日記特別編その13

2014年二人旅その2

ベルリン中央駅

 翌日の13日はベルリンに移動する。午後について時間があったので、予定していたフィヒテとヘーゲルの墓に行く。入口が不明で広い敷地の外側をうろうろして一周し、妻はこれで歩き疲れたと文句をいった。ようやく入口を見つけ、フィヒテとヘーゲルの墓を探した。二年前にでも来ておれば拙著に写真でも使えたが、これは仕方ない。

フィヒテ(塔型)とヘーゲル(右端)の墓

 写真を撮っていると、修学旅行か何か不明だが、まだ十代の女の子がヘーゲルの墓に来て墓石の側で友人に記念写真を撮ってもらっていた。スペイン系か東欧系か不明だった。さすがにヘーゲルの方が有名で、フィヒテの墓石の側に立つ子はいない。フィヒテアーナーとしてはそこが不満で、私も横に立って記念写真を撮ってもらった。

 他にもハインリヒ・マン、ベルトルト・ブレヒト、ヘルベルト・マルクーゼなど、有名人も多く葬られていた。

68年世代の理論的リーダー、マルクーゼの墓

 夜はベルリン・ドイツ・オペラの『魔笛』に行く。本当は国立オペラに行きたかったがあいにくこの日には上演がない。14日なら『トスカ』があったが、この晩はすでにハイティンク指揮のベルリン・フィルのコンサートを予定していたので、やむなくベルリン・オペラになったのだ。

ベルリン・ドイツ・オペラの「魔笛」カーテンコール

 よい席をとり、すぐ前でパパゲーノ役の歌手が歌い、演技する臨場感たっぷりの舞台であったが、すでにいくつもの『魔笛』を見た者としては、格段に驚くような演出もなく、悪くはないにしてもそこまでの昂揚感はなかった。『魔笛』はもっと奇想天外でよいものだと思うのだが。

 14日は、自分の関心ある場所だけ見てもマニアックになるので、妻に合わせて午前はお上りさん用のブランデンブルク門に行く。壁が壊れたあと、90年春に一度ここに来たことがあるが、そのときはまだ自由に行き来できなかった。

 フンボルト大学(旧ベルリン大学)にも寄ってみた。フィヒテヘーゲルが学長をした大学であり、サヴィニー、シュライエルマッハー、ゾルガーやディルタイらが教授をし、カール・シュミットが法学部の桂冠法学者として君臨した場所である。

ブランデンブルク門

ベルリン大学(フンボルト大学)

本館構内にあったフィヒテの肖像画

 午後は絵画館に向かう。ここのカフェで昼食を摂ったあと鑑賞を始めたが、圧倒的な量と質に驚かされる。それもそのはずで統一前に訪れたペルガモン博物館や旧国立美術館など、あちこちに散らばっていた絵画で18世紀以前のものを98年にここに集めたという。前は名画がこんなに一ヶ所にそろう場所がなかったのだ。今まではドイツはミュンヘンのアルテ・ピナコテークかドレスデンの絵画館が一番の美術館かなと思っていたが、ベルリンの方が上かもしれない。さすがはプロイセン王国である。

ベルリン絵画館

 去年太宰府にも来たフェルメールの「真珠の首飾りの少女」はここのものだ。フェルメールはもう一枚「紳士とワインを飲む女」もある。これはあまり外に出ないので貴重な経験だ。しかし、ここの一番の売りはドイツ絵画とボッティチェリの絵だろう。デューラーの有名なエッチングの数々「黙示録の騎士」「メランコリー」などもここにある。今回はなぜか美術館は一つだけしか寄ることができなかったが(クラナッハ・ハウスでクラナッハのいくつかの貴重な絵は見た)、これ一箇所だけでも十分に満足できる質と量だった。

フェルメール「紳士とワインを飲む女」

ボッティチェルリの貴婦人像

デューラーのエッチング「メランコリー」

 午後遅くには、シャーロッテンブルク宮殿に行く。宿はシャーロッテンブルク地区にとっていたのも、実はこのあたりは私のよく知る地域で、88-89年には何度も来た場所だからだ。UFAファブリークという有名なオルタナティヴ・センターの創設者メンバー、ピートらと反核ドキュメンタリー映画『ホピの予言』のドイツ語版作製の活動をしていたのである。ここのカント・シュトラーセの一角に、友人アンドレアスのアパートがあり、いつもここに寝泊まりしていた。当時の仲間ギゼラとシャーロッテンブルク宮殿に来たこともある。あいにくもう閉まる時間で宮殿の建物の中には入ることができなかった。

シャーロッテンブルク宮殿

 夜には、すでに書いたようにハイティンクとベルリン・フィルのコンサートに行った。私はとくにメジャー指向はないので、ベルリンだからベルリン・フィルに、という発想はもともとない。常任のラトル指揮なら聴きにいくことはまずないと思う。だが、たまたまベルリン・フィルのHPを見たときに、ちょうど行く予定の日にハイティンクの指揮でコンサートがあった。ハイティンクは最も好きな指揮者の一人で、現存する指揮者ではおそらく最高と評価しているので、これは行かねばと即買いしたのである。しかもベルリン・フィルは長いこと福岡にも来ていないので、聴いたことがない。

ベルリンフィル・コンサートホール

ハイティンクとベルリンフィル(カーテンコール)

 演目はモーツァルトのジェノームとブルックナーの四番という少し違和感ある組み合わせだったが、演奏は十分に満足のいくものだった。しかし、85歳と高齢のハイティンクは体力面もあるのか、淡々とした指揮で、カーテンコールも何度も出てくるのがきついのか、三回くらいであっさり解散を指示した。余韻という意味では物足りなかったかもしれない。

夜のソニー・センター

 15日はベルリンから飛行機でデュッセルドルフ経由でエッセンに戻った。デュッセルドルフ空港駅から列車に乗ると満員で通路に人があふれていた。格好を見ると一目でサッカーのドルトムントのサポーターとわかった。今晩試合があるので、ルール地方のファンが駆けつけているのだ。ビルを箱買いしてみんなで飲んで騒ぎ、歌っている。しかし、不思議と危険だという雰囲気はない。

 ぎゅうぎゅう詰めで立っていると父と息子と思われる二人が席を譲ってくれた。日本人だとわかると別の若いサポーターが香川真司の話をしてくる。「彼はドルトムントに残るべきだった。マンチェスター・ユナイテッドにいくべきじゃなかった」と答えた。とてもいい空間で、ドイツ人の人のよさを知るいい機会だった。

 着いてからモハメド宅で夕食に招かれていたので、アミンの車で送ってもらう。アラブの典型的な祝祭時の料理マクローバで久しぶりだ。肉とブロッコリーをサフラン米で煮たものだ。ジャネットとモハメドとゆったりした時間を過ごした。

ジャネットとモハメドの自宅で

 翌日はアラビア・レストラン兼居酒屋「カラヴァネ」でみんなでランチを摂ることになっていた。その16日になり「カラヴァネ」へ向かう。アミンが働いている場所で、もう何度も来たところだ。17ユーロなのに、前菜、主菜、デザートと食べきれないほどにたくさん出てくる。私たち日本人のゲストということで特別サービスで魚料理も出てきた。日本人は魚ばかりを食べるという彼らのイメージからである。

カラヴァネ

カラヴァネの店内

前菜(30種類のおかず)

主菜(ラムとビーフなど)

追加の魚料理

 途中でスタッフやコックのアラブ人たちが挨拶に来る。何人かは留学時代からよく知っている連中だ。だからここに来ると、たんなる客ではなく、同士として歓待される。最後にアミンが料金を払おうとすると、オーナーのマハムードが「全部おごりだ」と受けとらない。彼とスタッフに感謝して店を出た。 アラブの連中の気っぷのよさを改めて知る。

カラヴァネのスタッフ
右二人がコック担当、
左から二番目で坐っているのがオーナーのマハムード

その3へ続く)

フォトアルバム・ライプツィッヒ・ベルリン


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