2002年2月5日

 仕事先の予備校の北九州校は小倉玉屋デパートの前にある。西小倉駅前の再開発事業でこのデパートがなくなり、小倉駅前の旧そごうのビルに移転して入るそうだ。それで現在店じまいセールをやっている。

 セールには何も関心はないが、このデパートには小さな思い出がある。それは中学二年生のときの修学旅行でこのデパートによって買い物をし、その前後に近くのNHK北九州放送局に見学に寄ったのだ。

 離島から出てきた中学生の私はたしか島にはないような大きなプラモデルを買ったと思う。ただそれだけの思い出に過ぎないのだが、その建物がなくなるというのは思い出がますます遠くなるわけで、若干の感慨がないわけではない。

 

2002年1月22日

 先週もわりと忙しかった日々が続いた。職場の会議で京都へ行き、よる遅くかえってきて翌日は早朝に佐賀に行くという具合である。

 京都では留学時代にヴッパタール大学でいっしょだった工藤和男先生(同志社大学)のお宅にお邪魔した。13年ぶりくらいにはなる。奥さんのすばらしい手料理を味わいながら、よもやま話をする。とにかく工藤さんご夫妻は人柄がすばらしく面倒見もいいので、学生は幸せだろう。ちなみにお二人はあのベルリンの壁が開いた当日にベルリンを訪れたという歴史的な瞬間に出会わせた強運(?)をおもちである。

 工藤さんの大学での講議が終わるまで同志社大の近くを散策した。以下はそのときのスナップ。

相国寺
(金閣寺、銀閣寺を所有するので
京都では一番景気のいいお寺とか)

相国寺の末寺の一つ

上の寺の苔庭
京都らしい雰囲気だ

 佐賀での楽しいワークについてはこちらを見て下さい。

2002年1月13日

 新しい年が明けて仕事で忙しい日々が過ぎあっというまにもう半月程たった。よくいわれるようにほんとに月日の経つのが年々早くなる。この10年は何をしていたわけでもなく過ぎたという感じだ。

 予備校はおおかたは12月、大学の講議も1月でおしまいだが、若者を相手にしているというのにあまり覇気も伝わってこない。もちろん彼らは内面で燃えているのには違いないが、かつてのように大人にそれを表現するというのではなく、若者同士でしか表すことがなくなったようだ。世代間のギャップがひどくなるのは近代化の進展に必然的なものだろう。

 非常勤でいっている九州女子大の最後の授業で、せっかくはちきれんばかりの若さをもっているのだからもっとその雰囲気を講議で出してほしいということで最後に記念写真を撮った。広告写真などで若い女性が5〜6人闊達に歩いている場面だけでも迫力満点で、人間というのはたんなる身体だけでも集団ではときに美しいからである。ふつうに撮るとおとなしくなるので、手を広げさせるなどのポーズをとる。そうするとあきらかに若者らしい魅力が出てきた。

 このクラスはわりとまじめでミニレポートもいいのが多かった。講議内容の感想を見ても好評だったようでいい学期が送れたと思う。彼女らとの思い出の写真ということになるだろう。

(クリックすると大きくなります)

 

2001年12月14日

 12月9日に東京府中市で行われた辻信一さんの出版記念パーティにいってきた。有名人もけっこういて田舎者の私にはちと苦手な場ではあったが、さすがに辻さんの友人たちだけあり、有名人だからといって尊大な態度をとる者はあまりいなかった。

左から辻さん、中村敦夫さん、中村隆市さん、
手前右が本多勝一さん(クリックすると大きくなります)

 特筆すべきはこの会場のカフェ・スローである。わが国でも珍しいオルタナティヴ・カフェといえるかもしれない。

 ドイツにいたとき、エッセンにはツェヒェ・カール、ベルリンにはUFAファブリーク、ボッフムにはバーンホフ・ランゲンドレアなど、オルタナティヴ・カフェなるものがあちこちにあった。これは既成の使われなくなった建物(学校、工場、駅舎など)を自分たちで改築して、カフェや舞台、映画館、セミナールーム、自然食品店などをつくり、市民運動的催しやコンサート、ディスコ、演劇、映画会などの様々な企画を行っていた。ドイツの主だった都市には必ず一つはあるといっていいものだった。

 日本にはこういうものがほとんどなかったので、うらやましい気がしたが、カフェ・スローはそうしたオルタナティヴ・カフェとしてこのような会合やコンサートあるいは市民運動の出会う場となっている。本家のドイつでは長い年月が経ち、批判的精神を失いつつあるけれども、カフェ・スローは環境保護運動の中から生まれてきたので、今後にも期待ができそうである。

 

2001年12月4日

  しばらく間が空いてしまった。例年11月は予備校のテキスト関係の原稿で忙しい。今年はおまけに別のものなども重なってしまった(こちらはまだできていない^^;)。雑用(といったら失礼か。それで生活させてもらっているのだから)の原稿書きに追われて、依頼されている本や翻訳などがぜんぜん進まない。

  友人や知人が自分の著書や活動を記したものを寄贈してくれる。そういうものを見るとこの人たちはちゃんとやるべきことをやっているのだなあと感心し、啄木ではないが「友がみな偉く見える日よ」的感慨にふけるのである。

  年を重ねるたびにどうもナマケモノになっていけない。根が自堕落な性分だから、若さを失って身体を動かすのが億劫になるにつれて、どんどんその生来の傾向に拍車がかかる。今年は4月に足をねんざして以来、歩いたり何かをするのができない日々が少し続いて、そのときに怠け癖が強くなった気もする。

  同時にこの年になると自分の育ちというものを痛感せざるをえない。都会のサラリーマン家庭の育ちの人は職業倫理や組織性のせいかはなはだ勤勉であると思う。新興住宅街に住むと子どもの育て方一つでそれがわかる。基本的に子どもも勤勉であるし、塾通いやスポーツクラブなどに通うこともあまりいとわず、熱心である。

  私は対馬の漁師の育ちで妻は鹿児島の山奥の過疎の農村の百姓育ち。こういう家庭だとどうなるか。ぜんぜん勤勉でなく、その日暮らしの場当たり主義なのだ。鹿児島の言葉にある「テゲテゲ(たいがい、適当)」を地でいっている。たしか沖縄にもこれと似た言葉があり、人気を博したNHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」にも出てきたような記憶がある。あくせくせずにのんびりゆっくり、人生何とかなるだろうで日がなゴロゴロしているのだ。

  ドイツにいたとき、アラブの連中と気があったのも、彼らもこういう暮らし方をしていたからだ。何をするでもなく、だらだらとおしゃべりをし、お茶を飲む。腹が減れば食事を適当につくる。同じ寮のドイツ人はフィットネスクラブに通ったり、バイクのツーリング、あるいは部屋の模様替えをして本棚を自分でつくったりして甚だ勤勉だった。日本の都会人と同じで、趣味をもちきちんと実践して無駄な時間があまりないのだ。アラブ人たちはどうかといえば、基本的に趣味のクラブに通うことなどはせず、身内、仲間の狭い人間関係それ自体が自由な時間を過ごす場だった。

  おそらく都市化されていない社会では、人に誇るような趣味などはあまりなく、ただおしゃべりと団らんぐらいが楽しみなのだろう。うちの家庭も親が気の利いた習い事などしたこともないし、家にそんな雰囲気もなかった。仕事や学校が終わった時間はテレビを見るか、飯を食うか、だらだらする時間だったのだ。

  そんなだらしない生活をした私なので、うちの家庭もぜんぜん積極的で勤勉な雰囲気がない。だから子どもも勉強はしないし、習い事もせず、だらだらとテレビを見るかテレビゲームでだらだらと遊ぶかである。おかげで何のとりえもない子どもとして学校では友だちの尊敬を受けることもなく、どちらかといえばいじめの対象としてバカにされまくっているような感じだ(苦笑)。

  フーコーを例に出すまでもなく、近代社会は時間や身体の管理をうまくしたもの、つまり勤勉な者が勝ちの世界だが、私は田舎育ちとしてそれに反発し、あいかわらず前近代的なだらしない生活を送っているのだが、まわりがみな厳しい競争を勝ち抜く努力をしている中で、子どもが取り残されていくのを見るとうちは滅びゆく人間の種類に入るのだなという気がする。

  ただ救いは田舎者の家庭ゆえにそうしたことを敗北であるとか負けであるというような暗い気持ちで受けとらないことだ。実際全然困っていないのである。場あたり主義なので、その場をうまくしのげれば「よかったね〜」で和気あいあい何事もなかったかのように家族でだらだらする。明るい貧しさ、明るい悩みというべきか。

  それにしてもなぜ今の日本ではこうしてあくせくときまじめに生きないといけないのだろうか?  

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