2008年12月29日

 あっというまに年末を迎えた。今年は年賀状を早く書いたので、いつものような追われる感じはない。しかし、それでも時間の過ぎるのが早い。

 23日には恒例の九州交響楽団による「第九」のコンサート(福岡サンパレス)に行った。今年は福岡のコンサート会場にしたが、こちらの方が合唱団がうまいこともあり、たいへん感動できるコンサートだった。コンサートのパンフレットにも書いてあったように、年末に「第九」を聴くというのはいい慣習である。ヒューマニズムの理想を改めて思い起こす日となるのだから。

 今年はカメラの道具をそろえたこともあり、初めてイルミネーションを撮ってみた。場所は小倉の紫川両岸。イルミネーション自体は問題もあり、今までこんなことをしたこともなかったが、夜景の練習として三脚を使ってどの程度やれるのか試してみた。素人の割にはそこそこうまく撮れたと思うが、ホワイトバランスなどの細かい設定ができていない。凝れば凝るほどなかなか面倒な世界ではある。まぁのめり込まず、ド素人のスナップのレベルで楽しむことにしよう。

小倉のイルミネーション

 2008年も終わるが、今年は私にとっていい年であったのかどうか。大きな不幸もなく過ぎたので、その意味ではいい年だったには違いない。出るはずだった訳書や本が出ていないが、これは来年になるだろう。去年コルの訳書を出したので、今年は無理する必要もなく、ぼちぼちと仕事をした。

 予備校も大学も個人的には大きな変化もなく(組織内部的には大きな変化があるようだが)、3月のデンマーク行きもいつものような当たり前という感じで終わった。プラハとヘルシンキはいい思い出ができ、また行きたいと思わせる場所だった。来年は少し身辺に変化をもたせる予定で、それが日々の新しい刺激になればよいと思う。

 世の中は不況や解雇で不穏な動きになっているが、これは労働者派遣法が制定、緩和され、様々な金融商品が出てきた頃から予想していたことだ。労働者派遣法をなくし、かつてのような銀行の企業融資、その返済による利益という古典的な金融システムに戻れば、実体経済の力はあるので、今のようなバブル崩壊の時代にこそ強い経済になる。為政者も企業トップも御用経済学者も目先のことしか考えておらず、自分たちの方針の責任をとることもない。彼らが招いた混乱で庶民が犠牲になり、私もそのうち当事者になるかもしれないと思うと、のんびりもしていられないが、それでも泰然自若として新年を迎えたいと思う。

 

2008年12月20日

 12月になってもう20日ほど過ぎた。今年はとくに多忙というわけではないが、それでもあっという間に日にちが過ぎるのは例年と同じ師走の感じである。

 10日には八幡の響ホールのクリスマス・コンサートに知人といった。ドレスデン聖十字架少年合唱団と森麻季さんのジョイントコンサートである。クリスマスらしく聖歌やクリスマス用のモテットなどを歌ったものだが、雰囲気はよくて満足して戻った。彼らの属する教会も2003年に訪れたことがあり、少しは親しみがあった。森さんは歌の上手い人だが、細い分声量が足りないきらいがある。しかし、この小さなホールはちょうどいい感じで響いたのではないか。私は真横の二階席ですぐ近くで聴けたので、どっちにせよよく聞こえた。

響ホール

 12月になり、ネグリの本を買ったついでに、マルクスの『経済学批判要綱』などを引っ張り出して読むことがあった。そしてC. グールドの『「経済学批判要綱』における個人と共同体』(合同出版)も十数年ぶりに読み返してみると、今流行の現代思想を追わなくても、同じレベルあるいはより高い議論はすでになされていることに改めて気づく。マルクスは全然古くなってはおらず、彼の社会存在論は依然として現代のどんな社会哲学よりも有効で、射程も広いことがわかる。

 書簡集も含めて改めて読み直してみるかと思い、古本屋ネット(日本の古本屋)で『マルクス・エンゲルス全集』を探して、一番安いものを購入した。全53冊で3万1500円だった。若い頃はこの全集が高くて手が出ず、一部の端本しか買えなかった。あとは単行本や文庫を購入したが、53歳になって全巻そろえるとは思わなかった。経年劣化はあるものの、アルコールで汚れなどを拭くとけっこうきれいになった。ただ購入したはいいものの、置く場所がないのが悩みだ。今でも本棚に置けず、ダンボール箱に入れて押し入れや倉庫に入れっぱなしの本がたくさんあるというのに。

 

2008年11月30日

 11月後半は慌ただしく過ぎた。
  23日は東京へ行き、協会会員のT君と上野のフェルメール展に行った。デンマーク人画家で最近やたら評価が高まっているハマースホイの絵を先に見るつもりで、予定より早めに行くと、何とフェルメール展は90分待ちという。2時間になるかもしれないという警備員の話を聞いて、ハマースホイ展を見るのをあきらめ、その時間を待ち時間に充てた。ちょうど90分くらいして、ようやく展示会場に入る。これまた人が多く、ゆっくり見ることもかなわない。まぁ連休で日曜日の昼間だから一番人が多いときではあるが、それにしてもあいかわらず東京の美術展の混雑にため息をつく。

都美術館前

 フェルメールの絵では、やはり円熟期の「リュートを調弦する女」がよかった。技術的には最高の出来で、これぞフェルメールという雰囲気がありあり。他にもファブリチウスの絵があって、これらもよかった。

 かつてはフェルメールはさほど人気はなかったと思う。しかし、90年代後半から一気に日本人好みの画家になった。2000年以降の彼の作品の来日展示が一役買っているのだろう。今ではゴッホ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ダリに匹敵する人気画家になった感がある。

 留学時代アムステルダムの王立美術館に行き、圧倒的なオランダ絵画の洪水に疲れ果てたとき、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」に出会ったときの驚きと清涼感は忘れられない思い出だ。あのとき日本人には絶対受ける絵柄と色合いだと確信した。その頃フェルメールといっても知る人ぞ知る存在で、マイナー(当時の日本では)好みの私にはうってつけの画家であったが、今はメジャーになりすぎて、ミーハーチックかもしれない。でもいいものはいい。今度はラ・トゥールがそういう存在になりそうな気がするが、さてどうだろう。

 25日と26日は紅葉を堪能した。25日は筑紫女学園大の講義のあとに、私の授業を受けている学生たちといっしょに帰り道がてら、光明禅寺に寄った。まだ三分程度であったが、さすがに雰囲気はよく、学生たちも喜んでいた。すぐ近くにあるというのに、寄ったこともないらしい。紅葉狩り自体に関心がないそうだ。まだ二十歳前後というせいもあるかもしれない。もう少し年が行き、二十代後半にでもなれば、秋の京都などに行くこともあるのだろう。

光明禅寺

学生たち

 26日は夏に寄って、秋は絶対に美しいはずと見当をつけていた長府に行った。ピーク少し前という感じだったが、予想通り見事な紅葉で、去年の京都南禅寺に負けない美しさだった。群衆の混雑がない分、こっちがいいだろう。功山寺、毛利邸、武家屋敷跡と歩き、最後は喫茶店でケーキを食べて戻る。一番の名所の覚苑寺には時間が足りず寄れなかった。また来年以降の楽しみにとっておこう。

功山寺

山門

武家屋敷跡

 29日は妻とボリショイ・バレエ公演ドン・キホーテ」を見た。秋と冬にバレエとオペラを彼女と観るのがここ数年の慣例になったが、これまでそういうことをしなかったし、これまでの罪滅ぼしも兼ねてのことだ。

 ボリショイ・バレエ団はマリンスキー劇場バレエと並ぶロシアの最高峰で、それは同時に世界の最高峰をも意味する。「ドン・キホーテ」はセルバンテスが原作で、舞台はスペインであっても、ボリショイのオリジナル作品でロシア・バレエのエッセンスが詰まっている。華やかで楽しい踊りの連続と第三幕での圧巻のグラン・パ・ドゥ・ドゥが売りのこの作品。ダンサー、バレリーナたちの技量はゆるぎなく、今まで観た中でも最高のバレエだった。本などの受け売りでマリンスキーよりも劣るのではないかという先入観をもっていたが、そんなことはないと確信した。久々の素晴らしい舞台の夜になった。

 

2008年11月12日

 11月になりやっと秋らしく涼しくなった。朝夕は肌寒いほどだ。九州は春と秋がなく、夏と冬しかないとはよくいわれることだ。それを実感する。例年この時期、季節の変わり目に体調を崩すのがこの数年の傾向だったが、今年は幸いまだそれはない。とはいえ、首の凝りから頭痛に悩まされたり、軽い鼻風邪程度はひいたりしている。

 カメラを買いなおしたことはすでに書いたが、今度は広角ズームレンズを購入してしまった。新しく出たもので、評判がよく、ついつられてしまった。旅などをしていて、美しい景色や光景をカメラに収めても十分にそのスケールが出ないことが多かったので、広角レンズなら、その迫力が出るかもしれないと思ったからだ。一番安いスタンダードクラスのレンズなのに、本体とレンズセットに近い値段がする(とはいえ、やはり通販で保護フィルター付きで5万円そこそこで買えた)。本体は安くして、レンズを高く売って元をとっているのだろうか。本体を安くして消耗品で利益を出すプリンタと同じ商法だ。

 カメラを趣味にすると出費が半端ではないとはよく聞く話だ。高級機はレンズだけでも数十万円、望遠になると80万円クラスにもなる。貧乏な私にはとてもついて行けない世界である。それでも自分がカメラをもってみると、中高年で三脚やでかい望遠レンズをもって紅葉や寺社を撮りに来る人がけっこう多いのに気づく。この人たちはすごいリッチな人たちだったのだ。もともと趣味でもないので、ズルズルとこの世界に引き込まれないように注意しよう。

 季節は写真を撮るのにいい時期ではある。E-520オリンパス・ズイコーレンズは優秀で、ニコンのレンズよりは解像度が高い。こちらは紅葉はまだで、あと半月は秋の気配を楽しむことができる。

釣り人

鐘崎港

宗像大社

鎮国寺の紅葉

 

2008年10月29日

 ニコンのD60を購入したことは前に書いた。10月1日の「みあれ祭」からのここの写真はそれで撮影したものだ。しかし、画像の仕上がりに不満があり、22日にカメラ屋に売り払い、新たにオリンパスのE-520を買い直した。物欲の薄い私にしては浪費になってしまったが、これも格安で買えたので、結局D60と併せても結局家電量販店(ヤマダ電機とかビックカメラ、ヨドバシカメラなど)でE-520を買うくらいの出費ですんだ。この二つにキャッシュバック・キャンペーンがそれぞれ一万円あるせいもある。

 手でもった感触、重量感、操作性、堅牢さなどはさすがニコンというべきか、D60のそれはいいものだったが、どうしてもうそ臭い画質の仕上がりに我慢がならなかった。マニュアルで試行錯誤すればいいのだが、カメラが趣味ではないのでどうしても面倒くさい。また手ブレ補正、オートフォーカスがレンズの機能になり、レンズがツチノコみたいに不格好でニコンのレンズらしくないのもいまいちだった。

 久々に休みだった今日、E-520でいくつか写真を撮ってみた。今まで使ってきたオリンパス製品と同様、自然でどちらかというと地味な画質だ。レンズの解像力も申し分ない。フォーサーズなので被写界深度が深いのがやや気になる点だが、これもレンズをそろえたり、撮り方の工夫をすればすむことだ。基本的にはスマートでクールなカメラだといえる。これは買い換えることなく、ずっと使いつづけていけるのではないか。

家の近くの空

さつき松原

神湊の隣船禅寺(山頭火の句碑がある)

 話は変わるが、10月2日には知人とパユのフルートコンサート(響ホール)にいった。今年の北九州国際音楽祭は去年記念年ということで予算を使ったせいか、わりとこぢんまりとしたコンサートが多いが、その中では幕開けのコンサートとあって、ベルリン・フィルの首席奏者のエマニエル・パユを呼んで少し派手目にしてある。しかしパユよりも、バックのオーストラリア室内管弦楽団の方がよかったと思う。音楽監督のリチャード・トネッティが進取の気性に富み、古楽から現代音楽まで幅広く挑戦して、飽きさせない。今に生きるクラシックのあり方として非常に共感を覚えた。

 

2008年10月13日

 写真は趣味ではないが、最近カメラを買った。ニコンのデジタル一眼レフ入門機のD60が安くで価格com に出ていたからである。ズームレンズが二つ付いて7万円を切る値段だった。キャッシュバックをしているので、実質6万円弱である。

 これまで長いことオリンパスのC2020ZOOMを使ってきた。ただスマートメディアで画像があまり記録できなくなったので、去年の夏にFE-250を半額以下のバーゲン価格で購入した。今年の3月にデンマークのホルセンスの美術館でこれを床に落として壊してしまい、コペンハーゲン空港でやむをえず、オリンパスのSP560-UZという機種を定価に近い価格で買った。まだ旅の途中で写真に撮りたい場所が一杯あったからだ。日本だと価格comや他の安売り販売店でかなり安く買えるのだが、これは高い買い物になった。

 SP560-UZはアタリで、画像は鮮明で美しく、これまでのデジタルカメラと比較にならないほどよかった。しかし、首から下げるストラップの取り付けリングに問題があり、プラハでの撮影中に自然に離れてどっかに紛失してしまった。同じ問題は多くのユーザーから寄せられているとFE-250を修理に出したとき、福岡支社の人に聞いた。だからリングの部品の販売が遅れて始まったのだろう。

 ストラップがないと外では使いにくい。いいカメラなのに使い勝手が悪いというディレンマを抱えていたところに、安いD60の情報が入り、思わず買ってしまった。そしたら同じ頃、オリンパスの方でもリングの別売を始めたので、これも購入した。これが早ければD60は買っていなかったかもしれない。

 で、そのD60であるが、まだ十分に使いこなせていない。一眼レフカメラは20年以上前に使ったキヤノンのAE1プログラム以来である。これも長く使い、とうとう壊れたということで、最初のデジタルカメラを買ったのだ。

 とりあえずフルオートや自動絞りなどで撮るが、画質はオリンパスの方が自然で見やすい。ニコンのデフォルトの画像は、コントラストや彩度が強く、いわばウソくさい写真(雑誌などにはよくあるもの)である。はっきりいって画質はレンズやCCDで劣るSP560-UZに負けている。マニュアルで細かく設定すればよいのだが、これがカメラマニアでない者にはたいそう面倒くさい。オリンパスを使ってきたのは画質や性能に満足していたからで、一眼レフもオリンパスにすればよかったかなと少し後悔している。

 秋も深まり、近くの鎮国寺宗像大社、あるいはコスモスの花などをD60で撮ってみた。

鎮国寺

鎮国寺奥の院

宗像大社

 

2008年10月1日

 今日から宗像大社の「みあれ祭」である。初日の「海上神幸」を見にいった。宗像に来て16年経って初めて見た。関心はもちろんあったが、海の上を百隻以上の漁船がパレード(漁民の用語では「フライケ」という)するのを陸上から見てもそのよさはわからないと思っていたので、今までは見にいくことはなかった。これは漁船に乗るか、あるいは報道各社がやっているようにヘリコプターから鳥瞰するのが一番なのだ。しかし、妻が珍しく見たいというのでいっしょにいってみた。

 神湊の海岸から対岸の大島を見る。大島港を出発して地島、鐘崎を回って、神湊へ向かう。神湊は文字通り、この三姉妹の神々がここに着くから「神の湊」という。大島、神湊間直進すればすぐに着く距離だが、漁船を出している港を回り、さつき松原沖を旋回する形で神幸をするのだ。この祭りが宗像の漁民、海人族の末裔に支えられ、彼らの安全と豊漁を祈るのであれば、当然だ。

 台風の影響で波が高く、しけている。大島から地島へ向かう船団が遠くに見える。小さくて確認しづらいほどの大きさだが、いくつもの白い船形が見えて、心が躍る気がした。漁民の育ちの血が騒ぐのだ。

 鐘崎からいよいよ神湊へコースをとり、舳先がいっせいにこちらを向く。遠くにあって見えにくいのでその勇壮さは一部しか伝わらない。でも波を蹴立てて船団が邁進する。白いしぶきが上がり、船が大きく揺れる。しかし漁師たちはひるむことはない。そうだ、これが漁民の誇りなのだ。子どもの頃に乗った父の船。デッキに立って波しぶきを浴びていたことを思い出す。漁師にはなれなかったが、今日の船に乗りたいと切に思った。

舳先が一斉にこちらを向く

波しぶきをたてて進む

鐘崎に戻る漁船

大漁旗を掲げた漁船(奥が御座船、三女の市杵島姫神の御輿が乗る)

 陸(おか)から船を見てもしょうがないと船を知るからこそ思っていた。しかし、来てみてよかった。なぜか感動した。あれはまさに自分の生きた世界、帰るべき場所だと思った。港に向かって荒波を切り裂き船を飛ばすときは漁師が一番かっこいい場面だ。宗像の漁師は年に一度、陸の人たちに漁師の意気を見せる機会があり、幸せだと思う。

神湊に上がった宗像三姉妹神の御輿

宗像大社(辺津宮)のみあれ祭

 

2008年9月24日

 13日は恒例の福岡古楽音楽祭のコンサートにいった。今年は古楽協会20周年記念で、何とクイケン兄弟が全部そろうという豪華メンバー。本場のヨーロッパでもこの三人がそろってコンサートするのはあまりないので、貴重な機会になった。

アクロスの舞台

 前日から続くコンサートで、二日間でバッハのブランデンブルグ協奏曲と管弦楽組曲を全部演奏するというもの。私は二日目の方だけしか行けなかったが、いつもながらこの古楽祭は仲間同士がわきあいあいとした雰囲気で演奏するコンサートなので、一糸乱れぬ見事な演奏というものはない。忙しい一流の人たちがわずかな期間で集まり、リハーサルを少し行ってコンサートに臨むという感じだ。

 今回も初めはあまり音も合わず、バラバラな印象を受けたが、途中からだんだんとよくなってきた。クイケン兄弟にせよ、寺神戸亮さん、若松夏美さんにせよ、いっしょにやっているメンバーだから、やっているうちにだんだんと合ってくる。管弦楽組曲の2番のポロネーズはまさしくクイケン兄弟のCDに匹敵する名演奏で、感動的だった。

 21日は博多のアクロスで、オペラ『リゴレット』を知人と見た。バーデン市立劇場によるものだが、チケット代も安かったので、あまり期待せずに見たが、相当にいい舞台で充実したひとときになった。あとでわかったことだが、この劇場はオペレッタで有名なところだそうだ。だから技量も高かったのだろうか。

「リゴレット」のカーテンコール

 リゴレット役のバリトン歌手は上手で、娘役のソプラノ歌手は声量が今ひとつだったものの、歌と演技には文句のつけようはなかった。刺客の妹役のコントラルト歌手が野性的な色っぽい美人で、この人を見られただけでも価値があったろう(笑)。

 彼女はまさしく『カルメン』の主役にうってつけで、申し分ないカルメン歌手である。きっとバーデン市立劇場ではそれが十八番に違いない。もっているDVDなど、歌は上手くても、カルメンにふさわしい男を虜にする妖しい魅力をもった歌手はほとんどいない。彼女のカルメンを見にいくだけでもバーデンに行く価値はあるなと思った。

 

2008年9月12日

 9月になり、初めは涼しかったが、また暑くなってきた。10日は休みで天気がよかったので、宗像周辺でまだいっていないところを回ってきた。

 まずは宗像氏貞のお墓に寄る。宗像は古代から海人族である宗像氏の支配した土地であり、氏貞はその最後の支配者になる。当時は戦国時代でいろいろな血生臭い争いがこの地でもあったようだ。

 そこから承福寺も近い。ここは室町時代に建てられ、宗像氏に庇護されていた寺だが、氏貞のあと宗像氏が滅び、廃れる一方だったのを黒田如水が復興したということだ。へんぴな山の中腹にこういう由緒ある寺があるとは思わなかった。戦のことなどを考えて不便な場所にしたのだろうか。小さいけれども名刹といえる雰囲気があり、心落ち着く場所だった。

承福寺

 鐘崎は漁師町なので、何度も寄っている場所だ。しかし、織幡神社は初めてだ。ここには鐘崎の名前の由来になった海に沈んだ鐘の伝説があり、大正時代に鐘と思って引き上げた巨石がおいてある。織幡という名前からして大陸からの人々がまず立ち寄って一休みしたところに違いない。そこで大陸からの重要な技術を教えたのだ。沈んだ鐘の伝説は紀伊の道成寺にもあるが、何か関連性はあるのだろうか。

織幡神社

鐘崎由来の巨石

 鐘崎は海女の発祥地の一つなので、民俗資料館もある。漁師の子どもである私には格別に珍しくはないが、とりあえず寄ってみた。展示物を見て自分の生い立ちを改めて感じた。

民俗資料館

 宗像に住んで16年になるが、とくに観光地でもないので、いくつか有名なところ(宗像大社、鎮国寺など)以外はあまりいったことはない。しかし、実際に調べてみると興味深い歴史があり、場所がある。そのような地域の時間の流れのごくごく片隅に私の人生も位置しているのだと思うと、不思議なえにしを感じる。

 翌11日は、高校での小論文講演で、飯塚市にいった。ついでに歴史資料館をのぞき、帰りに嘉穂劇場にも寄った。歴史資料館は弥生時代の甕棺がたくさん展示され、また柳原白蓮関係の展示が目立った。

 柳原白蓮のことは名前以外にはほとんど知らなかった。短歌に縁がなかったこともあるし、私が読んできた作家の系列にも入らない。かろうじて宮崎とう(蹈のあしへんのかわりにさんずい)天とかするくらいか。白蓮が駆け落ちした相手がとう天の息子龍介であったからだ。昼メロにもなった菊池寛の『真珠夫人』のモデルとされているらしいが、たしかに今ならワイドショーなどが好みそうな人生かもしれない。

 嘉穂劇場はレトロな雰囲気がよかった。子どもの頃の映画館がこれと同じつくりで、昔の芝居小屋を映画館に変えたものだった。だからこういう座席には少しはなじみがある。回り舞台の下も見てみた。映画が普及する以前はこうした芝居小屋が筑豊や九州のあちこちにあったのだろう。その後映画館になり、テレビの時代になってそれも消え、今だと自治体の文化会館、文化センターになるのだろうか。また時代が過ぎれば、それらのいくつかは(とくに名高い建築家によるデザインのものは)価値ある文化遺産として維持されるのかもしれない。

嘉穂劇場

座席

 嘉穂劇場によったとき、猛烈な豪雨になり、びしょぬれになった。そこからタクシーで駅まで行けばよかったのだが、近いと勘違いし、歩いていった。そしたらカバンの中もずぶぬれになるくらいの雨量で、入れていたiPhoneが水濡れしてしまった。水濡れは保証も効かず、丸々買い直すことになる。高い観光になってしまった。まぁ仕方ないだろう。

 

2008年8月22日

 19日に大分西高校で講演をするついでに、18日杵に旅してみた。7月に臼杵高校で講演をしたときに、時間不足で街を歩くことができなかったからである。

臼杵の街並み

 古い城下町なので、宿も旅館がいいだろうと思い、五嶋旅館というこぢんまりした宿に泊まった。家庭的で料理がいいという評判だったからである。たしかに料理は地元の魚づくしで、品数も多く、食べきれないほどだったが、漁師の育ちである私にはごくあたりまえの料理で、都会から来た旅人ほど興奮することはなかった。ネコブカのゆびきなどはまず漁師町以外では食べないので、それが出てきたときは懐かしい思いがした。建物は古いが部屋は清潔で細かなところまで行き届き、ふだんのシティホテル利用とは味わいが全然違う。たまには旅館もいいものだ。

 臼杵といえば何といっても石仏が有名だが、街からは距離がある。観光案内所でレンタルサイクルを借り、運動不足解消もかねて、往復で8キロほどペダルを漕いだ。石仏は屋根がつけられたり、補修がされたりして、昔の写真にあるようなひなびた感じはなかった。回りの田舎の風景に似合って、素朴な味わいがあった。一説によれば、隼人の子孫である大神(おおが)氏がつくらせたものだという。九州の古代につながるロマンを感じさせる。

臼杵石仏(大日如来像)

 街に戻り、徒歩で散策をしてみる。宮崎の飫肥のように商店街は日本家屋ふうに改修して、雰囲気を出していた。かつての街並みが残る保存地区はより古さびた感じで、寺のまわりが多かった。

二王座地区

 大林宣彦監督の映画『なごり雪』に出てくる場面の道はここかなと思いつつ歩いたが、映画そのものの場面はなかったように思う。似た通りはあったので、30年前にするために画像処理をしたか、あるいは別の町(津久見)などを使っているのかもしれない。

二王座の長屋門にあるカフェ

 歩いていると地元の人があいさつをし、また自転車で通る中学生が「こんにちは」という。九州の田舎のよさがまだ残っていた。よかったのは街中の景観保存地区にはコンビニやファストフード店がなかったことだ。少し離れた郊外にいくとそういう店がずっと並んでいる。

 外国に行くのもいいが、手近な場所でもこういういいところがまだまだたくさんある。先週訪れた長府もそうだ。燃料サーチャージがとても高くて当分外国には行く気はないが、長府と臼杵を訪れて、夏の旅としては充分心が癒され満足できるものであった。

 

2008年8月13日

 大学の試験や成績評価、それと前後して3週間にわたる予備校の夏期講習の授業と7月、8月前半まで多忙な日々が続いた。海へもほとんどいけずじまいである。まだ仕事はあるが、ようやく今週になって自由な時間ができ、さっそく家族で下関の長府へ寄ってみた。

関門大橋

 下関は仕事などで前はよく行っていた場所だが、中心街からは少し離れた長府までは足を伸ばしたことがなかった。しかし城下町の面影を残す場所として前から話はよく聴いていただけに、一度はいかなくてはと思っていたのである。

 城下町として知られる他の観光地ほど昔の街並みは残っていないが、それでも期待に応えるだけの風情があり、充分に満足できた。1800年前の古代の豊浦宮時代から中世・近世の大内氏、毛利氏、そして幕末明治の高杉晋作、伊藤博文、乃木希典にかかわる史跡の宝庫であり、古代から近代に至るまで要所であったことがわかる。とくに瀬戸内海人族が朝鮮半島に行き来する出発点であったのだろう。

 古代史に興味がある私としては、忌宮神社にまず詣でてみたが、ちょうど1800年の伝統があるとされる夏祭りの最中で、やや雑然とした様子であった。神功皇后、仲哀天皇にまつわる話は北部九州にはあちこちにあり、ここもその一つだ。古代に百済、新羅の人々と北部九州で戦乱、亡命などあった名残である。胡人とよばれる西アジアからの渡来人も多く来た。秦始皇帝の息子が来日してここに養蚕を伝えたという伝説はそれを証明するものだろう。

忌宮神社

忌宮神社に合祀された貴船神社などの末社

古江小路

菅家長屋門 今も住民が住んでいる

 その後は練り壁の残る小径を歩き、乃木神社や功山寺をまわる。功山寺は1327年創建の古刹で、足利、厚東、大内氏、毛利氏らの保護を受け、とくに毛利元就の追撃を受けた大内義長がここで自刃したとされている。支配者の交替を劇的に象徴する場となったわけだ。高杉晋作が若き伊藤博文とともに挙兵した場所でもあるそうだ。また仏殿は国宝指定を受けている。近代史はあまり好きではないので、心躍るということはないが、さすがに緑濃い木々に覆われた名刹のたたずまいはすばらしく、夏の緑陰の静けさに心打たれた。

功山寺山門

功山寺

 来週は高校での講演で大分方面に行くが、その際に前回時間がなくて見ることができなかった臼杵の町を散策してみようと思っている。尾道三部作で知られる大林宣彦監督が現在大分三部作を撮っているが、その第一作「なごり雪」と第二作「22才の別れ」の舞台にもなった場所である。ここも由緒ある小さな城下町で、石仏でも有名だ。これは隼人の末裔ともいわれる大賀氏がつくったものという説もあり、古代の九州に夢はせる機会にもなるだろう。

 

2008年7月16日

 6月から7月半ばにかけて、仕事に追われる日々でほんとうに疲れてしまった。いつもは行き帰りの通勤電車で専門書などを読むのだが、読む気力もおこらないほどだった。

 たまたま寄った本屋で漫画の「宗像教授伝奇考」シリーズの一冊を手に取り、これが面白かったので、このところはこの漫画を電車内で読むのが疲れをいやす一つの手段だった。漫画なら気楽に読める。

 諸星大二郎が好きだったから、当然彼と並び称される作者の星野之宣は気になる存在であったが、読むのは初めてだった。個性的な諸星と違い、絵がきれいで、くせのないところが今ひとつ惹かれなかった理由だ。上手な絵ではあってもあまり魅力を感じないのは変わらないが、内容は諸星大二郎以上に理詰めでけっこう読み応えがある。

 この主人公の名前と出身地はもちろん私の住む宗像に由来している。他の地方の人から見れば、この神郡宗像も古代の伝奇とロマンに満ちた土地になるのだろう。たしかに古代の海人族の末裔の漁師たちが住むからこそ、私も対馬と似ているその空気に惹かれてここに住んでいるわけだが、そういう神秘の雰囲気をこの漫画が描き、私の中にある遠い過去からの海人族のえにしを感じたりする。

 その宗像族が活躍した海であるさつき松原に今年初めて泳ぎにいった。梅雨明けが早く、夏の日差しが7月初めから強く差し込めていたにもかかわらず、半月たってようやく自由な時間がとれて海へ行けたのである。漫画と違い、今度は身体全身で自分が海人族の末裔であることを水と一体になりながら感じる。ほんとうに快感である。

さつき松原

少年自然の家に来ている子どもたち

 とはいえまだ夏はこれから本番なのだろう。妻に頼んで植えてもらっていたヒマワリはまだいくつかしか咲いていない。暑い盛りの8月生まれの私は夏の花が大好きなのだ。

庭のヒマワリ

 ところで今日iPhoneを手に入れた。流行を追うことはしない私であるが、一方でMacファンでもあり、長年使ってきたウィルコムのスマートフォン(es)のWindows Mobile が使いにくくて解約しようと考えていたところ、ちょうどタイミングよく売り出されたのでこれに変えたのである。このes も製品はよいものであったと思うが、いかんせんWindows Mobileではどうしようもない。音楽はiPodを持っているので、iPhoneで聞くことは少ないとは思うが、さまざまな用途に使うことになるだろう。古代の歴史とロマンを伝える海で泳ぎ、最新のiPhoneを使う対照的な日々が私の夏の始まりになった。

 

2008年7月2日

 美術の話ついでに書くと、8月から東京都美術館フェルメール展がある。その特集ということで朝日新聞でフェルメールの絵を全部掲載し、それを全部見て回ってエッセイを書いた作家の文章があった。私はアメリカに行く気はないし、一生旅行することもないと思うので、彼の絵を全部見るということはできないし、そういう気持ちになったこともない。

 しかし、新聞にあった彼の絵36点を見ていると、なんと半分近くの17点をすでに見ていることがわかった。マウリッツハイス美術館、アムステルダム国立美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー、ドレスデン国立絵画館などで見たが、それ以外に2000年に大阪であったフェルメール展で5点、それに2004年に神戸と東京で「画家のアトリエ」を見ている。

 今度来るものでは見ていないものが3点あるので、これを見れば20点見たことになる。数の多さに意味がある訳でもないが、とりあえず見ろという何かの思し召しなのだろう。きっと東京に行ってみるだろうが、でも東京の美術館の人の多さにはこれまでも辟易しているので、それが問題だ。

[2000年2月の日記][2000年3月の日記][2000年4月ー6月の日記]
[2000年7ー8月の日記] [2000年9-11月の日記] [2001年1-2月の日記]

[2001年3-10月の日記] [2001年11月-2002年1月の日記]
[2002年2月-4月の日記] [2002年5月-7月の日記]
[2002年8月-10月の日記][2002年10-12月の日記]
[2003年1月-3月の日記][2003年4-7月の日記][2003年8月-12月の日記]
[2004年1-6月の日記] [2004年7-12月の日記]
[2005年1-6月の日記][2005年7-12月の日記]
[2006年1-6月の日記][2006年7-12月の日記]
[2007年1-6月の日記}[2007年7-12月の日記]
[2008年1-6月の日記]
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