2006年12月29日

 今年もいよいよあと3日を残すだけになった。いつもながら12月はあわただしい。しかし、なぜか二度もコンサートにいった。一つめは、16日に北九州市八幡の響ホールでの「クリスマス・コンサート」だ。チェンバロ奏者としては世界的に知られる中野振一郎氏が出るということで、悪くはなかろうと思い、家族と聴きにいったのだが、これはハズレかなという感じのコンサートだった。クリスマス・コンサートということで、家族連れで来る人も多いので、子どもなどにも受けるようなトークでもあるかと思ったが、中野氏が一部漫談調で話すだけで、とくに工夫がなく、演奏も中野氏のチェンバロと川田さんのバイオリンはよかったが、鈴木さんの歌唱が今ひとつに思えた。このコンサートは少し期待していただけに残念だった。

 もう一つは、年末恒例の九州交響楽団の「第九の夕べ」である。実は映画「敬愛なるベートーヴェン」を見にいこうかなと思っていたのだが、ファン評などを見ると、第九の演奏場面以外は映画としていまいち、というのが多く、映画で「第九」を聴くくらいなら本物の方がいいではないかと、たまたま映画に行く日と同じ日にあった九響の第九コンサートにいったわけである。九響は大学院生時代に、モーツァルトを全曲演奏するシリーズをやっていたので、安い学生チケットで何度かいったことがある。しかし、それほどうまいと思わず、その後はさっぱり行く気も起こらなかった。だから第九のコンサートのことは知ってはいても食指が動かなかったが、期待していない分いいコンサートだった。とくに合唱団が気合いが入っているのが気持ちよかった。専門家が聴けばどういうかわからないし、素人の私にも粗は感じられたが、技術云々よりも人を感動させる何かをもっていた。全体として指揮者の秋山和慶氏の力量の高さが反映されているのではないかと思った。

九州交響楽団の「第九」の会場

 2003年12月からクラシックを再び聴くようになったことは前の日記に書いたが、この三年はずっと古楽中心で、バッハから始まり、ヘンデル、モンテベルディ、テレマン、ラモー、ジョスカン・デ・プレ、バード、モーツァルトなどを聴いてきた。ロマン派以降は敬遠していたが、高校生の頃聴いていたシャルル・ミュンシュなどのLPがCDで再々発売されているので、買い直しているうちに、少しずつはロマン派以降の音楽も聴くようになった。なぜミュンシュかといえば、当時でも彼の録音は古かったので、千円くらいの廉価盤で売られており、お金のない高校生でも買えるものだったというのが最大の理由で、私以外にもそういう理由でミュンシュから始まったという人は多いだろう。幸いなのは安いといえども、ミュンシュの演奏の質が高かったことで、その点ではよい耳の訓練になったと思う。そこからいろいろな作曲家のものも聴くようになり、シベリウスやラフマニノフなどはほぼ全曲をそろえるまでになった。シベリウスは、清冽な北欧の森と湖水を感じさせてくれるし、北欧にかかわることの多い私には避けては通れないものだという理由もある。

 とはいえ、やはりハリウッド映画音楽調のロマン派の厚ぼったい音楽は、古楽を聞き慣れた耳には脂っこくてたくさんは聴けない。しかし、聴いていると心豊かになれることは確かであり、しばらくはこうしたものともつきあっていきたいと思う。

 

 

2006年12月13日

 3日に、友人の中村隆市さんらが中心メンバーの「チェルノブイリ支援運動・九州」会合に行ってきた。この手の集会はえてして糾弾調も多いが(そしてそれが悪いとは思わないが)、水俣の「ほっとはうす」との共催で、彼らの人柄があらわれた暖かい雰囲気の会合だった。

 チェルノブイリ原発事故以後から続く彼らの医療支援の様子と、水俣の現況、そして六ヶ所村での核燃料再処理工場の本格稼働の批判などが報告され、これ以上の環境破壊とその被害者を出さない思いが強く訴えかけられた。最後には、おなじみのアンニャ・ライトさんの歌もあり、なごやかに会を終えた。私は中村さんやアンニャなど久しぶりに会うみなさんとの交歓で忙しかったが、日常に流される自分を改めて反省するいい機会となった。

歌うアンニャ

 この会が午後4時からという遅い始まりだったので、その前に評判の高かった映画『麦の穂をゆらす風』を知人と見にいった。重厚な映画で、たしかに良質の作品だと思わせたが、もう少し後半の展開を工夫できるような気もした。主題になったアイルランド紛争だけでなく、明らかにイラクやパレスチナの現状も含意されており、またスタッフは武力闘争が美化されないようにという意図を込めたといわれるが、それならむしろ、加川良の歌「教訓I 」的な描き方でもよいのではと思う。しかし、よい映画には違いなく、映画人の良心を見る思いがした。

 この日はそんな次第で、手応えのある充実した一日といえた。

 

2006年11月29日

 いよいよ秋も深まって来た。
 紅葉と苔庭で知られる太宰府の光明禅寺に、筑紫女学園大学の講義の帰りに学生たちと寄るが、さすがに以前はほとんど観光客もいなかったのに、このシーズンになるとごった返している。どこで知るのだろうか?テレビや新聞などの情報なのか。

 しかし、評判ほどすばらしい紅葉というわけでもなかった。今年は10月が暑かったので、気候的に美しく色が変わる年ではないようである。家の近くのいつもの散歩コースの森に行っても去年ほどは美しくない。あまり赤くなく、一斉に紅葉もせず、まだらに変色していつのまにか落ちていくという感じである。そういう年ではあるけれど、光明禅寺の紅葉よりはこの近くの森のそれが美しいことに気づく。平日なら人もほとんど来ない場所で、一人満喫できる優雅さをありがたく思う。

近くの森の紅葉

 今年は19日に名古屋の帰り道、京都の紅葉でも見てこようかと考えていたが、すでに三ヶ月前から宿がすべて埋まっているのを見て、また例の混雑を思い出し、同行の人がその日は都合の悪いこともあって、結局行かなかった。この森があれば、行かずともいいなとあらためて納得した。

 

2006年11月23日

 12日にグルントヴィ協会の会合で東京、18日は学会で名古屋と出ることの多い日が続いた。12日は東京タワー界隈の芝地区を明治の地図で歩くという企画であるが、晴れてはいても今年最初の木枯らしの吹く寒い日で、少し風邪を引いてしまったほどである。
 
 東京タワーは昨年の1月に生まれて初めていったが、今度はその下を偶然にも歩いた。増上寺を初めとしたいろいろな神社、寺社があり、プリンスホテルが多くの土地を占め、古墳などもあるという不思議な空間である。中沢新一が書籍にしているくらいであるが、たしかにここは境界の空間と実感できる場所だった。

増上寺

童謡「赤い靴」に歌われた「きみちゃん」像

麻布十番のカフェで談笑


 映画「Always 三丁目の夕日」の舞台もここの通りで、最近DVD で見た場所に来たというのも奇遇である。ちなみに映画自体は評判ほどいいとは思えなかったが。
 
 この地区には各国大使館があり、イタリア大使館などは由緒ある武家屋敷(松平隠岐守の中屋敷跡とか)を引き継いで使っているようで、周りの日本人の「ウサギ小屋」と比べても、その特別待遇ぶりに「う〜ん何だかな〜」という気もした。
 
 3時頃には終わったので、その後上野に移動して、参加者の中国人研究者(現在東大文学部で在外研究中)のRさんといっしょに、「大エルミタージュ展」を見た。あまり大物は来ていなかったが、小品でいくつかいいものがあった。時間があれば西洋美術館での「ベルギー王立美術館展」も見たかったが、これは長崎に来たときにでも見てみよう。それにしても閉館間近の5時になっても人は多く、週末に東京で美術館に行くことのたいへんさを改めて認識させられた。

 

2006年11月8日

 5日の午後、北九州国際音楽祭のコンサートの一つに知人の女性といっしょにいってみた。北九州国際音楽祭は福岡市での古楽音楽祭と並ぶ、福岡の秋の代表的な音楽行事である。超有名という顔ぶれではないが、一流どころもそれなりにそろえて(今年はサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団がメインか)、価格も良心的で気軽に行けるのがいい。会場の響ホールは家から快速電車で20分で行けるので、考えてみると一番近い良質のコンサート・ホールである(宗像にもあるがこれは多目的ホールで音響はさほどよくはない)。

 5日のコンサートは平野公崇氏のサクソフォンをメインにした大バッハ、小バッハの室内楽のコンサートである。18世紀にサクソフォンはないので、新たに編曲をしたものだが、これがたいへんに面白いコンサートで、久々に興奮ものだった。

サイン会で平野公崇氏(左)と

 ソプラノ・サクソフォンは、現代的な響きで浮くのではないかと思っていたら、あるときはクラリネットのようでもあり、オーボエのような音色でもあり、他の弦楽器ととてもよくマッチする音だった。しかもときには現代風にジャズっぽい音も出したりして、変幻自在の平野氏の演奏であった。

 後半の「ゴルトベルク変奏曲」は、シトコヴェツキによる典雅な弦楽三重奏のアレンジ演奏から始まり、コントラバスとのジャズ、あるいは現代音楽風なかけあいを入れたり、また順序をまったく独自に変えるなどした実に自由多彩な演奏だった。これがたいへんにすばらしく、途中からはまるでスイングジャズのコンサートにいるかのようなノリになり、私は身体を揺すって聴いていた。

 彼らの演奏がよかったことはいうまでもないが、よくいわれるバッハのアブストラクトな魅力を改めて痛感した。とりわけゴルトベルク変奏曲はその趣きの強い曲なので、どんな演奏にも堪えられるし、どう演奏してもそのよさは変わらない。しかもその本質はバッハのままなのである。

 このコンサートは画期的で、音楽の新たな魅力や可能性を感じさせてくれるものだったと思う。クラシックとかジャズとか現代音楽とかいうジャンル分けに関係のない音楽そのものの楽しさ、面白さを満喫できた。

 来年の3月には取材や研究等でデンマークのVartov にまた滞在する。ついでに王立劇場でのオペラ「ローエングリン」やバレエを見る予定だ。この「ローエングリン」は舞台が学校の教室になっているというアバンギャルドな演出である。ここでも新たな発見や感動があればと思う。

 

2006年10月24日

 10月13日から23日まで、デンマークの聖イブス・スクールのビッグバンドが来日し、北部九州で公演と交流を重ねて帰った。これは昨年夏のデンマークツアーのときに、親友のクリスチャンと「今度はデンマークの側が日本に行く番だ。うちの学校には若者のビッグバンドがあるので、それでいこう」と話し合ったのが契機である。

 日本に戻って以降、交流のある「九州沖縄子ども文化協会」にこの話をもっていき、公演設定に慣れている彼らなら実行できるだろうとお願いした。彼らが引き受けたのはよかったが、その後いろいろあって、それでも多くの困難を乗り越え、ついに実施されることになった。いい出しっぺの責任もあって、私は休みの合間を縫って、数回彼らのところにいってみた。

 18日の杷木の自由行動の日では、私のいちばんの親友の一人である東郷さんに、デンマークの一番の親友であるクリスチャンと会ってもらった。この二人は私の最も親しい友だけにきっと通じ合うものがあると思ったのだ。クリスチャンは「ミツルの友人は私の友人でもある」ときさくに東郷さんと語らい、いい雰囲気で三人で語らった。


 クリスチャンと東郷さん


 21日には筑紫野市で大きなコンサートが催された。最後で最大の公演となるので、メンバーも緊張し、力の入った演奏を見せた。技術的にはアマチュアなのでミスも多いが、コンサートを楽しく盛り上げる力があって、会場と一体となって、ジャズやロックを楽しんだ。女子高校生たちがノリに乗って身体をスイングさせるのを見ると、若者同士は言葉はいらないなと実感した。

筑紫野市でのコンサートの様子

大人っぽいコーラスも

会場の様子

 22日には、私の主宰するグルントヴィ協会の小さな交流会を、福岡市唯一の北欧カフェで開いた。4人のデンマーク人に来てもらい、リラックスした雰囲気で談話に興じた。日本の若い学生たちも来て、大きな刺激を受けたようだった。

カフェで話すクリスチャン

 最後はクリスチャンと彼の妻ドレーテが私の家に宿泊し、ワインを傾けながら、この旅がいかにすばらしかったかを語り合った。彼らは各地の受け入れをした人たちの歓迎ぶり、もてなしにいたく感激したという。昨年夏にいわば雑談から始まったこの企画の予想以上の帰結に、各地の関係者に改めて感謝しつつも、彼と私は苦笑ともあるいは満足の笑みともつかぬ表情をするのだった。

 忙しかったけれども、充実した素敵な10日間だった。

 

2006年10月9日

 風の心地よい季節になった。空気も澄み切って気持ちがよい。この時期は例年仕事がつまり、休日も出勤することがあるので、なかなか自然を楽しむというわけにはいかない。それでも家の近くを散歩すると稲は黄金色に実り、残った彼岸花の真紅とのコントラストが秋を感じさせる。

咲き乱れるコスモス

 読書の秋というくらいで、書物に親しむのにもよい季節だが、仕事で読むべき本が多いので、娯楽として楽しむという機会があまりない。とはいえそういう専門書も読んでいるとある種の感銘をえたりすることもあり、それも読書の楽しみといえば楽しみになろう。

 読むだけではなく、蒐集の楽しみというのもある。かつては古本屋めぐりがその代表で、東京の神田界隈、あるいは旅行先のヨーロッパの都市の古本屋を訪れるのは楽しみの一つだった。しかし、インターネットが発達したこの時代、ネットの古本屋のネットワークで、お望みの本が探せるというのはありがたい。

 古本屋のネットワークにはいろいろな種類があるが、私がよく利用するのは、chooseBooks.com である。ドイツを中心にたいていの古書がここで手に入る。以前は大学図書館を検索して、それを借りてコピーしたものだが、このネット古書店ネットワークだと、相当前のもの(18〜19世紀有名古典の初版さえも)でも入手することができる。自分で旅して探し回る経費を思えば、実に安上がりで便利である。

 和書では、もっぱら「日本の古本屋」を利用しているが、ここも発行後数ヶ月から半年で新刊書が入ってくるので、高価な専門書など、しばらく待ってからここで購入している。3〜4割引できれいな本が買えるのだから、これもありがたい。もちろん絶版になった古書などの購入にも利用している。

 私にとって、インターネットの時代になって一番ありがたみのあるのは、この古本屋ネットと旅行関係の予約だろうか。

 

2006年9月17日

 8月26日と9月の16日、コンサートに行った。8月のコンサートは東京交響楽団のもので、珍しく地元宗像市であるコンサートなので、家族といってみたのだが、演目は、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲にベートーベンの「運命」とあまりに一般受けのするものばかり。まぁそうでもしないとこんな田舎では人が集まらないはずだ。

 古楽を聞き慣れた耳には、久々に聴くベートーベンの「運命」はまるでハリウッドの映画音楽的なわかりやすさで、きっとロマン派が出てきたときも聴衆にはこういうふうにドラマティックに聞こえたのだろうなという気がした。

 9月16日のコンサートは、毎年恒例の福岡古楽音楽祭のもので、今年はミト・デラルコの弦楽四重奏を主とするコンサートに友人といってみた。演目のオーボエ四重奏曲とフルート四重奏曲などは聴きやすいものとはいえ、弦楽四重奏曲ヘ長調K590は名作で奏者の技量が試されるものではあっても、耳に快いタイプの音楽ではないので、もうちょっと典雅なものがいいのにと思ったが、さすがに腕はよく、また息もピッタリで、演奏そのものには大いに感銘できた。

 去年も書いたように、この古楽祭は合同で練習する時間が乏しいために、寄せ集め的な演奏になりがちだが、今年はそういうことはまったくなかった。ミト・デラルコとして、普段から演奏する機会が多いので、カルテットとして非常にまとまっているのである。世界に知られた寺神戸亮氏、鈴木秀美氏の技量の高さはいうまでもなく、演奏会としては非常にレベルの高いものだったと思う。

 休憩時間にクレモナ楽器などが販売しているリコーダーの高価なものを試演させてもらったが、さすがに私のもっている安物とは段違いの音である。貧乏な私にはとても買えないだけに、いいものをちょっとでも扱えただけでもよかったと思うしかないだろう。

 

2006年9月6日

 8月の後半はデンマークツアーが中止になったので、日本にいてのんびりすごした。たまっている執筆活動(論文、原稿、翻訳)があり、主にそれに従事したが、そういう意味では原稿の遅れであちこちに迷惑をかけるのが少し減るので、行かない方がかえってよかったかもしれない。

 ときには、昼間は海にいったり、スクーターで気持ちのよい緑の山道を通り抜けたりして、晩夏の風情を思い切り味わい、また夜にはDVDで映画をけっこう見たりした。いつも仕事などで時間が合わず見損なうので、少し時間の余裕のあるときに遅ればせで見るのである。

田んぼの中のかかし

 やはり一番よかったのは、スウェーデン映画『歓びを歌にのせて(原題はsaa som i himmelen で「あたかも天にいるかのように」くらいの意味か)』である。これは3月か4月に福岡市のミニシアターで上映されていてぜひ行きたかったのだが、たった一週間程度の上映で都合があわなかったのだ。

 情景がまずいい。デンマークには十数回行くのに、スウェーデンには一度も行ったことがないが、そこは北欧、風景も人物もほとんど変わりなく、実に見慣れた風景、人々に見える。懐かしさを感じるほどである。

 ヒロインのフリーダ・ハルグレンも実に魅力的な女性で、印象に深く残った。彼女は北欧に見る顔と雰囲気で、いかにも白人的な彫りの深さはなく、アジア人に共通した顔立ちをもつ。こういうタイプの人はたしかに北欧らしい。決して美人ではないが、これほどの魅力をもつ女性が北欧にはいることを私はよく知っている。

 そして内容、テーマそのものがすばらしい。とくにラストの場面は、今でも冠婚葬祭や人々の集う場所では歌をもって始まり終わり、聖歌隊の根づいた伝統のある北欧ならではの挑戦的な内容だろう。

 2005年のアカデミー外国語映画賞候補になったそうだが、残念ながら賞はスペイン映画『海を飛ぶ夢』になった。これは私はあまり評価しない映画で、知識人が観念的に死生をとらえた映画にすぎないと思っているが(『ミリオンダラー・ベイビー』が作品賞を取ったのと同じ構造)、この映画よりは『歓びを歌にのせて』や同時期に候補になったフランス映画『コーラス』の方がまだよいと私は思う。前者についてはこんなブログもあるくらいである。

 

2006年8月16日

 8月5日に51歳の誕生日を迎えた。あまり感慨もないが、この日はなぜかアニメ映画『時をかける少女』を見たり、北九州市立美術館での「バルビゾンから印象派」展を友人と見にいった。

 後者の展覧会はバルビゾン派の絵があるならといってみたのだが、特別によい絵がなく、印象としてはいまいちだった。シスレーとダモワの絵、それに名前をおぼえてはいないが、森の木洩れ日を描いたものに心惹かれたくらいか。

シスレー「川辺の風景」

 北九州市立美術館は丘の上にあり、眺望がよいので知られている。外に出ると夏の青空と雲が目の前にパノラマのように拡がり、何ともいえない爽快感にひたった。

 映画『時をかける少女』は毎日新聞に、実写を含めて今年の邦画の五本の指に入るという激賞の映画評があり、それほどによいのならと見にいったのだが、私には今ひとつだった。ふつうの青春映画としてはよいできかもしれないが、深みもなく、また大林宣彦の『時をかける少女』のような叙情性もなかった。ただアニメファンには監督もキャラクターデザインの人もたまらない人のようで、そこが受けているのだろうか。

 

2006年8月4日

 夏らしい日々が続く。今日も海に泳ぎに行ったが、カヤックも乗ってみた。春に購入したが、五十肩で肩が痛くなったので、できないまま今日まで至ったのだ。しかし意外と泳げたので、パドルを漕いでも大丈夫ではないかと思い、海に繰り出してみた。

マイ・カヤック
残念ながらカメラが防水でないので、海上での映像はない

 カヤックはインフレータブル・カヤックと呼ばれるもので、早い話空気を入れたゴムボート風のものだが、形はちゃんとカヤックになっているので、乗る分には問題ない。やや波があったにもかかわらずスムーズに進んだ。肩の痛みもとくにない。

 沖に出るとパドルを止め、波の揺れるにまかせる。どこまでも拡がる青空と海原のまん中にいて、ゆったりと舟が動いていく。子どもの頃、伝馬船で沖に出て、同じように寝転がって空を見たものだが、あの懐かしい感覚を思い出した。これがしたくてカヤックに乗っているようなものだ。

 やはり育ちは変わらないもので、海と船にかんしてはほんとうに自分の領分だという気がする。

 

2006年7月29日

 久々の休みになり、また長い梅雨も明け、夏らしい空が輝く日ということもあって、近くの海(さつき松原)にいった。空気はさわやかでこういう日は空が美しい。

さつき松原の夏の青空

波打ち寄せる砂浜

 五十肩で左の肩が痛むので、いつものように沖にまでは泳げないなと思ったが、少しの痛みはあるものの泳ぎ慣れるといいリハビリになり、腕が心持ち伸びたような気がする。調子を悪くしていた身体まで癒してくれる力があるのだろうか。やはり夏の海辺は私の原点なのか。

カノコユリ

 娘の名前の由来の庭のカノコユリも咲いて数日経つ。泳いでけだるくなった身体を、昼寝をして休め、スイカを食べてリフレッシュする。充実した夏の一日を満喫する。

 

2006年7月20日

 何度も書いているが、今年はなかなか忙しい。例年7月になると予備校や大学の講義が終わりを迎え、ホッとするのだが、今年はカリキュラムの変更などもあり、なかなか終わらない。おまけに7月にはいると大学での講演、そしてグルントヴィ協会の会合で東京行き、さらには集中豪雨で床上浸水した故郷対馬の親の家の様子見など、休日もすっかりつまってしまった。

 唯一ほっとできたのは、12日にライプツィッヒ・ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラのコンサートに行ったことくらいか。バッハとヘンデルとモーツァルトの有名な曲を並べたバロックの夕べという趣向だが、モダンオケなのでいつも聞くバロックバイオリンのような味わいはない。

 ソプラノの森麻季さんはヘンデルの曲は安定した音程で非常によかったが、私の一番好きなモーツァルトの「証聖者の荘厳な晩祷k339」の「Laudate Dominum」のときにはあまり声が出ずにいまいちの感がした。体調でも悪かったのだろうか。

 8月にデンマークへのスタディツアーを組んでいたが、参加者が足りずに中止になってしまった。その分ゆっくりできるのはありがたいが、夏の美しいヨーロッパを楽しめないのはやや残念だ。さて、今夏はどこに行こうか。

 

2006年7月3日

 6月も忙しい日々に追われた。中でも大阪に二週連続で行くことになったが、会合自体はいずれもすばらしく、素敵な人たちとの語らいに気持ちも大いにリフレッシュされた。

 18日は「子どもと遊び、表現、音楽」を語る催しで、私は詩の朗読コンサートをした。これはときどきするものだが、今回は安宅留美子さんというすばらしい音楽家の方と共演でき、また山下夫妻の伴奏、踊りなどもついて、大いに満足できるものだった。安宅留美子さんは本来は声楽家であるが、リコーダーやルネサンス・ギターもされる。リコーダーJPの演奏例で知っていた人だけに、ご本人とお会いできてうれしく思えたし、評判通りの素敵な人であったからよけいによい印象が残った。

 来年の春のグルントヴィ協会のセミナーにはまたぜひお招きしたいと考えている。

 25日は「わくわく教育セミナー」の一環でデンマークの教育の話をしたが、これまた楽しい語らいで、いい出会いが多くあった。主催者のみなさんに感謝したい。

おはなしライブの様子

詩の朗読コンサート(立っているのが私)

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