日記特別編その10

2010年音楽の旅その3

 20日午前、プラハを立って列車でウィーンに向かう。ドレスデンからプラハまでもそうだったが、コンパートメントの車両である。ドイツはもうこのタイプの列車は少なくなった。旧東欧諸国ではまだ主流のようだ。

コンパートメントの座席

 6人掛けの一部屋であるが、予約した席に行くと、韓国の若い旅行者たちが4人すでに座っており、大きなスーツケースをたくさん抱えていた。コンパートメントも人と荷物が一杯では窮屈になる。空いている部屋を探して、彼らに座席を譲り、たった一人だけの個室をゆっくり楽しんだ。

 留学時代に友人のギゼラといっしょに座席も倒してベッドみたいにして、カーテンも閉めてまったくの個室にしたことがあったなと思い出し、座席を引くが、そうはならなかった。懐かしい思い出である。途中からチェコの人たちも乗ってきてにぎわうが、オーストリアに入るとまた一人だけになった。

 ウィーン・マイトリング駅で降りて、地下鉄で宿のペンション・バロネッセに向かう。4つ星で大都市ウィーンの中心部に近く、交通の便もよいために、一泊65ユーロ(8,205円)と値は結構張る。しかし、それでもホテルなどに泊まるよりは安い。ウィーン大学本部が歩いていける距離で、学術関係者などにはよい宿ではないだろうか。部屋は高いだけあって、とてもきれいで意匠もモダンだった。この価格でこの部屋、この立地はかなりお得だ。

ペンションの部屋

 荷物を置いて、さっそく予約したチケットの受け取りに事務所に行く。夜にフォルクス・オーパーを見る予定だったが、それまでに時間があるので、美術史美術館へ行くことにした。宮殿などにはあまり関心がないので、ウィーンで行くとすればまずここだと決めていたからだ。

 ここのお宝のフェルメールの『絵画芸術』は、それだけを対象に特別展をやっていた。この絵は東京で過去に二回観ており、今回で三度目だ。たしかに技法的にはフェルメールの最高傑作になるが、知的な要素が目立つ分彼の作品にある叙情性がやや少ない気がするので、大好きというわけではない。もう一つの売りのブリューゲル兄弟の絵はさすがにすばらしく、じっくりと堪能することができた。それ以外の絵画も総じて質が高く、旅の醍醐味を味わった。

美術史美術館

美術史美術館内部

カラヴァッジオの『ロザリオの聖母』

画廊

ピーテル・ブリューゲル『雪中の狩人』

ピーテル・ブリューゲル『農夫の婚宴』

美術史美術館正面

 今回はこれを含めて6つの美術館(エッセンのフォルクヴァング美術館、プラハの近代美術館、ドレスデン絵画館、ウィーンのベルデヴェーレ宮殿美術館、ハールレムのフランス・ハルス美術館)を訪れた。音楽が目的の旅なのに、結果としては美術館もよく訪れたことになる。過疎地育ちで人混みが苦手な私には、とにかく日本みたいに人が多くないのがいい。有名絵画の前にいても、たった一人ということもある。

 ドレスデンでもウィーンでも美術見学の学校生徒を多く目にした。美術館員の解説を聞きながら、要所要所を回る。日本ではあまり目にしない。予備校で現代文を教えているとき気づくのは、受験生の苦手な文章が芸術論だということだ。日頃からこういう絵画を目にしておけば、そういう文章も具体的にイメージできるのだが、高校現場ではそんな余裕もないのだ。

 夜はフォルクス・オーパーで『カルメン』を見る。ここは外国のものでもすべてドイツ語でやる。若干の違和感は残ったが、そこそこ楽しめた。カルメン役のヴィクトリア・ヴィツィンが美人だし、メルセデス役のエルヴィラ・ソウコップはもっと美しかった。フォルクスオーパーのような大衆向けオペラは技量第一ではなく、ルックスも考慮されるので、設定のイメージを損ねることはあまりない。とくにオペラ・ファンでもない私にはそれで十分だ。

フォルクス・オーパー

『カルメン』のカーテンコール

夜の市役所

 楽友協会ホールでのウィーン・フィルのコンサートも行こうと思えば行けたが、あいにくブーレーズなどの現代音楽で、もう一つ食指が動かなかった。

 ウィーン二日目の21日は豪華な朝食で始まった。ドレスデンのペンションもよかったが、このペンションの朝食はそれを上回る。種類も多く、ムスーリやフルーツもあった。つくるおばさんたちの愛想もいい。テーブルには、今日の天気とお勧めの行事を書いたものを置いてあるのも、気が利いていた。

 その後、近くのウィーン大学へ寄ってみる。構内には卒業生あるいは教鞭をとった有名人たちの胸像がたくさん並び、歴史と伝統をみせつける。フロイト、カール・ポッパー、マサリクなどはすぐにわかった。学生数は6万5千人を超え、ドイツ語圏最大の大学になるそうだ。予定ではここのメンザ(学生食堂)でお昼を食べたかったのだが、時間がうまく合わなかった。その他には、市役所(Rathaus)やブルク劇場前などを通る。

ウィーン大学本部

本部館構内

ポッパーの銅像

ブルク劇場

 午後は、ベルデヴェーレ宮殿までトラムで行く。ウィーン分離派のクリムトや彼の友人でもあったエゴン・シーレらの絵が見られるのはここだからである。ここの美術館は写真を撮ることができないのがちと残念だった。宮殿の庭などには興味はないので、絵を見るとさっさと戻った。

 その後は、宿の近くにフロイト博物館があるので、そこに寄る。有名観光地と違い、人はそんなに多くないだろうと思っていたら、あにはからんや結構多い。西欧人は精神分析が好きなのだろうか。基本的には写真でフロイトの伝記的事実を展示しているものだが、すでにフロイト伝をいくつか読んでいるので、だいたいは既知の内容だった。

フロイト博物館

フロイトの蒐集した古代エジプトの遺物など
フロイトの趣味で、これらから『モーゼと一神教』
などが生まれた。

 遅いお昼を宿近くのカフェで食べる。大学に近いせいもあるのか、若者が多く、たとえば横の席では、ベールをかぶったイスラム系の女子学生がパソコンを広げて、何か研究にかんする話をしていた。食事ではなく、ウィーン名物のケーキ、トルテを食べるカフェにも寄りたかったのだが、あいにく時間がない。ここにもケーキはないわけではない。だが、雰囲気的には若者向けのシックでモダンなカフェなので、少し合わない。やはりコンディトライのカフェがいい。

宿の近くのカフェ

ここで食べた魚料理
若者向きにヘルシー志向で
料理はチキンと魚ばかりだった。

 宿に戻って、少し休み、その後は最後の目的地、ウィーン国立オペラに向かった。観光ガイドではドレスコードが厳しいとあるので、ブレザーにアスコットタイという出で立ちで少しだけおしゃれをして出かけたが、行ってみるとジーパン姿の人もいて、それほどでもなかった。日本人もけっこう見かけた。しかし、日本人の多くの座席がみな端っこというのは、何か意図的なのだろうか?あるいは中央部は常連さんや名士で年間予約になっていて、一見さんは端になるということなのか。ウィーン国立オペラのファンでもないので、その理由はわからない。

ウィーン国立オペラ

オペラ座の中

入口

オーケストラ・ボックス
ウェルザー=メストはここで指揮をする。

夜のカールスプラッツ

 今夜はワーグナーの『ヴァルキューレ』である。ドイツオペラの代表的な作品でもあるので、楽しみにしていた。指揮者は小澤征爾以後の音楽監督に決まっているヴェルザー=メスト。歌手の力量、オケのうまさはたしかにここが一番と思うが、肝心の演出はそれほどいいとは思えなかった。バイロイトの斬新さはないのは当然としても、オペラとしてぐいぐい引き込む要素はぜんぜんなく、最も動きがあるはずのヴァルキューレたちの死せる戦士たちを運ぶ場面もぱっとしない。ところどころにデジタル映像を使うのは、何度もすれば飽きるだろうと思う。

 ヴァルキューレ役にはスーザン・バロックが抜擢されて、演技も歌も私には魅力的に思えたが、最後のカーテンコールでは、彼女よりもこれまでの実績があるニーナ・シュテンメ(ジークリンデ役)の方が拍手が多かった。まぁ歌舞伎やフィギア・スケートなどと同じく知名度が評価につながるので、これはしかたないのか。

 隣にはどこの国かわからないが、比較的若いお兄ちゃんが座り、とくにオペラファンでもないようで、観光のついでで来た様子であった。字幕の装置が壊れていたために、筋を追うこともできず、仕方なくずっと居眠りばかりしていた。まぁ芝居の要素が少ないワーグナーなら無理もないだろう。

 全体の出来が飛び抜けて優秀とまでは感じなかったにもかかわらず、これまでのどのオペラ座よりもブラボーが多く、スタンディング・オベーションをする。観光客が物見遊山で来る観光地の特典としか思えない。そういう意味ではエッセン・オペラ座の観客よりも通ではないのだ。そういう自分もその観光客の一人であり、隣の兄ちゃんや多くの日本人もそうだろう。期待が大きく、またチケット代も高かった(185ユーロ 約23,550円)分、物足りない気がした。エッセンやドレスデン(今回は行ってないが)との価格差ほどの内容の差があるとは思えない。そういう意味では、次はよほどのことがないかぎり、ここには来ないだろうと思った。ドレスデンにはぜひ行きたいと思っているが。

 ウィーンはドイツ語圏で有名観光地でありながら、ドイツ留学時代でも興味はまったくなく、来たことがなかった。その後も何度もヨーロッパに行ったにもかかわらず、訪問しなかった。一つには、留学時代にエッセンのオペラ座に就職した日本人の歌手の夫妻のお宅に招かれて食事したことがあり、そのときに「ウィーンは人が不親切」という話を聞いたからである。この夫妻は日本で音大を卒業したあと、ウィーンの音大で学び、ドイツ各地のオーディションを受けた人たちだ。そのウィーンでの音大時代がよほど苦労したらしい。「エッセンに来て人が親切なのに驚いた」旨を何度も語っていた。

 実際には、人はみな親切で不快な思いをすることはなかった。プラハよりも愛想ははるかにいい。国立オペラにもなると、日本人でもオペラに来るハイソな客として丁重に扱われる。しかし、日本の京都もそうだが、観光客としてお金を落として去っていく分にはいいが、ずっと住み始めると排外的になるのかもしれない。

 また、大都会はどこも似たようなもので、宮殿や王宮、ショッピングなどに興味がなければ、そんなに楽しい場所ではないことも経験的に知っていた。ウィーンはエリザベトやマリア・テレジアなど、マンガや宝塚でおばさんに人気の場所ではあるけれど、私はそういう方面は全然関心がない。

 唯一寄ってみたいと思っていたのは、美術史美術館だけである。当時はクラシック音楽を聴くのを止めたあとでもあるので、美術館以外で訪問する価値のある楽友協会のコンサートや国立オペラにも関心がなかったのである。

 今回ウィーンに来てみて、街並みはプラハの方が美しく、また歴史的な価値があるし、クラシックもその土地でそこそこのものを安く聴き、地元の観客と喜びをわかちあう方が自然な楽しみ方のような気がして、格別ウィーンではなくてはならぬ必然性はないと思った。ドイツ語圏の大都会だから、街並みのつくりはベルリンに近いが、現在はいろんな若手の芸術家が世界のあちこちから集まり、パリやロンドンをしのいで文化的にも新しい価値を創造しているベルリンに比べると、ウィーンは過去の文化の博物館の役割しかない。結局、ウィーンはまた何度でも来たいと思わせるものが私にはなかった。ただの虚飾の街という印象が残った。(その4につづく)


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