2012年5月31日

5月のカエデ

 5月と6月は仕事が一年で一番忙しいときなので、基本的には楽しくない。5月は季節がいいというのに、連休は仕事で休めない。

 それでも合間を縫って、6日には「フォル・ジュルネ・鳥栖」に妻と行った。今年はロシア音楽の祭典「サクル・リュス」で、ロシアの音楽がいろいろ聴ける。昨年は三日間であったが、鳥栖市議会の反対で予算をかなり減額され、今年は二日間になった。実施自体も危ぶまれていたので、開催されただけでもよしとすべきなのか、それとも市議会の理解のなさを嘆くべきなのか。このコンサートは、クラシックにありがちなセレブ的な要素が少なく、庶民が音楽に親しめる工夫がたくさんあり、ぜひ継続してほしいものだ。

ラ・フォル・ジュルネ・鳥栖の会場

ムジカ・ヴィーヴァのコンサート

 最初はマリー・ルゲのピアノ・コンサートを聴き、その後は、九響とアンドレイ・コロペイニコフのチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴く。マリー・ルゲはスクリャービンの前奏曲やプロコフィエフのソナタを弾いた。背の高い女性で会場備えつけのヤマハのピアノでは小さすぎた気もするが、たしかな技術で手堅い演奏だった。

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番はあまり好きではない曲である。その割りには感銘を受けた演奏だった。少しは好きになったかもしれない。

 合間には九州のB級グルメのテントで、いくつかの料理を昼食代わりに食べる。家族連れにはこれが楽しいだろう。値段がやや高めでお祭り相場であるのが、ちと残念だ。

 最後は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いた。ロシアのムジカ・ヴィーヴァドミトリ・マフチンのソロだった。オケは室内楽オケなので、そんなに期待をしていなかったのに、これがなかなか上手で音圧もあった。マフチンの演奏も高い技術だったが、しかし、音色があまり好みではなく、この曲のもつ色気、しなやかさがあまり出ていない気がした。

 別府のアルゲリッチ音楽祭もそうであるが、この季節のコンサートは樹木の青葉が美しく、空気もさわやかで、晴天だと会場の移動のときも景色を楽しめるおまけがある。いうなればヨーロッパの夏の屋外コンサートに近い雰囲気で、豊かな気分に浸ることができる。とりあえず来年の開催もたしかなようで、この季節にかかせないコンサートに育ってほしい。

 そういえば、福岡の古楽音楽祭を主催してきた18世紀音楽祭協会が二年後には閉会になるという知らせが来た。事務局の後継者がいないことや財政難が理由ということだ。福岡の都市の規模を考えると行政や企業、音楽大学(九州には熊本にしかない)などの手厚い支援が欠かせない。これまで個人の努力で維持してきたようで、申し訳なく思うとともに、非常に残念だ。

 畏友中村隆市さんから、辻信一さんが映画『第四の革命』に出てきたデンマークの人たちやグルントヴィ運動の人に会いたいので、仲介してほしいという依頼があった。さっそくオヴェプレーベンにメールを送り、打診した。オヴェはグルントヴィの権威であり、プレーベンは『第四の革命』に出ている。

 オヴェからはすぐに返事が来たが、プレーベンからはなかなか来ない。一週間以上経って、好意的な返信が来た。東欧のシンポジウムなどに呼ばれ、あちこち旅をしている日々で、なかなかに多忙で返信ができなかったとの由。たしかに福島原発事故以後、彼の役割は飛躍的に重要になった。日本のNHKも三度取材に来たそうである。一度目は私にもNHKから電話があったので知ってはいるが、その後も来たということだ。

 オヴェは3月に久しぶりに再会したとき、今はフランシス・フクヤマやヒラリー・パトナムというアメリカを代表する世界的な知識人と共同研究をしていると聞いた。そういうすごい世界にいるのに、あいかわらず無名の私に対しても親切に接してくれ、今回の辻さんの訪問でもたやすく友情を示してくれる。ありがたいことである。

3月にオヴェ(右)を訪問したとき。

 無名の私でも気にかけず、ご厚誼を示してくれるといえば、小池直人さん(名古屋大)がグルントヴィの訳書『生の啓蒙』(風媒社)をわざわざお贈り下さった。また先輩の浜渦辰二さん(大阪大)も新しい訳書、フッサールの『間主観性の現象学』(ちくま学芸文庫)を送って下さった。感謝感激であり、両者ともすばらしい仕事である。

 22日は大学の授業の帰りに、太宰府の光明寺の庭の緑陰と松屋の茶房「維新の庵」の庭を楽しんできた。もちろん、小倉アイスを食べながら、である。紅葉の秋は人が多いが、この季節は人も少ない。静かな緑濃い木々の下でゆるやかな時間の流れを味わい、楽しむ。この時期の多忙から来る気ぜわしさがすっかり静寂の中に消えて、心身が解放されていくのがよくわかる。

光明寺の庭

「維新の庵」

小倉アイス

 27日は、佐賀市で「さよなら原発!佐賀集会」に参加した。途中で、親友の東郷さんと合流する。水俣や鹿児島、地元の佐賀や福岡からの仲間、友人たちとも再会し、またグルントヴィ協会の会員の人たちとも会う。

集会の様子

会場の友人、知人たち

デモの様子

集会とデモの動画

 中には20年ぶりくらい会う人たちもいて、これはうれしかった。お互いいろいろとあり、苦労は向こうの方がしていると思うが、それでも筋を曲げず清廉に生きてきた人で、心より尊敬する。ストレスのたまる職場と異なり、このような気持ちのよい人たちに会えるのが、こういう集会の楽しさだ。さっそく数日後、約束した手紙と資料を送った。

 そういえば、五月はこういううれしい投函がいくつもあった。仕事の書類を投函するのと違って、心を運ぶ郵便物を出すのは何かうきうきする。そういう点ではこの五月はいい一月だったのかもしれない。

 

2012年4月29日

 

八所宮の藤の花

 仕事も始まり、忙しい日々を送っている。例年、4月後半と5月、6月は予備校の仕事で授業以外のテキスト、模試関係の仕事がつまって休日がつぶれるのが痛い。

 4月前半はしかし、仕事が始まる前なので、比較的ゆっくりできて、ごぶさたしている人にあったりした。14日は、友人の中村隆市さんらが主催する「いのちの映画祭・水巻」に午前だけ顔を出した。ごぶさたしているみなさんにご挨拶である。

 20日は、九電前のテント村常連のアンクル・トムさんが参加している写真展に寄ってみる。なかなかよい写真があった。季節がよいので、大濠公園を歩くだけでもよい気分になった。

 コンサートは、9日のウィーン・マスターズ・プレイヤーと19日の九響の第一回定期演奏会に行ってみた。ヨーロッパでオペラやバレエは十分に観たものの、コンサートは日程が合わず、ミュンヘン・フィルの定期公演だけだった。少し欲求不満気味だったので、もともとは行く予定のなかったウィーン・マスターズ・プレイヤーも入れたのである。残った席があまりいい場所ではなかったが、全体にはそこそこ楽しめた。

マスターズ・プレイヤーズ・ウィーン・コンサート

 楽しみにしていたシュトイデ氏(ウィーン・フィル・コンマス)のソロによるベートーヴェンの「ロマンス」は、隣のおばさんがずっとあめ玉の袋をいじってシャリシャリという音が続いたので台なしだった。ふだんはクラシックを聴かない層もきているようだった。トヨタが自動車販売のサービスでタダ券をばらまいたのだろうか。

 19日のコバケン(小林研一郎)によるチャイコフスキー・プログラムは、また粗い爆音だろうとあまり期待をしていなかった。このところ小林氏の指揮によるコンサートはそういうものが多かったのである。ところが、これがすばらしい演奏で、久々のあたりになった。とくに「悲愴」は強弱を心得た名演で、毎日新聞西部本社のコンサート評でも高く評価されていた。技術はともかくとして、ミュンヘンで聴いたミュンヘン・フィルの演奏よりはよほど感動的だった。日本でも十分によいものは聴けるということだ。

 22日は職場のアルバイト学生たちの労をねぎらうべく、バイエルン・フクオカでビールと食事を楽しんだ。トルコ料理のパシャが昨年末で閉店となり、やむなくここにしたのである。前から名前は知ってはいたが、サッカーのスポーツバーなのでうるさいだろうということと、天神から少し離れていることもあって、行ったことはなかった。

 ちょうどアヴィスパ福岡の試合があっており、サポーターが押しかけ、得点の度に大騒ぎしていた。たしかに静かではないにせよ、料理は本物のドイツ料理で、何よりもバイツェン・ビアが飲めるのがよかった。酒は飲めないが、このビールだけは飲みやすく好きなのである。学生のM君は秋からミュンヘン工科大に交換留学で行くとかで、ドイツのビールと料理を知るよい機会にもなった。

 4月は桜に始まっていろいろな花が楽しめるのがうれしい。色とりどりの花が次々と咲き乱れるのを見ていると、何かいち早く天国に来てしまったような気になる。散歩する場所の桜やツツジ、庭の花壇、そして例年訪れる八所宮の藤の花など、この季節の一番の醍醐味である。

山田地蔵の桜

八所宮の藤の花

道ばたのツツジ

庭のスミレなど

 

2012年3月31日

 3月9日から25日まで、ドイツ、デンマーク、オランダを旅してきた。友人たちに会い、ドイツ・グローナウでの福島一周年集会とデモに参加し、オペラやバレエなどを見てきた。詳しくは日記特別篇でまた報告を書くことにしよう。協会のページには、グローナウの報告コペンハーゲンの報告を挙げているので、とりあえずは間に合わせでそちらも参照されたい。

 戻ってきて、すぐに仕事があり、おかげで少しずつ体も慣れてきた。今日はようやく休みで、付近の田舎道を歩くと桜が少し咲き始めていた。今日発売のカメラ、オリンパスOM-Dが届き、試し撮りを兼ねて少し撮ってみた。

 大きな不祥事があり、また内部告発者を虐げるなど、企業としてのあり方は最低で、オリンパス・ファンとしてはがっかりだが、それでも製品を買ってしまった。製品に魅力がなければすぐに見捨てるのだが、困ったものである。

 

2012年2月29日

山田地蔵の紅梅

 例年2月はレギュラーの仕事がないので楽なはずなのだが、さまざまな雑事があって忙しい。大学の試験の採点、次年度のシラバスづくり、確定申告書類の作成など時間のかかるものが多い。講演や発表、論文執筆などがこれに加わるが、今年はだいぶ辞退した。それでもなんだかんだと忙しい。

 14日は、スロービジネススクールのメンバーで埼玉在住の女性が面会したいという連絡が事務局からあり、事務局メンバーの竹之内君を含めいっしょに夕食を食べていろいろと雑談した。あれでよかったかのかなとも思うが、こういう人たちに会うのは気持ちのよいことだ。

 19日には、「原発止めよう!九電本店前広場」の有志が学習会を開くというので講師役によばれて話した。学習会の名を借りた飲み会、慰労会みたいなもので、口実に私の話が使われたというのが真相かも知れない。これまでの私の反原発運動とのかかわりを質問を受けて話した。一部始終をIWJ市民のユズリンさんが録画・編集して彼のブログに載せている。面はゆいかぎりである。

 20日は、1月に続いて北九州市の年長者研修大学校「周望学舎」で「デンマークの文化」と題した二回目の講義を行う。ここは60歳以上の高齢者が学ぶ生涯学習の施設である。デンマークのホイスコーレ運動が世界で最初に「生涯学習」「成人教育」の概念を提起したので、そういう意味ではホイスコーレ運動にかかわるものとしては断れない。

 47名の参加者で、女性が6割を占める。成人教育の場はみなさん熱意が大学生とは全然違うので、反応は大学の講義よりははるかによい。冗談をいうとすごくよい反応である。
 60歳以上ということで、綾小路きみまろ風のギャグ(今日は寒いですね。ももひきはいてますか。今年の寒さと年で私もとうとう最近はくようになりました。みなさんの仲間です、等)をいうとバカ受けで、きみまろの気分がわかったような気がした。高齢化社会で彼女、彼らはたくさんいる。私も第二のきみまろとしてデビューでもしようかな(笑)。

 その日の夜は、萩原麻未さんと南西ドイツ放送交響楽団のコンサートに行く。南西ドイツ放送交響楽団はドイツでもとくに傑出したオケではないので、今回は萩原麻未さんがお目当てだ。

 彼女は09年のジュネーブ音楽コンクールで一位を取り、メディアによく採りあげられた。とくに彼女がマンガ「のだめカンタービレ」ファンで、マンガの設定どおりパリのコンセルヴァトワールでピアノを学んでおり、ラベルのピアノ協奏曲で賞を取ったという点がよく似ていることも話題になった。彼女はコンセルヴァトワールで「のだめカンタービレ」のロケがあったときは、しっかりギャラリーとして興奮しながら見ていたそうである。

 パンフレットの本人インタビューを読むと、楽譜どおり弾くのが苦手でつい感性で勝手に弾いてしまうという談話など、これまたのだめそっくりである。音楽家にありがちなお金持ちの子女ではなく、広島の庶民出身というのものだめと似ている。端正な美人とはいえないが、愛らしい容貌も魅力がある。

 当日の演奏もまたのだめ的な爆演をやったかと思えば、ピアニッシモの緩徐楽章は鳥肌がたつほどにきれいで、なかなかに素晴らしかった。ピアノ演奏で鳥肌がたったのはおそらく初めてである。まだ若いがゆえに荒削りなところが残っているが、経験を重ねればすばらしいピアニストになるだろうと思えた。シューマンが好きなようで、彼女とタイプ的に近いアルゲリッチとその点は同じである。シューマニアの私としてもますます目が離せない。

カーテンコール時の萩原麻未さん

 メインのマーラーの5番は充実した演奏で、これも素晴らしかったのではないか。ただ私からするとテンポがやや遅めで、もう少しきびきびした演奏をしてもらえればもっとよかった。常任指揮者のロトはガーディナーの弟子ということらしいが、師匠流の明快なテンポではなかった。

 よい演奏だったので、最後「ブラボー」の代わりにドイツ語で「Wunderschoen(ワンダフル)」「Prima(最高!)」と叫んだ。前から5列目の席なので、オケの団員にも聞こえたらしく、日本人団員の女性2人が「まぁ」という感じでにっこり笑って反応した。でもドイツ人の反応はわからず、彼らにとってドイツ語が聞こえるという意識がそもそもなかったので、日本語だと思ったのかもしれない。

 28日は、家族で福岡市市立美術館の「レオナルド展」に行った。レオナルドについては若い頃それなりに勉強した私が休みでガイドができる日ということでこの日になった。

 行ってみると、レオナルドとモナリザの知名度に依存した作品構成で、ガッカリ度が半端なかった。レオナルドの作品が3つのデッサンしかないことは知ってはいたが、彼の作品にまつわるいろいろな秘密や思想などがわかるような工夫された展示だろうと思っていた。しかし、事実はそうではなく、モナリザがメインで、それに関係してくる作品が集められていた。

 レオナルドの絵の全体からすればモナリザは必ずしも最高傑作ではない。後世の評価の高さは、残された数少ない完成品(とはいえレオナルドに完成品の概念はない)であることが大きい。

 多くの作品は無名の画家たちがレオナルドの絵を模写した習作で、全体としてレオナルドの影響作用史を知るにはよいが、美術史家でもなければ、そんなことに関心をもつ人は多くないだろう。見物客は本物のモナリザの代わりに上手な模写の作品を見て、満足して帰るという設定である。人出は多く、平日でも会場は一杯で駐車場も朝すぐに満杯になるほどだった。

「レダと白鳥」(作者不詳)

 とはいえ、レオナルドのデッサン、それにレオナルドの作品自体は失われたが、それを模写した「レダと白鳥」、それにレオナルドのアンドロジナスの理想を示す「裸のモナリザ」などを見ることができたのは満足である。

 

2012年2月11日

 1月の後半二週間と2月の最初の週末まで、休みなしの多忙な日々が続いた。ようやく2月の二週目になりやっと一息をついている。

 3日の夜は、九響の最後の定期演奏会に行った。宮本文昭氏の指揮で、ブラームスの4番であるが、知人のF氏が、宮本氏の指揮をけちょんけちょんにけなしていたので、あまり期待をしていなかった。最初の大学祝典序曲はけっこういい感じで、その後のシュトラウスもよくて期待をもたせた。しかし、メインの4番はやはりさっぱりで、全然感銘を受けず、知人のいうとおりだったなというのが感想だ。

カーテンコール時の九響

 おまけに今回は、大山佳織さんが最後の団員挨拶にいなかった。まぁ、有志ということなので、出るとき出ないときがある。もしいたら、お礼にあげようとバラの花一本買っていったのだが、しかたなくそこにいた若い女性団員にあげると「え、私が?」と驚いていた。

 4日は、長崎北高の小論文講演前に、兄とグラバー園などを歩いた。去年もこの時期に来るはずだったが、インフルエンザで中止になった。

港に停泊中の軍艦島観光船

お茶を飲んだ洋館

グラバー邸

 グラバー園は09年以来か。長崎観光の定番であるが、いつきてもここは落ち着く。兄と洋館の中のカフェで紅茶を飲んで話し、ゆったりとした時間を過ごした。

 3月9日からドイツ、デンマークへ行くので、友人たちに連絡を取る。デンマークの親友クリスチャンは、今はコペンハーゲンで暮らしているという。彼の弟のアナスは「リベラル・アライアンス」という中道政党の党首で、去年の選挙で9人議員を出した。その中にクリスチャンの姉のメッテ・ボックもいる。

 クリスチャンは、その中の議員チューラ・フランクの秘書をしているようだ。コペンハーゲンでは、国会の案内とチューラに会わせるという。アナスも前からの知り合いで、09年の木曽のウォーキングにも参加し、お互いよく知っている。メッテも08年の訪問のときは、彼女の自宅に食事に招待された。当時は彼女はデンマーク・ラジオ(国営第一放送、NHKみたいなもの)の会長をしていた。

木曽路のユースホステルで
(立っているのがアナス、帽子姿がクリスチャン)

 要するにクリスチャンの姉弟は国を代表する名士なのだが、日本と違って全然気どらないから、私みたいな無名の力ない人間でも対等につきあえるのである。これがデンマーク社会のよさだ。

 コペンハーゲンにいるので、クリスチャンは王立オペラの「椿姫」に行かないかと誘ってきた。行こうかなと考えていたので、渡りに船ですぐに承諾した。07年以来の王立オペラで楽しみだ。

 ドイツでは、親友のアミン、モハメド、ジャネットらと会うが、今回は3.11のドイツでの集会にも参加する。エッセンに一番近い会場はオランダとの国境町グローナウで、これは留学時代も訪ねて復活祭の平和行進に参加した場所である。

89年のウラン濃縮工場前の集会
(ビールをついているのがライナー)

集会で挨拶する私(ヤッケ姿の人間)

 ここが故郷のライナーに連絡を採ると、彼は今はインドにいるとのこと。ライナーは一年の半年をドイツで働き、お金を稼ぎ、残りの半年はインドや東南アジアでNGO活動をしている。いつも寒い時期はインドなので、全然会えないのだが、彼にグローナウに行く旨伝えると、主催者のウドに私のことを伝え、ゲストとして扱うように頼むという。大役はあまり気が進まないが、昔会った気のいい連中にまた会えるのが楽しみだ。ここではとても親切にされたよい思い出があるのだ。

 協会会員の廣岡さんが、タイに旅行にいくとの連絡がある。ついでに「バン・トー・ファン(夢を織る家)」のナートに会いたいので、紹介してほしいというので、メールで連絡をとる。さっそく「大歓迎!」という返事が来る。ここには2003-4年に行ったきりで、その後はタイに行くこともないが、ナートとは心でつながっている感じがあって、今回の件もすぐに対応してくれた。

ナートと私(2003年)

 彼は、少数民族の虐待された子どもたちを預かり、ケアし、地域の住民の自立のために染め物やコーヒー生産など、いろいろな事業をやっている。「森の聖者」という呼び名もあるくらいの人格者で、会った人の誰もが好きになるすばらしい人柄だ。人間的には天地の違いがあるけれども、なぜか私とはフィーリングが合い、離れていてもよく思い出す大事な友人になっている。これはナートもそうらしい。

 デンマークのクリスチャン、ドイツのアミン、モハメド、そしてタイのナートは、住む場所も背景も違うのに、お互い心の絆を感じている。旅の準備をしながら、つくづく友のありがたさを実感する。

 

2012年1月31日

 2012年になってもう一ヶ月が過ぎる。いつもながら、予備校は年末年始が休めず、その後もあれこれと用向きがあり、あっというまに一月の終わりになった。

 去年の12月27日は、佐賀のプルサーマル裁判の追加提訴があり、私も追加の原告となった。もう一つの「原発なくそう!九州玄海訴訟」もあるが、既存の玄海プルサーマル裁判の会に加わったのは、大学時代の後輩の武富君が中心メンバーとして活躍しているので、その縁である。両者は基本的には目的は共通している。

提訴の集会

 昔は「九電株主権裁判」の原告と事務局をやったこともあり、裁判の限界は熟知しているが、とりあえず起こせる範囲の行動として参加してみた。

 28日は、「原発とめよう!九電本店前広場」の忘年会に呼ばれたので参加する。25日に九州の原発がすべて停まり、その祝を兼ねてである。いつものメンバーも多いが、初めて会う人もいて、テント村の広がりを感じた。

テント村忘年会

 年始は2日からは仕事で、職場に行く途中に博多の住吉神社に寄り、初詣。漁師の神様だからここでもよいのだ。10日頃、仕事は一段落するが、今度は大学の授業が始まり、また弟家族の年始の訪問など、やはりいろいろと忙しい。しかし、これはこれで悪くはない。

 26日は、オペラ「トゥーランドット」を妻と見にいった。職場の同僚のEさん、Mさんもいて、合流して話が盛り上がる。
 オデッサ劇場はウクライナの伝統ある劇場だそうだ。東欧系の田舎劇場かと軽く見ていたが、実は実力ある劇場で、現在、世界最高のトゥーランドット姫役といわれるマリア・グレギーナはこの劇場出身だ。あいにく彼女は東京公演が主で、福岡では若いアーラ・ミシャコワ嬢が演じたが、彼女も声量があり、見栄えもよくて、大いに楽しめた。妻も昨秋のプラハ国立劇場の「トスカ」よりも、今回の「トゥーランドット」がよかったといっていた。

「トゥーランドット」のカーテンコール

 翌27日は、九響の「天神でクラシック」第4回目のコンサートに行く。前ベルリンフィル・コンサートマスターの安永徹氏の弾き振りで、妻の市野あゆみさんのピアノもある。曲目はモーツァルトが主だが、これよりもロシアの現代音楽家マルティノフの「カム・イン」が興味深かった。それもそのはずで、マルティノフはギョームド・マショーやイザーク、デュファイなどのルネサンス音楽に、ミニマル・ミュージックなどが融合した存在だそうだ。どちらも私にはなじみ深いものである。気に入るはずだ。
 肝心のモーツァルトはテンポが重々しすぎて、あまり心を動かさなかった。やはりベルリン・フィル風なモーツァルトでは、古楽によって洗練されたモーツァルトには及ばない。せめてスイトナー的な演奏なら、モダンでもよいのだが。

 九響のメンバーは昨年より、観客が帰るときに通路に出て挨拶をするようになっている。今回はバイオリン首席の大山佳織さんが出ているのを見たので、さっそく握手をして「ファンです」と語りかけた。美人で品のよい生大山さんに会えて、これが一番よかったかな。

 31日は、恒例になった大分県の臼杵高校での小論文講演である。いつものように、少し市内を観光していく。駅で地図をもらって、ときおり見ながら歩くと、二度までも「道がわかりますか?お教えしましょうか」と街の人に声をかけられた。とても親切な人たちである。

二王座の歴史的な街並

 一人目はおばあちゃんで、買い物用のカートをひきづっていた。話の流れで「可児味噌をいつも買って帰る」というと、「それがいいよ。地元の人間もフンドーキンよりは可児味噌がうまいと思ってるから。私の孫はフンドーキンで働いているから、大きな声じゃいえないけどね」という。「大きな声じゃいえないけどね」といいながら、けっこう大きな声というのがおかしい。しかも目の前にはフンドーキンの工場が見えていた。

まかないご飯

臼杵の商店街

 フンドーキン味噌ももちろんおいしいのである。だから、昼食はフンドーキン味噌を使った小手川商店のまかないご飯を食べた。2年前に、野上弥生子記念館の親切な女性スタッフに勧められた場所である。

 明るい陽の差す気持ちのよい午前で、親切な人々に出会い、わずかな時間の散策とはいえ、とても豊かなひとときを過ごせた。

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