日記特別編その5

在りし日の賢治を訪ねて


 2003年7月31日、岩手の花巻へ行ってみた。翌日の8月1日から3日間、秋田の田沢湖・角館近辺で協会の夏のセミナーがあったので、東北へもう二度と来る機会も乏しいだろうからと思い、ついでに花巻へ足を延ばしたわけである。花巻といえばもちろん宮沢賢治である。

 秋田駅に昼ごろついて、在来線の普通列車で花巻まで行く。乗り継ぎが悪く、新幹線利用でも10分しか違わないので、安い方にした。秋田から横手へ、横手から北上へ、そして北上から花巻と乗り換えたが、同じ列車に三人ほどずっといっしょの人がいた。ねらいはみな同じか。

 風景はあまり九州と大きな変化はないようだ。北の国だから植生がかなり違うと思っていたが、町に近い自然はほとんど植林なので、日本全国似たようなものなのだ。あとで和賀山系の渓谷を歩いたときにりっぱな落葉樹の森を見て、東北らしさを感じた。

秋田・田沢湖町の抱返渓谷(和賀山系)

 午後4時頃に花巻駅に到着。駅前の観光案内所で地図をもらい、名所の行き方を教えてもらう。係のおばさんはたいへん親切な人で、きてそうそう街にいい印象をもった。

 時刻が遅いから、売りの宮沢賢治記念館にははなから入るつもりはなかった。おまけに翌日も見る暇はなく朝から角館へ向かわないといけない。立派な施設と聞いてはいるが、あちこちの偉人の記念館に入って、どこも似たり寄ったりの趣向(遺稿や写真があり、AV機能を使った展示など、博覧会に行けばどこのパビリオンも使っているような技術)に辟易している身としては、たぶんここも同様だろうと思ってしまい、無理して行こうとは思わなかった。

 あまり時間もないので、羅須地人協会の建物、それにイギリス海岸を見に行くことにする。賢治が羅須地人協会として使った建物は花巻農業高校に移転され、保存されていることは知っていた。

羅須地人協会への案内板

 バスで近くまで行き、歩いて高校までの道のりを辿る。案内板が、「月夜の電信柱」になっているのがうれしい。農業高校も体育館と思われる建物の屋根に「イーハトーブ」と書いてある。北欧の国を思わせる低い雲の夏空を見ながら高校まで歩いた。

「月夜の電信柱」を模した案内板

花巻農業高校遠景

花巻農業高校正面

 著名人の足跡を辿るという趣味はあまりない。たまたまついでに訪ねることになった偉人の家などに感激したことは一度もない。ドイツでは、ヘーゲルの歩いたハイデルベルクの「哲学者の道」、マックス・ウェーバーなどが教鞭をとったハイデルベルク大学の講義室、フリードリヒ・エンゲルスの家、ゲーテの家などによったことがあり、その他にもガリレオの立ったイタリア・パドヴァ大学の教壇、デンマークのアンデルセンの家などいろいろ寄る機会があったが、とくに感慨もなかった。しかし、今回だけは近づくにつれて気持ちが高ぶる。羅須地人協会の建物を間近に見ると、心からじわっとした感動があった。やはり私にとって宮沢賢治は特別な存在なのだろうか?

羅須地人協会の建物(賢治先生の家)

 

よく知られた黒板「下ノ畑ニ居リマス」

 その後は帰り道のバスの運転手にイギリス海岸の行き方を聞き、最寄りの停留所から歩いていく。そこへ行く道に建築事務所があり、ガラス窓に賢治のことを書いた新聞記事などを展示していたが、ちょうど私の訪ねる羅須地人協会の建物とイギリス海岸、それに岩手軽便鉄道の鉄橋の写真があり、自分の選択は間違っていなかったと確信した。

 ドーバー海峡との地層の類似性からイギリス海岸と賢治が名づけた北上川の岸辺であるが、予想以上にいい場所だった。どうせ大げさな命名と思っていたが、たしかにドーバー海峡の雰囲気はある。水が退く季節だと波状の岩があらわれるので、もっとよかったろう。ここが「銀河鉄道の夜」の化石を掘る場面、あるいはカンパルネラが水に消えた場面の原景になっているところだと思えば、感慨もひとしおである。

イギリス海岸への案内板

もう秋の気配があった

たしかにドーバー海峡の地質を思わせる
 

北上川

商店街のつくった?蛍光塗料の壁画

 その後は街をぶらついて、翌朝もまた宿の近辺を歩いてみた。看板に賢治のシルエットが使われていたりするのがおもしろかった。観光客向けの芸術的なモニュメントとして賢治のモチーフが使われるよりも、住民が商売に自然に使う方がきっと賢治自身も喜ぶことだと思う。

仕出し旅館の看板も賢治のシルエット

賢治の子孫の一人が経営するブティック「林風堂」

婦人会館として使われているらしい古い建物

 わずかな時間の花巻滞在であったが、幼い頃「よだかの星」を読んで宮沢賢治という名が心に残って以来、40年近く経て彼のいたイーハトーブに来たわけである。彼の生き方に何ほどかの影響を受けた身としては、またあらためておのれの来し方行く末を考えるよい機会となった。

 ここに新渡戸稲造の記念館もあることを花巻に来てから初めて知った。事前に知っておればそこも訪ねたのだが、時間なくこれも割愛した。

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