日記特別編その12

2014年二人旅その1

ハッティンゲン

 3月8日〜24日、妻とドイツ、コペンハーゲン、プラハへ旅してきた。いつもは私だけ取材や視察で行くので、一度は連れていけという妻の要求を受け入れて、今回は二人でいったのである。

 家族といくと日常が延長され、一人旅がもつ非日常の感覚が薄れ、リフレッシュという意味ではあまり変化がなかった。まぁ日頃、家庭サービスをあまりしないので、それができたことがよい点か。

 昨年から、KLMオランダ航空が福岡空港発着便を置いた。人口の少ない地域だから、空いているのかと思いきや、西日本の旅行社がツアーを入れて、首都圏、関西よりも満席状態が続き、運賃も安くない。成田福岡便を入れた値段と変わらないが、それでも乗り換え回数と待ち時間が減るのは利点だろう。

 8日の夕にデュッセルドルフに着くと、友人のジャネットと息子のジャマールが迎えに来ていた。彼らの車でエッセンまで戻り、家に一泊した。本来は友人アミンの部屋にいくはずだったが、まだ片付いていないということで、ジャネッットとモハメドの住まいにお世話になった。

 翌日は、彼らと朝食をとったあと、二年前と同じくハッティンゲンに行く。彼らもそのとき以来になるそうだ。天気が二年前よりもいいくらいで、のどかなドイツの街並みを楽しんだ。夜は彼らとギリシャ・レストランに行き、中東やギリシャの料理、味つけを妻に知ってもらう。

ハッティンゲン教会

ヴェルデンでモハメド、ジャネットらと散歩

 翌日は、エッセンの街を妻に案内する。大学も昔と変わらない。夜はデュッセルドルフに向かい、デュッセルドルフ交響楽団のコンサートに行く。四年ぶりになるか。前回はいまいちの印象を受け、デュッセルドルフ交響楽団はたいしたことないなと思っていたら、今回のチャイコフスキーの交響曲4番は素晴らしい演奏で、その実力がよくわかった。

デュッセルドルフ・トーンハレ

トーンハレ・ホール

デュッセルドルフ・シンフォニカー

フォトアルバム・エッセン・ハッティンゲン

 11日からは、ベルリン経由でヴィッテンベルクに向かう。大学の講義でルターも扱うので映像や資料でもあればと思い、訪問先に入れたが、タイミングが悪く、塔の教会などルターにまつわる施設を見学できなかった。というのも、2017年が宗教改革500年になるらしく、その年に向けて補修や改築工事を全面的に行っていたのである。

ヴッテンベルク・ラートハウス広場

ルター像

泊まったホテル、シュヴァルツァー・ベア

夜のヴッテンベルク

 見ることができたのは、クラナッハ・ハウスとルター・ハウスくらいだったが、後者は贖宥状やそれを購入する際の募金箱、ルターの訳した聖書の初版本など興味深い展示が多くあり、宗教改革の雰囲気を満喫できた。

ルターハウス

テッツェルが使った贖宥状の募金箱

「キリスト者の自由」初版本

 12日は、近くのライプツィヒに一日旅行をした。ここはドイツの文化史を語るときには避けては通れない重要な場所だが、街自体は空襲を受けて破壊され、近代的な建物が多くなり、観光面ではとくに重要な都市ではなくなった。また、一番の売りともいえるゲヴァントハウス管弦楽団は、この時期はいつも海外公演などいっており、地元でのコンサートがあまりない。だから、これまでも近くに来ても寄ることがなかったのである。

 しかし、出版の町であり、バッハ、シューマン、メンデルスゾーンなど音楽の街でもある。ヴィッテンベルクから列車で一時間もかからない距離なので、この機会に訪れてみた。

ライプツィッヒ・マルクト

 たしかに歴史的に貴重な建物は少ないが、バッハにまつわるトーマス教会、バッハ博物館、シューマンとクララのいた家などを見た。どうもこの町の音楽にまつわる場所をユネスコ文化遺産としての登録をめざしているようで、博物館の整備を急いでいた。日本の世界遺産指定をめざす都市がやっつけ仕事をしているように、バッハ博物館、シューマン博物館もはっきりいってどうでもよい内容のものも多かった気がする。前日のルターハウスとは展示物の重要度が全然違うのである。

トーマス教会

トーマス教会前のバッハ像

シューマン・ハウスの中

 町中にライプツィッヒ大学もあった。ここはドイツ語圏最古の大学であるプラハ大学からドイツ人教師とドイツ人学生が独立してできた伝統ある大学である。ゲーテやニーチェ、ワグナーなどドイツ語圏の有名人を輩出した名門大であるが、戦後の復興による近代的な建築物であまり伝統を感じさせない。

諸国民戦争記念碑

 ライプツィッヒで一番興味深かったのは意外や一番期待していなかった諸国民戦争記念碑であった。郊外にトラムで行き、その周りを散歩する。巨大な石の記念碑は現代のピラミッドのようで、その威容ぶりに感心した。『フィヒテの社会哲学』を書いたときに、プロイセンやロシアなどとナポレオンとの諸国民戦争についても触れたので、この時期には親しみがある。その歴史の一端に触れた思いがした。

その2へ続く)

フォトアルバム・ヴィッテンベルク

最新の日記は左の「日記」をクリック
[日記特別篇][日記特別篇その2] [日記特別篇その3] [日記特別篇その4 ]
[日記特別編その5]
[日記特別編その6]
[日記特別篇その7][日記特別篇その8]
[日記特別篇その9][日記特別篇その10]
[日記特別篇その11]
[日記特別篇その12][日記特別篇その13][日記特別篇その14」

inserted by FC2 system