2008年6月23日

 今、北九州市立美術館で「ミレイ展」をやっている。ラファエロ前派ファンの私なので、さっそく知人といってみた。代表作の「オフェーリア」を初めてとして、すでにロンドンのテート・ギャラリーで何度か見たものだが、初めて見るものもたくさんあり、おおいに楽しめた。

マリアナ

 ミレーはいつもラファエロ前派のメンバーとしていっしょに紹介されることが多く、そうなるとリーダーのロセッティ、最大の画家のバーン=ジョーンズの陰に隠れてしまうのだが、どうもミレーだけに焦点を当てた展覧会というのはさすがに新企画らしい。ラファエロ前派とは関係のなくなった後期の作品はオーソドックスな絵画となり、格調高く、品のよい落ち着いた味わいがあった。

二度目の説教

 子どもを描いた絵も多く、家族づれでも楽しめる絵画展ではないだろうか。

 

2008年6月16日

 あいかわらず仕事に追われる日々で、それ以外に何かをするという余裕がない。ただコンサートなどはこちらで予定を決められないので、前に購入したチケットがもったいないということで無理していくことになる。

 12日には「バッハ・コレギウム・ジャパン」のコンサート(福岡アクロス・シンフォニーホール)に行った。「ブランデンブルク協奏曲」を全部するというものだが、昔買った彼らのCDはいまいちだったので、さほど期待はしていなかった。どうしてもバロック時代のトランペットを吹くのは難しく、音程が定まらないからである。

 今回は最初は調律のせいか弦もあまり合っていなかった気がするが、後半に進むにつれてよくなってきた。とくに4番と5番は見事な演奏であり、私のよく聴くレオンハルト・コンソートラ・プティット・バンドと比べてもまったく遜色がないものだった。

 ソリストの寺神戸亮氏と若松夏美さんはさすがに技量がダントツで揺るぎのない音だった。フラウト・トラヴェルソの菅きよみさんもすばらしい演奏で、素人のまねごとで始めた私からすると、あそこまで美しい音を出せるのかと感嘆するととともに素人の情けなさを感じたものだ。

 久々に古楽器の音色を聴いたがやはりこちらが枯れていていい。人間の心の奥底に響くような音だと思う。

 

2008年5月28日

 しばらく更新が空いた。忙しいこともあるが、肝心のパソコンがこわれてしまったということもある。17日にプッツンと切れて起動しなくなり、フラットパネルのせいかとも思ったが、本体がおかしいことがわかった。ハードディスクは正常に動作していたので、ネットワーク接続でデータはそのまま使った。古いデスクトップやノート・パソコンで最低限のことはできるとしても、ソフトや処理能力の関係でやむなく新しいものを購入した。買ったのはMacPro で、前のPowerMac G5 が2004年に入手したものだから4年ぶりに新機になったわけだ。

 AppleStore で19日に注文するとBTO製品だけに日にちがかかり、ようやく27日に到着した。輸送だけで5日間かかったようで、どこから送ったのかは不明だが、追跡ナンバーを見ると香港かもしれない。

 前のPowerMac G5 は性能的には充分で4年経っても何不自由なく使えていた。それでも最新型のMacもあちこち進化していて、4年間の進歩を感じさせる。これまで使っていたソフトもある程度は継続して使えるので、ようやく更新できたという次第である。

 5月は初旬は藤の花見を何度か楽しみ、ツツジや新緑を愛でてゆったりした日々を送ったが、中旬以降は仕事に忙殺され、下旬は少し時間の余裕ができて映画などを見たという感じで過ぎた。

 23日は小倉の昭和館で上映されていた「ミルコのひかり」の最終日だったので、急いで駆けつけた。これは昨年秋福岡市で上映されたのだが、行く機会を逃していたものだ。

 期待通りの出来で、五月の空にふさわしい何ともいえないさわやかさを感じて、映画館をあとにした。テーマ的にありがちな説教臭さ、感動の押しつけもなく、想像力の重要性を改めて教えてくれるよい映画だった。

 この映画を見ただけで5月という一月が何かいい一ヶ月であったような気になる。それは2004年の5月に「真珠の耳飾りの少女」を見ただけで、何か充実した5月になった記憶とよく似ている。

 

2008年4月27日

 仕事が始まるとなかなか自分の時間がもてない。
 12-13日は、群馬の榛名湖温泉ゆうすげ元湯)で協会の春のセミナーをもった。私は未奈子さんと組んだ「みなみのうお座」の二度目の公演である。一部道具を忘れたりするなどポカもあったが、さすがに二度目になるとこなれていいパフォーマンスになったと思う。夜の懇親会がいちばんの醍醐味だが、今回もまた「生きた言葉」を語りあい、とても楽しくいい交流になった。みなさんも職場や学校の表面的なつき合いと違う自分をありのまま出せて認められての対話であるから、心から満足していた。私もこういう機会があるから、味気ない職場に耐えられているわけだ。

 家の近くにある里山の藤がもうすっかり開いているので、すでに盛りなのかとあわてて八所宮へいった。昨年は一番のいい時期を逃してしまったからである。今年の春の肌寒さもあってか、まだまだ3分咲きくらいで来週が見頃のようだ。桜の花見はしなくてもいいが、藤の花見だけはするのが私の流儀である。満開でないとはいえ、それでも美しく、涼やかな風もあいまって、気持ちのよいひとときを過ごせた。

八所宮の藤棚

八所宮の藤

ツツジ

モミジの若葉が気持ちいい

 あいかわらず仕事にも追われる日々なのだが、今年は何か毎日の気分がいい。去年や一昨年は日々平穏に過ごせても、気持ちが沈んだ感じで、倦怠感みたいなものを感じていた。コンサートに行ったり、きれいな景色を見ても百パーセント楽しめなかったのである。毎日の仕事そのものが苦痛というかおっくうな気持ちでしかのぞめなかった。それが今年は、とくにいいことがなくても、何か楽しく感じる。仕事もやろうという意欲がある。追われている原稿書きなども、リズム感をもって一つ一つこなしていける。

 なぜだろうと思ったが、いわゆる「中(高)年うつ病」あるいは男の「更年期障害」みたいなものだったのだろうか。それからすっぽり抜けたということなのか。同じことをしていても全然気分が違う。生きていること自体が楽しいという気がする。原因はわからないが、とにかくありがたいことだ。こういう心境になれると日々の小さなイヤなことも全然気にならない。このままこの気分が続けばいいのだが、さてどうなるか。

 

2008年4月5日

 今年は桜がやや遅い。戻ってきても時期を逃すことなく見ることができたのはよい。例年のように近所の森を散歩する。でも正直ソメイヨシノには飽きているので、あまり感動もない。山桜、八重桜など種類が豊富であれば、もう少しきれいだろうにと思う。

 

 

2008年4月1日


 3月10日よりデンマークに2週間、プラハ、ヘルシンキに1週間の旅をした。31日に戻ってきた。デンマークは最初の1週間はRy ホイスコーレで日本人芸術家5人による学生とのワークショップをするためである。ベルギーでの展覧会を企画していた人たちがうまくいかなかったので、デンマークで可能性を探ってみてはと提案し、その手始めにホイスコーレでのワークショップをしたわけだ。これなら滞在費は不要になり、また双方にとっても利益があるだろうと考えたからである。ワークショップ自体は成功し、詳細は協会のページで報告するので、ここには書かない。

 その後親友のクリスチャン宅を訪ね、彼の母親の家に滞在した。結果としては今回はクリスチャンの姉弟、友人を訪ねる旅になり、いろいろなお宅に食事に呼ばれたり、お茶を楽しむことになった。

 24日よりプラハに行き、4泊5日で街を楽しんだ。プラハに行ったのは前にも書いたように、シュティフターの『ヴィティコー』を読んで興味をもったのが契機である。また東欧には行ったことがなかったので、最初に行くにはいいだろうということで選んだ。

 さすがに観光名所だけあってまだ寒い時期だというのにやたら観光客が多い。イタリア人やドイツ人が目立ったが、いろいろな国から来ているようだ。イースターの休日が終わっても人はあまり減らず、いい街なのだが、あまりに観光化され、人混みが多いのが個人的にはいまいちだった。街の感じは歴史の古さといい城の配置といい、ドイツのヴュルツブルグを思い出させた。でもヴュルツブルグの方が観光客が少ないだけ居心地はいいかもしれない。

ご存じプラハ城

 有名カフェやレストランにも寄ってはみたが、料理もさほどおいしくはなく、東欧はおいしいという評判を裏づけることができなかった。まだドイツの方が洗練されていると思う。観光地のせいか出会った人も特別親切というわけではなく、中くらいか。田舎へ行けばもっと親切だったかもしれない。

 出費を抑え、またふれあいを重視して、いつものように個人宅の余り部屋を使うペンションに泊まった。ドイツ語系のHPで探したので、ドイツ人相手のペンションらしくやや割高ではあった。タクシーが着くと出迎えに出たズデニカおばさんは感じのいい人で、滞在自体は快適に過ごせた。地下鉄の駅まで10分くらい、そこから中心部まで地下鉄で15分という場所である。

宿泊したペンション

 特筆すべきは音楽である。25日夜にプラハ交響楽団(FOK)のイースターコンサートが聖シモンとユダ教会であった。バッハのコンチェルトとイースター・オラトリオが演目だったが、日本では経験したことがないようなたいへんにすばらしいコンサートだった。技術的にとくに優れているというのではない。この程度なら日本の地方オーケストラレベルだろう。しかし、何ともいえずよく聞こえ、味わいがある。会場の雰囲気がいいというレベルではなく、音が生きて気持ちがこもっているというべきか。これがクラシックのコンサートなのだとよくわかった。ギャラをもらって公演スケジュールをこなすべく淡々と演奏する凡百のコンサートとそこが一番違っていた。

イースターコンサート

 27日夜に、有名なスタヴォフスケー劇場で見た「ドン・ジョヴァンニ」も最高だった。ここはモーツァルトがこのオペラを初演したところで、その伝統から今でも「ドン・ジョヴァンニ」を一番のメインの演し物として上演している。どうせ観光客相手の手抜き仕事ではないかとあまり期待もせず見たが、これが実におもしろく舞台に引き込まれてしまった。あとでわかったことだが、専門家の評価はかなり高く、歴史がある分、実験的なザルツブルグの舞台より演出がこなれているということだ。まったくその通りで、観光客が見てもわかりやすくエンターテインメントとして満足できるものになっているし、通が見てもその鑑賞に耐える内容をもつという見事な演出だった。DVDと実演含めてこれほどいいと思えるオペラを見たことがない。ちなみに主役のドン・ジョヴァンニを演じた歌手はどこかで見た人と思っていたら、去年10月福岡でのプラハ国立歌劇場公演の「椿姫」で、準主役の父ジェルモン役を演じたマルティン・バールタだったことに気づいた。

スタヴォフスケー劇場

その内部

カーテンコール(中心がマルティン・バールタ)

 オケは特別うまくはなく、歌手も技術的に特段に抜けている人はいないが、イースター・コンサートと同じで、全体として優れており、音楽が生きていた。毎日のように観光客相手のクラシック・コンサートがある街であるが、クラシック音楽が街の一部として実際に生きていると思う。プラハ交響楽団(FOK)のイースターコンサートはチケット料も200コルナ(約1200円)と良心的で、内容からすれば格安である。オペラも前から5列目のまん中で約5400円くらいの価格であった。ただ観光客相手の毎晩のコンサートは室内楽なのに、ツーリスト価格で500〜700コルナ(約3000〜4800円)とえらくぼっており、これは内容的にもお勧めできない。

 プラハは音楽のためには行く価値のある街だと思う。ドボルジャーク博物館、スメタナ博物館なども見て回り、クラシック音楽と国民国家意識の深い関係を改めて感じたが、だからこそ音楽がたんなる舶来ものに留まらず、民族のアイデンティティとして生きているのだろう。「わが祖国」の「ヴィシェフラッド」などをiPodで聴きながら街を歩くと、スメタナがこの曲に込めたリアリティなどがよくわかった。

 

2008年3月5日

 3月1日は富山でグルントヴィ協会のワークショップを行った。大阪の阿部未奈子さんと組んで「みなみのうお座」をつくり、宮沢賢治の「十力の金剛石」の朗読パフォーマンスとイドラット・フォルスクが私の出番である。これまでに3回練習を重ねて当日に臨んだが、ミスもなくうまく行き、まずはよい出だしとなった。全体の写真はギャラリーにある。

朗読パフォーマンスの一場面

 富山行きはもう一つ鹿児島時代にいっしょに活動した仲間の今は亡き藤井さんの娘さんが二人おり、彼女たちに会うという個人的な目的もあった。この企画を彼女たちと共同で行い、20数年ぶりの再会を喜んだ。

 翌日は帰りついでに金沢に寄った。北陸地方へ来るのは生まれて初めてであり、次回来るかどうかもわからないので、この際金沢も少し見ておこうと思ったのである。富山の会合を担ってくれた野末君は大学時代ここで過ごしたので、名所に詳しい。彼に教えてもらった茶屋街に行き、束の間の行楽を楽しんだ。

ひがし茶屋街

軒先の灯り

 野末君お勧めの洋食屋「自由軒」と紅茶屋「山屋」にもいってみた。自由軒の料理は戦前の調理法を使ったものがあり、人気のプレートセットのオムライスはケチャップを使わないユニークな味でとてもおいしかった。ママさんというかおかみさんがいかにも仕事のできるやり手の女性で、彼女を見ているだけでも楽しかった。

自由軒

 山屋はテーブルが4つしかない小さな喫茶店であるが、雰囲気はとてもよく、また紅茶も本格的な味で心が和む店だった。私は濃いめの紅茶をつくるのだが、人には濃すぎるとよくいわれる。しかし、ここで飲んだものは私がいつもいれるくらいの濃さと苦さで、何だ自分の方が正しかったんだと確信できた。ここは日本紅茶協会のお墨付きの店なのだそうである。

山屋の店内

 時間がなく他の名所をまわることができなかったけれども、金沢の雰囲気は何となくわかる気がした。

 

2008年2月26日

 23日と24日は鹿児島にいた。大学時代にいっしょに活動した橋爪健郎さん(鹿児島大学理学部助手)が定年退官を迎え、1月24日に最終講義があったのだが、その日には行けなかったので改めて訪問したのである。

橋爪健郎さん

 23日はちょうど川内原発の温排水の温度調査で川内に行くということだったので、川内駅で車に乗せてもらい、いっしょにまわった。20年ぶりくらいだろうか。夢の中や記憶の奥底に出てくる段々畑の風景が、この寄田地区だったことがわかり、大学時代に足繁く訪れたこの地がすでにして原風景になっているのを感じた。橋爪さんのことやこの地のことはこの記事を見てほしい。

川内原発

原発前の海岸。温排水で暖かい

 原発に一番近い久見崎地区には、前田トミさん、川添房江さんという二人の地元住民がいて、反原発運動のシンボル的リーダーだった。お二人とも故人になられたが、とくにトミおばさんは昨年亡くなったときに葬式に行けなかったので、墓参りにいった。私がそう希望していたら、他にもいっしょに来たいという方が鹿児島市、水俣市から来て、にぎやかな墓参りになり、掃除をして花を添えた。

前田さんのお墓で

 お二人は九電本社への抗議行動のときなど、当時箱崎にあったわが家にも泊まったくらいのつきあいであった。とくにトミおばさんとは親戚のおばさんみたいな間柄でもあったので、ようやく義理が果たせたという思いである。

 大学時代から原発反対運動に参加してきたが、最近は地球温暖化を背景に、また原発が攻勢に出ている。一説によれば、ゴアの「不都合な真実」の宣伝やノーベル平和賞受賞、石油価格の高騰は、原発推進勢力の意図的な工作であるともいわれる。むしろゴアの方が「不都合な真実」を隠しているのである(たとえば彼の海面上昇データは20年以上も前の古いもので今では通用しないものだ。デンマーク人科学者のロンボルグの反論を参照されたい)。再生エネルギー普及はいいかげんにして、石油使用は犯罪であると喧伝して、中国を初めとした経済成長国に原発建設市場拡大をたくらむ勢力が欧米、日本の経済界、政界の裏側で暗躍している。

 夜は調査に参加したメンバーで橋爪さんの家で鍋を囲み、歓談に花が咲く。大学生も二人同行し、もう一人は地方出版の雄として近年とくに知られる南方新社の向原さんである。向原さんになぜ出版社を始め、何をめざしているのか興味深い話をしてもらった。

向原祥隆さん

 福岡の方ではこの日は寒く、小倉などでは雪も降ったそうだが、鹿児島は風は強いものの日差しはすっかり春で、まぶしい光にあふれていた。この時期は南九州は日本本土で一番春が早いので、訪ねるにはいいときである。風は春一番だったと天気予報が告げていたが、私にとっても春一番の日となった。

 

2008年2月21日

 2月もずっと多忙な日が続く。去年もこんなに忙しかっただろうか?

 18日は大阪に行き、未奈子さんと富山での公演の稽古をした。二人のユニットの名前も「みなみのうお座」とつけた。「みな子」の「みな」と「みつる」の「み」で「みなみ」となり、また秋の代表的な星座で私の好きな星座でもあるというのが理由。

 未奈子さんは「あべぷらん」という音楽企画のメンバーであり、お母さんの阿部和子さんがリーダーで歌を中心に様々な音楽活動を行っている。阿部和子さんはこれまたすばらしい女性で、音楽の楽しさ、素晴らしさを市井の人たちと分かち合い、広めてきた方で、もっと評価されてしかるべき人だ。今回は和子さんの歌の会のみなさんにもあいさつをする羽目になるなど、楽しいひとときを過ごすことができた。

 20日は高校への小論文講演で大分市と安心院町に行くが、時間がなく観光を楽しむ暇もなかったのが残念。

近くの森と池

  ようやく今日久々の休日となり、しかもよい天気で春のきざしを思わせる暖かい空気だったので、久しぶりに近くの森の散歩をした。今年は寒い冬なので、例年よりも花が咲くのが遅いようだが、養蜂場の菜の花畑ではすっかり花も開き、ミツバチが蜜を集めていた。家の庭にもスイセンや三色スミレなどが花開いている。この時期から三月が九州の一番いいときで、日本全体でも早く春を感じることができる季節だ。

菜の花畑

ミツバチ

庭のスイセン

庭のパンジー

2008年2月10日

 年が明けてからも仕事で忙しい日が続き、なかなか気の休まるときがない。

  2月2日には今年初めてのコンサートに行った。ロジャー・ノリントン指揮のシュトュットガルト放送交響楽団によるもの。ノリントンはいわゆるピリオド奏法によるベートーヴェン交響曲演奏などが有名だが、すでに古楽にはずっと親しんできたので、とくに目新しいというほどでもない。ガーディナーヘレヴェッヘがロマン派を演奏するときと同じアプローチだが、ノリントン自身は古楽で名の知れた録音はないので、ガーディナーやヘレヴェッヘほどなじみはなかった。

 演奏自体はふつうの出来という感じで、まぁそれなりに楽しめたか。「英雄」は好きな曲なのでいいのだが、ヴァイオリン協奏曲がメンデルスゾーンのもので、これはあまり好きではない。メンデルスゾーン自体は交響曲も宗教曲も好きなのだが、一番有名なこの曲だけが苦手なのである。どうしても演歌に聞こえてしまう。

 ヴァイオリン協奏曲を好きな順に挙げると、一番がニールセン、二番目にベートーヴェン、三番目と四番目がモーツァルトとバッハで、その次がチャイコフスキー、そしてその後にシベリウス、ブラームスの順になる。シベリウスのヴァイオリン協奏曲も彼の作品の中では最もコンサートで演奏される曲だが、これも交響曲に比べるといいとは思わない。ニールセンの方がまだ傑作ではないだろうか。

 5日には、小論文の高校講演で筑後地方にいったこともあり、帰りは田主丸の友人東郷さんを訪ねて、いっしょにバルトルド・クイケンコンサートにいった。田主丸という片田舎でこういう世界的レベルの奏者のコンサートがあるのはめずらしいが、主催者がこの町出身らしく町の援助を受けてのことのようだ。2000円というチケット代も格安である。

 さすがにバルトルドのトラベルソ演奏はすばらしく、ノリントンのコンサートよりはこちらの方がいいコンサートであったように思う。ピリオド楽器は音が小さいので一番前に座り、耳を傾けたが、チェンバロの音もよく聞こえて、ゆたかな時間を友人たちと過ごすことができた。

 忙しいがいろいろな人との出会いもあり、充実した日々でもあった。

会場のチェンバロ

 

2008年1月14日

 2008年になった。今年は八所宮に初詣に行き、博多の住吉神社にもお参りできて、気持ちよく新年を迎えたのではないかと思う。ただ年末年始と仕事があり、冬休みが終わればすぐに大学の授業と続いて、なかなか気分が休まる暇がない。

 年賀状書きは毎年たいへんであまり楽しくはないが、それを契機に旧知の人たちと手紙などをやりとりできた点はよかったのではないか。最近はメールですますことも多いが、本などを送ることもあり、短い便りを同封する。万年筆を使わなくなって、ずいぶん経つが、久しぶりに万年筆を使おうかなと思ったほどだった。

 9日には知人とドイツ映画「4分間のピアニスト」に行った。刑務所にいる天才的なピアニストが、最後は既成のあらゆる権威、制約を打ち破って、情念的なコンテンポラリーの演奏を見せるのが売りだ。いわんとすることはわかるし、よい映画だとは思うが、破壊され、否定される対象がシューマンの「ピアノ協奏曲」で、これが権威や制約あるいは欺瞞の一つの象徴になっている。でもこの曲は私が一番好きなピアノ協奏曲なのだ。やはり個人の意匠を出ないコンテンポラリーの演奏にとって代われるほどちゃちなものではない。監督にそういう点がわかっていないことが残念だった。

 テレビは日頃全く見ないが、学生たちに勧めたこともあって、正月番組の「のだめカンタービレ」のスペシャル版を見た。プラハやパリの本物の風景がよく、プロのオーケストラ(プラハ放送交響楽団)の演奏とスメタナ・ホールもすばらしい。ちょうど3月にプラハに寄ることもあって、親近感をもって見た。プラハに行くのは、シュティフターの歴史小説『ヴィティコー』を読んで以来、いつか行こうと思っていたからである。ドラマ自体はギャグドラマ、トレンディ・ドラマとはいえ、ていねいにつくってあり、充分に楽しめた。学生たちもきっと興味をもって見ることができたのではないか。

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