2000年2月29日

 15日に書いたように、宮崎へ行ってきた。県のボランティア協会の人たちで準備された私の講演会だったのであるが、気持ちのよい人たちでさわやかな時間をすごすことができた。天気も春を思わせた。

 この時期には南国宮崎や鹿児島へ行くとよい。寒さにこごえて固まっていた身体が、暖かさにほぐれて、何か解放されたような安らぎを覚えるから。その心地よさが私にある記憶を思い出させた。これは長いので、日記特別 編として、別記しよう。

 日記特別 編「日の丸旅館譚」

 

2000年2月25日

 下にも書いたMacWorld EXPOであるが、写真があるので、それを紹介しよう。

 中央に写っているのが教え子の立教大生である。オジサンと女子大生というとりあわせは周りには意味深に見えたかもしれないが、残念ながら(?)何もない。彼女はとても素直な子で、純粋にEXPOを楽しんでいた。4月からはメディア社会学を学ぶためにイギリスの大学に留学するという。その目的意識やよし、である。

 ここに来るのは昨年に続いて二度目である。それまでは遠いので関心もなかったが、Steve Jobsが来るというので、にわかに興味をもつようになった。といってもわざわざ朝から並んで彼の基調講演を聞くことはしないのであるから、私は熱心なMacファンではない。

 田舎にいると幕張メッセでの先端技術の展示会と聞けば、すご〜く進んでいて、かっこいいイメージがあったが、実際来て見ると、ブースも安っぽく小さいし、大学祭に毛が生えたような感じでしかなかった。ここに来るのはG3カードが特売価格で安く買えるのでは 、というのが主な目的だが、結局買うことなくアメリカの通販で買った。何のために行ったのかわからないが、つまらなくても来させるだけの力をMacのコミュニティはもっているのだろう。

 ふだんは田舎でひっそりと暮らし、ある日突然大都会に行って、日ごろと全く関係のないパソコンのEXPOの雑踏の中にいると、そのギャップが不思議に感じた。これも私の日常の貴重なアクセントなのだろうか。

 

2000年2月23日

 18日から21日まで東京に行ってきた。グルントヴィ協会の東京の会に出席するためであるが、そのついでにMacWorld EXPOにも寄った。

 協会の東京の会の報告は協会のページに載るからいいとして、その懇親会が終って、厚木南高校通 信制のグループといっしょにさらに続きをした。今回の会合の担い手の中心でもあった彼らは、通 信制高校で出あった教員や生徒、卒業生たちのグループである。

 高校という枠組みの中で、通信制という制約の少なさを生かして、自由な空間をつくっている。いろいろな世代、境遇、職業が混じり、教員も生徒も対等に個人としてつきあい、教育や社会、人生を本音のことばで語り合い、行動している。卒業生が働く居酒屋やスナックで、みなが集まり、無理解な教員や管理職と闘う教員のグチを生徒が聞いてやり、慰めるのだという。どちらが先生だかわからない。閉塞状態の学校の中でもこのような楽しく心暖まる場があるのだ。

 

2000年2月14日

 今日の夜、宮崎から電話がかかってきた。26日にある講演の打ち合わせである。何でも地元の宮崎放送(MRT)のラジオのある番組が取材とインタビューをしたいということらしい。声に自信がなく、人に誇れるほどの実践もしていない私としては、あまりうれしくはないが、主催者の地元のみなさんにまかせますと答えておいた。

 ラジオに出るのは別に初めてではない。95年だか、私の住む地元福岡のKBC(九州朝日放送)のラジオ番組で、何と私はレギュラーのコメンテーターをしていたことさえあるのだ。「後庵継丸のもっとパラダイス」とかいう番組の「本日のご意見番コーナー」というもので、識者が時事問題にコメントをするという趣向のもの。5分程度しゃべるのだが、月に2回ほど私の出番があって、半年続いた。なまりのある私の話し方はおせじにもラジオ向きではなく(だからといってテレビ向きでもないが)、うるさくはしゃぐアナウンサーのしゃべりと好対照になる(取り残された離島対馬には古い日本語のイントネーションと語彙が残っているのだ。その奥ゆかしさは古語を忘れた現代日本人にはただの訛りと聞こえてしまう)。もっともこのコメンテーターに選ばれたのも、その一年前に一度出て、そのときの話が好評だったという理由からであるが。

 98年の3月には大阪の毎日放送がこどもの日にやる特別 教育番組の取材を申し込んできた。何でも紺野美沙子が司会をするルポルタージュで、プロデューサーの若い女性の人は、「インタビューを録画に来るかもしれません」というので、すっかり慌ててしまった。紺野美沙子がこんなむさくるしい場所に来て、この汚い部屋をバックに彼女がインタビューし、それが西日本一帯に放映されると、末代までの恥!(ったって私の係累があちこちにいるわけではないけど)とばかりに、大急ぎ何年もしてなかった片づけをしこわれた椅子や机を買い替えて(ただし近所のディスカウントストアの放出品)、大掃除をした。

 テレビカメラが来たら洋書のハードカバー(Burkhardt全集やSchreiermacher全集などが並ぶ)が映るこの角度がいいな、こちらではゴミみたいな資料が写 って印象が悪いなどと、あれこれ気苦労して待っていたら、紺野美沙子は来ずに、ただ女性プロデューサーが「下見です」ということで日帰りで、大阪からこの宗像の辺鄙なところまでやって来た。何なんだ、これは!紺野は来んの?(自爆)と私はいぶかったが、まぁこのプロデューサーの人も紺野美佐子風な知的なきれいさをもつ人だったので、許すことにしてあれこれ話すと、どうも彼らは私にデンマークの学校と文部省の取材の手配をお願いしたいらしかった。

 そこで仕方なく、デンマークに連絡をとり友人たちに頼んでセッティングをすべてした。毎日放送のベルリン支局が取材に行ったが、その後プロデューサーからは、デンマークの件での質問や調整はあるものの、結局取材はこれ一回きりに終った。たしかにいろいろ質問され、コメントを出し、それが番組にも一部生かされて、紺野美沙子がナレーションで語ってはいた。しかし思うに「紺野美沙子がインタビューに来る」なんて話は、私の協力をあおぐ手段、悪くいえば「エサ!」としてばらまかれた話だった気がしてならない(別 に紺野美沙子ファンでも何でもないが、彼女にせよ宮崎美子にせよ、あるいは吉永小百合といったタレントは知性が表に出て、そこらのタラント、いや失礼つい本音が、タレントよりも好感はもてる)。

 「編集の結果やむをえず」というプロデューサーの弁明だったが、 別に私はテレビに出たいわけではないし、出てVサインをしたいわけでもないから、それはどうでもよい。納得いかなかったのは、「紺野美沙子がインタビューに来る」というので、しない掃除と片づけをし、大枚(といっても数千円)はたいて椅子と机を買ったのに、これはどうなるの?という不条理な思いだったのである(一説によれば、だからよかったという意見もある)。

 そんなわけでこれにかぎらず私には放送に出ていい思い出があまりないものだから、宮崎からの電話にやや渋ったのである

 

2000年2月12日

 昨日、仕事で(世間は休みなのに)博多に出たとき、懸案のハードディスク(HDD)を買った。同じ日に秋葉館の通 販で購入したSCSIカードTurboMaxも届いた。このカードはネット上の情報で在庫一掃のための格安価格で売られていたので、即買うことにしたのである。カードだけ来ても肝心のハードディスクがないと意味がないので、ネット上で評判のいいIBMとSeagateのATA66対応のHDDを探してみた。博多駅周辺のDOS/Vパーツ店には在庫がないことを聞いていたため、職場への行きがけにある天神の店に直接寄る。 OAシステムズとビックパソコンのどちらにもあったが、後者の方がバルク品で4000円も安く、また東京の値段と大きく差がないので 、ここでSeagateのBarracuda ATA 20 GBを購入した。17,980円なり。まぁいい買物ではなかったかと思う。

 帰ってからさっそく換装。開いたまま古いHDDといっしょに動かし、中味を移したあと取り換える。二つとも使いたいのだが、MOをすでに入れているために、場所がない。最初は重かったが、デスクトップファイルを再構築すると快調に動き出した。さすがに回転数が7200rpmと早いので、インプットメソッドの軽いこと。ベンチマークを取ってみると、G3の350並みである。今もっているiBookよりも体感的には早い。これでG3カードを今の250から400程度に換えれば、最新のiMacかG4に近くなるだろう。この機種もあと3ヶ月経つと丸3年になるが、まだまだ第一線に準じている。

 それにしてもパソコンショップに女の子が増えた。さすがにパーツの売り場はオタクっぽい若い男か、業務用で買いに来たというオッサンがほとんどだが、それ以外の売り場では休日はとくにカップルの数が異様に多い。

 Windows95ブームの頃はいかにもサラリーマンが多く、またその後のインターネットブーム(96〜97)のときもそうだった。オジサンがソフトてんこ盛りの某フジ通 や某NEC(匿名になってな〜イ)のパソコンを買い、「インターネットはできるんですか?ネットサーフィンはできますか?」(なぜか額に汗)とそればかりを店員に尋ね、「オイオイまたエッチな画像でも見るんじゃないの」と内心思ったものだ。まったく日本のハイテクは、家庭用ビデオといい、インターネットといい、アダルトなコンテンツが普及の鍵を握っているのだ(ちと古いネタか)。

 ところが、今は様変わり。若い女性がメールをするためにパソコンを彼氏と物色する。PostPet (以下ポスペ)を見て「かわいい〜〜っ。これした〜い」 とのたまう。ちなみに私はポスペはまだベータ版が出たころにやっていた。これは最初はMac版しか開発してなかったのだ。最も早くからこれを使った部類に入ると思う。今は使っていない。相手もいないし..(でもどなたか私とポスペメールを交換してもいいとおっしゃる若い女性がいれば、してもいいです。男でもいいけど、いい年こいた男二人がポスペをやるなんて寂しすぎる気もする)。パソコン店にカップルが多くなって来ると、オジサンとしては内心「このヤロ〜、べたべたイチャツクんじゃね〜」とやっかむわけです。もちろん、紳士的な私はつとめてさわやかに振る舞い、見た目はさも理解ありそうな雰囲気で「キミタチ、健全な若者の交際に励みなさいネ」みたいなツクリ笑顔をするのであるが。

 あ、そうそう、人のことはいっておれぬ。そういえば私もMacWorld EXPO Tokyo(千葉幕張)に教え子の立教の女子大生と行くんだった(^^)。

 

2000年2月10日

 仕事柄、予備校生、大学生、高校生と接する機会が多い。演技の上手な今どきの若者であるので彼らの真実の姿がわかるとうそぶく気はないが、表面 的につきあっていてもときどきは面白いと感じるのが彼らの言語感覚である。

 彼らというよりも彼女らといった方がいい。男は概して黙って突っ立っていて、こちらが気づくとボソッと「先生〜」とつぶやくか、あるいはいきなりとうとうとしゃべり始めるやからが増えていて、余裕のあるコミュニケーション能力をしめすほどの者が少なくなった。ちとコワイ気もする。

 言語感覚の面白いのはなんといっても女子高生であり、共学の進学校ではなくて中高一貫性の女子高にユニークなヤツが多い。勉強のプレッシャーがあまりなくて、その分ノビノビ昔の高校生らしいところが残っている(まぁマセクレだけは今の方が上かもしれないが)。

 彼女らの語彙を書くと(うまく思い出せないが最近のでは)

 まぁ書いてみるとほとんど小学生か!という感じだが、実際にしゃべっているとそれはそれで場にはまっていて興味深い。「いや〜ん、おもしろすぎッ!」なんていう普通 のセリフはもっと多い。こうした言葉がさらにその場の雰囲気をよくしていくのも事実だ。

 この軽妙な言語感覚を今の実社会のオジサンたちにもってもらえると楽しいような気がする。電車などで、仕事やゴルフや野球のことをもっともらしく話している会話を聞いてもおもしろくもないが、別 れるとき「じゃ〜またねんさようならっきょ!」といって頭の薄くなったオジサンがスキップでもしながら電車を降りたら楽しいと思うのは私だけだろうか。やはりみな気味が悪いと思うだけか〜。

 それはともかく、女子高生のセリフで現代詩でもつくればユニークなものができるかもしれない。すでにやっている人がいることだろう。

 

2000年2月9日

 使っているパソコンのハードディスクの容量 が足りなくなってきたので、新たな内蔵ハードディスクを買うためにネット上での情報を収集している。パソコン部品やソフトを安く買うにはインターネットは必須だ。ある程度さがすと必ず格安で入手できるやり方がわかる。

 私の使っているものはMacintoshで、7300にG3の250のカードを刺している。このUpgradeカードももアメリカの通 販ショップで買ったもので、同じころ同じものが日本では2倍の値段だった。ソフトも古いものをアウトレクト価格で買い、バージョンアップして最新のものを入手した。7万円するものが合計で3万円で買えた。まじめに購入した人には悪い気がする。まぁパソコンマニアやインターネットをよく利用する人にとってはごく普通 の話ではあるが。

 ハードディスクも私の機種ではSCSI接続でないといけないし、Mac対応とうたっているものは限られている。しかも異常に高い!(Macは好きだが、部品の価格が高いのが欠点だ)。そこでATA接続のDOS/V用が安くて大容量 なのでこれを使う。PCIカードを使えば難なくATAに変換できる。今使っている内蔵ハードディスクもSCSI型ではあるけれど、もとはDOS/V用のバルク品だった。福岡にはMacintosh用や互換の効くバルク品、ジャンク品を売る専門店がないので、DOS/V店に行って買う。こうして私のMacintoshはかなり換骨奪胎されてしまっている。

 考えてみると、CPUカード、グラフィックカード、PCIカード、HDDなどとちまちま部品を買っていけば、それなりにお金を使う。個々の金額はパソコン本体を買うのに比べれば、1万円〜2万円程度なので、そう負担にはならないが、通 算すると結構な金額になる。そういえばここ数年服など買ったことがない。友人と外食する機会も減った。これも当然で使えるお金は一定である以上、あちこちに散財はできない(パソコンそのものが散財という意見はさておいて)。衣食を犠牲にしてパソコンにお金をつぎ込んでいる私は立派なパソコンオタク、パソコンオヤジだったのか!と気づくこの頃である。

 知人の女性が、「パソコンは大人のおもちゃ!」と喝破した。たしかにマザーボードやメモリやハードディスクなど鉄とプラスチックのわけのわからない部品を手に入れいじくりまわしては、大の男がニンマリしている姿を見れば、「大人のおもちゃ」といわれてもしかたがない。とすれば、あれこれバラしては部品を取り換えている私などはれっきとした「大人のおもちゃ愛好家」ではないか!。う〜ん、何か恥ずかしいような、うれしいような複雑な気持ちである(ちなみに言葉の本来の意味でのモノはもってないし、関心もない。でも中年になりすっかり倦怠期に入って、なまじっかな刺激では元気も出ないので、こちらの方も必要なのかもしれない。トホホ^^;)。

 

2000年2月6日

 日ごろは漫画などは読まないが、唯一毎週買っているのが「週刊モーニング」(講談社)である。90年だったか、私の授業を聞いた学生が「夏子の酒」(尾瀬あきら)の単行本 を持ってきて、「先生の話と関係があるから、知らないなら読んでくれ 」という。
  借りて読んでみるとなるほど面白い。有機農業の話や伝統文化、民俗学の話など私がしたので、それでこの漫画となったわけだ。テレビドラマにもなったので、ご存知の方も多いだろうが、知らない人のために説明すれば、幻の酒を醸造するために、これまた幻の酒米「龍錦」を手に入れて、有機栽培から始めて、酒造りをする蔵元の若い女性夏子の物語である。たんなるグルメ漫画のようであるが、そうではなく日本の農業のあり方への批判、伝統的な文化や生き様への思いにあふれ、多くの人々の心を揺さぶった漫画であった。
 そのときまだ完結してなかったので、続きを読もうと連載中のモーニングを買い始めたのが最初である。 「沈黙の艦隊」というもう一つの評判の漫画もあって、なかなか面白かった。

 「夏子の酒」にしても(今は続編で、夏子の祖母を描いた「夏の蔵」が連載中。これもいい)「沈黙の艦隊」にしても、よくできてはいるがしょせんは漫画である。ハリウッド映画の波乱万丈、アクションたっぷり、素敵なラブロマンスみたいなものだ。感動もするし、面 白いが、深みという点では乏しい。しかし、たかが漫画にもときには味わい深いヨーロッパ映画や小津安次郎の映画にも似た佳品がある。
 モーニングでいえば、「天才柳沢教授の生活」(山下和美)がそれにあたるだろうか。また最近では、「大使閣下の料理人 」 (原作西村ミツル、画かわすみひろし)にときとしてよいものがある。かつて兵士としてベトナムで闘ったアメリカ大使と彼を励ましたベトナム女性の再会の話は、そこいらの小説よりもはるかに文学的香りに満ちて、うならずにはおれなかった。この作品は正真正銘の傑作といえた。

 たかが漫画ではあるが、今ではサブカルチャーにおさまらず、メインストリームに出てきているのかもしれない。本来なら小説や映画に行くべき才能が漫画界やテレビゲームの方へ来ているのだろうかとも思う。

 

2000年2月2日

 こうして古い文章を再度見直していると、ちょうど引っ越しや大掃除で昔の新聞や雑誌をつい読んでしまうのにも似て、いろいろ思い出したり考えたりしてしまう。
 今日は「シラーの美的観念論」などをアップロードしたのだが、 これはドイツ留学時代に、Christof Jammeのゼミで発表した原稿がもとになっている。当時JammeはBochumのヘーゲル・アルヒーフの研究員で、エッセン大学に非常勤講師で来ていた。その後Jena大学の教授となり、今はまたどこかに移ったと聞いた。日本で何かの書物を読んでいると彼がヘーゲルの子孫にあたると書いてあった。どうりでヘーゲルの伝記的な実証に詳しかったわけだ。

 今日ストーブを買いに行ったついでに電器店のインターネットコーナーで自分のページを確認してみた。私はMacintoshで作成しているので、Windowsでどう見えるかわからない。Virtual PCというWindowsエミュレーターをもつのでそれで確認できなくはないが、モニターまわりはMacintoshなためこれでは充分ではない。 個人用のページはよかったが、グルントヴィ協会のページがぜんぜん色が違う。アチャーッである。
  Windowsファンには申し訳ないが、デザインとDTPの分野ではMacintoshが使われているのを見てもわかるように、Windowsは色の再現性が不正確といわれている。 Macintoshとの色の違いがあることは知っていたがここまでとは思わなかった。彩度の高い紺を使ったつもりが、彩 度の低いあずき色になってしまっている。
 多数派はWindowsなのでこれではせっかくの協会のページもだいなしだが、手もとにないので変えようもない。 それにWindowsを使う人は、モニタの画面一杯にウィンドウを開く。これにも対応していないので、画面 の構成のバランスがめちゃくちゃである。このページにせよ、協会のページにせよ、17インチモニタで680ピクセル程度の幅で見ることを想定しているので、どうかそれに合わせて見ていただきたい。

 

2000年1月31日

 この数日、個人用のホームページをつくっている。この時期仕事が比較的ヒマというのもあるが、インターネットを始めた96年以来、もともと個人用のページはもつ気はあったからだ。

 最初はHTML言語を憶えて書こうとしたが、なかなか暇がない。そのうちWYSWYGのソフトがたくさん出て、直観的にできるようになった。いくつかを試してはみたが、思うようなものはできない。それでもいいかと適当につくったのが、私が幹事をつとめる日本グルントヴィ協会のページである(ちょっといいかげんか^^;)。

 ここはコンテンツが豊富なので、見かけよりは内容重視でいけるが、中味のない私の個人ページはその手が不可能である。私はWebデザイナーでないので、見かけにこだわるほどのページは作成できない。中味も見てくれもないのではどうしようもない。結局づるづるといつまでたっても私の個人ページはできないままだった。

 私は組織と自分を一体化するような人間ではないので、協会のページはほとんど私の本来の姿を現さない。しかるに世間はやっている活動とその人を一体化してみるのがつねだ。結局これではまずいかな〜ということでこうして個人用ページを暇に任せて作成してみた。

 何ものであれ、作品を自由につくるということはたいていの人間にとって楽しみである(仕事や強制になるとこれがかなり失われる)小さいころ、建築中の家からひろってきた木材のかけらを加工していろいろつくったり、プラモデルを組み立てたりしたときのあの幸福感と同じだ。パソコンは職場でワープロで書いたり、表計算で数値ばかりを打ち込むのでは味気ないが、コミュニケーションに使ったり、こうして自分でコンテンツをつくっていけば、けっこう楽しめるツールである。

 1972年にイリイチが『コンヴィヴィアリティのための道具』という本を出してから、アメリカのハッカーたちは、この思想に共感し、そういうものとしてパソコンを発展させたといわれる。この個人ページは自己満足的な要素が強いにしても、もう一つの協会の方のページやメーリングリストはたしかに「コンヴィヴィアルな道具」になっていると思う。

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