2010年6月28日

 6月は例年、仕事に追われる月であまり楽しくはない。おまけにこの月は基本的に天気が悪い。雨自体は嫌いではないが、湿気はイヤだ。

 19日には佐世保へ行き、ブダペスト祝祭管弦楽団のコンサートを聴いた。ほんとは3月15日にドイツのエッセンのザールバウで聴くはずだったのだが、チケットの入手がうまくいかず、6月に佐世保に来るなら、そのときでもいいかなと無理して聴かなかったのである。

コンサートの休憩時間

 出し物は神尾真衣子とのコンチェルトで、ブラームスのヴァイオリン協奏曲とシューベルトの「グレート」だった。前者は三大ヴァイオリン協奏曲の一つとして名高いが、これは悪しきドイツ中心主義の名残だろう。実は、私はあまり好きではない曲だ。ニールセン、チャイコフスキーなどの方がまだいいと思う。しかし、神尾真衣子さんの演奏はすばらしく、好きでもないこの曲を魅力あるものにしていた。「グレート」も若々しさがあって、メリハリのあるおもしろい演奏だった。

 22日は、大学の授業のあとに久しぶりに、学生たちと太宰府の光明寺に寄ってみた。疲れがたまる季節、梅雨の晴れ間を生かして、緑陰を楽しんだというわけだ。その後、松屋にアイスクリームを食べに行く。ここにもすばらしい庭がある。彼女たちにはもちろんアイスクリームのほうが好評だったことはいうまでもない。

光明寺石庭

庭を観賞する学生たち

 

2010年5月23日

 連休は予備校の仕事があるので、ぜんぜん休めなかった。それでも、3日に仕事に行く前に、門司港まで出向き、帆船日本丸の一般公開にいってみた。去年は海王丸が来たが、時間の勘違いで見ることができなかったものである。

 前日だと航海訓練を見せて、帆を一杯に張るので、そのときがいいのだが、時間がなくてこの日になった。海の子で船は乗り慣れているから、とくに新味があるわけではない。しかし、やはり船はいい。

門司港の日本丸

 今年はさわやかな天気が続いたので、八所宮の藤の花も長くもち、三度も楽しませてもらった。私の連休はどこにも行かずとも、ここに来るだけで十分快適な気分になり、心をリフレッシュできる。地の利に恵まれていることを感謝する。

満開の藤の花

 15日には、執筆した本『表現芸術の世界 幼児教育 知の探求第11巻』(萌文書林)が届いた。これは2007年に書いたものだが、共著者の原稿が遅れ、ようやく今年5月に発刊になった。妖怪学で有名な小松和彦氏らと三人での共著になる。

 編者の青木久子さんが私の本をお読みになり、直接原稿の依頼があってのもので、拙い私の書物でも評価して下さる人がいたということはありがたいことだ。改めて思えば、この内容は私が2000年代にやってきたことの総まとめになっている。いろいろな制約で自分の意図することができなくなったこの10年と思っていたが、不充分ながらもそれなりのことをしたことがわかる。

 18日は、九響のシューマン・チクルス第一夜に行く。今年はシューマン生誕200年であちこちでいろいろな催しがされており、九響は「天神でクラシック」定演でシューマンの交響曲と代表的な協奏曲などを全部取り上げることになっている。シューマニアの私としては当然定期会員になった。

 フルオーケストラは3月以来なので、新鮮に響き、仕事で摩耗していた感性が甦る感じだった。イリーナさんによる「序曲とアレグロ」がとくによく、細身ながらダイナミックな演奏で、もともとクララ・シューマンのために書かれた曲であり、見栄えのするイリーナさんの姿から、クララもこういうふうに弾いたのかなと思うと楽しかった。

 翌日には話題の映画『オーケストラ』を見る。ドタバタ喜劇ぶりにややついて行けないところもあったが、終わりの演奏場面はさすがに盛り上がる。もう少しリアリズム調にして、コンサートの実現までみながいろいろありながらも何とかもっていく、というようにした方が評価が上がる気がするのだが、でもよい映画を観たのはたしかだ。それにしても、5月にいい映画が多いのは偶然か、必然か?

 21日は休みだったので、妻と約束していた映画『のだめカンタービレ後編』を見にいった。後編は音楽よりも恋愛ドラマ中心ということで、あまり見る気がせず、ずっと伸ばしていた。『オーケストラ』を見たついでの一気観である。期待していなかった分、いい出来で、コンサート場面も結構あり、十分楽しめた。原作の終わりが肩透かしだったのに対し、映画はちゃんと多くの読者・観客の期待に応えて二人のコンチェルト場面を入れているのがいい。

 スメタナ・ホールでのショパンのコンチェルト・シーンでは3月に座った席あたりも映り、身近に感じることができた。期せずしてこの週は音楽の醍醐味を満喫した週になった。

 

2010年5月1日

 4月も終えて、5月に入った。例年よりも肌寒いが、私にはこの方が気持ちがいい。何度も書いたことだが、一度ドイツの気候を経験すると、日本の春から夏の湿気の多さに閉口するようになる。日本では北海道に転勤などで一度滞在したら、その快適さをなつかしがるのに似ている。とくに九州は亜熱帯で暑くて湿気が多く、早いときには4月からもう夏日などあって、春がないので困る。しかし、今年はひんやりとさわやかで、空は快晴という日があっていい。

 4月の半ばから仕事が本格的に始まり、その後は忙しい日々になった。その合間に行事が入るとさらに余裕がなくなる。とはいえ、その行事といっても自分にとってはいいものなので、精神的な負担にはならないが。

 4月25日には別府へ行き、アルゲリッチ音楽祭のマラソンコンサートにいった。泊まり込みで温泉にも入った。料理が運ばれてくる側になりたいという妻の要望を入れてのことである。

 気持ちのよい天気で、コンサートも後半は最高でいい時間を送ることができた。ラストのシューマンのピアノ五重奏はさすがに名手揃いの名演奏で、私のもっているCDの演奏よりもはるかに充実したものだった。これを聴けただけでも来た甲斐があったというものだ。

 別府のような地方都市なのに、最後はスタンディング・オベーション。アルゲリッチ女史が別府の市民にいかに親しまれているかを示すものだが、同時に地域振興のためにこの音楽祭をつづけてほしいという切実な願いのようにも見えた。彼女は同じような内容のスイスのルガノ音楽祭ももっているので、負担になればここはなくなる可能性もある。

会場のビーコンプラザ

最後の演奏が終わってカーテンコール

 29日には、水巻のスロービジネススクールでの講演。連休の始まりとあって、参加者が少なかったが、その分家庭的な雰囲気でいい対話ができ、気持ちのいい会合になった。

 翌30日には、地元の八所宮の藤を家族で見にいく。今年は寒い分、開花が遅く、まだ三分から四分咲きというところ。いつもならもう終わりがけなので、今年はまだまだ一週間は楽しめる。藤とツツジとイチイガシの大木に囲まれて、ここで弁当を食べるというのは何にも替えがたい歓びだ。しかも人がほとんどおらず、閑静な空間を独り占め状態なのである。

八所宮の藤とツツジ

2010年4月8日

 日記特別篇その4を書いた。

2010年4月6日

 日記特別篇その3を書いた。

 4月3日-4日は、名古屋に行った。3日は「わっぱの会」主催の講演会である。わっぱの会の若い職員たちに日本と違う教育のあり方があることを知ってほしいとの意図からだった。

 2時間いろいろな話をしたが、反応もよくて行った甲斐があった。その後のお茶とケーキの時間は主催者の坪内さんが手づくりのケーキを三種類もってきて、大好評だった。私は質問に答えるために、一つだけしか食べられなかったのが残念。とてもおいしかったし、こういう配慮がうれしかった。

 私が話すよりも、わっぱの会の活動の方がよほど社会的に意味あることで、多くの人に知ってもらいたいが、理事長の斉藤懸三さんは全国の社会福祉団体に呼ばれて講演することも多いようで、そこはちゃんと評判は広がっているようだ。

 講演した場所も、自前の職業訓練校で、知的障害者と精神障害者の研修、技能訓練、社会参加を支援している。こういう人たちとともに何かをできるということはありがたいことだとつくづく思った。夜の懇親会も楽しい雰囲気でいろいろな話に花を咲かせ、気分よくホテルに戻った。

 翌日は、新幹線の時間が昼頃なので、それまで時間があるということで、名古屋城の桜を見にいった。そこまでの道のりは日曜日午前で閑散としており、いい散歩道になったが、さすがに名古屋城に着くとすごい人出である。桜も満開で、天気もいい。絶好の花見日和だ。

名古屋城公園の桜

 名古屋城入場のチケット売り場はみな長い行列で、買うまで30分くらいはかかりそうなので、あきらめて城壁の周囲を歩く。カメラのバッテリーの換えを持参し忘れて、バッテリー切れで写真もあまり撮れなかった。

 名古屋城は初めてであるが、さすがに九州にある城よりも大きい。熊本城が比肩するくらいか。再建なので歴史的な価値はあまりないとはいえ、「尾張名古屋は城でもつ」という言葉を実感できた。

 5日は「ウィーン・プレミアム・コンサート」に行く。ドイツ、プラハ、ウィーンでたくさん聴いてきたので、もういいかなとも思っていたが、3年前のこのコンサートでたいへん感激した記憶があるので、またいい感動が味わえるかもしれないと思ったのである。プログラムの2番目のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番で、その期待がかなった。

カーテンコール時のオケ・メンバー

 ウィーン・フィルのコンサートマスターであるシィトイデ氏が奏でるヴァイオリンの響きがあまりに美しく、モーツァルトの甘美な魅力に存分に浸ることができ、これほどの幸福感は久しくなかった。1月に佐世保でのプラハ交響楽団のプログラムでも同じコンチェルトがあり、千住真理子のヴァイオリンはただゴリゴリと汚い音で、聴くのが辛かったのに比べると、雲泥の差である。

 それ以外の演奏はとくにいいと感じるほどのことはなかった。それにしても、つい二週間前ににはこの人たちの何人かがフォルクス・オーパーや国立歌劇場で演奏していたのを聴いたのかと思うと、何か不思議な気がする。

 コンサートついでに書くと、2月24日にサカリ・オラモとロイヤル・ストックホルム・フィル、27日は日フィル大牟田コンサート、3月4日は、九響のメンデルスゾーン・チクルス最終回、そして3月27日にティーレマンとミュンヘン・フィルのコンサートに行った。

 みなそれなりによかったが、ティーレマンとミュンヘン・フィルのブルックナー8番は、そんなにいい演奏とは思えなかった。オラモとロイヤル・ストックホルム・フィルのマーラーの「巨人」も悪くはないが、去年のゲヴァントハウスよりは少し落ちた。でも、日本のクラオタは、ブルックナーとマーラーをやれば何でも拍手大喝采して、演奏の出来にかかわらず喜ぶ。そういう悪癖を直さないといけないなと感じた聴衆の反応だった。

 オラモとロイヤル・ストックホルム・フィルのコンサートは、サービス精神が旺盛で、アンコールに「早春賦」を演奏し、会場を喜ばせた。ブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いた諏訪内晶子さんの優雅さもすばらしく、ルックスだけの人ではないなと改めて感じさせた。だから、お礼の気持ちで、久々にCDでも買ってサイン会に出てみようかという気になった。

 諏訪内さんはほんとうに華奢な麗人で握手をしても壊れそうな感じだった。オラモには、二年前にヘルシンキにいったとき覚えた「キートス(ありがとう)」をいうと、まさかこんな場でフィンランド語を聞くとは思わなかったらしく、たいそうに驚いて喜んで「キートス!」といいながら、力一杯握手をしてくれた。きさくな人柄がよくあらわれていた。

 

2010年3月31日

 日記特別篇その2を書いた。

2010年3月28日


 3月10日から25日まで、エッセン、ドレスデン、プラハ、そしてウィーンへ行ってきた。その話は日記特別編で書くことにして、それ以外を記しておく。

 3月6-7日は大阪の民族学博物館での国際シンポジウム国際ワークショップに講演者、パネラーの一人として招待されて行ってきた。主に文化人類学者のシンポジウムだが、北欧と日本の青少年教育のあり方を比較するというもので、デンマークにかかわりのある私が呼ばれたわけだ。

 学術シンポジウムの味気なさを知っているので、最初は場違いと断ったが、関係者に協会の関係者がいて、どうしても断れない状況になり、やむをえず参加した。場違いな人間として場違いな発言をして一人勝手にかき回した形になり、みなさんに迷惑をかけひんしゅくを買い、結局空漠感が残った。現実の問題を学問的に客観的に見ても、物事は変化するわけではない。まぁ義理を果たして帰ったというだけのものだった。

 協会会員のみなさんがけっこう来ていて、中には家族総出という方もいて、ありがたかった。その後すぐにヨーロッパに行く形になり、よい気分転換になった。

 4月3日も同様に名古屋での講演があるが、これは障害者団体で、現場で実践する人たちであり、そういう意味ではこちらが学ぶべき人たちで、いい出会いがあるだろうと思う。

 

2010年2月26日


 このところ暖かい日が続く。春一番も吹いて、日差しはすっかり春のたけなわを思わせる。18日、19日は、大分市の上野丘高校と臼杵市の臼杵高校での小論文講演があり、このときはやや寒かった。

 臼杵は一昨年講演などで二度も訪れて、気に入った街なので、今回も講演までの午前の空いた時間を散策に費やした。城下町らしく、ひな祭りの装いがあちこちにある。ここを支配した稲葉氏の倹約精神により、臼杵の雛は紙雛でなければならないそうだ。

臼杵の街に咲く梅

城下町の名残が残る二王座

臼杵の紙雛

 臼杵には味噌・醤油の醸造元が三社あり、そのうちの一番の老舗である可児醤油の店舗に寄る。ここは1600年創業で、400年以上も続くそうだ。可児姓は九州にはなく、岐阜の名前であるが、主君の稲葉氏移封に伴いやってきた。美濃の侍が九州に味噌造りを教え、九州の味噌・醤油の発祥地になったということだ。それではということで、味噌を一つ買う。

可児商店

 今回のハイライトは、前回時間がなくて寄れなかった野上弥生子文学記念館に行ったことか。基本的に小説は読まないので、野上弥生子の本も恥ずかしながら読んだことはないが、さすがに名前くらいは知っている。どちらかというと夫であった野上豊一郎や彼の仲間の岩波文化人(岩波茂雄、和辻哲郎、芥川龍之介、田辺元、小宮豊隆など)の著書のほうが詳しかったりする。ハイライトは展示そのものではなく、ここのスタッフの女性である。彼女は日頃は別の観光インフォメーションの担当で、ここは臨時で手伝いに来ていた。

 芥川龍之介の有名な河童の絵があるので、これは本物かと聞くと、専門スタッフではないので詳しくないと断りつつ、電話をかけて市の教育委員会の担当者に問い合わせる。その頃にはすでに昼食を近くの味噌の小売店で摂っていたのだが、何度もそこに来て、聞いたことを知らせてくれる。臼杵の人の親切さを知る思いがして、気持ちがよかった。

 

小手川酒店(野上弥生子の生家)

芥川龍之介自筆の河童絵

 食事をした小手川商店も彼女の薦めによるが、ここはフンドーキン醤油を扱う店で、味噌を使ったかつての醸造元のまかない膳を食事として出してくれる。くちなしの色をつけたご飯と赤味噌の味噌汁に漬け物類がつくだけの質素な料理であるが、さすがに味噌汁の巧さは筆舌につくしがたいものだった。向かいの小手川酒店が野上弥生子の実家である。

小手川商店の味噌汁御膳

 お金の余裕があれば、こんなところに部屋でも借りて休暇時に滞在したいと思うほど、臼杵はいい町だと改めて思った。

 22日は、昼間は久しぶりに小倉の昭和館まで映画を見にいった。見逃した『幸せはシャンソニア劇場から』を観るためである。名作「コーラス」の監督と俳優が再び出てくる。いわば続編みたいなものだ。期待を裏切らないよい映画で、映画の醍醐味、舞台芸術のすばらしさを満喫した。しかも社会性もある。ほんとうに幸せな2時間だった。こんな映画はなかなかない。

 併映の『クララ・シューマン』は有名監督であるヘルマ・ザンダースの佳作。でも、シューマン大好きな私からすれば、これもシューマンを情けなく扱い、不満が残る。前に観たドイツ映画『4分間のピアニスト』と同じで、シューマンはカリカチュアの対象だ。

 夜は家族で誕生会を地元のフレンチ・レストランで行う。娘も息子も2月生まれなので、二人いっしょに祝うわけだ。安い割には味もよく、昼間のフレンチの映画(「クララ・シューマン」も独仏合作で、シューマンとブラームス役はフランス人が演じている)と合わせて、この日はフレンチ・デイになった。

誕生会の魚料理

 

2010年2月9日

 2月になった。予備校も大学もレギュラーの授業がなくなり、不定期の仕事があるだけだが、毎日のようにいろいろとあり、けっこう忙しい。しかし、朝から晩までつまっているわけではないので、身体的には楽である。しかも、講演や旅が混じり、あちこちへと行き、いろんな人に会うのはけっこう楽しい。ある意味、この季節が私のペースに合って、一番充実したときなのかもしれないと思う。

 1月25日、28日、2月6日は高校での小論文講演で、大分、臼杵、別府、長崎へと旅した。6日の長崎は、その合間に長崎在住の兄と少しばかりの観光をした。去年はグラバー園に行ったので、今年は26聖人記念像と出島、そして大浦天主堂を回った。

出島の再現した教会

中華街

長崎港(対岸は稲佐山)

 1月31日は八幡でデンマークの市民社会についての講演を行い、自分にもよい勉強になった。最近はデンマーク関係の講演の依頼が多く、3月は大阪の民族学博物館、4月には名古屋とまだ続く。そのための原稿書きなどもあって、よいことなのだが、ストレスにもなっている。

 この時期は時間的余裕があるということで、コンサートにもよく行く。1月26日と2月8日の九響のコンサートは、前者はいまいちで、後者は行ってよかったと思えるもので、好対照だった。

 26日はメンデルスゾーン・チクルスの第三夜で、フィンガルの洞窟、バイオリン協奏曲と交響曲第3番「スコットランド」というプログラム。フィンガルの洞窟とスコットランドは大好きな曲なので楽しみにしていたが、期待していなかった「メンコン(メンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルトの略)」が一番よかった。ソリストは竹澤恭子さんであったが、とても上手い人ですばらしい演奏だった。しかし、「スコットランド」は演奏がバラバラで、駄演だったと思う。今度は大好きなシューマン・チクルスをやるというので、せっかく次年度の「天神でクラシック」定期会員を申し込んだのに、「九響はやっぱり九響だった(笑)。こんなに下手では聴く気が失せるな」と思っていたら、8日の定期演奏会のブルックナー6番はすばらしい演奏で、大いに見直した。12月に聴いた読響よりもはるかに感動する演奏だった。予備校の同僚のブルックナー大好きのMさんも来ており、「よかったね〜」と二人で満足して帰路についた。

 今月はあと、ロイヤル・ストックホルム管弦楽団日フィルの恒例の九州公演に行く。3月になると、ドイツのエッセン、デュッセルドルフ、チェコのプラハ、そして最後はウィーンでコンサートやオペラに行く予定だ。

 9日は春のような暖かい天気。鎮国寺の梅も満開だろうと思い、梅と鐘崎の菜の花を見にいく。春の早い九州ならではで、もう3月の終わりみたいなのどかな一日をすごすことができた。

鐘崎の菜の花畑

鎮国寺の梅

鎮国寺(ポップアート)

鎮国寺の梅

2010年1月18日

 2010年になった。
  この2〜3年、予備校の授業が大晦日と元旦にある。北九州にある地元予備校大手への対抗策でそのようになったと記憶するが、大晦日はまだしも、元旦の朝仕事に向かうというのは何とも情けない気分になる。あたりは正月らしくし〜んと静まる中、仕事着で職場へ向かうのである。おまけに今年は、大晦日から1月10日まで、11日間休みなしで仕事があった。おかげで正月気分がまったくない。とはいえ、元旦は途中にある住吉神社に寄って、初詣をすませた。

 1月はいろいろな講演や原稿書き、原稿の校正などでなかなか忙しい。もう半月も過ぎたというのに、気分が休まる暇がない。
  そんな中、19日は佐世保へ行き、ハウステンボスを散策したあと、プラハ交響楽団(FOK)のコンサートにいってみた。FOKは2008年3月25日にプラハの聖シモンとユダ教会で聴いて、たいへん感銘を受けたので、今回の来日公演に行こうと思っていたのだ。しかも指揮者が急病による交替で、ズデニク・マーカルになった。マーカルは前のチェコ・フィルの正指揮者で、日本ではテレビドラマ「のだめカンタービレ」のヴィエラ先生役でおなじみである。

 九州では佐世保しかないので、わざわざ博多から出かけたが、どうせ同じ列車料金ならとハウステンボスにも足を伸ばした。ハウステンボスは現在HISへの身売り話の最中で、すっかりさびれているのかなと思っていた。実際には、前にいったときと建物自体はあまり変わりはなかった。しかし、レストランなどの撤退が激しく、佐世保バーガーと安物レストラン(ハンバーグやオムライスなどが主だが、値段はえらく高い)ばかりが目立った。

ハウステンボス

 土曜日で天気もいいのに、その割には人は少ない。ホテルの宿泊客もかなり少ない。混雑が苦手な私にはちょうどオランダの街(デルフトやユトレヒト、ハーレムなど)みたいで、かえってよかったが、経営的にはこれでは厳しいだろう。人があまり来ない理由は、結局コストパフォーマンスが悪いからだ。

 宿泊費などはだいぶダンピングしているとはいえ、歩いてみるとまだまだ金取り主義が目につく。中のバスやレンタル自転車などは無料にすればよいのに、けっこうなお金をとる。コインロッカーも図書館みたいにお金が戻るようにすべきだ。

 一企業に何から何まで経営をさせるから、こうなる。これだけの資産をどう生かすのかという発想が必要だ。各種市民団体に格安で貸出し、セミナーや演劇、音楽、大道芸、講演会などいろいろな企画をさせ、客はそれをタダで見たり、参加できるという形にすれば、もっと人は集まるし、リピーターもできるだろう。

 デンマークのチボリ公園のように、入場料を安くして、市民の憩いの場にするという手もある。客からいかにお金をむしり取るかばかりを考えていては、リピーターはいなくなる。人口が少ない地域だけに、それではやっていけないのである。そんなことを考えさせられた。まもなく閉鎖になる可能性が高いと思うが、その前に家族でもう一度行ってみようかと思っている。

 FOKのコンサートは夕方からあった。チェコのオーケストラが来ると判で押したように、「モルダウ」と「新世界」をやらされるのが日本のつね。今回もそうだった。「新世界」はこれまで読響、11月のブルノ・フィルと聴いたが、どれもいまいちで、チェロ協奏曲も含めてドヴォルザークは自分には合わないと思い込んでいた。

 しかし、マーカルのそれはほんとうに感動的だった。派手さはないものの、安定した指揮ぶりで、静かな感動を誘う。私の近辺に座った女性たちは、有名な第二楽章のクラリネット・ソロで涙をふいていたほどだった。第4楽章も劇的ですばらしい出来だ。ようやく「新世界」で満足できる演奏に出会ったという感じだ。

マーカルとFOK(カーテンコール時)

 しかも、FOKの弦がきれいなこと。チェコのオーケストラは弦が美しいという一般の評判をまさに実証するものだった。そして2年前にプラハで聴いたときは、本場の雰囲気があるからよかったのではなく、FOKの実力が実際に高いからよかったこともはっきりした。

 残念だったのは、千住真理子氏のモーツァルト・バイオリン協奏曲5番だった。音が汚いし、技術がついていけてない。それでもメディアに出て知名度だけはあるから、会場の反応がいい。こういう演奏には拍手をすべきではないだろう。地元九州の南紫音ちゃんでも出せばよかったのにと思う。

 3月にはまたドイツのエッセン、デュッセルドルフ、チェコのプラハ、そして最後はウィーンを回って、オペラ、コンサートを9つほど聴いてくるが、FOKとマーカルのコンビも入っている。しかも、あのスメタナ・ホールで、マーカルの本領たるマーラーである。非常に楽しみだ。

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