2003年8月6日

 昨日5日は私の誕生日だった。この年(48歳)になるとうれしくもないが、家族がプレゼントに財布をくれた。前のものはもう10年ほど使っていたのでちょうどよかった。引っ越しついでにこれまで使ってきたもの(ひげそりや椅子、キーホルダーなど)を新しいものに変えたが、財布もその一つである。一つの区切りなのかもしれない。

 去年の誕生日は湯布院で迎えた。今年は直前に岩手の花巻と秋田の角館、田沢湖にいた。花巻の訪問記は「日記特別編その5」とした。田沢湖は協会の方のフォトアルバムで見ることができる。去年と今年、偶然だが旅づいている。

 

2003年7月30日

 引っ越して三週間ほどがたった。ようやく部屋も片づいてきた感じだ。下にも書いているように前の部屋はゴミ屋敷同然だったので、今度はそうはならないようにしたい。前の部屋も最初は客を迎えるスペースまであったのだが、時間が経つと増え続ける資料と本で埋まり、空いた場所がなくなって、しかもそこしか掃除ができないのでホコリがたまるという悪循環になった。

 ドイツ留学中や去年の2月に一ヶ月コペンハーゲンのVartov暮らしたとき、荷物や本はきわめて少なかったが、ほとんど困るということもなかった。なければないで済むものが多いのである。評論家の津村喬氏(橋爪さんが親しい)が何かのエッセイで、阪神大震災のときに資料や本をほとんど失ったが、その後困ることは全然なかった、かえってさっぱりした暮らしになったという趣旨のことを書いていた。それを思い出す。

 今回の引っ越しでも、若い頃からためていたミニコミなどの資料をぜんぶ処分した。つきあいがあったり、賛同したりしている市民団体のミニコミや資料は、昔は大事なものと思い、ファイルしていたが、再び取り出して役立った情報はほとんどなかったことを思えば、一通り読んで把握した後は処分するというのでもいいのかもしれない。デンマークやドイツで集めた執筆のための資料も、書かないうちに時期が古くなって使えなくなったので、捨ててしまった。集めるときはけっこう手間ひまかけたのだが。

 書物もそうで、専門書などは古本屋に売ることはなかろうと思っていたが、時代が過ぎて有効性のないもの、今後資料として使うことのないものは手放してもいいのだろう。戦後民主主義とともにあった教養主義(岩波新書や文庫を読み、流行の思想や評論には目を通し、『世界』や『朝日ジャーナル』などを読む。ときには絵画集やクラシック音楽にもたしなむ)が崩壊して久しい今、教養のために購読した経済学書や政治理論書、歴史書、美術書などをもっていても、場所をふさぐだけのことになる。どの書物も必ずここが独自のものという箇所を一つはもっており、それはおぼえているので、必要なときは図書館でまた探せばいい。

 でもさすがに若い頃の一部の資料(自分が書いたものなど)は捨てきれなかった。読み返しても赤面ものだが、わずかな思い出としてとっておく。

 それにしても7月の30日にもなろうというのに、雨が続き、いつもの海にもいけない。明日からは花巻と秋田にいってくる。

 

2003年7月13日

 忙しい日々が続いた。仕事もさることながら、7月6日に引っ越しをしたので、ほとんど自由な時間がなかった。仕事も佳境に入り、負担も増える中で、様々な会合の共催などにもなっているので顔を出し、帰れば引っ越しの準備の荷造りをするという具合である。基本的には私の部屋だけでいいのだが、本を初めとしてここに一番荷物があるので、おそろしく時間がかかる。幸い数百メートル先に引っ越すので、毎度の日曜日にそれまで荷造りしたものをせっせと運んだ。それでも本だけでも段ボール30〜40箱になっただろうか。

 引っ越してからも一週間は段ボール箱の中で暮らした。やっと今日ほぼ荷物を片づけて、何とか人並みの部屋にしたわけである。この数十年の資料なども多くを捨てた。本も処分するつもりだが、本棚に入りきれないものが押入を占領している。古本屋でも始めることができるほどだ。

 引っ越し先は築18年ほどの住宅だが、それなりに住み心地は悪くない。前は増える本と押し寄せる資料の山にうずもれて最近テレビでよく出ている「ゴミ屋敷」同然になっていたが、今度はその轍を踏まずに、取捨選択をして、シンプルな暮らしをしようと思う。貧しいので豪華な家具や立派な車などをもたないという点ではシンプルなのだが、がらくたを捨てきれない田舎者の根性が顔を出してなかなか片づかない。デンマークやドイツの友人たちは部屋にものを置かないので、おしゃれに暮らしているように見える。それを見習えばよいのである。
 
 さて、さる3日には、うちの協会も共催団体になっている「神田歌織講談 チェルノブイリの祈り」に娘を連れていって来た。そんなに期待はしていなかったが、照明や音響を使い劇的に演出しているので、予想を超えるよさだった。改めてチェルノブイリの悲劇に思いをめぐらした。

 
 

講談をする神田歌織さん

実行委のみなと神田さん(後列左が娘で隣が私)

 

2003年6月15日

 ずいぶんと間があいた。何度も書くように今年は仕事がつまり休みがないので、更新する暇がない。夏もまた東北やデンマーク、ドイツ行きでこれまた多忙になる。そういう巡り合わせだろうか。

 さて、そういう忙しい中で最近めずらしく音楽を通勤途上などで聴いている。iPodは前からもってはいたが、緑の中を散歩するときに聴くのが主で、通勤電車で聴くことはあまりなかった。

 それが少し変化したのは、最近、プロコル・ハルムのかつてのLPレコードすべてのCDが販売されているのを知り、それらを購入したからである。一部のものは昔からCDで出ていたが、二年前に初期の半分が出て、今年残りがそろったわけである。とくにカナダの地方クラシック・オーケストラとの共演のライブ盤は初めてのCD化だ。昔はレコードを全部もっていたが、プレイヤーもない今では聴くこともできなかった。それがまた聴けるようになったわけである。

 プロコル・ハルムは私のもっとも愛好するグループである。専門の詩人キース・リードがリーダーの一人で、クラシックとリズムアンドブルースのごっちゃになった独特のサウンドを誇り、日本でもはっぴぃえんどや松任谷由実、細野春臣などに影響を与えた。ライブ盤を聴けばよくわかるが、演奏もうまく、レコードと違いが少ない上にほとんどミスがない。リーダーのゲイリー・ブルッカーの歌の泥臭さとB・J・ウィルソンの驚異的なドラミングも売りである。詳しくは彼らのファンサイト「Beyond the pale」を見ていただきたい。

 彼らが今年の11月3日に大阪で公演するそうである。70年に初めて来て以来23年ぶりに二度目の公演になる。ロックバンドのコンサートなど行ったこともない私だが、今回は一ついってみようかと思い始めている。
 

2003年5月25日

 今年は休日が一日しかなく、その日もいろいろな活動があるので、実質何もゆっくりする暇がない。困ったものだ。

 それでも5月4日は家族で毎年恒例の八所宮の藤の花を見に行った。今年も盛りを過ぎていたのが残念だった。前は5月の初めがいちばんきれいだったのに、今は4月の下旬になっている。温暖化ということだろうか?

八所宮の藤の花

八所宮

 その後は今日に至るまでゆっくりする暇がない。毎日12時間程度拘束され、日本の中堅サラリーマン並みだ。彼らの気持ちがようやくわかる気がする。

 7月半ばまでこのペースで続き、その後も仕事以外にデンマークへの招待講演などが入って英語での質疑応答など考えると気が重い。おまけにこれから引っ越しもしないといけない。さてさてどうなることやら。

 

2003年5月4日

 4月29日の午後と30日の午前、タイの「夢を織る家」のナートさんとボランティアスタッフのイーライ君が太宰府の児童劇団道化を訪ね、交流会をした。これは今回思いがけずに彼が千葉での会合に招かれ、再来日したので、急きょ九州でも交流会をもったのである。道化には来年1月に彼らのところを公演してもらおうと考えているので、その顔合わせという意味もあった。

劇団員のみなさんと

劇団代表の篠崎さん(右から二人目)、
制作部長の中村さんと太宰府天満宮にて

 道化のみなさんには料理持ちよりの交流会や太宰府、志賀島観光までしていただき、たいへんお世話になった。でもナートさんたちには、練習風景を見ることができたのが一番印象に残っただろう。道化のみなさんにとっても漠然としていたイメージが本人に会うことによって確かになり、モチベーションも上がったのではないかと思う。

 「人は子ども時代を生きるために生まれた」という言葉を何かで読んだ記憶がある。貧困や虐待、内乱などで親を亡くした子どもたちが暮らすのが「夢を織る家」である。ナートさんに聞くと劇団など来たことがなく、子どもたちは演劇を見たことはないそうだ。だからとても楽しみにしている。

 今年はこれにかなりエネルギーを使うことになるが、タイの子どもたちのファンタジーを刺激し、彼らの子ども時代が生きるに値する幸福感のあふれたものになるのであれば、大いにやり甲斐はあると思っている。

 

2003年4月11日

 7日に家族で毎年恒例の花見に行った。すぐ近くの山であり、市民の森になっている場所である。ここへ来るたびに自然環境だけはいいところに住んでいるなと思う。とはいえ新興住宅街なので、人情という点からするとものたりず、前にいた福岡の下町箱崎の方がまだよかったかもしれない。田舎育ちのために海山が近いということだけで宗像にいるのである。

 これが終わると忙しい仕事の日々が始まる。

まだ淡い新緑がすがすがしい

[2000年2月の日記][2000年3月の日記][2000年4月ー6月の日記]
[2000年7ー8月の日記] [2000年9-11月の日記] [2001年1-2月の日記]

[2001年3-10月の日記] [2001年11月-2002年1月の日記]
[2002年2月-4月の日記] [2002年5月-7月の日記]
[2002年8月-10月の日記][2002年10-12月の日記]
[2003年1月-3月の日記][2003年4-7月の日記][2003年8月-12月の日記]
[2004年1-6月の日記] [2004年7-12月の日記]
[2005年1-6月の日記][2005年7-12月の日記]
[2006年1-6月の日記][2006年7-12月の日記]
[2007年1-6月の日記}[2007年7-12月の日記]
[2008年1-6月の日記]
[2008年7-12月の日記]
[2009年1-6月の日記][2009年7月-12月の日記]
[2010年1-6月の日記][2010年7-12月の日記]
[2011年1月-6月の日記][2011年7-12月の日記]
[2012年1-6月の日記][2012年7-12月の日記]
[2013年1-6月の日記][2013年7-12月の日記]
[2014年1-6月の日記]
[2014年7-12月の日記]
[2015年の日記][2016年の日記][2017年の日記]
[2018年の日記] [20212022年の日記]
[日記特別篇][日記特別篇その2] [日記特別篇その3]
[日記特別篇その4 ]
[日記特別編その5]
[日記特別編その6]「日記特別編その7」
[日記特別篇その8][日記特別篇その9][日記特別篇その10][日記特別篇その11]

[日記特別篇その12][日記特別篇その13][日記特別篇その14」

 

inserted by FC2 system