2003年3月29日

 春たけなわである。恒例の散歩をする。散歩道の桜、菜の花、ナズナを愛でながら歩く。でももう日差しが強く帽子が必要だ。九州はこれだからいやだ。のどかな春があまり長く続かず、冬と夏しかない。10日前くらいのさわやかな風がなつかしい。

近くの公園に咲く桜 

菜の花のたんぼ道

ナズナ

 

2003年3月21日

 よい天気のお彼岸だった。春の日差しを楽しみながら久しぶりにいつもの散歩道を歩く。イラク攻撃が始まり気が重いが、「武器よりは花を」の気持ちで、散歩道にある菜の花畑を掲げる。

 

2003年3月18日


 最近「永瀬清子詩集」を買った。ずっと探し求めていたものだが、本屋に行くと詩集の棚によることがないのでいつも買い忘れていた。また気づいたとしても、たいていの本屋においていないということもある。

 この詩人については長いこと詳しくは知らなかった。近代の大詩人の一人という評価ではあるが、この数十年の間にブームになるようなこともなかったので、同人誌や詩の雑誌を読むほどのマニアでもない私にもほとんど情報は入ってこなかったのである。

 しかし、高校生の頃に買った角川文庫の「現代詩人全集第五巻」にある彼女の詩が好きで、詩の朗読コンサートなどをするときはいつも彼女の詩を数篇読みつづけてきた。若い頃まったくの予備知識もなく、ただ作品をほかの詩人のそれと比較するだけで、絶対にこの詩人がいいと感じただけのことだったが、その後いろいろな評価を知るにつけ、自分の審美眼もまんざらではないなと思うようになった。最近では毎日新聞の夕刊で吉本隆明が与謝野晶子に匹敵するという高い評価を下していたほどである。

 金子みすずなんかはブームにもなり、作品の出来よりは過大評価されていると思うが、これも中原中也などと同じで、生き方自体がドラマになる要素があるからだろう。それもまた一興ではあるけれど、彼女ほどには一般には知られていない永瀬清子の詩の世界をもっと多くの人、とくに女性に知ってもらいたいのである。母、女性、ひとりの人間、それらすべてを過不足なく歌い上げて、男女の区別ない普遍性をもつ詩人と思うからである。

 初期の代表作の一つに「諸国の天女」があるが、これを読めば、わが母のことなど思い出され、また多くの女がこうして生きたことへの尊厳と敬愛を感ぜずにはいられない。多くの労苦とその中の喜びに暮らし、地に縛りつけられても心は天を舞うという当時の女たちの切ない心もちが痛いほどわかる気がする。今の日本はそのような「天女」たちが支えてきたし、今もまたどこかで名もしれず隠れた天女たちが働きつづけているのだろうか。

諸国の天女      永瀬清子

諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず想つてゐる、
底なき天を翔けた日を。

人の世のたつきのあはれないとなみ
やすむひまなきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
井の水を汲めばその中に
天の光がしたたつてゐる
花咲けば花の中に
かの日の天の着物がそよぐ。
雨と風とがささやくあこがれ
我が子に唄へばそらんじて
何を意味するとか思ふのだらう。

せめてぬるめる春の波間に
或る日はかづきつ嘆かへば
涙はからき潮にまじり
空ははるかに金のひかり

あゝ遠い山々を過ぎゆく雲に
わが分身の乗りゆく姿
さあれかの水蒸気みどりの方へ
いつの日か去る日もあらば
いかに嘆かんわが人々は

きづなは地にあこがれは空に
うつくしい樹木にみちた岸辺や谷間で
いつか年月のまにまに
冬過ぎ春来て諸国の天女も老いる。

 

2003年3月13日


 11日と12日は関西にいた。仕事と協会の打ち合わせである。9月にデンマークから10名近くゲストが来て、京都の宿坊などの滞在を希望しているので、京都や大阪の会員に受け入れを担当してもらうことになっている。
12日の午前に野末さんらと簡単な打ち合わせをしたあと、彼らが泊まる候補の月真院の宿坊に会員の吉岡さんといっしょに下見を兼ねてよってみた。なかなかいい感じで、これならゲストも喜ぶだろうと確信できた。

月真院

 数日来の寒気もようやくゆるみかけてきた午後の日差しで、春の雰囲気を存分に感じながら、界隈を彼女と歩いてみた。茶室を見、ぜんざいを食べ、九州にはないにしんそばを味わい、緋寒桜の花を愛でたりの気持ちのよい午後となった。京都はやっぱりすてきな女性と歩くにふさわしい街だと思う(笑)。

会員の吉岡さん

 清水寺の参道に来て、ものはついでと有名な清水の舞台まで上がってみた。京都観光の定番なので人が多いだろうといつも敬遠していたので、今回が初めての訪問である。シーズンではないのでそれほどの混雑ではない(とはいえ、やはりけっこうな人出だった)。

清水寺

 去年の今頃はイギリスのルイスやデンマークのコペンハーゲンにいて、春の訪れをかすかに感じ、友人、知人とともに過ごして喜ばしい気分になったことを思い出す。今回も京都で豊かな時間にしばらくひたることができた。お供してくれた吉岡さんには感謝である。

 

2003年2月25日


 「ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)」や「ハリー・ポッター」などでファンタジーが何度目かのブームを迎えている。後者は関心もないので何も知らないが、「指輪物語」は日本語訳が出始めた60年代終わりから70年代にかけて、日本でもカウンターカルチュアーがはやりであったので、よく見聞きした。東京にたしか「ホビット村」なるカフェ(?)があったり、あるいは当時のロックバンド、マウンテンのアルバムのモチーフとなっていたりで、興味をもって翻訳をかじったことがある。

 でも私にとってはやはりウィリアム・モリスだ。工芸デザイナーとして有名な彼は英国ファンタジーの始祖でもあり、トールキンやC.S.ルイス(「ナルニア国物語」の作者)にもっとも影響を与えた人だ。うれしいことに彼のファンタジーのほとんどが晶文社から最近翻訳されて出ている。

『世界のはての泉』

 私のお薦めは『世界のはての泉』(川端康雄、兼松誠一訳、晶文社 2000年)と『サンダリング・フラッド』(中桐雅夫、平凡社ライブラリ)である。前者は、とにかく筋立てがおもしろく、謎が謎を呼び息もつかせず読ませるが、それらが破綻なく構成されて、もっとも完成度が高い。後者はだいぶ前に読んだので(ずっと絶版でやっと最近平凡社から再刊された)、くわしくは覚えていないが、密度の高い傑作で、しかも流麗な訳文であったことだけは記憶に残っている。この二つを読めば「ハリー・ポッター」も「指輪物語」もいらないくらいだ。

 私も本音をいえばファンタジー作家になりたかった口である。その想像力が高じて哲学の世界に行き、今は仕事に追われて書く必然性も時間もない。もしそういう必要があれば書く自信はもってはいるが、人生はそうはうまくは運ばない。執着心が強くなければ物事は成就せず、私などはそれがないので、多分永遠に書くこともないだろう。

 それはともかく晶文社からせっかく「モリス・コレクション」が出ているのに、ハリポタに押されてか、モリスの作品が評判になるようなこともない。でも本物とはそういう運命なのかもしれない。

 

2003年2月11日

 2月の2日から9日までタイに滞在してきた。Global Community Garthering 2003 に参加したのである。これは3年前のアメリカでのフリースクール大会に参加した有志が、議論ではなく交流をメインにしたものをということで企画され、今年で3度目ということだが、フリースクール関係者ではない私は、前にも書いたように、児童劇団を「夢を織る家(Ban Thor Phan)」にもっていくプロジェクトを企画したので、その下調べにいったわけである。

 後半の3日間はBan Thor Phanに滞在し、ナートさんにも会ってきた。プロジェクトの話をするととても喜んでくれて、再度友情を暖めてきた。

ナートさんと再会を喜ぶ

 タイは初めて行ったが、田舎は40年前の日本を見るようだった。もちろんバンコクなどの都会は高度成長も華々しいが、その分どこにでもあるような風景で異国情緒もない。Ban Thor Phanのある地方でも、自然といい暮らしぶりといい、あまり違和感はなくエキゾチックなものもとくに感じない。やはりアジアは共通点が多いと感じた。ここを旅する人は物価の安さなどが主因ではないかという気がした。

夢を織る家(Ban Thor Phan)

夢を織る家(Ban Thor Phan)の子どもたち

 去年の今頃は雪のデンマークにいて、今年は常夏のタイである。身体がいきなり夏に慣れるのもたいへんでけっこう疲れが残ったような気がする。ついて早々に足を怪我して、あまり楽しめなかったのが残念だが、おかげで休めた分無理をしないですんだのかもしれない。

 旅行好きではない私にタイの縁ができたのも何かの必然であったのだろう。今後どのように運ぶのか、デンマークのように深いつながりとなるのか、今後の展開が興味深い。

 

2003年1月18日

 今年もはや18日が過ぎた。初詣は今年は小倉の八坂神社になった。去年は京都の下鴨神社だった。要するにたまたま正月に思いついたときに近くにあった神社というわけだが(厳密にいうと二日に近くの土地神にいったのが初詣か)。

 ここに行ったのは、デンマークの友人のJetteが流産の危機にあったときに、ここの安産のお守りを送り、無事に女児を去年の11月に出産したということもあり、そのお礼も兼ねてである。

 スサノヲと大国主命などを主神とするというのが興味深い。いずれもまつろわぬ神の範疇に入るからだ。何かしら私と縁があったのもそういうところからだろうか。

 

2003年1月1日

 新年が明けた。おだやかな元旦だった。
 今年は翻訳などやることがつまっており、家族は帰省したが、一人家に残った。元旦はさすがに雑煮くらいは食べないと正月らしくないだろうということで、ありあわせのもので自分でつくってみた。ブリが必ず入るのが玄界灘流だ。


 料理などめったにしないが、それでもなぜか器用なのでつくれば上手にできる。自画自賛であるが、今回の雑煮も適当につくったにしてはかなりうまかった。

 昆布をしばらく水につけ、その後イリコ、カツオ節でダシをとる。本来ならシイタケも使うし、ダシはブリの頭でとるのだが、どちらも台所になかった。あとはブリの切り身やエビ、ネギやハクサイなどの野菜を入れて、うすくちしょう油とミリンで味を調えるだけ。手元に材料があまりなかったので、たくさんは入れなかったが、あれこれ豊富に入れるのが玄界灘の漁師流である。カシワも使うとうまいが、私が好きではないので、これは入れなかった。

 近所のスーパーで買ったおせちの折詰とおとそとあわせ、明けましておめでとう、である。仏壇にもお供えして合掌。天国の父母にもいただいてもらう。一人ながらけっこう優雅な気分で迎えた正月だった。

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