2007年6月27日

 あいかわらず忙しい日々が続く。おかげで日記を更新する暇もない。
 6月7日に福岡デンマーク友好協会、24日には大阪府箕面市で「わくわく教育セミナー」での講演をした。そのとき大阪の四天王寺に初めて寄ってみた。案内してくれた未奈子さんは、ここいらで生まれ育った人である。由緒ある寺であるが、何度も火災や空襲などで焼けて、そのたびに建て直しているので、歴史的な建築物としての価値は薄い。しかし往時の面影を残すつくりとなっており、雰囲気はあった。

四天王寺

 一番よかったのは本坊庭園で、心地よい緑陰をひととき味わうことができた。私たち以外に訪れる人もなく、閑静でいかにも仏寺の庭園にふさわしい。

本坊庭園

 今日27日には、タイの友人「夢を織る家」のナートさんが仲間と福岡空港経由で来日したので、広島へ向かう間に再開を喜んだ。道化の事務所に荷物を置いたので、太宰府にいったが、いつも筑紫女学園大の講義の帰りに寄る光明禅寺松屋に案内した。光明寺では、やはり立派な庭園を眺め、松屋では同様に豊かな緑陰の下で小倉アイスや抹茶をみなで楽しんだ。

ナートさんたちと松屋で

 忙しくてなかなか疲れもとれない日々だったが、こうして気持ちのよい人たちと出会い、美しい風景や緑の樹々を見ているとなぜか疲れもとれて、リフレッシュされる。そういえば二年前もこの頃は飫肥に行き、梅雨の合間の緑陰を楽しんだことを思い出した。うっとおしい季節の中をさわやかな風が吹き抜ける機会があるのがありがたい。

 

2007年5月20日

 今年は5月もあまり暑くなく、さわやかで気持ちがいい。スクータで青葉の中を風を切って走るのが何とも心地よい

 3月の話になるが、27日にケルンの「ヴァーラフ・リヒャルト美術館」に帰り道寄ってみた。ドイツ留学以来19年ぶりにケルンに来たわけだ。当時何度かケルンに来たことはあったが、全体に大都会の喧噪と風情のなさを感じて、いいイメージがなかったので、その後ドイツへ来ても寄ることすらなかった。大聖堂は有名だけれど、一度見てしまうと何ということはない。歴史に興味があれば別だが、このドームも大きいだけで色はくすんで汚れており、近くで見ても殺風景なだけなのである。

ケルンの大聖堂

 「ヴァーラフ・リヒャルト美術館」は小さなモダンな建物であったが、予想よりはいい絵も多く、人も少なくて、充分に堪能できた。ドームのある街ケルンらしく、中世のキリスト教美術がメインであるが、近代の有名な画家の佳品もけっこうある。美術館員に亡命者と思われるビルマ人がいて、私を見ると寄ってきていろいろガイドをしてくれた。親近感を感じてくれたのだろうか、とても親切だった。

ヴァーラフ・リヒャルト美術館

 途中、前にどこかで見たことのある絵だと思うものがあった。2005年に福岡県立美術館の「バロック・ロココ展」に来ていたルーベンスとムリーリョの絵である。ここが所蔵館だったのだ。またブーシェの「横たわる少女像」も同じ意匠のものをミュンヘンで見ていたために、心を惹かれた。

展示室

ブーシェの少女像

ムリーリョの「マグダラのマリア」

 

 わずかな時間とはいえ、喧噪の街を観光するよりもはるかに充実したひとときであり、心に一杯栄養をもらった気分になって再び列車に乗るのだった。

 そういえば最近は仕事に追われて、こういう気に満ちた瞬間がないなと思い、今日は「ストラディバリウス・サミット・コンサート」に行ってみた。ストラディバリのバイオリンやビオラなどを集め、ベルリン・フィルの面々が奏でるという趣向だが、バロック・バイオリンに慣れた耳には、レガートのきいた演奏が今ひとつ甘ったるくて、4月のウィーン・フィルメンバーのコンサートよりは感動がなかった。アンコールを三度もしてくれたということで、本番よりも客席が盛り上がっていた。実はどの会場でもそのくらいやっているようだが、福岡の聴衆が自分たちのところだけ特別サービスをしてくれたと思ってくれれば、それでいいのではないか。

 

2007年4月25日

 今年は桜の花見に行かなかった。例年なら家族で近くの森にいくというのに。ドイツで桜をたくさん見てきたので、日本に戻ってもそれほど新鮮味を感じなかったということもあるかもしれない。しかし、桜は見なくてもいいが、毎年欠かせないのは藤の花見である。

八所宮の藤の花

 今年は4月の気温が低いので、さわやかで気持ちがいい。東北や北海道の春というのはこんな感じかなとふと思ったりする。もちろん朝晩はもっと寒いのだろうが。藤の花もまだ満開ではないなと思って見にいくと、五分咲きくらいだった。まだしばらくは楽しめそうだ。

 涼やかな風に吹かれながら、ゆっくりと花の下を歩く。毎年のことながら、これこそが「マイ・ヘブン」と実感する。何にも換えがたい幸福感だ。

 

2007年4月21日

 仕事も本格的に始まり、忙しい日々が続く。書きたいことはいろいろあるのだが、なかなかその暇がない。
 
 4月9日には、トヨタ・ウィーン・マスターズ・プレイヤー・コンサートにいってみた。これは金持ちトヨタのメセナ活動であるが、ウィーン・フィル、ウィーン歌劇場管弦楽団、ウィーン交響楽団のメンバーで構成される小編成のオケによるコンサートである。東京、名古屋、大阪、など全国で行われ、福岡ではベートーヴェンの「田園」をメインにしたプログラムであった。

 有名なオケの演奏者ではあるが、アルバイト的な仕事だろうからと、あまり期待もせずに行ってみたが、これが予想に反していい演奏で、今までのクラシックのコンサートでは一番感動できた。「田園」などはある意味聴き飽きたような曲だが、緩楽章の第二楽章に入ると非常にいい気分になり、この曲の雰囲気が十二分に出て、ほんとうに緑濃い小川のほとりを歩いているような気持ちになる。そして曲の盛り上がりにつれてじわじわと感動が生じ、演奏の終わる頃にはかつてない充実感を感じることができた。

 もともと私は名前で選ぶタイプではない。今回は、席がよくなくて音響的にはいまいちだったが、それでも大いに心を揺さぶられた。超一流の技術というよりも、心構え、コンサートに望む熱意が、聴衆に訴えたように思う。手を抜かず、最高の演奏をするように努力する。

 帰り道、余韻を楽しみたくて、アクロスから博多駅までの夜道を歩いて帰ったほどである。バスや地下鉄に乗ると都会の雑踏にせっかくの感動も消えてしまいそうだったからだ。

 

2007年4月4日


 3月24日から29日はドイツにいたが、そのうち25日から27日はリンブルクに滞在し、コブレンツ、ケルンなども寄ってみた。リンブルクはドイツの古い街並みが残り、丘の上のロマネスクの聖堂が有名な町である。ロマンチック街道のローテンブルクなどは日本人観光客にもよく知られているが、リンブルクはまだ日本の観光ガイドにもあまり載ってはおらず(『地球の歩き方』に少しだけ触れてある)、比較的穴場である。

 事前にネットでB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト、個人の家庭が空いた部屋を貸す一番安い宿)を探して予約していた。過去の日記にもデンマークのB&Bのことを書いたが、B&Bは人とのふれあいがあり、ビジネスライクなホテルよりも旅の思い出ができやすい。運がよければ食事などにもありつけるし、値段も安いので、時間的余裕があるときはB&Bに泊まることにしている。

 予約の段階で駅まで車で迎えに来てくれるということで、到着後待っていたが、なかなかあらわれない。20分くらいしてやっと30台くらいの女性がやってきて「ベッド・アンド・ブレックファストを予約した人ですか?」と尋ねる。ふつうB&Bは子どもが独立して家を離れ、その部屋を貸すというケースが多いので、女性はたいていは老婦人だが、まだ若いので娘さんが使いで来たのかなと思うと本人だという。髪や眼が黒っぽいのでドイツ人らしくないなと思っていたら、エクアドル出身で、ドイツ人と結婚してここに住んでいるとのことだった。彼女の名前はジャクリーヌ・ベルガー。遅れたのはこの日からサマータイムで一時間真夜中に進むのだが、うっかりそれを忘れ時計を合わせていなかったからということだった。途中で気づいたとのこと。この辺は南米の人だからかなとも思った。

ジャクリーヌさん

 彼女の住宅自体アパートの一区画で、その中の一室をあてがわれる。隣は夫婦の寝室で、もし不審な泊まり客なら危ないなと思うが、あまり気にしていないようだ。部屋はきれいでとくにトイレ・シャワーの部屋がきれいだった。

 B&Bを始めてまだ間もないそうで、私が最初の泊まり客だという。去年のドイツでのワールドカップの際に、エクアドルチームも選ばれており、そのときにエクアドルからの応援の人たちを泊めたのが、B&Bを始めるきっかけになったそうだ。また数年前にこの町にある企業に若い日本人女性が研修に来て、そのときに依頼されてホームステイ先にもなったとのこと。それゆえホスト役の経験はすでにあるわけだ。

B&Bのあるアパートメント

 町の中心街まで一キロ半くらいあるが、車で送るという。しかしたいした距離でもないし、土地勘をつけるために歩くからと断る。夜に町から戻って、部屋にいるとコーヒーを飲まないかと差し入れをしてくれた。これがB&Bの醍醐味である。

 翌朝、朝食をとりながら話がはずみ、8時半に来たら、10時半近くまでいることになった。主には彼女がいろいろと話し、こちらは聞き役になるのだが、これもB&Bの面白さである。ドイツ人ではないので、お互い外国人としてドイツの暮らしなどを語ることになる。そういう意味では共通点も多くなるのである。

 ギムナジウムに行き始めた息子がおり、夫は技術者である。二人も感じのよい人で、きさくにあいさつをしてくれた。ジャクリーヌさんは、語学に興味があってドイツにドイツ語を学びに来たとき、今の夫と知り合っていっしょになったそうだ。彼女は夜にはフォルクスホッホシューレ(ドイツの公立のカルチャーセンター、公民館みたいなもの)でスペイン語を教えている。

 この日はコブレンツや途中の美しい小さな町(Bad Emd や Obernhof)を訪れたが、けっこう歩き回ったので、帰るとうっかりそのまま寝込んでしまった。実はそのときにドアをノックして、夕食を食べないかと誘いに来たそうなのだが、私は寝ていて気づかなかった。これもまたB&Bのよさである。

 インターネット利用なども夫の書斎を使わせてくれたり、駅へいくたびごとに車で送ってくれるなど、至れり尽くせりのサービスだった。前にいた日本人女性が好感を与えてくれていたのも大きかったのかもしれない。

 有名ではないが知る人ぞ知る美しい町リンブルクに訪ねる人はぜひこのB&Bを利用してみるといいかもしれない。私はドイツ語で話したが、彼女は英語も達者である。一泊28ユーロ、朝食付きだと35ユーロであった。


Jackeline Berger
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2007年3月31日

 12日から24日までデンマーク、24日から29日までドイツにいた。今回のデンマークはコルの訳本の最終仕上げとホイスコーレ、そして幼稚園の取材が主な目的である。幼稚園の取材の一部は協会のWeb に掲載している。ドイツはいつもどおり友人たちに会うためだが、また大学での講義用の資料を得ることも少しあった。

 この日記にも書いたように、コペンハーゲンでの最初の Vartov 滞在では、夜に三日連続でオペラ、バレエ、コンサートにいった。たんてきにいうと一番よかったのはバレエ、そしてやや落ちてオペラ、だいぶ落ちてシンフォニー・コンサートになろうか。

オペラハウスへいく水上バスから

オペラハウス正面

オペラハウスの対岸を臨む

休憩時間のロビー

オペラハウスの内部

 一日目の王立オペラは、ワグナーの「ローエングリン」である。ワグナーのオペラの中でも、曲の美しさでは上位に来るものだろう。王立オケは有名な序曲で弦の美しさがどこまで出せるかという点ではいまいちだったが、それ以外では満足できる演奏だった。歌手も技量は優れており、音楽的にはよい出来だったと思う。

 「ローエングリン」は、いうなればあちら版の「鶴の恩返し」であり、騎士と姫の恋愛ものであるが、一般にはヒロインのエルザは愚かな役であまり人気がなく、悪役のオルトルードが人気がある。だが、王立オペラのエルザ役のインガ・ニールセンは小柄ながらヒロインとしての魅力を出し、オルトルードに負けない存在感を出していた。

 さて、そのオルトルードだが、王立オペラでは、スザンヌ・レスマークという歌手が演じていたが、これがいわゆるデブでブスというタイプ(画像では座っている女性)として選ばれた巨漢女性であった。しかし、それがまた悪役にピッタリで、しかもオペラの進行の中では可愛くも見えるのである。デブでブスでしかも悪役というのに、こんなに魅力的なオルトルードはいないだろう。巨体の割には声量がなく可愛い声で、その点だけが不満であったが、観客の人気も一番で、カーテンコールは最大の拍手を受けていた。私も大ファンになった。冗談ではなく、太めの女性で自分には魅力がないのではないかと気にしている女性は、ぜひこの演出のオペラを見るべきだと思う。振る舞い方一つで逆にそれがすばらしい魅力となることがわかるだろう。

 「ローエングリン」は主人公の騎士ローエングリンがどれだけかっこよいかが勝負のオペラでもある。この役のジョニー・ヴァン・ハルは歌は上手であったが、ルックス的にはいまいちで、その点も物足りなかった(白鳥の精悍な騎士が腹が出ていては様にならない)。しかしこの役を演じることのできるテノール歌手は世界的に不足しているので、これは仕方がないか。かつての当たり役ペーター・ホフマンレベルのルックスと歌の双方をそなえたテノールはなかなかいないのである。

 演出は昔のデンマークやドイツの学校の教室という設定で、王も王子も伯爵もクラスの派閥の長というわけだ。闘いもチャンバラごっこである。学校のクラスの人間関係が将来の政治の人間関係の原初的なものと考えれば、この演出も的を射ているのかもしれない。個人的には昔のヨーロッパの学校には制帽や制服(女子は何とセーラー服でありこれも日本と同じである)があり、まるでひと昔前の日本の教室とそっくりであることが興味深かった。

 このオペラの会場になった新オペラハウスも、デンマーク人にはなかなかの評判で、オペラよりもこの建物に行ったこと自体をよく聞かれた。まだできて一年も経っていないので、コペンハーゲンっ子も訪れていない人が多く、どうだったと感想を求められるのである。建築にはあまり興味がないので、細かいことはわからないが、モダンな意匠でありながら古いオペラハウスの雰囲気を保っている点は共感できた。

 翌日のバレエは王立劇場で行われた。王立劇場の独自作「カロリーネ・マチルデ」である。ここは前はオペラも演じられていた由緒ある場所である。デンマーク王立バレエが独自の伝統をもち、ロシア古典バレエに影響されていない世界で唯一のバレエ団であることは有名だが、さすがに世界屈指のバレエ団だけあって、技術、演出、プリンシパルの美しさ、可憐さなど、文句のない出来だった。日頃体格のよいあちらの女性を見慣れていると、昔の女性を彷彿とさせるバレエに出てくる小柄で可憐で美しいバレリーナが、現代のデンマーク人が演じているようには全然見えず、妖精の踊りのような夢幻空間に入り込んだような気になる。

バレエ劇場の内部

 技術的にはヒーロー役の男性よりも、愚かな王子役の人が優れていて、一番目を引いた。役柄的には悪役になるが、これだけの技量を持ったプリンシパルを配して筋書とは別の踊りとしてのバレエの独自性を浮き立たせていた。

 三日目のデンマーク放送交響楽団の木曜日コンサートは、演目がヒラリー・ハーンのソロでシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてブラームスの一番というので、実は一番期待していたものだった。しかし、実際に聞いてみるとこの三日では一番の駄演だったような気がする。

 ヒラリー・ハーンの演奏自体は圧倒的な技術で、それなりにすばらしかったが、協奏曲ではオーケストラとのバランスが悪い気がした。アンコールで行ったバッハの無伴奏の一部は独演になるが、この日のコンサートの白眉で、たった一つのヴァイオリンの音色に100人のオケもかなわなかったといえるだろう。

デンマーク国営放送コンサートホール

 ブラームスの一番も聴いていて感動も何もなく、気分がだんだん萎えてきた。形式的にはそこそこに演奏しているのだが、中味がない。CDで聴くデンマーク放送響はいい演奏も多いので、オケの質が悪いとは思えない。この原因はひとえに指揮者にあると思われた。この日の指揮者はアメリカ人の女性指揮者、マーリン・アルソップという人で、中堅の指揮者のようだ。クラシック・コンサートを聴いてこれほどまでに気分が萎えたこともないので、私には大根指揮者としか思えなかった。聴衆は拍手喝采をしていたけれども、本来なら沈黙で答えるべきだろう。ダメな演奏にはそれなりの態度を示さないといけない。

 人口500万人のデンマークで、コペンハーゲンは百万都市であるが、これだけの規模でこういうコンサートやオペラを毎週のように行い、しかもほぼ満員というのは驚きである。いわば福岡と福岡県プラスα程度の規模だからである。こういう土壌がクラシックやバレエのレベルの高さを維持するのだろうか。

 

2007年3月10日

 あっという間に3月になって、もう半ばにさしかかる。2月は仕事のあとはいろいろな人に会い、いろいろな刺激を受けた。19日は私の本を出している出版社新評論の武市さんと久しぶりに会い、昼食を食べながら、いろいろ話した。彼も今は社長として切り盛りしている。主には今年出版予定のコルの訳書などの打合せであるが、出版界の風雲児的な人なので、その舌鋒も冴えて、いつも興味深い話をこちらが聴くことになる。

 27日には、グルントヴィ協会の会報用の取材で、下関市の金原小児科と下松市(山口県)の小島玲子さんを訪ねた。金原小児科は、医療だけではなく、重度心身障害者の通所施設も併せもち、また親の子育て相談や不登校、教育問題などにも対応している。社会福祉士、臨床心理士、フリースクール関係者、学校関係者、児童相談所員などとのネットワークを組織し、総合的に対応しているのである。

 金原先生とは95年頃の下関市での教育講演会で初めてお会いし、こういう場に医者が実行委として関与していることに少し驚いたことを覚えている。そのときに、小児科医だからわかる子どもの状況というのもあるんですよ、という言葉がその後印象に残り、ぜひ一度お訪ねしたいと思っていて、やはりすぐれた活動を展開されている尊敬すべき友人、廣岡さんに仲介を頼んで、その願いが叶ったわけである。医療系大学志望者や歯科大学の学生たちに、一つの医療のあり方として、教育の場で紹介したいという思いもあった。

 診察の場にも保護者の了解をとって見学させていただいたが、白衣を着ないきさくな先生として、子どもたちにも親しまれている様子がよくわかった。派手ではないが、地域の人たちに貢献し、悩める親たち、子どもたちを救っている活動としては、その意義は大きい。新生児がご専門ということで、重度の障害をもって生まれた子どもたちやその子を産んで悩む母親たちを暖かく支えてこられた。当事者たちにとっては、ほんとうにありがたい存在であったに違いない。何もせず、怠惰に生きている私としては、内心恥ずかしく、少しでも今後人のために何かをしなければ、と改めて自覚させられた。

 小島さんも95年かくらいに下松市に講演に呼ばれて以来の出会いであるのに、ちっとも変わらず、若々しい麗人のままだった。初めての出会いは、私が主催した92年のホイスコーレの国際セミナー(福岡県上陽町)に一参加者として小島さんが来られたときである。はつらつとしたすてきな女性という印象が残り、その後も協会にも参加して下さって、当初からの会員である。退職後、コミュニティを活性化するという目的で、人々の出会う場として中国茶の喫茶「悠遊」を始めたことを以前から聞き知り、一度見てみたいと思っていた。

 実際に尋ねてみると本格的な喫茶というよりも住宅の一角をコミュニケーション・スペースとして提供しているというスタイルで、無理なくアットホームに活動されていた。あいかわらずチャレンジ精神が旺盛で、年は私よりもだいぶ上ながら、はるかに雰囲気が若々しい。上陽で感じた素敵な人だなという印象は全然衰えていなかった。

 3月2日には、ウィンドファームで、やはり協会の会報用に、中村さん(ウィンドファーム代表、スロービジネス・スクール代表)、矢野さん(チェルノブイリ支援ネットワーク代表)、宮田さん(水俣市「ほっとはうす」スタッフ)の三人に鼎談をしてもらった。それぞれの場ですぐれた活動をしている三人なので、話も充実して、密度の濃い3時間が過ぎた。これでも足りないくらいであっという間に時間が来たという感じの盛り上がりであった。

 扁桃腺を腫らして寝込んだりした2月の最終週であったが、学ぶところの多い知人、友人たちに出会って、励みにもなる日々ともいえた。彼らのすばらしい成果には及ばないにせよ、私も少しずつできることをやっていこうと思う。でも、書くべき原稿があまりに多くて、そこまでまだ手が回らないのが一番の悩みであるが。 

 

2007年2月22日

 しばらく仕事で忙しい日々が続いた。といっても4〜12月の忙しさに比べれば、この時期は時間的な余裕はあるが、一日のうちにどこかに仕事があって、外に出れば、結局その一日は他のことに使いにくいものだ。そういうわけで、どっちつかずの日々を過ごしている。

 17日と21日に福岡市のアクロスでのコンサートに行ってきた。月に二度も行くというのは珍しいが、どちらも演目が好きなものだったからだ。17日は九州交響楽団定期演奏会で、メインはベルリオーズの「幻想」、21日は日フィルの九州公演会でシベリウスの2番である。

アクロス・シンフォニーホール

 17日の演奏は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ソリストとオケがあまり合ってないように聞こえ、あまり感心するほどの出来ではなかった。ソリストがまだ若いので、高度なテクニックを披露するのに精一杯で、まだそこまでの余裕がないのだろう。しかし、福岡出身で凱旋公演でもあり、知人、一族郎党がたくさん駆けつけたようで、とくに私の前の席は母の知り合いという感じのおばさんたちが大挙陣取ってその後の「幻想」のときよりも拍手は多く、盛り上がりもすごかった。

 「幻想」交響曲は、ミュンシュ・ファンなら、斯界の最高の演奏を聴いてきたわけだから、小泉和裕氏と九響がどういうふうに奏でるか興味があったが、爆演ともいうべき迫力満点の演奏だった。弦の音や管楽器の音に繊細さや美しさがなく、粗い演奏ということは可能だが、その代わりに、打楽器がメリハリをつけ、管楽器も大音量のときはここぞとばかり鳴らしていた。他のシンフォニーなら却ってダメになるかもしれないとはいえ、ベルリオーズならそれもありなのだ。1月の読響の「新世界」よりはよほど感動できる演奏であった。

 日フィルはその歴史、活動スタイルと音楽監督の小林研一郎氏(コバケン)のカリスマ的人気から、固定的なファンも多いが、私はこれまではとくにファンでもなく、今回が初めてのコンサートである。シベリウスをするというので行っただけにすぎない。演目は今年がグリーグとシベリウスの記念イヤーになっているので、その二つがメインである。もともとこのグリーグのピアノ協奏曲は音が華やかできらめいている曲であるが、その雰囲気がよく出た演奏で、ピアノコンチェルトの醍醐味を味わうことができた。仲道郁代さんのテクニックも確かで、好演であったと思う。

 さていよいよシベリウスである。コバケン氏は初めに各楽章の聴き所を実演つきで解説した。こういう趣向は青少年向けの教育的なコンサートでは見たことはあっても、一般のコンサートでは私は初めてである。「市民とともに歩むオーケストラ」の真面目か。その後、演奏が始まるが、マーラーの得意なコバケン氏だけあって、かなり情緒的な厚ぼったい演奏で、いつも聴いているヴァンスカ流のいかにも北欧らしい清涼感、端正で素朴な味わいとは正反対のものだった。違和感を覚えつつ第4楽章に入ると、民族的なメロディーのところでは、その演奏スタイルが聴衆を泣かせる。そうか、これは演歌と同じだと気づき、こういうシベリウスもあっていいか、と思った。

 期せずして、1月から、読響、九響、日フィルと日本のオーケストラを続けて聴くことになったが、世評とは逆に、九響と日フィルの方が読響よりはずっと感動できるコンサートだった。機会があれば、大いに応援していきたい。3月にはコペンハーゲンで、王立オペラ王立バレエ、そしてデンマーク放送交響楽団(+ヒラリー・ハーン)と三日連続でホールに通う予定だが、デンマークの人たちがどんな演奏をするのか、楽しみにしたい。

 

2007年2月4日

 一昨日は雪が初めて降ったが、今日はうってかわって暖かい日になった。暖冬なのでもう梅が咲いているだろうと思い、鎮国寺までいくと、案の定満開に近い状態になっていた。立春である。

 春を求めて土日は訪れる人も多いが、さすがに奥の院までいく人は少ない。私はここに来れば必ず奥の院をめぐる山道を歩いて帰る。

鎮国寺

梅の花

奥の院から寺院を見る

 

2007年1月20日

 今日は大寒ということだが、今年は北半球は暖冬らしく、かなり暖かい。そこで久々に近所の森に散歩に行った。iPodでシベリウスの交響曲第6番などを聴きながら歩くと、冬景色が音楽に合って、爽快な気分になる。フィンランドの湖水ほど美しくはないとはいえ、池と森に音楽が映える。

フリードリヒの絵にあるような木々

 日差しはだいぶ長くなり、光の強さも増してきた。まだ一月の20日頃だというのに、昨今の暖かさを感じて菜の花やシロツメクサなどが花開きかけていた。

シロツメクサ

菜の花

 

2007年1月17日

 2007年も明けてすでに半月が過ぎた。早いものである。今年は自分の住む町にある八所宮にはいく機会がなく、初詣は博多の住吉神社にいくことになった。生まれ故郷の神社が住吉神社だし、祭神は漁民の神様なので私にはふさわしいかもしれない。
 
 14日には、北九州市立美術館での「ピカソとモディリアーニ展」と北九州芸術劇場での読売日本交響楽団のコンサートに友人といってみた。前者は全国各地を巡回して九州まできたものだが、けっこういい絵が多く、充分に楽しめた。二年前に「モディリアーニ」という伝記映画があり、ピカソとの確執と屈折した友情を虚実おりまぜて描いているのだが、この映画に出てくる人物やシチュエイションがそのまま展覧会になったという趣きで、親近感をもって見ることができた。
 モディリアーニは印象派の画家並みに日本人には人気の人である。印象派は苦手の私も彼の絵は苦にならない。独自性が独りよがりにならない大衆性をもつ稀有な画家といえるだろうか。かといって決して通俗に堕すことがなく、高い芸術性をもつ。そういう点では、どこかしらムリーリョにも似ている。彼の数枚の絵を見るだけでもいく価値があったと思う。

ジャンヌの絵
 

 コンサートは前にも記したように、ロマン派以降のクラシックも聴き始めたので、ドヴォルザークの「新世界より」というポピュラーな演目も一度は聴いておくかという気持ちからいってみたのだが、演奏はあまり感心できなかった。スッペの「スペードの女王」序曲はなかなかよい演奏だったが、メインの「新世界より」はまだ練度が低く、管楽器もところどころ音がはずれ、弦も調和がとれていない気がした。指揮者の下野氏の意図は間違っていなかったと思うが、まだ楽団がそれについていっていないようだ。若い指揮者だけに年輩が多い演奏者たちに遠慮があったのかもしれない。でもお金をとるプロの交響楽団であるからには、もう少しよい演奏をすべきではなかったかと思う。

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