2003年12月12日

 今年も早いもので、もう半月ほどを残すだけになった。2004年を振り返ると、とにかく仕事に追われて気分的に余裕がなかったが、そのわりにはいろいろなことはしているので、そういう意味ではよい年だったかもしれない。

 仕事量は増えたわけでもないのだが、時間割の関係で朝から夜遅くまで拘束されるようになり、一日12時間外に出てないといけなかった。帰るのが夜の9時10時だから、食事をして風呂に入れば、もう後は寝るしかない。そして起きればまた仕事に出かけるという毎日が続いた。しかも休日は一日しかなく、10〜11月はそれも仕事や会合などでつぶれるという有様である。おかげで3週間以上休みなしという日々も数度あった。仕事にアイデンティティを見出しておれば、そんな毎日でも充実感はあるだろうが、いろいろな活動をしている私としては、息が詰まる思いだった。

 いろいろやりくりして、タイのプロジェクトを進めたり、デンマークにいったり、原稿を書いたり、会合に参加したり、講演をしたりで、何とか迷惑をかけないようにこなすのが精一杯で、それぞれの質からすれば時間のなさからあまり充分にできなかったという思いが強い。関係者にはお詫びするしかない。

 でも、今年はタイ行きから始まり、タイのドラマ交流プロジェクトを何とか進め、秋田の角館と岩手の花巻にも行けて、デンマークにも招待され、また留学当時行きたくても行けなかった旧東ドイツ地区のワイマール、イエナ、ドレスデンなどを訪問できたのはよいことだったのだろう。忙しい割りには旅を重ねた年だった。

 家庭の方では、6月に近くに引っ越しをした。中古住宅を入手したからだが、わりと住みやすい家で、みなそれなりに満足している。9月には娘の高校に来たオーストラリアからの女子留学生を迎え入れ、10日ほどいっしょに過ごした。白人には珍しいようなおとなしい子で、親しくなるには時間が足りなかったようだが、これもわが家の今年の出来事の一つだろう。

 とにかく多忙だったが、幸い疲れから寝込むようなこともなく、よく身体がもったと思う。来年はもう少し気分的にゆったりした日々を過ごしたいものだ。とはいっても、年が明けるとすぐにタイ行きが待っているのだが。

2003年11月3日

 11月2日は、本来は大阪にいるはずだったが、仕事が早くすんだので家に戻ることができた。おかげで翌日のProcol Harumの大阪コンサートには行けなくなったが、代わりに福岡ダイエー・ホークスの優勝パレードに子どもといっしょにいってみた。

 まったくミーハーな、といわれそうだが、ミーハーな関心というよりも、2000年の優勝パレードをたまたまテレビで見たとき、晩秋の斜めの朱色の陽に照らされて、紙吹雪がほんとうに雪のように舞っているのを見て、実に美しい光景だなと感動し、次回もしあれば実際にその光景を見てみたいと思っていたからである。要するに選手には関心がなく、ただその美しい光景に与りたいと思ったわけだ。

 実際に行ってみると、何よりもまずあまりの人の多さに辟易した。過疎地育ちゆえに人混みは大の苦手だ。しかし、みなマナーも悪くなく、ニコニコしながら待っているのを見て、気分は意外と悪い気はしなかった。

 前回紙吹雪が舞った場所ということで「博多座」の前に陣取った。予想通りテラスから、舞台に使う装置で大量に紙吹雪を空に散らす。ちょうど「西太后」が上演中で、その俳優たちも出て、芝居のように紙吹雪を撒いていた。ちゃんとピンクの桜の形に切り取った桜吹雪だった。舞台に使うものだろう。

博多座から舞う紙吹雪

選手たち(井口と杉内)

 人混みで選手の顔もろくに見えず、またあっという間に通り過ぎる。紙吹雪は少しは楽しめたが、今年は前回(11月23日)と違って晩秋という頃ではなく、またこの日は夏日で気温27度くらいもあったので、蒸し暑くて秋らしさを感じることもできなかった。風景を楽しむという点では期待はずれだった。

 しかし、集まった人たちがみな笑顔で、ほんとうに喜んでいる顔を見るとこちらまでうれしくなる。同じ人混みでも通勤ラッシュなどと違い、殺気だっていないので、さほど不快感はないのだ。ダイエーの帽子をかぶり、応援の小旗をもった小さな娘を肩車して「川崎が通ったら、大きい声で叫ばんね」と父親が語りかけている姿などほほえましいかぎりだ。

 貧すれば窮すで、母体のダイエーの経営難でまたいい選手が去っていき、球団がゴタゴタするのは残念だが、博多の人たち、九州の人たちに愛される球団があり、地域が一体となって喜びをわかちあうことは、幸せなことだと感じた。博多はほんとうにいい街だとまた実感したのであった。

 

2003年10月26日

 9月27日にAT互換機をSycomの通販で購入した。ここのRadiantVX310V/2500+ というBTOのパソコンである。

 今まではずっとMacしか使っていなかったが、仕事上どうしてもMacで使えないファイルやソフトを使うこともある。そういうときには、これまではVirtual PCというエミュレーション・ソフトを使ってきたが、これも古くなり最新のバージョンに買い換えないといけなくなった。Windows のOS込みになると3万円弱になるので、そのくらい払うならもう少し足して安い自作機を買った方が早いということになった。どこかでSycomの記事を読んだことがあったので、いろいろ調べ結局ここのカスタマイズ・キットを買うことに決めた。自作機と価格的にあまり変わらないし、相性問題を考えるとチェック済みのものがいい。

 元来がWintelは嫌いなので、CPUはAMDのAthlonにした。ここをつぶすといよいよWintel帝国の独裁がひどくなるからである。OSは評判のよかった2000 professional にしようと思っていたが、あちこち調べて検討した結果、XPの professionalにした。

 ふだんはほとんど使うことはないが、昔のワープロのフロッピーを読み込んでテキストファイルにしてくれるファイル変換ソフトはMacにはないものなので、ダウンロード販売で購入し、古いデータを再利用できるようにした。こういう点はさすがに役だってくれる。Mac OS Xになって基幹システムが変わってから、OCRソフトは対応してくれないものが多いので、この分野でも使えそうだ。とはいえ、Officeを初めとしてほとんどのデータは互換性があるので、今までさしたる不便はなかった。

 使いやすさやデザインはMacがいいし、生来のマイノリティー志向から、これまでこだわってきたのであるが、実際に手に入れてみるとハードの安さには改めて驚かざるをえない。グラフィックカードなどは相当に価格が違う。DVDなどのドライブの安さも魅力だ。CPUも世代の古いのを買えば、かなりお得である。MacではCPUのアップグレード・カードが、自作機一台分の値段である。改造の楽しみはこちらがあるが、でもあまり使わないのであれば、何かもったいない気もする。

 昨日には新しい Mac OSの10.3(Panther)が届いた。毎年の恒例のバージョンアップで義理で購入したようなものだが、期待に反して早くなっており、今まであれこれおかしかった動きが改善されている。これは久々のアタリかもしれない。

2003年10月13日

 7月下旬から9月26日まで福岡市美術館でミレー展が開かれていた。フランス絵画はそれほど好きではないが、自らも農民出身で農民に対する素直な愛情の表れているミレーの絵には心惹かれるものがあった。私も漁民出身で貧しい庶民の哀歌を背景にもつということもある。通人には日本人の好む安直な絵だと揶揄されるが、おそらく世界のどの民族にも彼の絵は評価される普遍性、人間性をもっていると思われる。

 旅が多かったことと仕事の忙しさでゆっくり時間のとれる日がなかったのでそのままになっていたが、結局最終日になって無理していってみた。予想はしていたがそれを上回る人の多さに辟易した。自分もその一人であることを棚に上げての話ではあるが。何せ着いたら大きな観光バスが数台とまっている。どういう観光のコースで来るのだろうか。中高年が多いが、高校生もけっこう混じっている。ミーハーであれ何であれ繁華街で遊ぶよりは健全だと感心。

 ミレーだけではなく、フランスの影響を受けたヨーロッパの当時の自然主義の絵が数多くならび、その中にデンマークの国立美術館にあるクロイヤーの絵もあって、懐かしく見入ってしまった。この構成はかなり考えてあるというか、興味深いものだったが、残念ながら図録は最終日なので売り切れていた。

「落穂拾い」

 あまりの人の多さにじっくり味わう余裕もなく駆け足で見る羽目になった。とくに今回の売りである一同にそろった「三大名画」(『落穂拾い』『晩鐘』『羊飼いの少女』)の前は上野動物園に初代パンダが来たときもかくやと思わせるほどの人出で、99年に大阪市美術館でフェルメールの『青いターバンの少女』を見たときと同じだった(あのときはじっと見ていたら後ろのおばさんに「はよ行き!」と頭をこづかれたっけ)。モチーフ的には『晩鐘』が万人受けしそうだが、近くで見ると絵としての出来は『落穂拾い』が圧倒的によく、他の二つとはかなり差があることに気づいた。写真ではわからないが、描き方の丁寧さというか密度が相当に違うのだ。この絵を見ただけでも来た甲斐はあると思った。

 8月終わりにドレスデンの国立絵画館を見たので、それからすればささやかな展示ではあるが、内容的に練られたものだったので充分に満足して帰った。

2003年9月23日

 8月25日から9月14日までドイツとデンマークにいた。デンマークに講演で招待されたからであるが、その前に少し旅をしてみた。そのときの模様を「日記特別編その6」とした。まだ全部を掲載してはいないが、少しずつ足していくことにしよう。
  今年の夏は東北にヨーロッパと旅が多かった。デンマークでは十年ぶりくらいに会う懐かしい人も多くいて、これまで蒔いてきた交流の種が確実に根を下ろしていることを実感した。まぁよい夏ではなかったかと思う。

 

2003年8月6日

 昨日5日は私の誕生日だった。この年(48歳)になるとうれしくもないが、家族がプレゼントに財布をくれた。前のものはもう10年ほど使っていたのでちょうどよかった。引っ越しついでにこれまで使ってきたもの(ひげそりや椅子、キーホルダーなど)を新しいものに変えたが、財布もその一つである。一つの区切りなのかもしれない。

 去年の誕生日は湯布院で迎えた。今年は直前に岩手の花巻と秋田の角館、田沢湖にいた。花巻の訪問記は「日記特別編その5」とした。田沢湖は協会の方のフォトアルバムで見ることができる。去年と今年、偶然だが旅づいている。

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