2010年12月25日

 いよいよ2010年も年の瀬を迎えた。
 年末はこの二年、小倉のイルミネーションを撮っている。今年も出かけて、門司港のそれと併せ、眺めて楽しみつつ写真を撮ってきた。不況といいながら、井筒屋デパートは毎年意匠を変えている。門司港は小倉ほど華美ではないけれど、港町の雰囲気がすでにあるので、少しあればそれで充分だ。家族連れ、カップルが幸福そうな笑顔で行き交うのを見るのもまた楽しい。

小倉井筒屋のイルミネーション

光のトンネル

門司港駅舎前

 24日は、福岡市美術館の「シャガール展」にいってみた。それほど好きな画家というわけではないが、パリのポンピドー・センターから来ているということで、ヨーロッパにはよくいくものの、たぶんパリには行く機会がないと思うので、この際によってみたのである。

福岡市美術館

シャガール「彼女を巡って」(1945年)

 シャガールとロシアン・アヴァンギャルドの絵が展示されていた。後者はそれほどいいとは思えなかったが、シャガールがそうした前衛的な流派を離れて、自分独自の絵を描き始める頃の絵はさすがに惹きつけられた。現代絵画は基本的にアイディア勝負で、自分で新たに形式を創造できれば、それで価値があることになる。しかし、シャガールの絵はそのような思想や理知の世界ではなく、無意識の層、情念、なつかしい記憶を絵画にしたもので、琴線に触れるものがあった。

 とくに『家族の顕現』は、彼の故郷のユダヤ人村、ロシアの牧歌的な世界でありつつディアスポラとしてのユダヤ人の世界が色濃く出ており、心揺さぶられた。これは私だけではなく、多くの者がもった感想のようだ。意匠だけの現代美術を超える内容こそが彼の本質なのであろう。期待をしなかった分、情念からの感動を得た美術展だった。

 その後は、年末恒例の九響の「第九」のコンサートに知人女性と行く。今年はアクロスで、ドイツの若手指揮者ゴロー・ベルクが棒を振った。いつもの九響よりもミスがなく、最後まで乱れぬよい演奏だった。ベルク氏のテンポはやや遅めで、古楽系の歯切れよさが好きな私の好みとは違っていたけれど、その統率力はすばらしく、これはひょっとすると大化けする指揮者になるかもしれないと思わせるほどだった。

カーテン・コール(右端がゴロー・ベルク)

 帰りには、福岡で唯一のトルコ・レストラン「パシャ」に行く。去年できたということだが、私はつい先月知って、職場の後輩の送別会を12月初めにここでやり、そしてこの日は将来ドイツへワーキング・ホリディで行くことを希望している若い女性を連れていった。ドイツに来れば、まずは「デュナー・ケバブ」と相場が決まっているので、実物を食べさせたかったからだ。

 彼女はケバブもさることながら、フムスも気に入ったようだ。これは中東の基本料理で、ドイツ在住のアラブ人の友人たちがいつもつくってくれたもので、その香辛料はまさに中東の味である。あのケバブは福岡ではまず無理かなと思っていたのに、このレストランができて、行けばその味が味わえるのはうれしい。しかし、ドイツのうまい店に比べると味はまだまだの気がする。

 それにしてもこの年になると一年が早い。今年はとくに大きな問題もなく過ぎた年だが、年々感動というものが減っている気がする。よいことも一杯あるというのに、それほど心が動かないのは年のせいだろうか。この一年はずっと論文を書き、いろいろな書物を読み、勉強という点ではよかったと思う。

 ドイツの古本屋ネットに多くの書籍を注文したので、クーポンまでもらったほどだ。前にも書いたが、このZVABはほんとうに便利で、ドイツのあちこちを回る必要がなく、お目当ての貴重な書物を安くで入手できる。

 その関連で、これまではあまり関心がなかったナチス・ドイツ関係の書物や映画を見た。ドイツといえば、まずはナチズムなので、そのワンパターンに辟易して、基本的なもの以外自分で調べようという気にはならなかった。遅ればせながら、そういう分野にも入り込み、『白バラの祈り』や『エニグマ』などの映画もみた。

 前者はいい映画ではあるが、すでに知っていることが多く、この映画の売りである新発見の資料にもとづくという捜査官モーアの態度も、ショル兄弟の立ち居振る舞いが関係者に尊敬の感情を与えたという事実をすでに知っている者には、当然のなりゆきでそこまで驚きはない。

 とはいえ、このような理不尽な弾圧は現代でも行われていることでもある。そういう時代や風潮にならぬよう、そしてそういう事態が来たときには、自分が何をできるか、あらためて考えさせるよい機会となった。

 

2010年12月5日


 12月になった。

 11月30日には、大学の帰りに太宰府の光明寺に寄った。さすがに盛りをすぎて、今ひとつだった。本来は先週の23日あたりがよかったのかもしれないが、祝日で休みだった。自宅の近くの市民の森の紅葉も見頃を逃したようだ。今日いってみると少しは残っていた。これで今年の紅葉は見納めというところか。

光明寺

光明寺の紅葉

石庭

宗像「ふれあいの森」の紅葉

 4日には、仕事帰りに北九州市立美術館分館の「ポーランドの至宝展」に寄ってみる。分館は繁華街にあり、足を運ぶのには便利とあって、この絵画展は客の入りがかなりよかったらしい。土曜日の午後ということで、人が並んでいた。北九州の美術展では初めて見た光景だ。さほど期待せず入ると、先週行った本館のモネ展よりもよほどいいと思った。

 レンブラントの円熟期の作品二点が売りになっているが、カナレットのワルシャワの街の絵がいくつもあり、これは予想外でうれしかった。ドラクロアの小品もあり、またポーランドの印象派の絵(とくにレオン・ヴィチュウコフスキ)もすばらしく、大満足で帰宅した。カナレットの絵はヨーロッパの宮廷にはけっこうあるもので、ポーランド王宮にあるのも当然だ。彼の絵があるとヨーロッパの伝統の美術館というイメージがあって、ご当地気分が味わえるのがいいのだ。

カナレット「聖体修道女聖堂」

 レンブラントの絵も本物はすばらしい出来で、写真などではその味わいが全然出ていなかった。こればかりは本物の絵を見ないと魅力半減の絵だ。レンブラントの名前で人を集めたとたかをくくっていたが、これなら多くの人が来るのはわかる。実際に観た人たちが口コミで評判を広げたのはまちがいない。

レンブラント「額縁の中の少女」

 9日で予備校の仕事が一段落し、レギュラーの授業が終わる。例年最終講には激励をかねて、詩の朗読とリコーダー演奏を行っている。たまにはギターで歌うこともあるが、運ぶのが面倒なので、これはあまりしない。詩は永瀬清子が多い。リコーダーは大阪の「リコーダーJP」のチェンバロ伴奏付きの楽曲を使う。すでに二クラス終わったが、それなりに反応はいい。あとは彼らの健闘を祈るだけだ。

 

2010年11月28日


 11月はとくにつつがなく過ぎた。20日は、出身の対馬高校の同窓会が博多で開かれた。前回はたしか20年近く前に有志が集まったらしいが、そのときにはドイツにいて行けてない。ちゃんとした同窓会は35年ぶりということだ。中学は楽しかったが、高校は進学クラスに二年から入れられて、あまり楽しくなかった。それでも、卒業以来会う人もいて、予想以上に話がはずむ。学年全体だったので、他のクラスの友人や中学からの同窓生が話に来て、料理を食べる暇もないほどだった。高い会費を払ったというのに(笑)。

対馬高校同窓会(1974年度卒)

 高校時代は如才ないヤツだなと思っていた連中も、今にして思えば、やはり島の人間で、都会の人たちと比べると全然不器用なことがわかる。私自身、不器用な人生を歩んできたのは、性格もあるが、島育ちというのが一番大きかったということだ。みながいうように、年を取ってからの同窓会はいいものだと思った。そして、よき級友たちであったことも改めてわかる。住所がわかった友人も多いので、今後はたまに連絡をとってみよう。

 26日には、下関の長府に紅葉を見にいく。2008年から毎年通っている。まだ完全に紅葉にはなってないものの、今年は天気がよくなり、色鮮やかさが際立った。昼食を食べたお店で地元の人たちと楽しく会話。手づくりの料理の店でおばさんたちがやっている。これを見ただけでもう満足だが、まだ太宰府の光明寺が残っている。今度の火曜日に寄るつもりだ。

長府の古江小路

覚苑寺

覚苑寺の紅葉

功山寺山門

功山寺本堂

高杉晋作像を背景に

 帰りには、北九州市立美術館でやっているモネ展を見にいった。アメリカの画家のものが多く、それらは飛ばしてモネの絵10点を主に見た。モネはそんなに好きな画家ではないが、アメリカの画家たちと比べるとさすがに実力の違いがよくわかる。絵にはどうも濃密な伝統文化が反発にせよ、継承にせよ背景として必要なのかもしれない。アメリカは現代美術にならないとよさが出ないようだ。

モネ「睡蓮の池」

美術館より街を見下ろす

 翌27日には、九響の北九州定期演奏会へ仕事帰りに行く。旧厚生年金ホールには九州でも珍しい本格的なパイプオルガンがある。新装オープンにあたり、オルガンも補修をして、サンサーンスの「オルガン交響曲(交響曲第3番)」をやるというので、楽しみにしていた。博多のアクロスでは10月の定演でやっているのだが、アクロスにはパイプオルガンがなく、電気オルガンで代用している。さすがにパイプ・オルガンの響きはすばらしく、一つでオケ全体に勝っていたのには驚き。オケが束になっても音量、音色でかなわないことがわかった。ふだんはほとんどしないのに、久々に「ブラボー!」と叫んでしまった。26日と27日の二日間は秋のよさを満喫し、充実した二日間だった。

カーテンコール時の九響

 

2010年11月7日


 10月と11月は基本的に仕事ばかりの日々なので、あまりゆっくりする時間がない。それでも秋になると美術展やコンサートがさかんに行われている。美術展は近く行ってみるつもりだが、10月はとりあえず二つのコンサートに行ってみた。15日は福岡アクロスでのヴッパタール交響楽団のオール・ワーグナー・プログラム

ヴッパタール交響楽団(カーテンコール)

 ヴッパタールは留学時代、毎週一回、ヴッパタール大のフィヒテ研究の世界的権威であるヤンケ教授のゼミに通ったので、なじみがあるところだ。友人マルティーナもいて、留学の後も何度か訪ねている。谷の名前通り、谷間の町なので、坂が多く、長崎を思わせて好きな街だ。留学時はクラシックを聴くのを止めていた時期なので、このオケもピナ・バウシュの舞踊団のバレエも全然見ていない。今思えば、実にいい機会だったのにと残念だ。

 そんなわけで親しみのある街のオケということで、体調が悪かったのにもかかわらず、いってみた。指揮者は日本人の常任、上岡敏之さん。演奏自体は予想よりもうまいと思ったが、上岡さん独特の解釈とテンポにはついていけなかった。評者によって毀誉褒貶ある指揮者という評判がわかった気がする。でも、地方オケが生き残るにはこれくらい個性を出さなければならないのかもしれない。

 30日は、北九州シティオペラの「椿姫」公演に行った。あくまでも二年に一度のグランド・オペラ公演のための寄せ集めなので、さほど期待せずに行くと、とてもよい出来で、十分に金を取れるだけの仕上がりだったと思う。アマチュアの人も多く、たしかに技量は一流ではないにしても、この日のために練習し、意気込みが違うので、外国のどさ周り公演よりもよほど力が入っていたのではないか。演出も舞台装置もしっかりしており、作品自体の力もあって、多いに感銘を受けた。

北九州シティオペラ(カーテンコール)

 11月3日は久々の休みで天気もさわやかな秋晴れ。恒例の宗像大社の菊花展に行く。菊自体にはそんなに関心はなく、この時期だけに開かれる茶房めあてだ。ふだんは勅使館としてつかわれる場所を提供する。去年も同じ文化の日に来たが、もう一年経ったということで、あっという間だったなと改めて感じる。年を取れば取るほど一年の過ぎるのが早い。

裏山の秋模様の木

菊花展

菊の花

茶房

茶房でコーヒーを飲む

 とくに去年から、哲学の研究に戻って、書斎で論文をずっと書いているので、生活に大きな変化がなくなった。これは年齢を考えて、もう還暦まであと5年なので、それまでに哲学関係の本格的な著書を一冊書いておきたいと思ったからだ。これまでの著書は、デンマークの民衆教育運動にかかわるもので、これはほんとうに偶然というか、自分の市民活動の延長に出てきたものだ。社会のニーズも哲学よりはあるのはたしかだが、ずっとほそぼそとやってきたのが、フィヒテの哲学研究なので、これを形にして一区切りつけたいと考えている。

 久々の勉強になるので、これが意外と楽しい。最近はその関連で、中世自由都市の文献を調べる要があり、いろいろ読んでみるとこれがけっこう面白いのだ。ドイツやフランドルの美しい街はたいていが古い伝統を誇り、都市の自治を守って、文化が栄えたところだとわかる。留学時代やその後の旅行でも、レーゲンスブルクヴュルツブルクリューベックブリュージュアウグスブルク、アーヘンニュルンベルクなどお気に入りであり、現地のドイツ人ガイドの市内ツアーにも参加して、歴史的な解説を聞き、旅行本よりは濃い情報を得たと悦に入ったが、こうやって調べてみると表面的にしか受けとめていなかったことがわかる。歴史を知っていれば、もっと解説が楽しめたのにと今になって残念に思う(まぁまた行けばいいだけの話であるが)。あの都市の美しさ、文化の開花、自由の名残は、中世自由都市の伝統に由来するのだ。

 6日には、下関のNestを訪ね、代表の石川章さんのお話を聞いた。ここは不登校や引きこもりの子ども、青年の居場所であり、フリースクールである。こうした場づくりに関心のある方に石川さんのやってきたことを知ってもらうために、数年ぶりに訪問したのだが、あいかわらず精力的に活動され、社会への貢献ぶりに頭が下がる思いがする。とくに上に書いた理由で、去年からは市民活動に出る時間が減っているので、それが終わり次第、自分も何かしなくてはと励まされる。こういう人たちを知己にもつことのありがたみを感じた。

 

2010年10月9日

 9月に入り、仕事で忙しくしているうちに、あっというまに10月になる。

 9月23日は恒例の福岡古楽音楽祭のオープニング・コンサートにいった。古楽協会会員ではあるが、去年はいっていないので、二年ぶりだ。メインゲストのオノフリ氏はイタリアの破天荒な古楽アンサンブルであるイル・ジャルディーノ・アルニコモのコンマスをしていた人だ。演奏を聴けばそれはすぐにわかる。東京でみっちり練習をしてきたそうで、いつもよりは演奏が整っており、満足できるコンサートだった。

カーテンコール

 10月1日は、地元の宗像大社の「みあれ祭」だ。去年は仕事で見ることができなかったが、今年はうまく日程が合い、空いている時間だったので、海上神幸を見にいく。今年はゴールの神湊に陣取ってみたものの、漁船が近くまでは寄らずに、結果的にはあまりいい場所ではなかった。天気がよいせいか、参加した漁船の数は一昨年よりは多い。

みあれ祭の海上神幸

神湊に入港する御座船

神官たち

 大社にも寄って、最後三姉妹が神社に到着する場面も見たが、意外とあっさりしていて、小さな箱をさっさと運んで奉納するだけだった。出迎えはこのように大々的に祭りにしているが、長女、次女の二神が戻るときは何もせず、彼女らは空を飛んで帰るとされているので、もとからそんなに儀式張ったものではないのかもしれない。

三姉妹神の到着

露店

 

2010年8月31日

 8月も最後になった。今年は懐具合が厳しいので、数日の旅行などのぜいたくができない。しかし、小論文講演で各地の高校を回るなどしたので、そのついでに街を散策してみた。

 21日は長崎の大村にいった。長崎県人であるが、大村は初めてだ。由緒ある城下町で最初のキリシタン大名の大村正純が支配し、天正少年使節を派遣したことで知られる。長崎県人には空港の町というイメージが一番強いか。あまりに暑くて少し歩いただけでバテてしまったので、城下町の街並みまで行き着けずに帰ってしまった。

天正少年使節の記念碑の一つ

 ここで無理をしなかったのは、30日に大分への出張の際に、その手前にある杵築に行こうと思っていたからである。杵築も城下町で、ここは中央の商店街を挟んでその両側の坂の上に武家屋敷街があるという「サンドイッチ型城下町」で知られる。

酢屋の坂

酢屋の坂を昇る

 城下町らしく駅は市の中心部からかなり遠く、バスに乗って市内へ行く。さっそく酢屋の坂で降りて、石段の坂を上り、武家屋敷街を歩いた。午前なので昼ほどの日差しはないとはいえ、やはりかなり暑い。しかしからりと晴れて、青空が気持ちがいい。大原邸では、係員の人がガイドまでしてくれた。平日なので、数は多くはないとはいえ、観光客もちらほらいる。九州の地方の観光地と同じで、地元の住民の方と出会うと挨拶をしてくる。人口減や企業の撤退などで、経済的には厳しいのかもしれないが、人情もあって、のどかで情趣ある建物に囲まれて、いい街だなと感慨に浸る。2時間ほど歩いて目的地の大分に向かったが、また来てみようと思った。

武家屋敷街

大原邸

商店街

挨拶を交わした親子連れ

 29日は、地元の宗像で九州交響楽団のコンサートがあったので、妻と行く。前半は、地元の出身者のソプラノの歌手とのジョイントで、後半はベートーヴェンの七番である。どちらもよかったが、やはり「ベト7」は盛り上がりが半端ではない。オケの熱演に、大人しい宗像の聴衆も最後は熱気で応え、大喝采で終わった。これで2,500円は安い。

九州交響楽団のカーテンコール

 最後は懸案の論文書きをずっと行ったが、ときどきは近くを散歩した。合鴨農法の田んぼがあることに気づき、何度か寄ってみた。これがなかなか可愛くて、気持ちが和むのだ。最近は合鴨がいなくなっていた。もう稲が大きくなったからか。台風も来ず、大雨も降らず、暑いばかりの夏だったが、季節は少しずつ変わり、秋の気配も感じられる。大きな行事はなかったけれども、充実したいい夏だったといえるだろうか。

田をバックにアゲハ蝶

実りが近い稲穂

2010年8月20日

 暑い夏だ。7月終わりから8月半ばまでは、予備校の夏期講習、大学の試験採点、高校講演などでそれなりに忙しかった。お盆もすぎて供養も終え、少し時間的な余裕ができた。今年はカノコユリの花のつきが悪く、写真を撮る機会も逸してしまったのが残念だ。

 17-18日は宮崎に行ってきた。宮崎西高校での小論文の講演が18日にあったからで、どうせならついでにということで、当日午前は5年ぶりに飫肥を散策してきた。天気がよいのはいいが、8月のまっさかりで下手すると熱中症になるところだった。適宜休んだり、冷房の効いている施設で涼むなどして、何とか切り抜けた。

宮崎空港

飫肥の石垣

豫章館

武家屋敷通り

飫肥城址

 

 今回一番よかったのは、前回訪れなかった藩校の振徳堂か。あとは二度目ということもあり、最初に来たときの感銘はなかったが、それでも緑陰と青空のコントラストの中に佇む城下町の風情は、夏の休日を楽しむには充分だった。

藩校「振徳堂」

 盆が過ぎ、休みが多くなったので、海にもいってみる。平日に行けば人は少なく、ゆったりと自分だけで海と空のパノラマを楽しむことができる。ぼちぼちとクラゲも出てきて、今日も一度刺されてしまった。

釣川でカヤック

さつき松原

寄せる波

 日本列島酷暑の報道が続くが、空の色、明け方の涼しい風など、秋の近まりをそぞろ感じることもできる。晩夏だ。

 

2010年7月18日

 ようやく梅雨も明けて、夏空が広がった。青空を背景に夏雲を見るだけで楽しい。夏生まれのせいもあるだろうか。さっそく海へ行き、少し泳ぐ。大海原に一人乗りだし、波間に揺られ、青空と海岸の松林の緑陰を眺め見るのは最高に気持ちがいい。

 7月の半ばまで仕事などで忙しく、年のせいか疲れも抜けず、心身ともにきつい思いをした。肩こりがひどくて、それでよけいに疲れが取れない感じだった。やっと一段落がついて、心も身体ものびのびしてきた。しなやかさが身上の私には、この伸びやかな感じが身体に甦らないと自分らしさがないも同然だ。

夏空の海岸

さつき松原を泳ぐ

 仕事に追われたので、この間特筆すべきこともないが、4日の九響のシューマン・チクルス第二夜はとてもすばらしいコンサートだった。シューマンの2番はさほど好きではないので、期待もせず出かけたが、これが実に充実した演奏で、11種類もっているシューマンの交響曲全集のどのCDの演奏よりも、よかった。もちろん、ホルンの音の乱れなどありはするが、全体的な調和、迫力、熱意があり、いってよかったなとしみじみ思わせた。周りの男性など前回にはなかった「ブラボー」を連発していた。定期会員なので席は決まっていて、彼らは一回目はおとなしかった。秋山さんと九響、なかなかやるではないかと感心した。

 職場の河合塾の大検クラスで、デンマークの教育の話をしてくれといわれ、14日に講演する。熱心な生徒の質問などでかなり時間をつかい、反応があった。すき間産業のよさで、受験勉強の場でありながら、受験教育に徹せず、多様な教育ができた予備校という時代が過ぎ去って、今は世知辛いだけの場になってしまい、私のいる場所もなくなりつつあったが、かつての名残を少しだけ感じることができた。

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