2007年12月29日

 今年もあと2日となった。このくらいの年齢になると大きな変化というのもないが、2007年も例年通りに過ぎて終わったという感じだ。4〜12月はひたすら仕事に追われ、1〜3月にわりと自由な時間があるのでいろいろやってみるのが例年のパターンである。今年はデンマークとドイツにいき、友人、知人と会ったが、これもまたいつも通りという気がする。

 比較的大きな今年の出来事は十年ぶりに本を出したことだろうか。本といっても訳書で、自著ではないが、解説などは詳しく書いたため、意識としては自著に近い。『コルの「子どもの学校論」』(新評論)である。ささやかな本ではあるけれども、少しずつ浸透して息の長い本になってくれると思う。夏に書いた幼児教育講座の原稿はゲラ刷りも届いているが、共著者の原稿が遅れているそうで、これは来年半ばに出ればもうけものというところか。

 この数年クラシック音楽を再び聴き始めた経緯はこの日記にも書いた。古楽から始めた私だが、今年はCD、コンサートとも古典派、ロマン派を主に聴いた。ポピュラーな作曲家はこちらの時代が圧倒的に多いので、CDも当然古楽より枚数が多くなってしまった。

 コンサートも今年は今までになく行ったのではないか。毎月最低でも一回は聴いていたように思う。12月もシルヴィ・ギエム・バレエコンサート九響の第九(小倉)に家族でいった。前者は白鳥の湖の抜粋以外は楽しめたし、後者はアマの合唱団を除けばよい演奏だった。小倉では市民参加で合唱を趣味とする人が第九を歌うという趣旨なので、巧さは望めないが、これはこれで意味がある。

 今年の私的なベスト・コンサートは、4月のウィーン・マスターズ・プレイヤー・コンサートと11月のヘルシンキ大学男声合唱団のコンサートの二つだろうか。コペンハーゲンでのオペラ「ローエングリン」と王立バレエ「カロリーネ・マチルデ」ももちろんよかった。

 このような趣向を生かして、九州女子大の文化・文明論の講義は、西洋音楽史に焦点をあてて今年はやってみた。買い込んで読んだ文献やDVD、CDが講義のネタにもなるので、一石二鳥だからだ。また講義で使うとなれば、自分では買わないようなDVDなども関連上必要になり、それが意外とよいものだったりしたという利点もあった。

 一例を挙げると、もともとクラシックに関心のない女子学生に見せるとあって、お年寄りの巨匠よりもできるだけ若くて見栄えのよい演奏者がいいのではと、アンネ・ゾフィー・ムッターのモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲のDVDを購入したが、これがとてもよい演奏で、見かけだけの人というまちがった印象を正してくれた。ただカラヤンに認められ、かわいがられたというエピソードだけで勝手にそう決めつけた私に非があるだけであるが。

 「のだめカンタービレ」の演奏シーンも使うなどしたこともあり、学生にはたいへん好評で、120人以上の大教室でも私語に悩まされることはあまりなかった。

 来年は3月に芸術家たちのワークショップをデンマークのRy ホイスコーレでやるのでまた渡航することになるが、その帰りにプラハとヘルシンキに寄って、プラハでは「ドン・ジョヴァンニ」ヘルシンキでは「魔笛」を見ることになっている。前者は初演をした劇場といういわくつき、後者はヘルシンキ国立オペラの演し物である。

 見るだけではなく、自分でもやるのが2008年である。3月に富山、4月に高崎、8月に北海道赤井村で、未奈子さんと組んだユニットで、賢治の語り音楽パフォーマンスをやる予定だ。さてどうなることか。

 

2007年12月9日

 お酒が飲めないので外食をする方ではないが、それでもいくつかいきつけの店はあった。その中で二つレストラン(ではあるが洋食屋といった方がいいようなお店)が最近無くなってしまった。どちらも小倉である。

 一つは鍛冶町のイタリアレストランで「リトル・イタリー」といった。小倉の飲み屋街にあり、席は3つしかなく、厨房のほうが広かった。北九州大学に行った昔の教え子が教えてくれたところで、ぜんぜんおしゃれではなく場末のレストランという雰囲気だった。しかし、味がとてもよく、とくに海の幸リゾットは絶品で、このレストラン以上の味のイタメシ屋には今まで出会ったことがない。連れていった人もこれを食べさせると、あまりのうまさに思わず驚きの声を挙げるほどだった。席の数も少ないのに初めて行ってからでも20年以上続いたのは、スナックへのパスタの出前や仕事を終えたホステスさんがひいきにしているからだった。残念ながら閉まってしまったが、しばらく行ってなかったので理由は分からない。

 もう一つは室町にあった「シェフ」である。ここはフレンチ料理で、シェフの西村さんは若い頃東京オリンピックの選手村でコックをしていた人である。毎月メニューの変わる本格的なフレンチのコースディナーが本来の売りなのだが、客のほとんどはお昼のランチが目当てだ。肉料理と魚料理がついてスープにライス(もしくはパン)で730円と手軽な値段だったこともあり、私も毎週一度は通っていた。安いけれども、ときにはフレンチの技法をうまく使い、中にナチュラルチーズを入れたミンチカツなどは絶品で、シェリー酒を仕上げに使うポークソテーもおいしかった。フレンチとはいえ気取りが全くなく、街の洋食屋さんという雰囲気だった。8月に心臓を悪くして、しばらく入院し、年も年だから引退ということになった。

 小倉は大学関係の仕事がこちらに集中しているので、今では福岡よりもなじみの町になった。地方都市のよさを残し、庶民的で良心的なお店がある。福岡ではおしゃれな街として若者に人気の西通りや大名などには、味は悪いのに値段だけは高いという悪質なレストラン、カフェも目立つが、小倉にはそういうタイプの時流に乗るところは少ない。しかしそういう店がだんだんなくなっていくというのは、これも時代の流れなのか。一抹の寂しさを感じる。

 

2007年12月2日

 11月24日には大阪へ行き、未奈子さんといっしょに来年春に公演予定の物語パフォーマンスの稽古をした。これは宮沢賢治の「十力の金剛石」をもとに、語りと演技、音楽によって構成するものである。デンマークでなされているものを参考に新たに考案した。彼女といわば一座を結成したわけだが、さてどうなるか楽しみだ。

 翌日は京都在住の麻貴さんといっしょに南禅寺永観堂にいって、紅葉を楽しんだ。最初にいった穴場の日向大神宮はたしかに人は少なかったが、まだ青々として紅葉が少なかった。昔からあると思われる山道を辿って南禅寺に着くとこちらはちょうど見頃になっている。人出はさすがに多かったものの、南禅院に入るとさほど混雑もなく、ここの紅葉の庭を満喫できたのがよい思い出となった。南禅寺は京都学派の本などを読むとよく出る地名なので、一度は寄ってみたいと思っていたところだ。

永観堂の紅葉

南禅院の庭

 九州に戻って、太宰府の光明禅寺に大学の授業の帰りに寄ると、こちらもいい案配であった。去年は台風が潮混じりの雨を降らせたせいで散々な状態だったが、今年はさすがに名所らしい美しさを示していた。今年は紅葉を充分に楽しむことができたようだ。

光明禅寺の庭

 

2007年11月23日

 11月はわりとゆったりした月だと思っていたが、去年も今年も忙しかった。2005年11月に宮崎や鹿児島にいった記憶がどうもあやまった印象を与えているのか。授業に追われる日々だが、同時に空いた時間もコンサートや講演会に出るので、よけいに多忙になった。コンサートはまぁ趣味だからいいかとなるが、それでもスケジュールはこちらでは調整できないので、どうしても無理することになる。

 6日は、セヴァン・スズキ講演会の福岡の会合に出た。いちおう呼びかけ団体になっていることもあり、会場に行くと立ち見がでるほどの大入りである。市民運動の講演会でこれほどの盛況はあまり見たことないので、大成功にとりあえず喜ぶ。久々に会う人たちとも交歓し、気持ちのよい時間を過ごせた。セヴァンは東京のチラシではやや老けた印象を受けたが、あれは写真が悪いことがわかり、全然変わっていないことがわかった。

 8日には、ゲルギエフとマリンスキー歌劇場オケのコンサートに行ったが、日本のオケよりはよく鳴るものの、さほど上手いとは思えなかった。チャイコフスキーの小ロシアはよいと思ったが、ストラビンスキーはあまり好きではないので、心に響かなかった。しかし、オーケストラのコンサートでは、大編成で管楽器や打楽器を大音量で鳴らせば満足という観客も多いので、こういうプログラムになるのだろう。ほんとは翌日のティーレマンとミュンヘンフィルのブラームス一番を聞きたかったのだが、仕事の都合で行けなかったのが残念。

 18日には水巻の新水巻病院に下関のかねはら小児科の金原先生の講演を聴きに行く。協会の会報に彼を取材して載せた経緯もあり、近くに来るから来ないかとご本人から誘いを受けたのだ。講演はADHD(注意欠陥多動性障害)LD(学習障害)の子どもたちにどう対応するかという内容で、たいへん勉強になるものだったが、医療者の立場がどうしても診断の対象として子どもたちを見てしまうことにやや違和感があった。金原先生もそのことは重々承知で、自分もADHDの一人と病院報に書いているくらいだが、会場に来ていた人たちはそこまで分かっただろうか。

 懇親会も金原先生の勧めで部外者の私も加わることになり、医者たちの会話がどういうものかよくわかって興味深かった。医療系小論文を教えるときに参考になりそうだ。

 

2007年11月3日

 仕事に追われる日が続いた。グルントヴィ協会の会報もようやく発行できて、ようやく一息つけるようになった。10月から11月にかけては北九州国際音楽祭が例年催されているので、この時期はコンサートに行く。地方都市である音楽祭にしてはよく工夫がされてあり、派手ではないが、質のいいコンサートが続く。

 10月21日は、シベリウス四重奏団のコンサートで、シベリウスの四重奏「親密な声」などの演奏を聴いた。リーダーの方が北九州市出身なので、かつては音楽祭の監督もされたということだが、いわば里帰りコンサートである。演奏もよく雰囲気が家庭的で心暖まるコンサートになったと思う。

 11月3日は、やはり10月21日と同様に「フィンランド・デー」と銘打たれたコンサートで、ヘルシンキ大学男声合唱団のコンサートだった。シベリウスの歌曲を歌うことで知られ、私もいくつかラハティ交響楽団を伴奏にしたCDをもっているので、名前だけはよく知っていた。たまたま席が一番前になったこともあり、迫力ある男声合唱の醍醐味を味わうことができた。シベリウスだけでなく、現代の合唱曲も混ぜて、表情豊かな鮮やかな声のアンサンブルを聴かせてくれた。

 最後にアンコールで、「フィンランディア賛歌」を歌ってくれたのが一番うれしかった。その一つ前のアンコール曲が日本語であったので、観客にはそちらが大受けだったが、北欧に少しは縁のある私にとって、この歌の方が思い入れがある。この歌を聴くとまるで自分がフィンランド人のように、ロシアの圧政から立ち上がり、フィンランドの美しい森林、透明な空と大地、そして民衆の文化を愛し守ろうとする彼らに心から共感するのである。本当にすばらしいといえるコンサートだった。

会場の響ホール

コンサートホール(YLはヘルシンキ大学男声合唱団のイニシャル)

 10月31日には、福岡市のアクロスで、プラハ国立歌劇場の「椿姫」を家族と見た。アクロス会員なので早めにいい席を確保できたからだが、これもそれなりに楽しめた。ただヒロインのヴィオレッタ役の歌手が小柄でゴムまりのようにはずむような健康娘という雰囲気で、結核で死ぬ薄幸のヒロインからはやや遠いような気がした。もっているDVDがアンジェラ・ゲオルギューの「椿姫」なので、どうしても彼女の美貌と比べてしまう。やはりヴィオレッタは外見がある程度重視される役なのだ。

 

2007年10月14日

 忙しい日々が続いた。10月3日は久々の休日となり、宗像大社の「みあれ祭」に行った。この祭りは例年10月1日〜3日と決まっており、休日に合わせることはしないので、いつも行くのがむずかしいが、今年は珍しく最後の日に間に合った。しかし一番の見せ物である1日の海上のご神幸はもちろん見ることができなかった。露店が立ち並ぶ中で、農作業の道具や茶碗などを売っている店があるのが、この祭りの特色か。昔の懐かしい感じを思い出す一日となった。

陶器の露店

曲げ物など

 7日には北九州市立美術館で行われた「キスリング展」に行った。去年「モジリアーニ展」だったので、今年はその続きという感じか。キスリングはモジリアーニの一番の親友だった人だ。彼のように夭逝はせずに長生きをしたが、絵は若々しく期待以上にいいものだった。モダンの画家では今までいちばんいい印象を受けた。色といい、筆遣いといい好みの画風だ。11月にはやはり彼らの親友だったユトリロの絵が福岡県立美術館に来るので、これも楽しみだ。

キスリングの「サントロペでの昼寝」

 北海道の牧野時夫さん農産物の案内をくれたので、とりあえずジャガイモを注文した。彼はブドウがメインの農家であるけれど、私はブドウはあまり好きではない。やっぱり北海道ならジャガイモというイメージがあるので、男爵やメークイン、キタアカリなどを送ってもらった。さっそく焼いてバターで食べてみる。さすがに有機無農薬栽培だけあって旨い。野菜の素材そのもののおいしさを感じたのも久しぶりというのも情けないが、とにかく感動ものの味だった。

牧野さんのジャガイモ(男爵)

2007年9月30日

 23日に毎年恒例の福岡古楽音楽祭ハウヴェ・リコーダー・コンサートにいってきた。当日仕事があり、それが終わってコンサートまで時間があるので、古楽講演会にも顔を出した。ルネサンス音楽史の研究家の今谷和徳氏によるものである。

 今谷さんの名は、ルネサンス音楽のCDを買うとたいてい解説をしたり、ラテン語の詞の訳などをしておられるので、よく目にしていた。もっと若い方かと思っていたが、老教授といった風貌の温顔な人であった。講義はイタリア音楽がフランスにどのように受け入れられたかというテーマで、CD演奏を交えながらのお話しであった。バロックの文化史はけっこう細かいところが多くて、整理するのが面倒な面があるが、今谷さんがブルボン王朝やメディチ家の系図を使い、ご自分で整理された内容を話すので、聞いているこちらもわかりやすい。聴いてよかったと思える講義だった。

 ハウヴェのコンサートはリコーダーだけではなく、ガンバ、チェンバロ、バイオリン、テオルボなどとのアンサンブルも多くあり、充分に楽しめる内容だった。テレマンやクープランのコンセールはさすがに優雅な響きがあった。ハウヴェ氏自身もまったくといっていいほどミスがなく、二年前のコンサートよりもよいコンディションだったのではないか。

 ロビーもあいかわらずリコーダーなどの楽器販売でにぎわっていた。今年はオランダからフラウト・トラヴェルソの販売人も来ていた。講演会のときの隣席には東京から来たという音大生の女性が二人座っていたが、福岡だけではなくあちこちから人が来る古楽祭のようである。

オランダから来たフラウト・トラベルソ販売者シモン・ポラーク氏

 来年は10周年記念ということで、クイケン兄弟が全員そろい、全曲バッハをするという。クイケン兄弟三人による「音楽の捧げもの」が博多で聴けるとはヨーロッパを代表する音楽都市並みにすごいことだ。これはぜひ聴きに行きたいものである。

 

2007年9月2日

 8月が終わり9月になった。8月は時間的余裕があるので、原稿を書く傍ら夜はDVDで見逃した映画を見たり、あるいは実際に映画館に見にいったりした。だいたいは去年の秋から今年の春頃に福岡で上映されたものが多いが、期待してた「善き人のためのソナタ」は評判ほどいいとは思えなかった。もちろん丁寧につくった重厚な映画であり、良作であることには間違いない。しかしやはり主人公の内面が変わっていく必然性が今ひとつ説得力がないのである。あんなピアノソナタで冷徹な心が氷解するとは思えない。

 1988年当時何度も東ドイツ内を通り西ベルリンにいった。シュタージが強力な放射線を車に当てていたということを統一後知って驚いたことがある。そういうことも見ながら思い出した。

 DVDでは「過去のない男」「トリスタンとイゾルデ」「マンダレイ」が見てよかったものだ。しかし一番よかったものは「戦場のアリア」である。これはドイツ語も多く出てくるので、ドイツ語の授業で見せるために借りてきたものだが、予想以上によい映画であった。

 この前の年が「コーラス」で翌年にこの「戦場のアリア」をアカデミー外国映画賞のフランス代表として出したようだ。そして宣伝文句を信じれば、この二本ともその年のフランスで一番観客を集めた映画だという。エンターテインメントだけでもなく、過度に難解でもなく、重いテーマをわざと選ぶこともなく、ヒューマンな内容を素直に撮る。だからといって芸術性を失うことはない。フランス人は日本人に限らずドイツ人や多くのヨーロッパ人が冷たいというので、どちらかというとフランスにいくことを敬遠していたが、彼らの映画を見る目はたしかでヒューマンな国民性と認めざるをえない。

 

2007年8月27日

 26日に知人と広島に行き、「パッチ・アダムス」の講演を聞いてきた。映画「パッチ・アダムス」で有名なあのパッチである。この映画は彼をモデルにつくられた実話映画であるが、それ以来パッチは世界中で知られるようになり、彼のヒューマンな医療のあり方が多くの医療関係者に影響を与えた。

 私も医療系の大学の講義などで映画「パッチ・アダムス」を見せることもあり、一度は本物に会いたいものだと思っていた。これまでの日本講演は地理的な問題もあってなかなか行くチャンスがなかったが、今回は急ぎの仕事もなく、場所は広島と比較的近かったので、これ幸いと駆けつけた。

 話自体は彼の著書や講演録を読んでいるので、すでに知っていることばかりだったが、壇上で質問者とのやりとりになると俄然彼らしくなり、コミカルなパフォーマンスが飛び出してくる。ああ、これがパッチの本領だと改めて納得した(主催者に聞くとストロボを使用しない静止画撮影はOKということだったので、写真も撮ってみた)。

バルーンで始まり

Dr.パッチ・アダムス

 彼のめざした医療は当時日本でも一部でなされた民主的で革命的な医療のあり方とつながる時代的な内容をもつと思うが、今でも残る数少ない生き残りになるのだろう。そして彼は現在では、ふつうの医療というよりも「社会の医者」として戦争と平和、貧困の問題に向き合っている。多くの医大生、看護学生なども来ていたようだが、彼らの志の中にパッチの魂が伝えられることを期待したい。

 ちょうど帰り道だったこともあって、平和公園と原爆ドームにも寄ってみた。長崎の祈念像や資料館にはもう十回以上訪れているが、広島は初めてである。心の中で平和と鎮魂を祈る。

原爆ドーム

 

2007年8月16日

 今年のお盆は故郷に戻ることなく、ひたすら原稿を書く日々だった。日頃まとまった時間がないので、こういうときに集中して書かなければならない。8月初めまでにようやくコルの訳書の最終原稿を完成し、送ったあとは、萌文書林という出版社から刊行予定の幼児教育の講座「幼児教育 知の探究シリーズ」で担当している巻の90頁分の原稿を書いている。

 私は幼児教育の専門家ではなくまた実践もしていないのに、原稿依頼があったのは、編集主幹の青木久子さん(青木幼児教育研究所主宰 前国立音大教授)が拙著『共感する心、表現する身体』(新評論)をお読みになって、その視点をぜひ幼児教育の場に知らせたいからという要望があってのことだ。まだ青木先生とはお会いしたこともなく面識もなかったが、会ったこともない人間の本を読んで信用して下さったということで、この期待を裏切るわけにはいかないと、ふだん適当な私にしては真面目にがんばっているわけである。

 自由に書いてよいということで、久しぶりにまとまった原稿を書くという楽しみを感じることができた。コルの訳書も、日本初出で出す価値があると確信してるので、訳も解説書きもけっこう楽しかったように思う。

 この数年こうした原稿や書物執筆をいくつも依頼されながら、日頃の仕事(予備校と大学の授業)と雑用で時間を取られているので、せっかくの期待に応えられないことが多かった。アカデミックな場に所属していれば原稿書きや研究自体で給料をもらえるが、そうでない私はどうしても余暇の仕事にならざるをえない。しかも取材などはすべて自費である。だから年にわずかの日数しかそれに割けず、いつになっても完成しそうにない。まだ片づけねばならない原稿がたくさん残っているが、とりあえず二つはやっと終わりそうでホッとしている。

 旅もせず何かコンサートや映画を見るというわけでもないが、ものを創造するという充実したひとときであったように思う。8月がおわれば、毎日時間に追われる生活が待っているかと思えば、うんざりであるが。

 

2007年8月8日

 ようやく仕事が一段落して、今年初めて海に泳ぎに行った。暑いことは暑いけれども、空は秋の気配でさわやかな感じがする。幸い海は凪でほとんど波がなく、泳ぎやすい。とはいえ私は波がある海で泳ぐのが得意なのだが。

さつき松原

親子連れ

 去年は左、今年は右が五十肩でかなり痛い。泳ぎ始めると最初は痛みを感じたが、途中からスムーズに動き出し、痛みがなくなった。去年もそうだった。肩を動かしても水泳は五十肩にいいのだろうか。それとも私が海の子だから、身体がそうなっているのか。いずれにせよ、よいリハビリになった。

おだやかな海

 毎年のことながら、このさつき松原は平日は人が少なくて、ほとんど独り占め状態である。今年はとなりの新宮沖のサメ騒動もあるのかもしれない。広々とした海と空の間で仰向けになってゆっくりと泳ぐ。これもまた至上の幸福である。

 

2007年7月31日

 長い梅雨が明けて暑い日々が続くが、それでもまだ真夏特有の入道雲や日差しはなく、どちらかというと秋の残暑といった感じの気候だ。まだ百パーセント夏にはなっていないようだ。

孔大寺山


 だが、庭のカノコユリが今年もまた咲いて、夏の趣をかもし出している。このユリのいわれはすでにここに書いた。

カノコユリ


 今年は仕事の都合でまだ海に行くまとまった時間がなく、今週も台風がやってきそうで、来週の後半になりそうなのが残念だ。

 

2007年7月8日

 7日に久しぶりに映画を見にいった。昨年秋に見損ねた「敬愛なるベートーヴェン」である。二本立てで千円の映画館(昭和館)に行ったが、もう一本は「ブラックブック」というオランダ映画であった。こちらはまぁエンターテインメントとして楽しめたという感じか。

 バッハ、ヘンデル以降の古典派、ロマン派を再び聴くようになったことはすでに何度も書いた。ベートーヴェンももちろんその一人である。高校、大学時代に聴いたときは、とにかく構築美、力ずくの推進力が印象に残り、自分の好みには重いかなと避けていたような気がする。それでも交響曲の全集や悲愴や月光などのピアノソナタ、弦楽四重奏などは当時でも一通り聴いたものだ。

 久しぶりにかつての好みであった交響曲の4番や8番を聴こうと思い、交響曲全集などをいくつかそろえてみたが、そのついでに安くで選集が出たので、これも買ってみた。そうするとバイオリン協奏曲がたいへんいい演奏で、これだけでも甲斐があったというものだ。若い頃聴いたのは何か重い、荘重な演奏だった記憶があるが、この選集にあるものは、実にさわやかで軽快である。ベートーヴェンにはこういう面があったのだと改めて気づかせてくれた。私にとっては、この曲が彼の一番いい面をあらわしたもので、一番好きな曲となった。

 こうなると他の知らない曲もいろいろ聴いて、彼の多面的な才能を知る。若い頃は先入観でものを見ていたことがよくわかる。とくに交響曲と弦楽四重奏のイメージが強すぎた。こうしてベートーヴェンの魅力を知って、いろいろな本もあさって読んでみた。そしてこの映画を見たわけである。

 フィクションであるが、晩年のベートーヴェンの姿はたしかにあんなものだろうと思う。世評と違って、演奏場面にはさほど心を奪われることはなかったが、彼の孤立した生き様はよく描かれていたと感じた。

 実は高校時代に一番評価していたのはシューマンで、多面的な才能、ロマン派を代表する感性が好きだった。今でも彼の交響曲やピアノ曲をよく聴いている。ドイツ・ロマン派をそれなりに読んできた身には当然かもしれない。

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