2006年6月14日

 相変わらず忙しい日々が続く。仕事ももちろんだが、今年はグルントヴィ協会の会合が6月、7月と続き、夏にはスタディツアーもあるので、この時期はその準備でも忙しい。

 少ない休みを工夫して、映画を知人の女性と見にいった。「ナイロビの蜂」である。新聞の映画評で好評だったこともあるが、内容的にアフリカの医療援助の実態が背景になっていると聞いて関心もわいてきたのだ。

 基本は夫婦愛を描いた純愛ものだが、社会派のドラマでもあり、サスペンス味も加え、また芸術的な映像美もところどころに入れてあり、音楽もいいというとてもバランスのよい映画であると感じた。芸術性とエンターテインメントの調和が取れている。さすがイギリス映画というべきか、ハリウッドならもっと大作エンターテインメントにするだろう。

 エキストラの現地の住民たちはみなそこに住む人たちで、いわばドキュメンタリー映画であり、映像にウソはない。子どもたちの姿がほほえましいがあの過酷な現実を生きていると思えば、切なく思い気持ちになる。

 同時期に封切りされた「ダ・ヴィンチ・コード」に押されて、ほとんど話題にも上らなかったようで、私たちがいったときは100名ほどの客席に二人だけで、まったくの貸切状態であった。しかし、こういう映画こそ多くの人に見てほしいと思う。

 

2006年5月31日

 毎週火曜日には太宰府の筑紫女学園大学に講義をしに通っているが、帰り道は太宰府天満宮と光明禅寺を通ることになる。天満宮はその儲け主義の姿勢が神社の風上にもおけないなと感じられ、神道を知る者としてはあまり寄りたくないと敬遠しているが、光明禅寺はその庭がすばらしいので、時間のあるときは寄ってゆったりと眺めている。新緑がひときわ美しいときなので、忙しい中の閑として心も身体も癒される。ここは天満宮の隣にありながら、観光客はきわめて少ないのである。

光明禅寺の庭

右は茶室

枯山水

 30日はやや蒸し暑い日だったので、茶店によってアイスクリームを食べた。これが当たりで、幕末には旅籠屋をして薩摩藩の志士たちを泊めたという伝統ある店(松屋)だった。月照上人も鹿児島で青春を過ごした身には、なじみのある歴史的人物だ。そういう由緒ある庭を眺めながら抹茶アイスを食べるとは何ともいえない味わいで、これで500円は安いと思った。

庭とアイスクリーム

 去年の6月には飫肥を訪ね、趣きある商人屋敷跡の店(服部邸)でシュークリームを食べたが、それ以来の風情を感じる午後のひとときだ。そのまた昔には奈良の旧志賀直哉邸に併設された喫茶でアイスクリームを食べたことも思い出した。これも5月で奈良らしいのどかな青空が拡がっていた。何だか甘いものばかりの思い出というのが私らしいのだが。

 

2006年5月26日

 このところ忙しい日々が続く。16日と21日に講演をしたので、休みなどもつぶれたということもある。しかし、こういうものはよい人々の出会いがあり、関心ある人たちとの語らいなので、仕事よりもはるかに充実感があり、むしろ歓迎すべきことだ。6月にも二つあるが、きっとすばらしい人たちが待っているだろうから、楽しみだ。

 ところで最近中古の iMac を入手した。99年の初め頃かに、友人がパソコンを買いたいというので当時大人気であったこれを勧めた。7年間使われ、さすがにメモリが不足したり、遅くなったというので Windows機に買い換えたのを機に、古いものを譲り受けたというわけである。

iMac(ブルーベリー)

 整備すればまだ立派に動きはする。用途は限られるが、古いソフトを動かしたりするにはうってつけだ。CRTや内蔵電池の寿命があるので、長くは使えないが、そのときには部品の再利用もできる。

 私自身は iMac シリーズは一台も買ったことがない。拡張性が低く、自分でグレードアップできないというのが一番の理由だが、デザインの秀逸さはもちろん認めていた。今でも決して古くさくはなく、部屋のインテリアになりうる数少ないパソコンである。

 この iMac も役割を終え、余生を私のところで過ごすというわけだが、大事に使ってやりたいと思う。

 

2006年5月4日

 ちょうどよい頃合いではないかと思い、また八所宮の藤を見にいった。素晴らしさをわかってもらいたく、フォトアルバムにしてみた。それにしてもバイクで風を切るのが心地よく、全身で青葉の香りを感じる。これだけ温度が上がれば、次は釣川でカヤックに乗ってみるつもりだ。

 

2006年4月30日

 新学期が始まると忙しい。今年は大学をいくつかかけ持ちで回っているので、その分が身体に応える。このペースに慣れるまで少し時間がかかりそうだ。その他にも雑事で全然暇がない。軽い風邪を引いてしまったので、わずかの休みはひたすら休養につとめた。それでも完治していないので、何となく身体がだるい。

 この時期は天気もよく変化するので、好天と休みがうまく重なるのはあまりないと思い、今日は八所宮の藤の花を見にいった。家族はそれぞれ都合があるので、一人だけで、弁当を花の下で食べた。例年より遅くてまだ五分咲きといったところで、まだ連休明けも見られるのが楽しみだが、それにしても疲れで落ち込んでいた気分が晴れ、身体にも新鮮な気力がみなぎった。ほんとうに「マイ・ヘヴン」という感じだった。

八所宮の藤棚

藤とツツジ

 

2006年4月16日

 しばらく間が空いた。この間いろいろなことがあった。
 花見は6日に家族で行く。去年は天気と休みの関係でたしかいってなかったような気がする。この花見がすむと次は藤の花見が待っている。

花見の桜

 8日と9日はグルントヴィ協会春のセミナーをする。一年ぶりに会う人も多く、気持ちのよい交歓が続く。ほんとうにいい友人、知人たちをもつことに感謝したい気分だ。

鳥のオブジェつくり


 今年は美術と音楽のアートをメインのテーマとした。みなで鳥のオブジェをつくったり、インスタレーションを行ったが、私はサービスで、リコーダーコンサートもした。古楽を聴き、ブリュッヘンを初めとする著名な演奏を前から耳にして、自分もこんなに上手な演奏はできなくとも何か曲を弾いて親しめればいいなと思っていたし、「リコーダーJP」の考え方にも共感して、一昨年からときどき自分で弾いたりしていたのだ。リコーダーJPの伴奏CDをバックに、ヘンデルやバッハの曲に挑戦してみた。下手の横好きの域を出ないが、ダウランドの「涙のパヴァーヌ」はドイツ留学時代のフランクとの思い出もあって、この曲を演奏できたのは何かしら一つの感慨があった。


 九州国立博物館


 16日は、九州国立博物館で行われた友人の劇団道化の博多にわかの上演にいってきた。ぜひ来てほしいと誘われていたので、それならとはせ参じたのだ。代表の篠崎さん、制作部長の中村さんとも会い、少し近況を聞く。新作は特攻隊で知られる鹿児島の知覧を部隊にしたものだそうだ。
 彼らは去年の一月に火事に会い、稽古場、事務所一切を失ったが、ファンの応援を受けて再建し、元気に活動を続けている。タイにもいっしょにいった仲間でもあり、大いに応援していきたい。にわか自体はたいへん面白く、上手な演技に観衆も拍手喝采。私も実際に元気な姿を見ることができてうれしかった。

劇団道化の博多にわか「泥棒先生」

 

2006年3月29日

 春の休みでのどかに過ごしているが、今日と明日は寒の戻りらしい。桜も場所によってはほぼ満開になってはいるというのに、別のところではまだ三分咲きと今年は差異が甚だしい。

 散歩がてらに通る道には麦畑があり、麦の穂が出ている。この場所だけは昔住んだドイツを思い出させる。ちょっと田舎に行けば大きな並木と土手があり、その向こう側にはどこまでも麦畑が拡がっていたものだ。

麦畑

 養蜂所にある菜の花も満開である。この中に紛れ込むと自分が蝶かミツバチになったような気持ちがする。

菜の花畑

 こういうのどかで懐かしい印象は、そうだ、子どもの頃の遠足で野山にいったときの春うららのあの感じだと思い出した。小学生の頃は、遠足の日だけはお菓子をたくさん買ってもらえるので、それが楽しみだった。裕福な今の子どもはチョコレートなどのお菓子はいつでも手に入り、珍しいものでもないので、あの稀少性の価値をわからないだろうなとも思ったりする。

 中学の遠足では、思春期のせいか、丘の上の草むらに寝ころんで、空を見たり、友人のもってきたラジオの音楽を聴くだけでも、爽快な気分になった。啄木の有名な短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」を地でいくような体験だった。あの頃の幸福感は二度と戻っては来ないだろうが、しかし、この今の平穏もそれはそれで素敵な瞬間なのかもしれない。

 

2006年3月18日

 昨年12月にすごく冷え込んだこともあって、今年は桜の開花が早くなるという話もあったが、11日に近くの森に行くと日当たりのよい場所にある桜がすでに咲いていた。しかし一種の狂い咲きのせいか、まだらであまり美しい咲き方ではなかった。

桜の花

 17日には、佐賀県庁前に行って、11日から続けられている玄海原発のプルサーマル利用反対の座り込みに行ってきた。座り込みといっても音楽あり、談話ありののどかなものだが、旧友が多く参加しているので、私も行かないわけにはいかない。十数年ぶりに会う人もいて、懐かしい再会の場となった。

アイルランドの音楽演奏

 

2006年3月7日

 今日は4月中旬の陽気ということで、また外に出て、野を歩いてみた。鎮国寺に行くと梅や緋寒桜、桃の花で一杯である。老人ホームからと思われる人たちと介護のスタッフがのどかな春を楽しんでいた。

緋寒桜

桃の花

鎮国寺

 少し足を伸ばして海の方に行くと、ひねもすのたりの春の海で、堤防で昼寝をしている人もいた。とても気持ちのよい午後であった。

春先のさつき松原

 

2006年2月26日

 めっきり春らしくなって、スクーターで風を切るのが心地よくなってきた。前は寒くて出る気もしなかったというのに。

 天気がよいのでいつもの散策をする。農家の畑のわきに植えられた梅が満開である。足下には春の野草のホトケノザもある。寒すぎず暖かすぎずちょうどいいくらいの空気の中を、さわやかな早春の風を受けて歩くのはほんとうに気持ちがいい。

 この季節に森の中を散歩するといつも思い出すのは、88年の4月のドイツ、ジーゲンの森の散歩である。初めての海外生活、慣れるのに必死で余裕がないときに、当時いろいろ助けてくれた神学部の助手ウルリヒ・ハッペルがジーゲンの自宅に招待してくれて、泊まりがけでいった。翌日住まいの近所にある湖畔の森に案内してくれて、彼の妻、子どもと散策をした。やや肌寒いくらいの気温だったが、日差しは透明で、空気は澄み切って、彼らの親切とともに深く心に残る風景だった。

 菜の花はまだ満開までは時間がありそうだったが、3月になればすぐに春たけなわとなるに違いない。

梅の花

ホトケノザ

 

2006年1月24日

 23日夜に小倉にバレエを見にいった。毎年冬恒例のレニングラード国立バレエ団の「白鳥の湖」である。バレエ・コンサートはドイツで見たことがあるが、本格的な全幕物は初めてだ。一番安い席だったので、オペラグラスというか双眼鏡を入手してときどきはそれで見た。ニコン製のかなりいいものだったので、まるで目の前で見ているかのように充分楽しめた。

 とくにバレエファンというわけではないが、大学での講義でときどき表現論・舞踊論をやることもあり、またこれまでときおりはそうした活動をする人たちと出会ってきたこともあって、バレエも本格的に見ておかないといけないという気がしていた。そういう意味ではちょうどよい機会だったといえる。

 ジークフリート役の男性ソロイストが動きが重く、ジャンプもあまり高くなくて、これで主役なのかと思う出来だったし、楽団もふつうのオーケストラよりも明らかに下手な演奏だったが、それ以外はけっこう満足している。新聞に、東京であったマリンスキー劇場オーケストラの「指輪」四部作のコンサート評があったが、演奏はあまり洗練されていないと書いてあった。バレエ団のオーケストラはやはり一ランク落ちるのだろうか。

 ドイツ留学時代、主だった都市にある公立バレエ団のオーディションを受けるバレリーナたちと知り合うことがままあった。数年前も、エッセンのアラビア・レストランで徳橋ナオさんという日本人バレリーナに会ったことがある。彼女は当時はオランダのアルンハイム・バレエ団所属だったが、今はハノーファーの州立バレエ団に属しているようだ。出世していることがわかり、ひそかに喜んでいる。

 デンマークのコペンハーゲンの王立バレエはクラシックバレエをつくったロシアの様式ではなく、それ以前のロマンティック・バレエの古い振付を今に伝える唯一のものだという。ロシアと並んで近代まで舞踊の民衆的伝統が残った国であるので、そうした継承が可能になったのだろう。次回はぜひこの王立バレエを見てみたいものだ。

 

2006年1月8日

 新年も穏やかに明けた。その後は寒波が来て北日本はたいへんなことになっているが、幸い九州ではそこまでの被害はない。これ以上ひどくならないことを祈るばかりである。

 2日には家族で恒例の初詣に出かけた。宗像だとすぐに宗像大社になるが、それよりは近い八所宮にいつも行っている。ここも由緒ある神社だ。

八所宮の参道

八所宮

 一年の計は元旦にありというけれど、とくに今年はさしあたって何かをせねばというものはない。デンマークの偉大な教育者クリステン・コルの著作の訳本を出すくらいか。生活もだんだんと苦しくなってきているので、家族がそれなりに大過なくすごせれば満足というところだろう。欲もなく恬然として今年も過ぎるのではないかと思う。

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