2011年5月26日


 5月は例年忙しいが、今年も同じだ。とくに月末に大長編の論文を提出しなければならないとあって、その仕上げに追われた。仕事でもあくせくする日々が続く。しかし、今年の時間割は運よくあまり無理が来るものではないので、疲れが残らないのが救いだ。

 6日には、「ラ・フォル・ジュルネ鳥栖」にいってみた。フランスで始まり、東京で行われ、今は日本各地で盛んになったコンサート。今年は鳥栖に初めて来るというので、楽しみにしていた。一つのコンサートが1500円で45分を基本にたくさんのいろいろなコンサートがある。日頃クラシックに親しみのない人を巻き込もうということで、こういうスタイルにしているのだ。本格的なホールでのコンサートもあれば、街角コンサートや地元市民も参加するものもある。

ロビーコンサートのあと

 最初の九響の七番は、指揮者のテンポがやや遅く、昨年7月に宗像で聴いたものより落ちた。オケは同じなのに、指揮者で違うという例だ。次のシンフォニア・ヴァルソヴィアは音圧もありよいオケと思った。ミシェル・ダルベルトのピアノ、タチアナ・ヴァシリエヴァ嬢のチェロもすばらしく、初めて聴くベートヴェンの「トリプル」協奏曲は親しみやすいメロディーで、なかなかよかった。楽章毎に拍手が起きるのも、クラシックの初心者が多いということでよいのではないか。

トリプル・コンチェルトでのカーテンコール

 市は経済的活性化を意図しているようで、外のテントは九州各地からのB級グルメ市場という感じだった。値段がお祭り価格で高いのが難点だが、楽しい雰囲気は味わえた。季節も心地よく、鳥栖の街ものどかで、大都市の喧騒はない。来年もあるなら、ぜひまた行きたいものだ。

屋台で買ってテントで食べる

 16日は小倉の別府アルゲリッチ音楽祭の一部になるコンサートに行く。名手揃いなので、安心して聴けるものだ。しかし、会場が広く、室内楽向きではないので、この点が残念だった。場所によってはよい音が聴けないこともあったろう。最近、彼女がEMIに録音したもののボックスがいくつも出て、壮年期の演奏を聴くが、とにかくすばらしいの一言。この時期に聴けるともっとよかったかもしれない。

ベートヴェンの四重奏曲のカーテンコール

 17、18日は九電前に九州各地の反原発市民が集まり、抗議行動をした。私も両日とも参加した。古いつき合いの鹿児島の橋爪さんも家に一泊する。その後も仕事の合間を縫って、座り込みの場に顔を出す。職場と違って、いい人たちの醸し出すおだやかな空気が流れて、五月の風も吹き抜けて、気持ちが解放される。6月の株主総会まで継続するが、来月もまたときどき寄ってみよう。

原発立地点の県民たち

九電前での集会

 

2011年5月5日


 4月もあっというまに過ぎた。今年は3月が寒かったので、桜の開花が遅く、そして長くもった。そうするうちに仕事も始まって、忙しい毎日になる。

山田地蔵の桜

大穂の桜

 おまけに地震復興が始まったこともあり、原発反対行動も動きだした。20日から九電前に座り込みを始め、27日には株主提案権の行使と交渉を求める会合、29日はチェルノブイリの講演会といろいろ参加した。協会のウェブにもずっと原発関係の情報を載せつづけている。

九電前の座り込み

チェルノブイリ講演会

 4月17日には久留米の石橋美術館へ行き、青木繁展を古くからの友人東郷さん一家と見た。旧交を温めるための彼らとの会食がもともとの目的だが、ちょうどこの展覧会があっていたので、誘って一緒に見たわけだ。

 青木繁は久留米出身で、石橋美術館には彼の代表作「わだつみのいろこの宮」があるが、もうひとつの代表作「海の幸」は東京の石橋美術館なので、見たことがなかった。これが来るというので、寄ってみたのである。重厚な油絵ではなく、日本画と西洋画の中間のような印象を与えた。夭逝した天才画家というイメージからもっと激しいものがあるのかと思ったが、全体に柔らかさを感じさせる絵が多かった。これは技術ではなく天性のものだ。

わだつみのいろこの宮

 5月3日には、家族で門司港へ行き、日本丸を見た。去年は船内案内で乗船したので、今年は帆を張るところを見た。天気がいまいちだったが、帆を一杯に張った帆船というのを見るのは初めてなので、それなりによい経験になった。

帆をロープと滑車で降ろしていく

すべての帆を張り終えた日本丸

訓練生たち

 今年は花が遅いので、毎年の行事である八所宮の藤の花見は5月5日にした。この日は天気に恵まれ、八分咲きの藤棚の下で、昼食の弁当を食べ、至福のときを過ごす。これが私のゴールデン・ウィークの一番の楽しみであり、ぜいたくなので、もうこれで季節を十分に楽しんだことになる。明日は、「ラ・フォル・ジュルネ鳥栖」のコンサートに行ってみる。

八所宮の藤

 

2011年4月1日

 3月は東北関東大震災で、重苦しい日々だった。
  11日夜にチェコ・フィルのコンサートがあり、昼間の津波の様子をテレビで少し見る機会があってたいへんなことだと思いつつ、とりあえずはコンサートにいった。チェコ・フィルはちょうど一年前に彼らの本拠地のドボルザーク・ホールで聴いて、たいへん感銘を受けたので、楽しみにしていたが、今回は地震で落ち着いて聴く心境になれなかった。しかし、よい演奏だったと思う。

 

チェコ・フィル

 翌日になるとどんどん被害状況が明らかになり、あまりの悲惨さに声も出ない。しかも福島第一原発の事故の報道も入り、3号炉がプルサーマル利用と知って、非常に落ち込んでしまった。それ以後は、ニュースで知るとおりである。

 何とかせねばと焦る気持ちがあるが、しかし、3月は論文を仕上げねばならず、締切に追われ、何とかしたいのに何もできないというジレンマに立たされた。心ここにあらぬ状態で報道やさまざまな外国情報なども追跡して、とりあえずは協会のHPや脱原発のメーリング・リストなどで、情報を発信し、いくつか情報のコーディネイトやできる範囲の支援をして、少しでも何かお手伝いできる人には役立つようにした。結局、それで3月が終わってしまった。

 ドイツやデンマークの友人からもお見舞いのメールが来る。九州は何ということもないので、自分は大丈夫だが、東北や関東、とくに福島の人たちのことが気がかりだと返信する。

 重苦しい気持ちのままではいけないと、自分を叱咤する意味を込めて、一日数キロのウォーキングを続けてみた。今年は論文書きでヨーロッパに行けないので、かわりに地元の宗像を歩いてみたわけだ。比較的名を知られた場所(宗像大社、鎮国寺)ではなく、わりとマイナーなところに絞ってみた。昔ながらの農村地帯、江戸時代の街道筋、古刹などがまだ残っている。観光地へ行かなくとも十分に対抗できる場所で、改めて宗像に住むありがたさを知る。

以上は唐津街道の原町

大穂の民家。温泉街のような風情だ。

大穂の農家

昔懐かしい薪。今では灯油よりも高価な燃料だ。実家の風呂は薪だった。

大穂の民家は伝統的な造りが多い。

宗像に二つある造り酒屋の一つ。「亀の尾」の伊豆本店

 地震がなければ、もっとのどかな気持ちで春の訪れを楽しめたと思うが、こればかりは仕方ない。犠牲者の冥福を祈り、復興する人たちには支援になるようなことをするぞと誓いつつ、歩く毎日だった。

山田地蔵の桜

まだ咲き始め

これからが本番だ。

 

2011年2月28日

 寒い1月とは好対照に、2月は暖かい日が続いた。もうすっかり春の日差しで、色が焼けてしまった。寒さが緩み、徐々に暖かくなるこの季節は、気持ちまで高揚してくるので、好きな時季だ。

 日々の生活は大きな変化なく、仕事とその他の雑事に追われるが、一年では比較的楽な日程なので、身体も疲れない。ときどきは近くの森や海岸を散歩する。菜の花畑も日に日に花が開いてくる。

家の近くの森と池

日差しも春の気配

曇り空のさつき松原

鐘崎の菜の花畑

 13日と15日は、日フィル小倉公演九響の定期公演と二つコンサートにいった。日フィルは支援を兼ねて、この4年、毎年顔を出してはみるが、そんなにうまくはないと思う。聞くところによるとメンバーの入れ替わりが頻繁だそうで、市民が支えるオケである分、財政的に厳しいのだろうが、いいメンバーが去り、質が落ちて、客が来なくなり、待遇が下がって、またメンバーが去るという悪循環にならないことを祈るだけである。

 九響は、日フィルよりは行政や企業の補助が手厚いようだが、それでも九州という地理的ハンディがあり、存続に苦労している地方オケであることはまちがいない。しかし、日フィルと違って、レベルアップがわかるので、応援のしがいがある。去年の8月の宗像公演、11月のサンサーンスのオルガン交響曲は、有名外国オケよりも感銘を受けた。シューマンチクルスも、みなよかったし、去年2月のブルックナーは、3月のミュンヘン・フィルの手抜きブルックナーよりもよい演奏だった。

 15日のシェヘラザードも相当の名演で、あまり好きではないこの曲が魅力的に思えるほどだった。若い指揮者ブリバエフも将来が楽しみな逸材である。九響は最近、有名ではない若手の指揮者の公演が多く、くたびれ気味の「巨匠」よりははるかにやる気と熱意があって、却って感銘を受けることが多い。

九響定演の開始前

 有名外国オケに比べるとチケットが格安で、それらよりも感動するとなれば、コストパフォーマンスはピカイチである。この調子でますますの向上を期待したい。

 21日は、北九州市のいわゆる老人大学である周望学舎で、デンマークの教育についての講義をした。40名ほどの高齢者が聴講生として学ぶ場である。現代では、勉強熱心なのは若者や大学生よりも社会人、高齢者と決まっているが、まったくそのとおりで、いい緊張感の中で話をした。

 25日はゼミの打ち上げで、久々に酒を飲んだ。といってもごくわずかであるが。3月は例年休みが多いので、今年は旧友たちと何回か食事や宴会の予定を入れた。いい季節に、旧交を温め、気分をリフレッシュしてまた新年度に望むのもいい。

 

2011年2月7日

 2011年も明けたと思ったら、もう2月に入った。入るなり、インフルエンザにかかり、ひどい日を送った。インフルエンザにかかるのは、大人になってからは初めてではないかと思う。子どもの頃にかかったかどうかは覚えていない。

 1月は仕事などで慌ただしく過ぎ去った。ほんとうに何かしたという実感があまりない月だった。

 18日には、福岡市のアクロスで、ショパンコンクール入賞者のガラ・コンサートがあり、これを楽しみにしていた。息子が好きなマンガ『ピアノの森』もちょうどショパン・コンクールの場面で、その内情がわかり、親しみを覚えていたのだ。また、今回の優勝者のユリアンナ・アヴデーエワが、一部のアンチがすでに出てくるなど、評判を呼び、どんな演奏をするのかにも興味があった。

 そのユリアンナ嬢は「葬送ソナタ」を堂々と弾き、一番感銘を受けた。他の演奏者よりも、円熟した技術があったように思われた。アントニ・ヴィットと国立ワルシャワ・フィルと入賞者によるピアノ協奏曲も楽しみだった。しかし、ほとんどの参加者が1番を弾くので、結果として1番を二度聞くことになり、ショパンコンクールの本選と似た雰囲気を味わったわけである。私は2番が好きで、1番を二度聞くのはやや退屈な気もしたが、演奏者の違いも感じ取れ、興味深い一夜になった。日本にいながらにして、ショパン・コンクールを聴いた感じだ。

 23-24日は、大分の佐伯と臼杵にいった。臼杵高校での小論文講演のためであるが、今回は、佐伯にも足を伸ばしてみた。

臼杵の二王座

 佐伯は臼杵や杵築ほど歴史的な街並みは残されておらず、観光地という雰囲気ではない。しかし、佐伯には国木田独歩が一年近く住んだ寓居があり、そこが資料館にもなっている。臼杵の野上弥生子はぜんぜん読んだこともないが、国木田独歩は、私が好きで読んだ数少ない小説家の一人である。佐伯は、彼の小説『源叔父』『忘れ得ぬ人々』などの舞台にもなっていた。そういう意味で、興味を引いたのである(あいにく月曜日で資料館は休館だったが)。

佐伯の城下町を残す街並み

国木田独歩の寓居(独歩館)

 国木田独歩が佐伯に来たのは、矢野龍渓との交友が契機ということだが、城山のふもとにその矢野龍渓の住居跡もあった。

矢野龍渓生家跡

 幸い天気も好転し、独歩が歩いたと思われる古い街並みを歩く。そして佐伯藩の鶴屋城があった城山にも登ってみた。午前だったので、観光客よりもウォーキングの高齢者がほとんどだった。みな毎日のように歩いているらしく、すいすいと登っていく。途中、杖をついた地元の男性と話しながら、独歩が歩いたというコースを辿ってみた。

城山から見る佐伯市街地

 前にも書いたように、長崎県人で、鹿児島大に学び、福岡県に住む私には、大分が一番地理的に縁遠い場所だった。イメージとしては「新産都大分」が強く残っており、企業誘致や埋め立てで、あまり田舎らしくないのではないかと勝手に思い込んでいたが、そうではなかった。

 昔の平松知事が「一村一品運動」を提唱しなければならないほど、第一次産業中心の場所が多かったのである。とくに瀬戸内海に面して、内海で漁業がしやすいこともあり、漁師の多い県だということもわかった。ある意味では長崎と並ぶ水産県なのだ。そうなると私にも親しみやすい。何度かあちこちを見て歩き、古い文化と歴史も残り、人情もあるいい場所だとわかってくる。またいつか別の場所にでも行くことがあるに違いない。

 28日は、九響のシューマンチクルス第4夜に行く。一番好きな「ライン」のあった第3夜は仕事で行けなかったのが残念だが、福岡の地で、シューマンの交響曲とコンチェルトの代表作をすべて聴けたというのは、ぜいたくな一年だったとしみじみと感じた。企画した人たちに心から感謝したい。

シューマンチクルス第4夜(カーテン・コール時)

 しかし、シューマンは日本人には受けないのか、客が少ないのが九響には申し訳なかった。それにしても、生演奏を聴くとCDではわからなかったシューマンの意図がよくわかる気がした。彼はベートーヴェンを彼なりのやり方で、しかもベルリオーズとは違った理知的なアプローチで乗り超えようとしていた。

 2月1日は、大学の試験実施の帰りに、太宰府の九博で開催されているゴッホ展によってみた。なにせ、ルノアールと並んで日本人が一番好きな画家である。多いだろうとは予測していたが、それを上回る人の多さに辟易して、一部の絵だけをじっくり見るという仕方で、這々の体で戻った。多くはアムステルダムのゴッホ美術館から来ているもので、見たことのあるものも多かった。それでも現地ではここまで混むことはない。

 しかし、いかにポピュラーであれ、そこはゴッホである。少しの絵しか見なかったけれど、しみじみと感動するものがあった。ちょうど宮沢賢治の跡を訪ねた花巻の旅で感じた懐かしさである。不器用さと誠実さで二人は似ているのか。おそらく多くの人が一番よいと感じただろう『緑の葡萄畑』が、私にも一番のお気に入りとなった。

ゴッホ「緑の葡萄畑」(1888年)

 インフルエンザでずっと床に伏すことになり、さすがに身体がなまり、腰が痛くなった。せっかく外の陽気は2月に入って、春の日和なのに、部屋ばかりいたことになる。腰痛対策も兼ねて、外に出て陽光の中を散歩した。さすがに1月が厳寒だったせいもあり、梅も菜の花も去年よりもだいぶ遅い。まだ満開は数日先になりそうだが、春の味わいを充分に楽しむことはできた。

1月30日には雪

鎮国寺

鎮国寺の梅の花

咲き始めの菜の花

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