2011年12月21日

初冬の宗像

 あまり好きではない12月になり、もう20日以上過ぎた。何もしたという実感のないうちにもう年の瀬である。しかも、今年はたいへんな年であったにもかかわらず、世間の役に立つことを何かしたという実感のないままに2011年も暮れる。何だかいやになる。

 予備校のレギュラーの授業は7日で終わった。その後も講習会などがあり、とくに年明けがきついが、とりあえず一段落がついた。例年どおり、最後の授業は詩の朗読とリコーダーコンサートをする。年々感覚のギャップが広がってはいるが、若者たちはどう感じただろうか。

 筑紫女学園大ではドイツ語の授業をしている。この時期になるとテキストには季節ネタでドイツのクリスマスの記事がある。これもこの三年来つづけていることで、シュトーレンをもっていき、みなで分けて食べた。日頃はやる気のない学生もこのときだけは目に生気がよみがえる。今年の一年生のクラスには向学心のある学生が多いので、彼女たちにはよいご褒美となった。

 今年にかぎらず、ずっと留年や休学を繰り返していた学生がたまたま出席したときは、彼女たちに働きかける。自分が認知されたということでまじめに出てくれて、授業態度までよくなり、一番前に座って熱心に予習までしてくる。大学の講義は味気ないが、再び留年しかねなかった学生たちを少しでもそれから救っていることが自分の役割と思えば、少しは意義はあるのかなと思う。

 14日には仕事帰りに小倉のイルミネーションを見てくる。毎年のことながら、両親に連れられてきた小さな子どもたちの喜ぶ様子がうれしい。イルミネーションをバックに祖母といっしょに記念写真を撮る孫という光景もほほえましい。イルミネーションの意義はこういうところにあるのだろう。

小倉のイルミネーション

 20日は妻といっしょにアクロスのクリスマス・コンサートにいった。例年小倉か福岡のクリスマス・コンサートのたぐいに妻を連れていくことにしているが、今回はアクロス会員料金がとても安かったので、これになった。プラハ・バロック合奏団によるクリスマス名曲集という感じだった。

 奏者たちはチェコ・フィル、プラハ交響楽団(FOK)などの首席メンバーなので、演奏自体はとてもよかった。アンコールのときはおどけたり、上手な日本語を披露したりとサービス満点で、子どもづれの家族にはぴったりのコンサートであった。

プラハ・バロック合奏団(カーテンコール)

 ヴァイオリンのリーダーの男性はどこかで見た覚えがあった。2008年にプラハを訪れたとき、ルドルフィヌムのスーク・ホールで観光客向けの室内楽コンサートにも行ってみた。それでベートーヴェンのロマンスを弾いた人だと思う。この手のコンサートはプラハでは教会やプラハ城、博物館などで毎日たくさんあり、管弦楽団員のよいアルバイトになっている。おそらくチェコ・フィルの奏者である彼もそのとき演奏していたに違いない。

 

2011年11月29日

 11月下旬というのに暖かい。今日などは昼間は暑くて汗をかくほどだ。そのために紅葉が遅れている。

 22日は、福岡市でのパリ管弦楽団のコンサートにいった。パーヴォ・ヤルヴィが音楽監督に就任してのお披露目公演である。技術的にもすぐれたコンサートだった。エッシェンバッハ時代はパッとせず、フランス国立管弦楽団の後塵を拝したといわれたパリ管であるが、ようやくまたトップに戻ってきた気がする。さすがはパーヴォである。

パリ管弦楽団

 帰りには博多駅でのイルミネーションがきれいだったので、少し写真を撮ってみた。

博多駅前のイルミネーション

 26日は、九電前の脱原発テント村の専従ともいえる上條君と6月までの専従役であった柳瀬さんを誘い、トルコ料理店でケバブなどを食べた。この二人がいたからこそテント村はもっている側面がある。彼らの労をねぎらうための席である。好漢二人を前にして、いろいろと語り、気持ちのよいひとときであった。

 27日には、毎年の恒例行事になった下関の長府の紅葉見物をした。今年は紅葉が遅いので、功山寺や覚苑寺は三分くらいの色づきでいまひとつであったが、長府庭園の方は日当たりがよいせいか、見事な色合いを見せていた。

長府庭園の紅葉

 長府庭園は実は今回初めて寄ってみた。長府の主な観光地から少し離れているので、寄る機会を逸していた。今回は目の前にある下関市立美術館で、シャガールの版画展が開催されていたこともあり、足を伸ばしたのである。入園料が200円というのは良心的かもしれない。京都の寺社にも負けない紅葉の庭を楽しみ、そして味わい深いシャガールの版画も見ることができて、実に充実した日曜日になった。

 現代絵画はそれほど好きではないが、シャガールは去年12月の絵画展以来、お気に入りになった。今年はなぜかユダヤ、キリスト教関係の文献を読むことが多くなり、聖書関連をかなり勉強し、またユダヤのディアスポラの歴史にも通じるようになった。その結果、シャガールの描いた宗教画の版画と彼の思いもまたより一層理解できるようになった気がする。

 29日は、太宰府の筑紫女学園大学の講義の帰りに光明寺の紅葉を見にいった。快晴で絶好の天気ではあったが、ここでもまだ紅葉が進んでおらず、見頃にはまだ数日かかりそうだ。

光明寺の紅葉

 11月末に紅葉を楽しむと、あっという間に師走が来て、あわただしく過ぎ去る。12月はあまり好きな月ではない。だから私にとっては実質的に11月で一年の終わりである。

 

2011年11月20日

 久々の日記更新である。この一ヶ月と10日、とくに変わったことはないのだが、何か余裕がなく、すべきことに追われた気がする。日曜日の休みがつぶれることが多かったので、気持ちのオフがうまくできないということもあるだろう。

 10月16日は、小倉のベルリン放送交響楽団のコンサートにいった。水準の高い演奏だったと思うが、テンポが遅めで今ひとつ感銘を受けなかった。河村尚子さんの「皇帝」もピアノの音がずっと硬めで、あまり陰影やダイナミックさが感じられなかった。難曲をただ弾きこなしたというだけの印象を受けた。

ベルリン放送交響楽団

 23日は父の13回忌の法要を対馬に戻って行う。兄弟とその家族が集まったが、母の妹になる85歳の叔母も来てくれて、再会を喜んだ。母の兄弟では最後の一人になる。いい叔母なので達者でいてほしいと思う

 10月31日には、水巻町の稲田さん宅に呼ばれ、北九州、筑豊地区在住のスロービジネススクールのメンバーと懇親会をした。2年前の4月にスロービジネススクールのセミナーで話をし、その続きを飲食しながらわきあいあいとしたいという趣旨だった。スロービジネススクールメンバーの中でとくに教育に関心をもつ人たちの集まりで、すでに自分たちでフリースクールも開いている。私の方がむしろ学ぶことが多く、楽しい会合になった。

遠賀川の夕方

 11月初めは、学術振興会の出版助成の書類書きで手間がかかった。5月に北九州市立大に博士論文を出し、受理されたので、本にすべく応募した。過去の実績を見ると応募数の半数が助成を受けているので、確率が高いと思ったのである。しかし、見積書を依頼した出版社の編集者にいわせるとほとんど可能性がないということで、理系に偏ったり、東大出身者など審査委員にコネのあるような人でないと無理だったりするらしい。あてにせず結果を待つしかない。

 11月10日には九州交響楽団の定期演奏会に行く。マーラーの9番なので期待も大きかった。演奏自体は大きなミスもなく、まとまっていた。とくにビオラの首席の独奏部分は美しい音色ですばらしかった。
 しかし、である。感動がほとんどなかったのだ。この空疎な感じは、讀賣日本交響楽団がブルックナーの4番をしたとき、そしてミュンヘン・フィルとティーレマンがブルックナーの8番をやったときと似ている。型通り弾きこなすだけで迫ってくる気持ちがない。
  九響ではこれまでこういう演奏を聴いたことはあまりない。下手でも感動させるオーケストラが九響であった。難曲、大曲でも、ブルックナーの6番をしたときなどはすごい感銘をしたほどだ。9月の定演のデュルフレのレクイエムも感動的な名演だった。指揮者の秋山和慶さんもこれまで何度も聴いており、シューマン・チクルス、メンデルスゾーン・チクルスはとてもよかった。なのに今回はどうして?という感じである。
 CD録音もしていたので、冒険をせず手堅くという側面もあるにしても、がっかり感の残る演奏だった。

 11月13日は、福岡市での「さよなら原発!一万人集会」である。当初は実行委員にも誘われたが、仕事などで一番忙しい時期で中途半端になると却って迷惑をかけるので、側面からの援助に徹した。一万人以上集めるために組織への働きかけもしたために、中高年が目立った集会になった。それでも福岡の新しい動きを担っている若者たち、ママたちの集団の活躍ぶりはすばらしく、よい集会とデモになったと思う。
 私は原発のある鹿児島や佐賀の市民グループといっしょにいたが、テント村にも顔出ししているので、その隊列にも顔を出した。テント村の中心の一人、上條君は重いテントの笠をもって歩いており、そこに加わると「交替しませんか」といわれ、代わりにもってみる。これがかなり重く、これをもって9月の東京の5万人集会に参加した上條君はたいしたものだと実感した。
 うれしかったのは、6月頃までテント村の常連であった柳瀬さんと再会したことだ。この間埼玉に出稼ぎに行っており、会えずじまいであったが、久々の再会を喜んだ。グルントヴィ協会の人たち、職場の同僚、鹿児島、水俣、佐賀の友人、知人たちと会い、充実した一日になった。

一万人集会に集まった人々

出店の一つ。ボール投げ遊び。
九電社長や佐賀県知事などの写真が的になっている(苦笑)。

 

一万人集会(動画)

 18日は高校時代の同級生に誘われて、福岡市美術館でやっている「北京・故宮博物館展」に行く。中国はあまり得意ではなく、知識もないが、清の皇室のさまざまな道具、衣装が展示され、西太后の知名度もあって、おばさんたちがたくさん訪れ、会場はすごい人出だった。こういうものを見ると日本はほとんど中国の影響下にあったことがよくわかる。中国人が日本の美術品、建築物を見て、みんな真似だとうそぶくのもわかる気がした。
 あまりの混雑に辟易したので、常設展示室へ行き、市美術館の所有するダリシャガールデルヴォー青木繁坂本繁二郎などの絵を見る。わりとよい絵がここにはあるのだ。人も少なく閑静な空間になって、ちょうどよい口直しになった気がする。

 

2011年10月9日

 一月以上間隔が空いてしまった。9月は仕事や反原発活動その他で忙しく、また人との語らいや出会いもいろいろあって、その点でも充実した日々だった。

サウンド・デモの様子

 

 9月11日には、脱原発サウンドデモに出た。4月、6月のときは仕事で行けなかったが、今回ようやく日にちが合って参加できた。DJやドラム、ギター演奏の車のあとに、楽器や踊りや仮装などで続く。古いデモばかり参加してきた人間には一抹の違和感もあったが、しかし、こういうデモも楽しく、若者が多いのであれば大いにいいのではないかと感じた。

 16日と18日には、恒例の福岡古楽音楽祭のコンサートに知人と行った。16日のオープニング・コンサートのロ短調ミサは、あまり期待をしていなかったが、予想に反してすばらしい演奏だった。マタイ受難曲に比べて、親しみやすくはないので、敬遠していたが、生の演奏を聴けば、たしかにそれに劣らぬ傑作である。とくに合唱がすばらしい出来で、もっているCDをしのぐ素晴らしさに思えた。

ロ短調ミサのカーテンコール

マドリガル・コンサートの開始前

 18日のモンテベルディのマドリガル・コンサートもなかなかのよさで、声楽もさることながら、とくに寺神戸さんのヴァイオリンの音色の美しさがひときわ光っていた。今年の古楽音楽祭は当たりだと思う。

 18日は、河合塾で今をときめく小出裕章さんの講演会があり、その前に九電前の脱原発テント村に連れていった。小出さんとは、78年に鹿児島の川内市で、川内原発反対の講演会に来てもらったときに初めてお会いした。その後は99年の10月に、小倉でのJCO臨界事故の講演会で再会し、そして今回で三度目である。もちろん講演先でいろんな人に会うから、ご本人はこちらのことはよく覚えてはいない。

テント村の小出裕章さん(左)右が私

 いっしょに昼ご飯を食べる中で、いろいろと話した。40年以上、いろんな不利を顧みず、反原発を貫いた反骨の学者、今回の福島原発事故で最も信頼できる情報を流した学者として、メディアの寵児となり、カリスマ的な存在になってしまったが、ご本人は原発や既存のエネルギー浪費のライフスタイルに批判的な教員として誠実に生きてきただけのことだということがよくわかった。大騒ぎする周りをよそに、おごることもなく、淡々としており、これまでどおり誠実に、原発の危険性を訴えつづけるのだろう。

 29日は、九響の定期演奏会があり、デュルフレのレクイエムとショーソンの交響曲を聴いた。前者も、ロ短調ミサと同じく、すばらしい合唱で、大いに楽しむことができた。

 10月7日は、プラハ国立歌劇場の「トスカ」福岡公演に妻と行く。席が二階になり、左側の舞台がよく見えなかったのがいまいちだったが、歌と演奏はよい出来で、オペラの楽しみを味わうことができた。しかし、アクロスは舞台も狭く、海外公演の制約もあって、舞台が簡素で、迫力というか臨場感というか、そういうものが足りないのは、仕方がないのかもしれない。

トスカのカーテンコール

 

2011年9月4日

 今年の夏の後半は雨模様で、結局海へは30日のたった一回しか行けなかった。例年なら数回はいくのだが。さすがに30日ともなると人出はほとんどなく一組の親子がいるだけだった。風が少しあるが、波模様の海には慣れているので、すいすいと沖へ泳ぐ。泳いだあとに全身に心地よい疲労感があり、これこれこの感覚だと一人悦に入った。やはり海はいい。

さつき松原

 その前の28日は、毎年恒例の九州交響楽団の宗像公演があった。去年は2,500円だったのに、今年は500円上がって3,000円になっていた。指揮者のランクが上がったということなのだろうか。しかし、今年の指揮者の寺岡さんは、数年前北九州定演にも来られたときはやはり2,500円だった。だからそんなに差はないと思うのだが。

開演前の舞台

 肝心の演奏についていえば、リストのピアノ協奏曲を地元の音楽家である幸田裕子さんが弾いた。技術はすばらしく、宗像のような田舎町にもこれだけの技量のある人がいるのだなと感心した。ドイツの音大にも留学して鍛えた人だから当然かもしれない。それでも、日頃はピアノ教室や大学の非常勤などをしているのであろう。何かもったいない気もする。

 幸田さんはグラマラスな人で、いっしょにいった妻は、幸田さんの二の腕の肉(あるいは脂肪)が気になったらしく、見るのが辛かったといっていた。二の腕の大きなドイツ人やデンマーク人女性を見慣れた私には全然気にならず、むしろ男性からすると魅力的な肉づきだと思うが、日本女性は細さを求めるのだろうか。

 メインの田園交響楽は、後半がとても盛り上がり、大いに感動する演奏だった。九響はいつも第一楽章は下手で、だんだんとその後がよくなってくる傾向がある。第一楽章はとてもうまいが、だんだんとしらけてくる讀賣日本交響楽団とは好対照である。

 31日は夏休み最後ということで、家族で大分の杵築へ日帰りの旅行をする。去年の8月30日に寄って以来なので、ちょうど一年ぶりである。そのときにいい街なので次は家族で行こうと考えていたのだ。この日は暑さが戻り、まったく去年と同じような夏らしい日だった。勘定場の坂から武家屋敷街を歩いたあと、今年は歴史資料館にもよってみた。

勘定場の坂

武家屋敷街

酢屋の坂

 ここで興味深かったことは、江戸時代に杵築は琉球国に産業スパイを送り、トカラ列島から持ち出し禁止の七島藺の苗をもち帰り、畳表として豊後の名産品にしたという歴史である。まるで前田利右衛門や青木昆陽のさつまいもの歴史を彷彿とさせる。のどかに見える江戸時代でも、各藩は自前の産業づくりに努力していたのだ。そのためにあちこちに情報の網を張り、密かに潜り込んでもちだすこともしていた。今ほど交通・通信の発達していない時代でも、そういうネットワークがあったことを想像するとおもしろい。

 他にもここには町民歌舞伎があり、上方と交流してレベルの高い歌舞伎を演じ、城下の者たちを楽しませていたそうだ。九州の各地には村民が行う芝居、歌舞伎、文楽、能などの伝統があるが、マスメディアのない昔でも、人々は芸能を楽しみ、独自に舞台小屋をつくって、上方に習いにいき、自分たちの村に根づかせたのである。そういう意味ではわれわれが想像する以上に、豊かな文化生活を送っていたのだろう。

 またこの地方は、江戸時代が生み出した独創的な学者で、八戸の安藤昌益とならぶ世界的なレベルの高さをもつ学者、三浦梅園が活躍した場所でもある。彼の書は難解で知られ、まだ手を出していないが、一つ読んでみようかという気になった。地方を訪れ、その地がもつ思わぬ豊かさを発見するのは、想像力がどんどん拡がって楽しいことだ。

 

2011年8月26日

 8月も下旬になり、もう夏の盛りを過ぎた。今年は10日をすぎるとずっと雨模様で、夏らしい天気が少ない。20日前後は秋のような涼しい日もあった。過ごしやすいのは歓迎だが、雨はいやだ。

 5日に56歳の誕生日を迎えた。家族で近くのレストランに行き、食事をするのが例年のならわしだ。6日には講演があるので、5日夜は準備に忙しく、今年は6日にいった。

レストラン・ハイポー

 その講演は、志免町の平和教育セミナーで、例年は原爆や反戦の講演らしいが、今年は福島原発事故もあって、原発の話をしてくれということで、協会の会員でもあるNさんが依頼をしてきた。子どもも来るということで、アニメや映像をたくさん使い、原発のしくみ、世界の被曝者、福島原発事故による放射能汚染の問題などを語った。70名ほどの参加者で、協会会員も4名きて下さり、よい会合になったのではないか。

 それにしても、原発も放射能もかつては運動にかかわる人しか情報をもっていなかったが、3月以来、新聞やテレビ、雑誌で多くの情報が流され、「シーベルト」や「内部被曝」などの言葉が知れわたってしまった。皮肉なものである。

 23日は非常勤でいっている九州女子大で、お辞めになる非常勤講師N先生の送別会を門司港で行った。私が幹事をして、地ビール工房を選んだのだが、理由の一つにここだとヴァイツェン・ビールが飲めるということがあった。お酒に強くない私でも飲める飲みやすい甘くてフルーティなビールで、ドイツのバイエルン地方の名産だ。ドイツにいたときにはもっぱらこればかり飲んでいた。バイエルンなら歓迎されるが、その他の地方だと「このバイエルン野郎!」などとからかわれたものだ。あいにく当日も強い雨で夜の門司港の散策ができなかった。

 翌24日は家族で、北九州市立美術館でのドニ展に行く。子ども、母子像、家族の絵ばかりで、ドニは近代画家に多い破滅型ではなく、どちらかというと稀少な、家族を愛した堅実な人だったようだ。家族や女性と行くにはちょうどよい画家かもしれない。

モーリス・ドニ「家族の肖像」(1902)

 雨の合間の晴れ間に近くの田んぼを歩く。アイガモ農法をやっている人がいて、カモたちが夕方になると小屋に上がって羽根づくろいをしている。丸々と太ってかわいい。すっかり穂が伸びて最近はアイガモの姿が見えないが、もうお役ご免で、肉として処分されたのだろうか。ちと残酷な農法かもしれないなと思ったりする。

アイガモたち

休耕田に植えられたヒマワリ

 

2011年7月31日

 7月も最後の日になった。この月はいろいろと忙しかった。梅雨が早めに明けて、夏らしい空と雲が広がったのはうれしかったが、台風以降は曇りがちで、温度も高くない。またカッと暑い日差しにもどってほしいものだ。しかし、自然はふつうに推移して、庭のカノコユリが今年も咲いた。福島原発事故の年だけに、例年にもまして何か感じるものがある。

庭のカノコユリ

 原発といえば、九電前の「脱原発九電前広場」が101日目の30日に解散集会をした。私もそれなりにかかわり、最後は口座カンパの事務をするなどしたこともあり、仕事の合間を縫って顔だけ出してみる。福島や関東から福岡市に避難した人たちにとっては、ここが一つの拠り所になっており、大きな役割を果たしていた。

福島、関東からの避難者たちのあいさつ

キャンドル・ナイト

 7月はこの数年多忙な月となっている。大学の授業や試験と予備校の夏期講習が重なり、またなぜかいろいろな行事がその合間にある。

 10日には、名古屋芸術大学で、大阪大の浜渦さんの科研グループの「北欧ケア」にかんするシンポジウムがあり、発表者として呼ばれた。他には小池直人さん(名古屋大)、中里巧さん(東洋大)と、いずれもグルントヴィやデンマークのケアの著名人で、彼らと知り合いになれたのはよかった。また尊敬すべき先輩である浜渦さんも元気そうで、何よりだった。協会の中部地区のメンバーにも声をかけていたら、4人来られ、わっぱの会の坪内さん、斉藤理事長、それに三重の神谷さんと再会を喜んだ。

 福岡におりながら、山笠は飾り山笠を見るくらいで、実際に走るところをこれまで見たことがなかった。追い山が朝の4時59分というのは、よほど興味がなければわざわざ起きて見る時間ではないからだ。集団山見せや追い山ならしは昼間に見ることができるが、なぜか今まで関心がなかったのである。しかし、13日にちょうど集団山見せを見る機会があった。思ったほど迫力はない気がしたが、本番ではないので真剣に走ってはいないのだろう。子どもたちや地域の人たちの心意気を感じ、祭りとはよいものだとあらためて思った。

飾り山笠(博多駅前)

飾り山笠(博多駅前)を絵に描く幼稚園児たち

お触れを告げる

舁き山

 コンサートは、24日のヴォーカル・アンサンブル・カペラと26日の九響の定演にいった。ヴォーカル・アンサンブル・カペラはルネサンスのアカペラをするたぶんわが国唯一のプロ合唱団である。ビクトリアとジョスカン・デ・プレを歌うというので、6月のタリス・スコラーズに続いていってみた。譜面もルネサンス方式で、書写した大きな楽譜をみなで見て、ラテン語もフランス、スペインなまりにするという徹底ぶりで、興味深かった。技量も高く、すばらしいコンサートになった。

 アンコールで一番ポピュラーなジョスカン・デ・プレの「アヴェ・マリア」を歌ってくれたが、生で聴くのは初めてである。さすがにタリス・スコラーズと比べれば落ちるにせよ、いいものを聴いた幸福感があった。

ヴォーカル・アンサンブル・カペラ(カーテン・コール)

 九響の定演は、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」と交響曲の2番という人気プログラムで人も多かった。前者の第18変奏は映画「ある日どこかで」のテーマ曲で有名だ。2番は第一楽章がいまいちで今日はダメだなと思っていたら、だんだんと演奏がよくなり、フィナーレでは拍手喝采。感動的な演奏となった。

 茨城の小山さんが水戸室内管弦楽団のCDを送ってくれて、さすがに世界的な名手がそろう水戸室内管弦楽団の演奏を聴くとそのうまさに驚嘆して、これに比べれば九響は下手だなと思わざるをえなかったが、何の何の、演奏の与える感動はけっして劣らない。これが九響のよさだろう。

 

2011年7月3日

 6月が過ぎ、7月になった。夏生まれなので、夏が来るのは大好きだ。少し前に晴天の日があり、気持ちが解放されたが、また梅雨に戻ってしまったようだ。

 6月は例年どおり、仕事に追われる毎日だった。終わり頃には、その疲れがたまっているのがわかり、日々辛うじて課題をこなすという状態になっている。晴れて暑くなれば、疲れもとれて、リフレッシュできるのもよくわかってはいるのだが。その上、今年は例の原発問題があり、九電前の脱原発広場(画像の奥、まん中の半袖シャツが私)にも毎週、水・金に顔を出すので、あっというまに一ヶ月が終わってしまった。

 23日には、この仲間たちが集まっての酒盛りがあった。毎週一日か二日はこの懇親会をやっているのだが、この日は私も参加するというので、広場を支える中心メンバーの一人であるYAさん(上の画像で帽子をかぶっている人)が、魚市場に勤める友人から差し入れてもらったという伊勢エビ、マグロ、鯛、イカをもってきた。豪勢な刺身を味わった。気の置けない仲間とわいわいやるのは楽しい。

 その前の6日も、協会の仲間の廣岡夫妻とイタリアン・レストランでディナーを食べた。彼は児童援護施設の所長でもあるので、話の中には深刻なものもあったが、旧交を温めるよい機会だった。

 7日には、職場の同僚になるYOさんとタリス・スコラーズのコンサートに行った。ルネッサンス音楽のバードやタリス、そしてジョスカン・デプレなどの音楽を聴いてきた者ならおなじみのグループだ。世界最高のアカペラ・アンサンブルという評価にまちがいはなく、静謐で揺るぎないそのコーラスに心洗われるひとときをすごした。

タリス・スコラーズ(カーテンコール時)

 16日にも九響とコバケン(小林研一郎)の定期演奏会があったが、これはチケットを買ったものの、知人に譲っていかなかった。小林研一郎氏はすぐれた指揮者であるが、彼のシベリウスは演歌調で今ひとつ食指が動かなかったのである。

 今年の福岡古楽音楽祭は声楽の特集で、バッハのロ短調ミサを始め、モンテヴェルディ、ダウランドの歌曲などがある。次はこれが楽しみだ。

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