2002年10月8日

 最近新聞やWebなどでどうも私の頭痛は片頭痛であることがわかった。いつもではないけれど、休みになると朝起きてから頭が重く、昼にはズキズキ痛み、ときとして船酔いににて気分が悪くなる。血管が拡張して痛むのだそうだが、原因はストレスや夜遅い食事などとのこと。この数年この頭痛に悩まされてきたが、たしかにそういう生活を送っている。

 胃腸病を患っていないし、心をコントロールするのは長けているので、人よりはストレスを感じていないはずと思ってきたが、別のところに来ていたわけだ。かつては全然苦にもならなかったのに、年をとると若者相手の仕事がけっこうおっくうになってきた。だから準備を入念にするようになったが、それもストレスの原因だろう。

 この年代は更年期もあればいろいろな生活習慣病が出てくる。酒もタバコもたしなまないので、生活習慣病というほどのものはないが、最近少し太ってきている。ズボンのウェストが73センチから76センチになり、体重も60キロになった。身長が173センチなのでもとがやせてはいたのだが、それでも体が重くなったのはたしかで、昔の切れがない。これからはだましだまししながら齢を重ねていくのかと思うとため息も出るが、ま、みなが辿った道であれば仕方もないだろう。

 

2002年9月29日

 今日はやや蒸したとはいえ、過ごしやすい季節になった。駅まで歩いていったら秋を感じる景色に出会った。

刈り取られた稲 

田圃近くのコスモスの花

花の合間から
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2002年9月14日

 前に奄美の島唄について書いたが、新聞などによく採り上げられてまだブームは続いているようだ。奄美びいきの私としてはうれしいことだ。ああ、はやく中村瑞希さんにもう一度会いたいものだ(^^)。
 元ちとせのCDを聴いているとシマンチュのことが思い出されてくるとも書いたが、ほんとに彼らはどうしているのだろうかと思う。
 
 新聞などで、鹿児島の南方新社が評判が高く、現在の地方小出版会社でもっとも注目を集めていると知った。社主の向原さんは知らない人ではないので気分もいい。ここはいい本を出しており、当然奄美に関するものもある。彼の前に地方出版で野心的に活躍した道の島社の「シマヌジュリ」再刊をしているのもうれしいことだ。この本の刊行には私も校正など一部お手伝いしたこともあったし、何よりも著者の藤井つゆさんの料理を食べたこともあるからだ。向原さんは道の島社の社主Hさんをある程度は意識しているのではないかという気もするが、そのHさんは今どうしているのだろうか。
 
 Hさんは新宿騒乱事件の被告であり、東洋大全共闘議長を務めた学生運動の闘士であったが、その後は鹿児島に帰り印刷会社と出版をやっていた。これも資金繰りがうまくいかなくなり、島に戻ったと聞いたが、いい本を出し、また「奄美青年同盟」などの組織で社会的な活動を行っていた。東京の奄美青年同盟の人たち(みな島出身者)と三里塚(成田空港)での反対集会やデモにいったのも今ではいい想い出だ。

 彼らは東京で小さな企業で働きながら、古いマンションの一室を借りてそこを事務所にし、いつも集まって黒糖酒を飲みながら、故郷のもの同士助け合っていた。約束するわけでもなく、仕事が終わると三々五々集まり、食事をいっしょにつくったり、世間話や相談などしながら、ゆったりと過ごすのである。ときには帰らずにそこで寝て職場に向かうときもあった。私は奄美出身者ではないが、仲間同然の対応をしてもらった。
 
 元ちとせがフライデーか何かにマンションに男を入れたという写真を撮られて、「島では知り合いに鍵を預けるのはふつうのこと」という弁明をして、都会育ちの記者たちは「そんな理由がいまどきあるものか」とうそぶいていたが、実は島の人はそうなのだ。結局は都会の人がみずからの人間関係の貧しさを告白しただけのことだ。
 
 それにしてもかつての思い出が遠い昔のことになっていく中で、南方新社の現在の活躍はまるでその復活のようでうれしいことだ。私の小さな駄文もここから出ている「子ども白書」の中に載っている。このページを見たみなさん、ぜひ南方新社の本を購読していただきたいと切に思う。

 

2002年9月2日

 暑い8月が過ぎて9月に入った。長いようで短く、短いようで長いひと月だった。週末には私用、仕事などでいつもどこかに旅しており、またいろいろな会合があって懐かしい人、新しい人に出会うなど、人との出会いはよかったといえる8月だった。

 8月の24-25日は阿蘇でうちの協会のセミナーを行い、阿蘇の景色を楽しんだ。さすがに高原で平地よりは涼しく、また看板などの多いところを避けて移動したので、雄大な風景を存分に楽しむことができた。湯布院に続けて夏の山と温泉を楽しんだことになる。

草千里

 8月30-31日には愛媛の松山と伯方島に行った。伯方島に講演に呼ばれたからだが、ここが本四架橋の一つしまなみ海道にあたるというのは行ってから初めて知った。

伯方・大島大橋

 私の祖父は広島・安芸と愛媛の道後なので、このあたりはいわば私のルーツになる。島の文化はよく似ているから全然違和感がなく、漁船に乗ってもすっかり地元の人間になりきってしまっていた。

 講演はたいした内容も話してはいないが、なぜか好感を持って受け入れられたようで、ほかのパネラーのみなさん、あるいは参加者の方々によくしていただいた。地域FM放送のインタビューなどもあり、2年ぶりにラジオに出ることになる。みなさんの見送りを受けて福山経由で戻ったが、帰るのが名残惜しかった。

バス停で見送りのみなさんと

 本当はデスクワークでいろいろやるべきことがあって、こもらなければならない8月であったのに、そちらはあまりできなかった。新聞で読んだ誰かの記事に「8月の記憶は悔恨しかない」といった趣旨の発言があった。あれこれしようと思っていたのに、それができずに後悔するというわけであるが、私も同様である。でも、いろいろなところにいって、景観を楽しみ、いい人たちと出会うことができたのは幸運であり、ありがたいことだ。そういう意味では、充実した8月だったといえるだろう。

2002年8月20日

 今年の誕生日は湯布院で迎えた。日頃家族に愛想をつかされているので家族サービスで湯布院にいったのである。ネットで適当にさがしたペンションに泊まり、その日は市内観光、翌日は由布岳を歩いた。

金鱗湖(クリックすると大きくなります)

 由布岳に登るには時間も心構えもなかったので、自然歩道を歩き、日向岳に登ったが、夏の登山が暑さと湿気で体力を消耗してすごく疲れるということを忘れていた。汗だくになりながら、文句をいう子どもをなだめ、何とか踏破した。その後の100円で入れる村民のための温泉に入ったときがこの旅の一番の醍醐味だったと思う。

由布岳(クリックすると大きくなります)

由布岳のコナラの森(クリックすると大きくなります)

 ともあれ人なみに夏を楽しんだというわけだが、今夏はそれ以外にも懐かしい人や新しい人との出会いが多く、よい日々を過ごしている。

 

2002年8月7日

 7月31日付けで島唄について書いて以降、あちこちネット上の島唄のページを調べてみると、私が聴いた美人歌手の名がわかった。中村瑞希さんである。やはり地元では有望な若い歌い手であるという。いちおういくつかCDも出している。笠利で聴いたときの隣にいた中学生くらいの少女とはユニットをつくっているようだ。二人の名をとって「マリカミズキ」(おいおい、まんまやないか!)。

 彼女もとても上手な歌い手だったが、元ちとせはそれを上まわる実績をもっているようだ。そうとうにすごい唄者だったのだろう。感動するのも当然だ。メジャーデビューで消耗品扱いにされるのが懸念されるが、かりにそうなったとしても、彼女には島唄の世界がある。きっとそちらで永遠の名声を残すに違いない。

 でも私は中村瑞希さんのファンだな。あの健康的な色気(ってオッサンそのままやん!)で、鳥肌が立つような声で島唄を唄われたら、たいていの人は参ってしまうだろう。CDの写真のあかぬけないこと甚だしいが、人柄があらわれているようで好ましい。もっと人々に認められてほしいという気持ちはあるものの、このまま島の中にだけ隠れていてほしいという思いも一方にある。

 

2002年8月2日

 今年は7月は何だかんだと仕事に雑用があって、なかなか海へ行けなかったが、やっと恒例のさつき松原にいった。画像でご覧の通り、福岡県で(おそらく九州でも有数)一番透明な海で、しかも絶景、そして人が少ないという最高の環境である。今日も10人もいなかった。平日でやや風もあったということもあるかもしれない。それでも週末にはけっこう人が増えることもある。
 
 車で15分走ればこの海に来る。夏は別にリゾートにいかずともここに来れば同じ気分を味わえる。宗像に住む一番の醍醐味である。


さつき松原。沖は地島
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砂浜も細かくきれいだし水も透明
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 この海に来るときは空の色が澄んでいるときがいい。かすんでいるときや雲の多いときは海と空の色が映えないからだ。今日はさわやかな晴れで、どこまでも澄み切ったスカイブルーとマリンブルーの調和が心地よい。私には手軽に味わえる地上の天国だ。
 
 家から行くときに通る道も景色がよく、信州か北海道で見るような雰囲気の眺めがある。田舎道なので車も少なく、自動車のコマーシャルでよく出てくるような場面(美しい自然を他にも車がなくただまっすぐに走るヤツ。現実の日本にはほとんどありえないような道であるが)を彷彿とさせる。基本的に車が好きではない私もこのときだけは運転する楽しさがある。しばらくはこの夏を楽しむことになるだろう。


家の近くの道路
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