2001年2月18日

 辺りは春の気配を増してきている。先週の週末は家族で近くの名刹鎮国寺にいった。以下はそのときのスナップ。

緋寒桜も咲いていた

 1月はいまいち調子のでない月だったが、2月に入ってそこそこ何か前向きな気分は出ている。でもあっという間に後半に入り、この分では慌ただしく3月も過ぎてしまいそうだ。毎年同じ轍の繰り返しでこれでいいのかと忸怩たるものがある。年をとるってこういうことなのだろうね(^^;)。

 

2001年2月12日

 今大分県日出生台で米軍の実弾演習が行われている。それにちなんで「日記特別篇その3」を加えた。でも結局あまり関係なかったような(笑)。

 

2001年2月5日

 2月3日に山口市で行われた「アディクション・フォーラム」にいってきた。これは医者、保健婦、看護婦、看護士、カウンセラー、ソーシャル・ワーカー、児童福祉施設関係者、教員などが集まる組織である。もともとは「アディクション」の名の通り、薬物依存、アルコール依存の問題を研究する専門家の団体であったが、近年は児童虐待、引きこもり、思春期、非行といった問題も含めて扱うようになり、幅が広くなっている。

アディクション・フォーラムの様子

 私が行ったのは「16歳問題」の分科会で、デンマークの教育の話をしてほしいと主催者のメンバーである廣岡逸樹さん(萩児童福祉相談所、日置ホイスコーレ)に依頼されたからである。外部からの刺激を入れてちょっとカオスを起こしてみようという彼のたくらみなくしては、こうした場で素人の私が話すということはありえない。

 相手が医者や保健婦、看護婦(士)、臨床心理士といった専門家で、普段はこちらが話を聞くような人たちに向かって話すのはたいへん気が引けたが、いつものクソ度胸で適当にお茶を濁してきた。専門家と素人の逆転現象もたまにはよかろうというくらいの気持ちである。

 私もその他の分科会や懇親会に参加してみたが、そうした依存症の人たち、あるいはさまざまな心理的・精神的問題をかかえる人たちに日常的に接している人たちの苦労がよく伺えた。もちろんフォーラムの中で自己批判的に語られた内容もあり、彼らを美談の対象とする気はないが、日々そうした地道な仕事に従事し、休日にはこうして研究会に集まって真剣に考えるその姿勢はやはり評価されてしかるべきだろう。

 あちこちに呼ばれて話をすることが多いが、その度にすばらしいな〜と思える活動をしている人に必ず出会う。そういう地味な人たちの努力にもかかわらず、世論は「世の中が住みにくくなった」「心がすさんでいく」のオンパレードである。

 一つにはマスメディアや評論家の姿勢もあるだろう。彼らはセンセーショナル、あるいは批判的にものを語ることで商売のタネにしているからだ。少年犯罪をとっても統計的にも質的にも昭和30年代後半をピークに今は半減しているのであるが、あたかも今が史上最悪のような語り口である。

 あるいは制度的な問題もある。こうした問題に対応する人々やカウンセラーなどが増えると彼らは仕事をつくらないといけないので、統計的に対象の人数が増えるのだ。昨今の児童虐待の数の著しい増加がこうした理由も一部あることは分科会でも指摘されていた。

 私などは何もせず日々優雅なナマケモノ的人生を送っているのであるが、彼らに出会ってちょっとだけ襟を正さなくてはと気持ちを新たにした。こういう私の気持ちも知らず、廣岡さんは私のタワゴトを書いた本を保健婦さん、看護婦さんたちに売ってまわる。以下はその購入者たちとのスナップであるが、これでいいのだろうか?という気がしないでもない。

読者の保健婦さんと
(節分の日ということで、上司の医者が保健婦さんの
後ろで指を出して鬼のツノと見せている。この保健婦

さんは鬼どころかとても優しい方です!)

 

2001年1月26日

龍安寺の石庭

 12月と1月にかけて、寺社を回ることが多かった。
 12月の終わりには大阪への出張が二度もあり、時間が空くときがあっていっしょにいく人もいたので、京都まで足を延ばしてみた。ごみごみした京都よりも大陸的でのどかな奈良の方が好みだが、今回は冬のクリスマスシーズンで観光の時季でないせいか、どこにいっても人が少なくて、のんびり見物できたのは幸いだった。

 ふだんはめったに学会に行くこともないのだが、昔、ちょうど紅葉の季節に京都で学会があり、見物がてらいったことがある。修学旅行のグループも多く、新幹線のホームは立錐の余地もないほどで、ホントにホームから落ちそうなくらい人であふれていた。

 人から高雄がきれいだといわれて駅前のバスセンターに寄るが、ここもまたバスを待つ人の行列に驚き、2〜3台待たないと乗れないのではないかと思うほど、観光客が並んでいた。あきらめて適当に人が少ない寺社を回ったことがある。このときは大徳寺を中心に見た。

 今回は妙心寺に行こうと思っていたので、その近くのエリアを中心に見た。周囲には仁和寺と龍安寺がある。

 大徳寺にせよ妙心寺にせよいずれも臨済宗である。お寺を見るときは臨済宗に限る。京都でももっとも美しいとされる庭をもつのはこの二つなのだ。大徳寺の大仙院と塔頭の龍源院そして妙心寺の退蔵院と妙心寺の塔頭である龍安寺はあまりにも有名である。

 臨済宗のお寺に興味をもったのは院生時代、アメリカからの留学生のチューターをさせられたときだ。彼が禅と尺八の研究をしていたので、尺八の発祥の宗派である普化宗の最後の寺院一朝軒に出入りした。これは江戸時代に禁宗とされたので表面的には臨済宗妙心寺派西芳寺としての看板を掲げ、裏で普化宗を伝えてきた寺だ。なぜ禁宗とされたかというと、いわゆる時代劇で出てくる虚無僧は普化宗の僧のことで、諸国を尺八をふきながら托鉢してまわる彼らは、関所の出入りが自由なことをいいことに諸大名の隠密(スパイ)として活躍したので、徳川時代になって禁じられたのである。

 この一朝軒(西芳寺)は聖福寺の塔頭の一つとして博多の御供所町にある。聖福寺は栄西が宋への留学から戻って最初に開いた寺であり、わが国でお茶を最初に植えた寺でもある。

 わが国の文化の代表とされるお茶、生け花をはじめ書画、庭園などは臨済宗が発祥でそれを広めてきたものが多い。いわばわが国の芸術をはぐくみ育てたのはこの宗派なのだ。深い精神性は曹洞宗や浄土真宗あるいは真言宗などに譲るかもしれないが、宗教芸術として見た場合、この宗派の重要性は明らかである。

 臨済のお寺はあまり公開を好まない。しかし妙心寺では退蔵院を見ることができた。有名な瓢鮎図がさりげなく庭園の入り口においてあり、まさか本物だとは思わなかったほどだ。

仁和寺

 京都の人には御室(おむろ)仁和寺の名で親しまれる仁和寺は通り道にあったついでによってみたが、やはり庭の美しさは格別だった。その後の龍安寺もいってはみたけれど、私には大徳寺の大仙院と龍源院あるいは仁和寺の庭園の方が美しいと思えた。龍安寺の価値は認めるが、半分神話化されているのではないかとも思う。龍安寺に来て神妙に思索する観光客は多くとも、大徳寺でそういう見物客を見ることはなかった。両者の世界観はほぼ同じだというのに。

 京都の寺社をまわっていつも頭に来るのは拝観料の高さだったが、今回はさほどそうは思わなかった。あまり高くないところをまわったのだろうか、前回のことを詳しく覚えていないので具体的にはわからないが、多分観光客の多い中を慌ただしく回る雰囲気と、今回のおだやかで寺院にふさわしいゆったりした雰囲気との違いが気分に影響を与えているのかもしれない。気の合う人といっしょにまわったということもある。

 十数年前は民俗学や仏教、神道に興味があり、かなり勉強したが、留学してからはなぜかそれらから離れてしまった。名刹の少ない九州にいることもあり、辺境の民俗文化が自分の根と思うしかないので、京都の文化にはさほど興味をもってはいなかった。だが見るたびにいいものはやはりいいと思う。

 

2001年1月7日

 しばらく間が空いた。とくに忙しいというわけではなかったが、やはり年末は何かと慌ただしい。自然と追われる気持ちのままWebの更新をする気が起きずにそのままにしていた。それなりにいいことの多かった月だというのに。

 12月は懐かしい先輩と出会えたこととなぜか演劇と縁が深かったことが印象に残る。まず3日のグルントヴィ協会の東京の会で、大学時代の先輩Nさんと十数年ぶりに再会できた。彼とはほとんど入れ違いであるが、それでもタクシーへプロパンガスを注入するガススタンドのアルバイトを引き継いだのを皮切りに何かと縁があった。  

 東京へ出て屋台をひきながらアテネ・フランセに通い、フランス留学を夢見ていたが、客に説教する頑固オヤジ的性格でいまひとつ流行らず、その後は労働者となり、全国一般労組の書記長にまでなって、三里塚闘争にも顔出しするほどの活動家となった。

 人生は不器用だが手先は器用な人なので、再び店をもってモツ焼き屋さんを始め、赤羽で営業していたが、それも止めて今は高齢者用の職業訓練校に通う。

 彼の同期で仲のよかったYさんが、今は名門国立大学の哲学科の助教授になったのと好対照に、Nさんは生活の中で思索をすることにこだわった。額に汗して働く現場にいながら、思想や文学の世界と離れることはない。それも思想のあり方の一つであり、Nさんの生き方は私に大きな影響力を与えてきた。

 東京の会の懇親会は、この日記でも以前に書いた手島さんも参加して、さながら鹿児島大学の哲倫(法文学部文学科哲学専攻と倫理学専攻)の同窓会に一部なってしまった感があった。このような気持ちのよい集まりに再びかつての学窓仲間が集い、問題意識をいまだに誠実に持ち続けているというのは、当時の哲倫がいかに自由でよい雰囲気につつまれ、さまざまな問題を真剣に考える場であったかを示しているだろう。実際先生方を始めとして、このような学生を育てる気風がそこにはあった。

 この東京の会には、わらび座の主演級の俳優、近藤進さんも来られた。彼は協会の会員で、私の二番目の本(『共感する心、表現する身体』)を読んで連絡をくれたのが縁だ。昼間は横浜での公演があるので、夜の懇親会からの参加になったが、今やっている舞台衣装のまま(ロシア提督リコルド役)、金髪頭でやってきた。だが今どき金髪も珍しくないので、みなは俳優らしく派手な身なりだなとしか思わなかったというのがおかしい。この芝居については、わらび座のWebに詳しいのでそちらを参照されたい。

 三次会では興趣も乗って、俵星玄蕃の口上とわらび座の十八番の「ソーラン節」を披露してくれ、やんややんやの大喝采だった。東京の人見記念講堂での公演に協会のメンバーも招待をされ、若い女性のメンバーたちがさっそく見に行った。

パフォーマンスをする近藤さん

 20日には、太宰府に拠点をおく劇団道化の評判をとった演劇「ボタ山に咲くムクゲたち」の千秋楽公演に招待された。この劇団の代表の篠崎さんはこの日記にも書いたが、奄美で出会いきさくな人がらに楽しい体験をさせていただいた人だ。

 この芝居は強制連行をテーマにした重い芝居であるが、評価が高く、4年もの間日本や韓国で公演されたもので、12月20日をもっておしまいとなった。新聞でもよく記事になって紹介され、私もその名は知ってはいたが、最後の最後に見て下さいと招待の声がかかった。

公演のパンフレット

 本音をいえば、私はこうした社会派の演劇は好きではない。えてして政治的メッセージやお説教が入って、芸術であること自体を殺してしまうことが多いからだ。こんな無名の人間を招待してくれたことはうれしく喜んで見に行ったが、作品そのものにはさほど期待はしてはいなかった。

 だが予想よりははるかにいいものだった。とくに後半になると、さして劇的に場面が動くわけでもないのに、セリフや動作の一つ一つにしみじみとした感動があって、静かに心を揺さぶられた。脚本や演出がいいこともあるが、演じている役者たちの力でもあるだろう。

 打上げにも呼ばれて、舞台裏まで見るのは初めてということでついていく。原作者の児童文学者、脚本家、照明指導者、振付指導者などのお偉方から、役者さんや舞台スタッフ、それに彼らのサポーターまでが参加してキムチ鍋でこれまでの労をねぎらい、お疲れさまと語り合う。このなんともいえない暖かいわきあいあいの雰囲気は、彼らがほんとうに好きで芝居をし、それに真剣にかけていることを示していた。これがあのしみじみとした言葉にならない静かな感動を生みだした元なのだろう。

 帰りの電車が無くなるので、名残惜しく戻ったが、師走の冷えた深夜に何かほのぼの暖かい気持ちをもらって電車に乗った。

 12月はこんな月で、快い気持ちのまま年越しをできたことがうれしかった。    

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