地元だが、ふだんは長府へ来ることはあまりないという。

 去年は23日でまだ葉が青かったが、今年は数日遅い分、去年よりは紅葉にはなっていた。それでもかつて訪れたときに比べても、紅葉の美しさが減少しているように思う。なぜだろうか。手入れか、気候か。

長府庭園

 長府庭園から始まり、いつものようにイムジンで昼食を摂ろうとすると7〜8人のグループが待っている。多そうだなと立ち寄るとグループのリーダーらしきおじさんが話しかけてきた。職場か何かの一行のようだ。これなら時間をずらした方がいいと先に功山寺に行った。

功山寺でOさんと

 そこで紅葉を楽しんでから、イムジンに戻ると、座れはしたが、2人しかいない店の人は、先ほどのグループに注文品を出すのに追われており、時間がかかった。しかし、手づくりのハンバーグは良心的でおいしく、Oさんも舌鼓を打っていた。

 覚苑寺に行くと、ここは葉が散っているのもあれば、まだ青葉もある。少しカオスになっていて、どうしたのだろうかと思った。上に美しさが減少していたと書いたのも、ここの印象からだ。

 去年帰りに寄ったカフェはもうやっていなかった。10年以上続けていたが、やはりコロナ等で客も減り、たたむことにしたのだろう。いい感じのおばさんと雰囲気のいい店だっただけに残念だ。

 まぁ紅葉らしい紅葉を見ることができて、今年の秋もこれで一区切りをつけたという感じだ。

 

2021年11月13日

光のトンネル

 例年、イルミネーションといえば、11月終わりから始まり、12月のクリスマスあたりがピークという感じだ。しかし、今年は小倉では10月1日からイルミネーションを始めていた。前は歳末に写真を撮りに小倉や門司港へ足を伸ばしていたものだが、今年は早いので、たまたまカメラをもっていたときに撮ってみた。

 18年だったか、光のトンネルが経費節減でなかったけれど、その後は19年、20年そして今年とちゃんとある。やはりないと寂しいという市民の声が届いたのだろう。

井筒屋前

紫川沿い

 小倉は寂れつつあるのはたしかで、コロナ下での飲食店のにぎわいが消えたこともそれに拍車をかけた。それでも、イルミネーションでがんばっているのはうれしく思う。

 福岡でも小倉でもなじみの店が高齢化などでなくなっている。歯科大の近くにあった松月もだいぶ前に店をたたんだ。この店ほど良心的な料理を出している食堂もなかった。京町の昔ながらの天ぷら定食の店ふじしまはまだ残っているが、チェーン店ながら味はいいふそうは開店時間を短縮して、客入りも悪く、コロナになってよけいに悪化した。福岡大名のツンドラの閉店は新聞記事にもなったほどだ。

 そこで今秋は、足を伸ばして新たな店を開発してみた。私は洋食屋が好きで、これ自体昭和の遺物だから、どんどん消えつつある。年をとったので量も入らず、食べること自体に関心が薄れつつある中で、味を求めての旅はけっこうきついというか、胃にもたれる(笑)。しかし、古くからやって固定客がついているような店は、調理もていねいで味もたしかで、ほっとする。

 そうして、いくつかいい場所を見つけた。一人で行くだけでなく、知り合いも連れていけるようないい味だ(ちなみになぜか若い女の子からは私は「おいしい店を知っている人」と思われている)。

 小洒落たチェーン店などより、地の人間や労務者などが集まるような店の方が味がいいのはたしかだ。良心的な個人が誠実にやっている店を探すのは意外と楽しかった。私なりの「孤独なグルメ」である。

 

2021年11月11日

 少し前になるが、10月17日は、子ども寺子屋カフェの行事として、若松安屋海岸の「ぴのきお」に行き、「秋の収穫祭」として、野菜の収穫、芋掘り、そして大根の種つけをした。

 コロナがはやる以前は、10月から11月にかけての「収穫祭」は「ぴのきお」の重要な行事だった。「ぴのきお」と交流がある団体、人々を招いて芋を掘り、バーベキューを囲み、ゲストのバンドなどがコンサートをし、「ぴのきお」の住人の障碍者のみなさんの踊りなどあった。コロナに加えて、「ぴのきお」自体が組織の立て直しがあり、キャンプなどは19年まで実施をしたが、秋の収穫祭は17年以来になる。

芋掘り

 丸4年のあいだが空いたが、かつての「ぴのきお」の秋祭りが復活した。それが一番うれしいことだった。また、「ぴのきお」に暮らす障碍者のみなさん、Eさん、Oさんたちとも再会も楽しかった。

 寺子屋カフェに通う子どもと保護者4組、そして学生ボランティア3人、スタッフ3人で朝10時半ごろ着く。開会のあいさつのあと、畑でナスとピーマンの収穫、芋掘り、そして大根の種つけをする。子どもたちも張り切って野菜を切り、土を掘る。ミミズやゲジゲジなど見つけては大騒ぎ。大根の種つけも初めてらしく、面白がってやる。土に親しむ機会をぜひということで設けた企画だが、大成功のようだ。

 1時間半、作業をしてバーベキューの昼食。天気もよくなり、暖かな日差しがあって、絶好の行楽となった。保護者たちにもいい休日の娯楽になったと感謝される。

みんなでバーベキュー

 目の前は海なので、子どもたちを連れて浜辺で遊ぶ。風がある分、波も高く、大海原の雄大さを感じるにはちょうどいい感じだった。

海で遊ぶ

 

2021年10月31日

 30日は会員になっている九響の「天神でクラシック」へ行った。ハイドンをテーマにしたものだ。指揮者は阪哲朗さんで、今年の二月、コロナ下による指揮者交替で九響の「午後の名曲コンサート」で、初めて彼の指揮で聴いたが、いい印象をもっていた。

ポスター

 グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」序曲は、日本ではあまり演奏されないといっていたが、ヨーロッパではこのオペラはよく上演される。近くでは19年の3月にローマ歌劇場でオペラを見たので、曲はよく知っていた。クラシックBGM定番の「精霊の踊り」もこの中の曲だ。

 

阪さんと九響

 一番おもしろかったのは、初めて聴くシュニトケの「モーツ=アルト・ア・ラ・ハイドン」だった。現代の音楽らしく、奏者が動き、前衛演劇的な要素があった。音と動きの両方で楽しめる。こういう演目もときどきはやると、いいアクセントになる。

 ハイドンは「トランペット協奏曲」と「交響曲104番 ロンドン」だ。聴きやすいハイドンなので、それなりに楽しめた。「ロンドン」はリズム感あって盛り上がるので、好きな曲だ。阪さんは第4楽章のテンポが、私がいつも聴くブリュッゲンやアダム・フィッシャー、ピノックよりも速く、やや違和感があったが、全体にとてもいい演奏だった。

 会場の福銀コンサートホールはもちろん福銀本店地下にあるが、本店前の吹き抜けにはテーブルがあり、カフェ(FADIES)がある。コンビニ以外では、天神で一番安くコーヒーが飲める場所(Sで190円)だ。ホールにはカフェがないこともあって、休憩時間はここに来る。

吹き抜けになっている

 この季節は外が気持ちいい。風に吹かれて、午後のコーヒーを飲んだ。このところせかされるような忙しさだったので、コンサートとあわせて秋の日の極上のリラックスタイムになった。

 

2021年10月9日

 しばらくというか、2年近く日記更新ができていなかったが、再開をしたい。

 

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