2005年6月13日

 11日に宮崎に行った。親子劇場関係の講演会で、表現の意義などについて語ってきたが、気持ちのよい人たちで楽しい時間を過ごすことができた。

 翌日帰りの飛行機の時間までにだいぶ余裕があったので、県南の飫肥に足を伸ばしてみた。飫肥は大学生の頃、柳田国男の『海南小記』を読んで以来、ずっと憧れの地だった。その後、80年代に、商店街が今風なアーケードにせずに、伝統的な建築で統一し、Japan Times がそれを記事にして、日本人よりも外国人に評価が高い街という噂も聞いていた。昨年のNHK の連続ドラマ「わかば」の舞台になったということで、一気に知名度がアップして、観光客も増えたということだが、知る人ぞ知る場所のままに残しておきたかったという気持ちもないではない。

 三時間ほど町を歩き、閑静なたたずまいを楽しむ。通った対馬高校も対馬藩の城下町厳原にあったので、武家屋敷通りが通学路になっていたことを思い出し、ああこんな感じだったなと懐かしい。往時の雰囲気をそのまま残している本格的な城下町という意味では、福岡の秋月や柳川よりもはるかに飫肥がいい。

大手門通

城内

武家屋敷通

 それにしても、九州の僻地に残る文化には驚かされる。飫肥にせよ、西米良村にせよ、険しい山中で人も少ないところに、小さいながらもしっかりとした文化が根づいていた。人吉もこれに近いか。

 人情もすばらしい。武家屋敷通りを歩いていると幼児を連れたお母さんがカメラをもった観光客然の私に「こんにちは」と気さくに声をかけ、ためしにやった四半的の係のおじさんは、予定の10本を超えてもまだまだ矢をもってきてサービスし、あれこれコーチをしてくれる。

豫章館

服部亭で食したコーヒーとシュークリーム

統一感ある商店街

 そういえば、私はなぜか南九州の女性と縁がある。そこからいえることは、彼女たちは、からっとして小さなことを気にとめないおおらかさがあって、それでいて情が厚く、私とは相性がとてもよかったということだ。北部九州のいわゆる川筋女も近いところがあるが、宮崎の女性はもっとのんびりしていて、彼女らほど怒りっぽくはない。そこが違いだ。私ものんびり眠くなるような牧歌的なところがあるので、そこで気が合うのだろうか(今でも大学や予備校でなついてくれるのは宮崎出身の学生が多い)。

2005年5月23日

 21日に大阪に行って、デンマークの民衆の運動「イドラット・フォルスク」をみんなで遊んできた。これは大阪の「おとぎのこばこ」の主催によるワークショップである。

狼が子豚を追いかけるゲーム

 最近は「アイス・ブレイキング」などが会合で導入されているので、こうした遊びも注目を集めるようになっている。しかし、「イドラット・フォルスク」はそういう軽い心理学主義のものではない。それは、もとはデンマークの農民の遊び、祝祭でのゲームであったものだが、今日では、子どもの遊びがテレビゲームなどによって全世界均質化したり、ワールドカップやオリンピック、あるいは学校教育などで、全世界画一的なスポーツがなされているという身体のグローバリズムに対抗する、土着、伝統、差異性の身体運動として位置づけられている。

 日本でも滅びつつある子どもの路地裏での遊び(缶蹴り、馬乗り、かくれんぼ、独楽回しなど)に似ているといっていい。この日は大人も子どもも区別なく、童心に帰って、ハラハラ、ドキドキ、つかの間の戯れを楽しんだ。

 「イドラット・フォルスク」を知る人は少ないので、将来はこれを紹介する本でも書いてみようかと思っている。

 

2005年5月15日

 5月の初めは異常に暑かったが、この一週間は風がさわやかで、気持ちのよい日が続く。これが本来の五月晴れなのだろう。山々の若葉がまぶしく、歩くのが楽しい。そういえば、欧州の夏はこんな感じだ。彼らが夏をいとおしむのもよくわかる。日本のような湿気のある夏だとそうは思わないはずだ。

 今年は桜が一気に満開になってすぐに葉桜になったので、花見のタイミングを逃してしまった。それよりももっとショックなのは、恒例の藤の花見ができなかったことだ。行ける日には天気が悪く、うまく都合が合わなかった。先週の日曜日に行くとすっかり散ってしまっており、はなはだがっかりして帰った。桜はどうでもいいが、藤の花だけは好きでこだわりがあるので、とても残念である。また来年まで待たねばならない。

若葉の下で

 今日もまた気持ちのよい日だったので、近くの森にまで行き、家族でお昼ご飯を食べた。そのまま木陰で横になり、iPodで音楽を楽しむ。その後、少し歩いて、樹々の間をくぐり抜ける風の心地よさに身を任せる。わずかな時間だが、とても長く感じる充実の時間であった。

近くの森と池

 

2005年4月25日

 23日に福岡県の赤村に行き、友人の中村隆市さんの主宰する「スロー・ビジネス・スクール」の合宿で、講演をしてきた。ちょうど新緑の美しい季節で、途中の景色もなかなかよかったが、あいにく散策する時間がなく、せっかくいい場所にいったのに、ろくに楽しめずに帰ってきたのが残念だった。

スロー・ビジネス・スクールのセミナーの様子

 夕方には有機無農薬米でつくった新酒「源じいの森」の発表会があり、スロー・ブームの立役者の一人、辻信一さんが記念講演をした。彼とは2001年12月の『スロー・イズ・ビューティフル』出版記念会以来の再会である。

 会うなり「スローしてますか」とにっこり話しかけてきた。彼の口癖は「スローを提唱しながら、本人はたいへん忙しくてスローになってない」というものだが、今は大人気なので、本業以外に様々なイベント、対談、講演などが入ってきて、多忙を極めているのだ。しかし、オピニオン・リーダーとしてはそういう役割も必要だから、彼には当分「ファスト」でいてもらうしかないかもしれない。

講演をする辻さん

 私は「スローしてますよ。充分に、ゆっくり味わってます」と笑って答えた。この日記を見る人はわかってくれると思う。世間の人からすれば、わりとスローに生きている方だと思う。マイペース主義者なので、突発的ないろんな約束、イベントでペースを狂わされるのが苦手なのだが、この数年そういう気ぜわしさはあまり感じない。

 講演から戻った翌日には、近くの神社八所宮に行き、新緑を楽しんだ。ここの売り物である藤棚の藤はまだつぼみであったが、来週には美しい姿を見せてくれるだろう。私の一番好きな花の季節である。

新緑の八所宮

 

2005年4月5日

 今年は春の訪れが遅いとは巷でいわれていることだが、たしかに桜の開花は去年、一昨年よりも一週間は遅い。でも、子どもの頃の記憶を辿れば、入学式のときに桜吹雪の中でブランコにのった美しい思い出があり、入学式と桜のつながりは世間一般のイメージにもあると思われるので、そういう意味では平年並みなのかもしれない。

 寒かったデンマークとドイツから戻り、この時期に春満開の日本を味わうのは何ともいえない至福である。あちらは寒いだけで、生活の時間はゆったり流れていた。その時間感覚を残したまま、花の下を歩くから、よけいに気持ちがいい。

 しばらくすると仕事も始まり、この幸福感が気ぜわしさにかわる。強い陽光と湿気がすぐにやってきて、九州は春が短いのが残念である。

近所の公園の桜

わが家の庭の春の花

 

2005年3月24日

 ずいぶん間が空いてしまった。2月21日からデンマークに三週間滞在し、その後5日間ドイツにいたので、約一ヶ月日本にいなかった。その滞在を可能にするために、出発前に集中して仕事を入れたので、今年の1〜2月はかなり忙しかった。おまけにグルントヴィ協会の東京での会合や集中講義、それにミシェル・コルボのマタイ受難曲のコンサートに行くなど、間にいろいろあって、毎日があっという間にすぎていった。

 デンマークとドイツでは、その分ゆっくりできると思ったら、いろいろな誘いがあり、やはり忙しくなった。デンマークの滞在は協会のウェブに載せているので、そちらを見られたい。

 ドイツでは、いつものように留学時代を過ごしたエッセンに行き、親友アミンのところに滞在した。午前から昼間にかけては大学図書館に行き、資料の探索と翻訳などをする。17年ぶりくらいにメンザ(学生食堂)のレストラン部(教職員や来客が利用)で食事をし、懐かしさのあまり職員と話すと「私たちはそんな昔にはいなかった。その頃と変わっていますか?」と逆に質問をされた。

 ドイツは多民族国家になり、学生も多様になっている。親友のモハメドはイギリス人のジャネットと結婚し、モハメドはヨルダン国籍とドイツ国籍をもち、ジャネットはイギリス国籍とヨルダン国籍をもつ。息子のジャマールは三つの国籍をもっている。ジャマールの通う小学校のクラスのうち半分くらいは、混血の子どもで、トルコ人とドイツ人、アフリカ人とドイツ人、中国人とドイツ人、アラブ人とドイツ人、ペルシャ人とドイツ人など組み合わせもいろいろである。トルコ人とドイツ人の混血の女学生も大学には多く、双方のいいとこどりというべきか、思わず見とれるほどの美人が目立った。

 かつては隠微な差別の雰囲気も感じたことがあったが、今回はカフェや商店にいっても、愛想がよく、外国人に対する差別的な感情をまったく感じなかった。みなごく自然に応対してくれる。この十数年でここまで多文化社会になっているのでは当然だろうと思う。今の若者は学校でいろんな国の人、混血の子どもたちと席を並べ、クラスメートとして育ってきているのである。デンマークではイスラム系を中心に外国人排斥の風潮が出てきているとは数年前からいわれていることだが、ドイツでは制度的後退はあるとはいえ、雰囲気的には前よりもよくなっているように思われた。

 最後の日はデュッセルドルフに行き、美術館とアルトシュタット(旧市街)を見てきた。美術館は悪くはなかったが、エッセンのフォルクバング美術館の方がやはり私にはいい。アルトシュタット(旧市街)は昔はあれほどデュッセルドルフに行きながら、訪れるのは初めてである。私がドイツに来るやいなや気温が一気に16度になり、春の先駆けを感じさせてくれる中で、ゆっくりとライン川べりを歩いた。前日のエッセンのケットヴィヒの散策と併せ、ドイツ滞在の至福の瞬間だった。

エッセンのオースターマルクト
(復活祭の露天マーケット)

 滞在の様子はフォトアルバムで見ることができます。

2005年1月23日

 19日に熊本県立大学に行き、総合講座の特別講師をした。今はそこの学部長をされているMさんの縁で呼ばれたわけだが、彼女はグルントヴィ協会の会員でもある。以前から共通の友人を介して知っており、電話などでやりとりしたことはあるのに、会うのは実は初めてであった。

 いくつかの大学などに呼ばれて講演や社会人講座をすることはあったが、今回は学科の教員のみなさんが積極的に関与し、事務的でないアットホームな歓待をしていただいたことが印象的だった。いつもは担当の教員が一人、あとは事務職員などの応対が主で、ビジネスライクである。だいたい大学という場所はそういうところが多く、市民運動の場にあるような肩書きをはずして楽に語り合うという雰囲気からはほど遠い。しかし、この県立大はMさんの人柄もあるのか、みなさん気持ちよく歓迎をして下さった。そういえば昨年夏に訪れた酪農学園大学もこんな雰囲気だったことを思い出す。

 私が学部時代を過ごした鹿児島大学の先生方も気取らず、学生と対等になって話をして下さる人たちだった。いい意味での旧制高校の雰囲気が残っていた。だから人生の中で大学時代ほど楽しく充実していた時期はない。感受性が強く、何もかも吸収できる頃にそういう場に出会えたことは幸福であった。

 熊本県立大学(少なくとも文学部の総合文化コース)はきっと学生にとってはよい刺激の学びの場であろうと思う。酪農学園大もそうではないかと思う(中越地震の際にはボランティアの学生が駆けつけ、大学も側面援助したとか)。こういう大学でこそ学ぶことを若い人たちには勧めたい。
 

2005年1月12日

 だいぶ間が空いて、あっというまに新年を迎えてしまった。忙しいというわけでもなかったのだが、変化に乏しかったというのはあるだろう。とはいえふり返れば、熊本に講演にいったり、故郷の対馬に葬儀で戻ったりと、それなりにあわただしい年末ではあった。

 今年の年末と正月は来客があり、また子どもたちも義母のところに行かなかったので、久々にぎやかな正月だった。昔はよく泊まり込みで客が来たものだが、最近は少なくなった。私の活動範囲が狭くなってきたこともあるだろう。

 31日には、昔の教え子のYさん夫妻が子連れで来る。明けて2日は弟家族がやはり子連れで来て、幼児の声でにぎわった。うちの子どももつい最近までこんな感じだったと思うのだが、いつのまにか、息子はすでに十代、娘は今年で二十歳になる。幼児の相手をするのはそういう意味では久しぶりになるわけで、なかなかかわいい。孫のできた気分というのはこういう感じなのだろうか。小さな子どもの声で年末年始を過ごせたのはささやかな幸福なのかもしれない。

 Y君の奥さんの未奈子さんが、その後うちの家族のイラストを描いて送ってくれた。なかなかセンスある絵なので、ここに紹介しておこう。ただし妻はよく描きすぎだろう。

未奈子さんの描いた清水家イラスト

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