2000年3月31日

 しばらく間が空いた。いろいろやっていたのだが、何かと忙しくて更新が滞ってしまった。

 今日は久々のパソコン談義をしよう。
 私の使っている機種はPowerMacintosh7300 + G3 400 カードとiBookであるが、普段はデスクトップしか使わない。日本人はよほどノート型が好きらしく、デスクトップよりもノートがいいという人が多いけれども、使いやすさ、画面 の見やすさは絶対デスクトップだと私は思う。ノートはキーボードも画面もトラックパッドも小さくて使いにくいし、ノート愛用者もマウスを持ち歩いているくらいだ。

iBook(ブルーベリー)は外出や泊りの際にしなければならない仕事などがあるときに、持っていく。ノートはあくまで携帯の必要があるときのやむをえないものと決めているので、そんなに機能はついていなくてもよい。Macのノートで一番これが安く、機能的にも充分だし、これしか買えないので持っているのだが、iBookをもっていると「オシャレ」とか「女の子のウケねらい」と思われて迷惑である(一部あたっている向きもないではないが、オホン)。

 中には「いい中年がなにを好きこのんでそんなチャラチャラしたノートパソコンをもつの?」と皮肉る人もいる。そんなときは「貧しいからこれしか買えなかったんだよ〜」と答えるが、考えてみるとiMacでもiBookでも、一番安いクラスがある種のブランドとなっているというのは、Appleのおもしろい考え方かもしれない。

 デスクトップの方は以下の通りである。

 本体は3年前、周辺機器は4〜5年前のものになるが、部品をとっかえひっかえしているのですこぶる調子がよく、早さは最新のものにも劣らない(でもその分の投資を考えると最新のものが買えるだけはあるかも^^;)。

 それはさておき、ハードディスクを交換した話は2月の分に書いたが、それを処分しようかどうしようか迷っていたら、通 販でハードディスクケースを扱っている ところを見つけた。これは内蔵のベアボーンのハードディスクを外付けに変えるもので、電源やファンがついている。さっそく注文する。

 5000円程度だったので、それだけで6GBの外付けHDDになると喜んでいたら、何と手持ちのそれまで使っていた外付けHDDのSCSIケーブルのピンがあわない。別 の規格だったのである。このことは通販のページには書いてなかったので、どうしようもない。やむなくあうものとターミネイタを買うとそれだけで5000円近くした。これは予想外の出費だった。取らぬ たぬきの皮算用をしてはならないということか。

 次はAirMacが欲しいなと思うこの頃であるが、こんなにあれやこれや部品を買いまくってはいじり倒している私に対し、春にはなっても家族の目は冷たいままである(当たり前か?)。

2000年3月20日

 この間いろいろあったが、それはまた書くことにして、今日は天気がよくて、子どもたちと近くの海にいった。さつき松原。福岡県でもっともきれいな浜辺である。

 

2000年3月16日

 昨日今日とやや天気がぐずついた。晴れればまた暖かくなると思う。

 3月4日に会ったデンマーク人の若者Soerenからメールが来た。無事デンマークに戻り、記事の執筆をしているそうだ。最後に大事な質問ということで、それを尋ねてきた。

 思えば彼はなかなかのナイスガイだった。九州へ来たときは、長時間の列車の旅で疲れ気味だったが、それでもにこやかにふるまっていた。唐津での会議でも夜遅くまで参加し、熱心に聞いていた。以下はそのときのスナップ。

左からPeterとSoeren

 日本人は知らないと距離をとるが、いったんうち解けると自分が出会ったどんな国民よりも親切だったと書いていた。私の外国経験からしても、たしかに日本人は基本的には外国人に親切だし、面 倒見のよい国民だろうと思う。それは東アジア的な文化なのかもしれないし、島国特有のものかもしれない。

 彼の父は公立学校の校長とかで、ぜひ訪ねて欲しいとも書いてあった。いつもいくオーフス市と思われるので、今度の夏に寄ってみようとも思う。フリースクール(私立学校)はよく知っているが、公立学校は数校しか知らない。よい勉強となるはずだ。

 おそらく彼はデンマークのどこかの新聞の記者となるに違いない。ここで得た日本人の日常生活の体験が、ヨーロッパの新聞にありがちな日本に対する偏見を防ぐものにもなることだろう。

 

2000年3月14日

 今日もよい天気。午前は、古本屋さんに不要になった本を売った。若いころ民俗学を自分で勉強していたので、そういう本を処分しようとしたのだ。福岡からわざわざ来ていただくということで、「定本柳田国男集 」や「田中正造全集」など、古本屋のひきとりそうな全集をいくつか用意して待っていた。

 しかし今は全集などは売れず、ただの単行本がいいと古本屋さんがいわれる。結局、たいしたことはない単行本を中心にひきとってもらった。「定本柳田国男集 」は今新しい編集のものが出ていることもあって、すごく安いそうだ。そういうわけで、全集では、もはや読むことがないだろうと思われる「中江兆民全集」だけ処分した。

 今まで本を古本屋に売るということはあまりしたことがない。一般 書や小説は買わず、原典や学術書が多いので、いくら古くなろうとも価値が下がらない本が多いからだ。そういう意味では古本屋さんにとってはいい本をたくさん持っているが、当然ながらそれは売りに出すことはない。今回処分した単行本はさほど価値がないだろうと思ってたのに、それでも引き取ってもらえたのには驚いた。これで引っ越しが少し楽になる。

 古本屋さんが、購入する本の中をぱらぱらとチェックする。線引きなどがないかを確認するのはわかるが、何と中に変なものが挟み込まれていないかも見るのだという。妻以外の女性の写 真などけっこうあるそうだ。一度は離縁状もあったとか。お札が入っているのは歓迎ですけどね、とのこと。そりゃそうだ。

 この分だと私も何か挟んでいる可能性がある。しおりがわりにそこにあったものを挟むことはままあるからだ。お金はないとは思うが、女性の写 真はあるかもしれない。

 去年だったか、アムステルダムの蚤の市で購入した古本をめくったら、そこにレンブラントのエッチングの絵が入っていて、それだけで数百万円の価値があったという記事を新聞で読んだ。私の蔵書にそういう価値のあるものが入っていることはありえないが、何かしようもないものでも入ってたらどうしよう。エッチングならぬ エッチな写真とかね(自爆)。

 

2000年3月13日

 あたりはすっかり春だ。写 真は庭に咲いていた花である。

 

2000年3月12日

 10日に鳥栖で講演をしたことは下に書いたが、そのとき予想外なことに講演謝礼をいただいた。思わぬ 臨時収入が入ったので、帰り道本屋によったところ、隣の楽器店にハードケース付きで20,000円 というギターが売られていた。もともとそういう気はなかったのに、安さにつられて買ってしまった。

 これだけ安いと音もいいはずはないが、趣味として使う分には充分だろう。これで今日から私もストリート・ミュージシャン?ジューク(19)にかけて、シジューシ(44)ではどうだ?(まるでシジューカラみたい)

 最近のストリート・ミュージシャン・ブームでか、アコースティック・ギターの売れ行きがいいそうだ。それに輪をかけて私のようなかつてのフォーク世代が再度ギターを購入し、家で恥ずかしながらつまびく。私の聞いたのは主に岡林信康以前で、井上陽水とか吉田拓郎、かぐや姫などはそれほど好きではなかったが(松任谷由実は今でも嫌いだ)、世代的には彼らの全盛時代に当たる。

 このWebページのホームページにあるギターを弾く男は実は私の若いころの写 真である。以下にその全体写真を載せる。これは大学祭のときに、独自にうちの哲学倫理学研究室で花崎皐平さんの講演会や野外コンサートを企画し、その中に「哲倫バンド」として参加したときのものだ。口の悪い連中は「絶倫バンド」とか名付けたが、私自身(左端)はそういわれかねないボサボサの風貌だったかもしれない。このときもたしか岡林信康のプロテストソングを歌ったと記憶する(古いな〜)。

 年をとってしまい、人前で歌うことはもはやないだろうとは思うが、それでも昔から好きだったザ・バーズのサウンド(フォークロック)は今でも通 用するクラシックなものと思うので、あのような音をつくって演奏してみたいという気はする。あるいはピアノを弾ける人(女性がいいな〜)と二人でやるのもいい。このページをご覧の方で、近くの人、ひとつごいっしょにいかがですか?

 

2000年3月9日

 3月に入り何となく慌ただしく過ごしていたら、もう明日は(というかこれを書いている今はすでに)10日になる。時の過ぎるのは早く、いったい何をしているんだという忸怩たる気持ちになる。これは一定の年齢に達した人は皆同じだろう。

 4日にはデンマークのオーフスにあるジャーナリスト学校の学生(といっても20代後半であるが)が私を取材に来た。デンマークのどこかの新聞に載るらしい。これまでもあちこち載ったので別 に何ということもないが。そういえば、同じ4日の夜に宮崎放送のラジオ番組で私のインタビューが20分流されたらしいが、聴取者にどう聞こえたか知る由もない。

 以前のKBCに出たときは、間延びした私の声は甲高いアナウンサーの声と対照的で、車を運転している人は調子が狂って事故でも起こしそう、とアシスタントから揶揄されたこともある。でも、今度の宮崎放送のフリーランスのアナウンサーはしっかりしていてとても感じのいい人だった。若者に迎合する都会のアナウンサーと違い、地方局にはものを考えるジャーナリストが健在という印象を受けた。

 10日は朝から鳥栖でヤングミセス相手に講演である。数字や経済の話をしない私にはこういう人たちがいちばん合うようだ。男はバカなもので、実証的で数値をあげたり、具体的政策を出さないと納得しない者が多い。そういう具体的なデータや政策は聞くものではなく、自分が実行して出すものである。人の成果 をそっくりまねしてもしようがないだろうと思うのである。

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