2002年12月23日

 最近はやりの絵手紙風の人生訓の一つに「自分だけが喜ぶのではなく、人を喜ばせることが大事うんぬん」といったものがあった。ちょうど私が幹事をしているグルントヴィ協会の会合の案内づくりに追われていたときだったので、「それならオレはいつもやってるぞ」といいたい気分だった。

 うちの協会の会合はデンマーク流の「ヒュッゲ(hygge リラックスした楽しさ)」が持ち味なので、いろいろ工夫もあり、参加者には概して好評だからだ。また交流の場としても機能し、参加した者同士がなかよくなることも多い。デンマークへのスタディツアーも主催する私は準備や訪問先との調整、様々な変更に伴う対応などすごくたいへんで疲れるが、参加者はリラックスして楽しい旅を過ごし、自慢ではないけれど、けっこう旅慣れた人でも「こんなにいい旅はそうはない」といってくれるほどだ。

 どんな人でも対応でき、柔軟な性格で知己も多いが、基本的には社交的ではなく、たとえば自然の中に一人でいる方が好きな人間だと自己分析している。なのに、人と人をつなぎ、出会わせる機会をつくり演出することが多いのだ。子どもの頃からそうだったようで、クラス全員が出られるような演劇のシナリオを書いて演出したり、パーティでは司会役をして盛り上げたり、険悪になった友人同士をうまくまとめたりと、サービス精神は旺盛だったように思う。それでみなが盛り上がっているのを横目に、私は満足してその場を去っていくのである。

 西部劇に「シェーン」という古典的なものがある。あれほどかっこよくはないのはもちろんだが、人を助けて去っていく姿にはとても共感して、私が何かするときの基礎イメージとなっている。孤独が好きなのに、人と人を喜びでつなぐことに長けている。今やっている様々な活動もその性分から来ているといえば、みなあてはまるかもしれない。

 そうなると、私の天職は、見合いや結婚相談所とか、就職斡旋所、インターネットなら健全な(?)出会い系サイト、イベント会社、NPO情報交流センターとか、そういったものなのかもしれない。たしかにいろいろなイベントを考えたり、企画を出すのは得意だ。では年をもっととると見合いを勧め、世話役や仲人をしたがる年配者になるのだろうか?う〜ん、それはないような気がするが、先のことはわからない。

 世の中がどんどん制度化して、個の力が弱くなっている現代、交流も場を整えないとできない状況になっている。アメリカに見られるように、そういう意味ではこれからの新産業になりうるものかもしれないが、一抹の寂しさを感じないわけではない。やはり私はインフォーマルにやっていこうと思う。

 それで、前からの日記の話題の続きになるが、けっきょく来年の2月にタイにいかざるをえなくなった。これも子どもたちと劇団とを喜びでつなぐための準備の旅である。さてどうなるやら?

 

2002年12月17日

『ナガサキ’ん・グラフティ』の舞台挨拶

 12月14日、娘を連れて劇団道化の12月公演の芝居『ナガサキ’ん・グラフティ』を見に行った。劇団道化は太宰府を拠点にする児童劇団で、一般的な児童劇だけでなく強制連行を扱った芝居『ボタ山に咲くムクゲたち』などでも知られ、今回の出し物も在韓被爆者をテーマにしたものである。篠崎省吾さんが代表になって以降、こうした社会性の強い芝居も扱うようになり、各界で評判をとり、注目を集めている。うちは毎日新聞なのでわからなかったが、道化の資料によれば朝日新聞の人欄に篠崎さんが紹介されていた。

 今回の芝居は、中学のサッカー部生徒たちが主人公になっており、随所に動きのある演出があって、中学生に見せる工夫が凝らされている。サッカーは中学生に一番人気のスポーツと思われるので、これをメインにもってきて、背景に在韓被爆者の話をさりげなく入れるというのはなかなか心憎い。

 だが全体としての出来は前作の『ボタ山に咲くムクゲたち』の方がよかったと思う。一部に説明的なセリフが続くのと、ジェンダーフリーの問題を入れたことが、若干場違いというか、回り道の印象を与えるからだ。これはたぶんに脚本の問題だろう。

 実は道化は前に書いたタイの「夢を織る家」へ芝居をもっていくというプロジェクトの第一の候補である。篠崎さんにそのことを打診するとたいへん興味があるという。近く彼らと話してみるが、どのようになるか、今後の私の動きも含めて大きな転機になるのかもしれない。

 

2002年12月3日

 最近ノートパソコンを買い換えた。新しいiBookである。11月に現機種最後の製品が出てかなり割安になったので、買う気になった。古いiBook(Blueberry 最初の機種)もまだ使えるが、これにはビデオ端子がついていないし、USB接続の変換器なども出そうにないので、ビデオ端子のある現機種になったわけである。

iBook

 なぜこれが必要かというと、大学での講義に使いたいからだ。前にも書いたように、今の学生は講義を聴くということは不得手である。諄々と丁寧に内容を説いても、眠りを誘う子守歌にしか聞こえない。文字だらけの資料プリントを使ったり、テキストを使っても同じである。さすがに視聴覚なら一定程度はもつが、ビデオ教材などは限られたものしかないし、研究費もない非常勤講師では入手も困難である。

 そこでプレゼンテーション・ソフトを使って、解説をグラフィックにすることを考えた。企業ではおなじみとは思うが、それを講義でやろうとするのだ。また写真も多用するので、いちいちスライドの準備をするのがたいへんということもある。

 もちろんどこまで効果があり、どこまで肝心のファイルをつくれるかはわからないが、とりあえずやってみようと思ったのである。そうでもしないとあの一種拷問ともいえる、誰も聞く気がなく反応のない講義を続けられないというのが本音だ(弁解めくが、私の講義はそれほど評判が悪いわけではなく、教養科目にしてはむしろいい方だろう。しかし、それでもあの空漠さは否定しがたいのだ。現代社会における人文科学自体の位置づけからくるのかもしれない)。

 デスクトップはOS Xにすっかり換えたので、環境を統一したいというのもある。しかしこのiBookでもOS Xは遅い。軽く小さくなって持ち運びが楽になったのはうれしいことだが、デザイン的には穏和で前のiBookほどのインパクトはない。女性に聞くと前の方がよかったという人が多い。おじさんなので、若い女性が見て喜ぶようなものはほとんどもってないが、このiBookだけは別のようだ。

 

2002年11月23日

 今年の11月は寒い日が続いたが、今日は快晴で暖かい晩秋の一日だった。家族で近くの森に出かけ、紅葉を見ながらお弁当を食べてきた。

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2002年11月12日

 9日と10日は東京に行ってきた。一年ぶりか。9日には私には珍しく学会に出たが、翌日は上野の国立西洋美術館で行われていたウィンスロップ・コレクションの展示を見てきた。東京に来てから電車の広告で知っただけで別に事前に情報があるわけではなかったが。

  行く気になったのは、私がよく見てきたラファエロ前派ウィリアム・ブレイクの絵がメインであったからだ。富豪のウィンスロップ氏のコレクションをハーバード大に寄贈したものということで、イギリス絵画の美人画を集めた感のあるコレクションだった。

  ロセッティやバーン=ジョーンズ、ハントなどの絵が並び、著名な絵の習作段階のものが多かったけれど、それなりに楽しむことができた。ちょうどウィリアム・モリスのファンタジーをまた読み始めた頃だったので、偶然とはいえおもしろい一致だった。

バーン=ジョーンズ
天地創造の日々:第5日

 

2002年11月1日

 暑い夏が過ぎたと思ったら、もう秋も深まり、今年もあと二ヶ月を残すだけとなった。みんな思うことだが、年をとるをとにかく月日の経つのが早い。
 
 協会の方のページにも書いたことだが、10月30日にタイから来たナートさんたちに会った。詳しくは神戸新聞の記事を見てもらえればわかるが、彼らのことは今年の8月に児島一裕さんから初めて聞いた。この手の話はよく聞くので、またかという感じで正直それほど関心もなかった。
 
 生来の人間不信の性癖か、日本に限らず世界を含めても、すばらしい活動をしている人に出会ってみたが、実物はそうでもなかったという経験は多い。あとでその人がけっこう問題を起こしているという裏話もよく聞いた。世間的に目立つ活動をしている人はどうしても周りの人間に無理をさせているところがあり「一将功成って万骨枯る」的な話はよくあることである。だから私は世間的な名声をあまり信用してはいない。世間というのは表面的なつきあいしかないから、「憎まれっ子世にはばかる」というべきか、謙虚な人ほど損をして、ゴリ押しの人が有名になる世界だからだ。
 
 タイにもサマーヒル学校を参考にした有名なフリースクールがあるが、やはりそこを知る児島さんによれば、いろいろ問題があるという。ナートさんの「夢を織る家」は、児島さんがたまたまある会合に来ていて目立たず隅に座っていたナートさんと子どもたちに惹かれるものを感じ、話しかけて知ったという。そして実際に彼の学校に行って、すばらしい実践をしているのを見て、ここに肩入れすることになったのである。
 
 児島さんの人間を見る目を信用している私は、彼の話を聞くうちにひらめきというか今回のナートさんは本物ではないかという気がした。そして詳しく話を聞くうちに共感することが多くなり、私には珍しく関心をもつようになった。


 ナートさん(右)と私


 そして30日に実際にお会いしたのだが、短い時間で詳しく語り合うことはできなかったにせよ、直観通りの人で、誠実さには間違いがなかった。とりあえずは彼らのところにいる子どもたちに芝居や人形劇を見てもらおうというプロジェクトを始めるので、今後もつきあいが続くことになると思うが、タイにも行くことになるだろう。
 
 タイは飛行機の乗り換えで空港に滞在したくらいでまったくの未知の国である。留学時代やデンマークではタイの人たちには好感をもって接してもらった経験がある。どうも私がタイの人の顔と雰囲気をもっているらしい。観光自体には興味がないので、日本人に人気のタイにも行きたいと思ったことはないが、こういう人が待っているなら、行く価値がある。私にとって旅は人との出会いであって、名所や食事ではないからだ。
 
 不思議なことにナートさんは、私のデンマークの縁で一番大事な友人オヴェと雰囲気がよく似ていた。両者を知る児島さんもたしかにそうだと納得していた。穏やかであるが、意志の強さがあり、そして親切で権威的なところがいっさいないのが共通している。まだ始まったばかりだが、オヴェのように彼ともいい友人になれるのではないかという気がする。

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