日記特別編その11

2010年音楽の旅その4 番外篇

 

ハールレム(オランダ)


 3月22日には再びデュッセルドルフ経由でエッセンに戻る。これもAirberlinで、ウィーン・デュッセルドルフ間がわずか44ユーロ(5,517円)ですんだ。正規運賃の十分の一くらいである。

 エッセンでは最初の一週間とウィーンから戻って一日滞在したが、友人のアミンと、モハメド、ジャネット夫妻のところにお世話になった。一緒に街に行ったり食事をするなど、旧交を温めた。アミンはカラヴァネ(英語ではキャラバン)というアラビア料理店に勤めているので、ここにも寄っておいしいアラビア料理をいただく。私もスタッフ扱いで、いつもながら楽しいひとときだ。アミンの妻のエファとも一緒にトルコ料理店に行き、歓迎の席を設けてくれた。今回もあれこれ食べた中では、このトルコ料理が一番おいしかった気がする。

エファとアミン トルコ料理店で

昼食をつくってくれるモハメド

翻訳の仕事をするジャネット

二人の息子ジャマール

 モハメド、ジャネット夫妻とはいっしょに買い物に行ったり、モンゴルレストランで、モンゴリアン・バーベキューを食べた。息子のジャマールもすでに15歳になり、すっかり若者になった。それでも日本のマンガ「ドラゴン・ボール」が好きというのは、子どもの頃から変わらない。

 彼らと街に出てわかったことだが、エッセンにも大型ショッピング・センターや郊外型量販店が多く進出して、昔ながらの商店街が寂れてしまっていた。グローバリズムの影響はドイツも変わりないようだ。数年前から傾向はあったけれども、今回はとくにそれを顕著に感じた。もう自分が知っているエッセンの面影がどんどん消えてしまっている。

中心部のショッピング・センター

フォルクヴァング美術館

 ルール地方は今年はEUの文化首都になり、エッセンの美術館フォルクヴァングも新しい建物に建て替え中であった。とりあえず現代美術のみを完成した部分で展示していたが、フォルクヴァングが誇る近代美術(フリードリヒの絵など)はまだ展示されておらず、残念だった。

 23日に彼らと別れて、アムステルダムに飛ぶ。今回はKLMを利用したので、アムステルダム経由になるが、アムステルダムから列車で20分のハールレムに一泊して戻ることにした。

 ハールレムは留学時代、神学のゼミ旅行で来たのが最初で、その後留学時代の二年目に再度来て、98年にも寄り、そして今回と4度目の訪問になる。

 神学のゼミ旅行の目的はナチス・ドイツのユダヤ人迫害の歴史を辿るもので、アムステルダムのユダヤ人地区やアンネ・フランクの家などを見学し、ハールレムのユダヤ人を保護した家(今はテン・ボーム博物館になっている)とフランス・ハルス美術館を訪ね、そしてそこで宿泊した。ミュンスター大学の教授と学生5人(うち一人はギムナジウム教員で社会人学生)の旅で、内容はけっこう深刻な話なのだが、旅自体はとても楽しかった記憶がある。私はゼミの学生ではなかったが、友人が一人参加しており、特別に誘いを受けた。神学の学生は偏見がなくオープンで、ゼミ生ではないのに私もすぐに仲間扱いになった。一人の女子学生などはひそかな好意まで寄せてくれたほどだ。

テン・ボーム博物館(2階)

 そのときに小さいけれども伝統のある美しい街で、しかもユダヤ人でないのにヒューマニズムからユダヤ人をかくまった人がいた町と知って、お気に入りになり、アムステルダムで泊まる必要がある場合はハールレムで宿を探すようになったのである。

 今回の旅で一番楽しく気持ちよかったのは、エッセンの友人たちを除けば、皮肉にもたった一日もいなかったこのハールレムだった。まず駅について、水をキヨスクで買うと若い男性の店員がとても親切で、最後は笑顔で「Have a nice evening!」といってくれる。ある街にやってきて最初に出会う人がこういう対応だとその町全体の印象がよくなるが、彼が例外ではなく、その後であった人たちはみな笑顔で親切な対応をしてくれた。オランダ社会の民度の高さというか、私がオランダとデンマークが好きなのは、総じて人間が親切だからということを改めて思い出させてくれた。旅をして不快になる場面が少ないのである。

泊まったホテル・アマデウス(中央)

 今回の宿はゼミ旅行で泊まったところで、町の中心地の広場にある。着いたのが20時と遅く、ホテルの人間は不在で、隣の建物のレストランで鍵を受けとる手はずになっていた。そこへ行って、アジア系(中国人系に見えた)のウェイターに尋ねるとこれがまたとても感じのよい男性で、あまりに好印象だったので、夕食もここで食べることにした。こんなに感じのよい人なら、いい気分で食事ができると思ったからだ。案の定、彼の接客ぶりはすばらしく、楽しい会話もあり、とてもすてきな夕べになった。

レストラン・ブラッセリー・ランダース

 会計をすませると、チョコレートやキャラメル数個をもらい、その中にバスや市電の切符まで入っていた。オランダはこういうサービスをしているのだろうか。ドイツやウィーンはコンサートやオペラ切符は、公共交通のチケットにもなるが、ここではレストランが市内チケットを配っていた。あるいはまた来るときに使って下さいというここだけのサービスなのか。

 その後は、夜のハールレムの写真を撮る。記憶の中の風景を探して、ここだった気がするなどと、懐かしさにひたる。宿に帰るのがおしいほどの幸せな時間だった。

夜のフローテ・マルクト広場

夜の聖バフォ教会

カフェ通り

いつもまん中に教会が見える

 翌日、朝食をとる部屋からは広場が眺望できる。アメリカ人かイギリス人か知らないが、隣に英語を語る若い家族がいて、私のカメラEP−2を見て話しかけてきた。カメラに興味があるようで、EP−2のことも知っていた。彼はニコンのカメラをもっていた。カメラのことで話が盛り上がるが、彼の妻は微笑みながらも「まったく男たちは…」的な感じで眺めていた。小さな交流である。

ホテルの朝食ダイニングルーム

 夜のハールレムはきれいだが、昼間見るハールレムもなかなかよかった。ここはオランダでも有数のショッピングの街でもあり、お店がおしゃれである。建物は伝統的なものが多く残り、歴史を感じさせる。ノミの市もあって、娘へのおみやげに安いネックレスなどを買った。

のみの市

朝のハールレム

はね橋

運河

 ツーリスト・インフォメーションのスタッフもまた親切で、あれこれ教えてくれるし、カフェのコーヒー券までただでもらった。オランダはほんとうにサービスがいいと感心する。道を尋ねたカフェの若いウェイトレスもこれまた飛び抜けて親切で、自分は忙しく開店の準備作業をしているというのに、面倒くさがらず手を休めて満面の明るい笑顔で詳しく教えてくれた。晴れた朝にふさわしく、とてもさわかやな気分になる。

 フランス・ハルス美術館でも、係員のおばあちゃんが話しかけてきて、日本人だと知ると「娘が日本語を学んでいる」と喜び、しばらくつきそって絵の見所など詳しく説明してくれた。ドレスデンやウィーンの美術館ではなかったことである。2007年に寄ったケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館でも、亡命ビルマ人のスタッフがあれこれ語りかけてきたことを思い出した。小さな美術館ならではのアットホームな応対である。

フランス・ハルス美術館

美術館内部

 最後に乗った空港行きの路線バスの運転手も愛想がよく、オランダ人の心暖かさを切実に感じた。それまでの国々ではこういう経験は多くなかっただけによけいにうれしかった。それまでの国が決して不親切とか悪いというわけではなく、ごく普通の対応である。だが、オランダにはこちらがうれしくなる気配りがあったのである。オランダでも外国人排斥の動きが広がっているとニュースなどでは聞くが、実際にこんなに親切な国民はなかなかいないなと改めて思わせた。オランダ人の懐の深さを知る思いがした。

 よく知られているように、オランダではどこにいっても自転車が多い。ハールレムはまたとくに目立った。歴史的な景観をもつので、自動車の通行が制限されている地区が多いということもあるかもしれない。住民はみな自転車で移動するし、その延長としてスクーターも多かった。スクーターはガソリンを使うとはいえ、それでも車よりはエコである。あちこちに自転車、スクーターの店があり、これをほしいなと思わせる自転車やスクーターがあった。クリスチャニア・バイクの自転車も多かった。

自転車に乗った子ども

カフェの前の自転車

 天気も最後はどんどんよくなって暖かくなり、日向のカフェで一休みするとこれぞヨーロッパの醍醐味というゆとりを味わうことができた。

フローテ・マルクトのカフェ

 そんなわけで、今回の旅の最高の場所は、ここハールレムに決まりである。音楽を聴くことはなかった街であるが(ハールレム・フィルハーモニーはあるが、時間がなくて聴けなかった)。最後に心まで暖まる気持ちで帰ることができて、今回の旅もまたいい旅だったなと思ったのである。


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