2009年12月29日


 いよいよ今年もあと二日を残すまでになった。今年はいったい何をしたのかと問えば、内心忸怩たるものもある。大きな不幸もなく日々暮らせたことを思えば、それで可とすべきなのかもしれない。

 12月もやはり慌ただしくすぎた。とはいえ、予備校の仕事は一段落がつき、少し自由時間がもてるようになった。その分の余裕でコンサートや映画に行くことができた。

 8日には読売日本交響楽団の福岡公演があった。ブルックナーの4番を鹿児島出身の下野竜也氏が振るというもので、下野さんは好きな指揮者であるので期待していったが、繊細なアンサンブルがいまいちで、期待はずれだった。ブルックナーの交響曲は長くて、管楽器などはとくにたいへんと思うけれど、それでももう一段上の演奏を望みたい。どうも私が読響を聴くときは、彼らの出来がパッとしない。これが実力なのか、それともたまたまなのか。

 23日は、毎年恒例の九響の第九に妻といく。合唱のレベルの高さは折り紙付きで、いつも感動する。しかし、今年は管弦楽の方がやや不出来で、とくに活躍するティンパニの音がいまひとつだった。昨年、引退した永野哲さんの存在の大きさを知る。

 クラシックついでに書けば、映画「のだめカンタービレ」前編を妻と見た。テレビでのシリーズ、そしてスペシャル版と楽しんできたもので、映画版も当然見ようと思っていた。演奏シーンはすばらしく、力の入った映画と思うが、純粋に「映画」としてみれば、作品としての完成度はかなり落ちる。テレビドラマの延長として制作されているので、それはやむをえないのかもしれない。原作のマンガに忠実であることが売りなので、監督が原作を換骨奪胎して、完璧に自己の作品にしてしまうという映画の文法が出せない弱みもあったのだろう。

 ただ、観客を見ると中高年が多く、このドラマの幅広い人気を示していた。若者向きのドラマなのに、子どもから老人まで見ることができる。全世代が楽しめるドラマというのは今はほとんどないだけに、この立ち位置はきわめて貴重だと思う。

 そういえば、この映画でマルレ・オーケストラを演じているのは、チェコ国立ブルノフィルだという。11月15日に防府まで聴きにいったオケである。こういう縁がうれしい。

 音楽映画といえば、最近ふとしたことから、「ある日どこかで」という映画がカルトムービーになって久しいことを知り、DVDで見た。これはラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏」がテーマ曲となっている。1980年の作品で、昔はこんな映画もつくれたのだなと思わせる映画の本流をいく内容だった。とくに傑作というわけではないが、ヒロインを演ずるジェーン・シーモアが可憐で美しく、詩情の残る作品である。

 22日、年末最後の筑紫女学園大学での授業の帰りに、26年ぶりに、観世音寺都府楼に寄ってみた。太宰府の古代の栄華をしのばせる場所である。本来ならここが太宰府観光の中心となるべきなのに、天満宮の露骨な商業主義路線のため、観光客はそちらばかりに集中している。前はまわりは田んぼだった記憶があるが、今はすっかり住宅街になり、道路もきれいになっていた。

観世音寺

 観世音寺も戒壇院も往時の面影はない。これがもし法隆寺や薬師寺並みの保存状態ならば、それら以上の広大な大伽藍であった。博多の聖福寺も中世は大きな寺で、今は四分の一が残るに過ぎないが、しかしここは一部が残ることで、昔を想像することができる。観世音寺も戒壇院も後世の再建であるために、そのスケール感はすっかり失われた。観世音寺に至っては存続さえ困難で、生き残るために宗派も変わらざるをえなかった。中央から見捨てられた寺社の悲哀というものを感じたりする。

 仕事の帰りなどに、年末らしい光景としてさまざまなイルミネーションを見る。門司港に寄ってみるとここにもあった。途中、あまりはやっていない小倉の甘いもの屋さんにより、ぜんざいを食べてみる。シアトル系カフェのはびこる今ではすっかり忘れられた場所になるが、私にとってはこれも至福のときである。

門司港旧大阪商船ビル前

門司港三井倶楽部前

小倉イルミネーション・橋

小倉のイルミネーション

ぜんざい

 

2009年12月1日

 今日は筑紫女学園大学での授業の帰り道に、太宰府の光明寺に寄り、最後の紅葉を楽しんできた。4年前から毎年の習いになっている。先週も寄ってみたが、住職たちの会合というか、法要があっていたので、拝観禁止になっていた。一週間遅れで雨も降ったので、だいぶ散ってしまっていたとはいえ、それでも風情は感じさせた。時期が遅いせいか、人が少なかったのが一番よかったかもしれない。これで今年の秋はおしまいかな。

光明禅寺の紅葉

 

2009年11月30日

 晩秋である。好きな季節だ。

 29日は去年と同じく山口の長府へ紅葉を見に妻といってみた。時期はちょうど見頃であったが、雨こそ降らなかったものの天気がいまいちだった。

 初めは功山寺を見て、その後、去年時間不足で寄らなかった覚苑寺にも足を向ける。地元の人がいいというわりにはたいした紅葉ではないなと思っていたら、裏に墓地の山があり、そちらに向かう道やその奥にきれいな紅葉があった。さすがに地元の情報はウソがない。

功山寺山門

覚苑寺

 日曜日で紅葉シーズンまっさかり。きっと人出も多いだろうと予想していたが、意外やそれほどでもない。功山寺には観光バスの団体客も訪れるなどそれなりの賑わいを見せてはいたものの、覚苑寺にいたってはわずか数人である。京都の寺社にも負けない紅葉を誇りながら、あの京都のものすごい人混みがないというのは、最高のぜいたくである。

覚苑寺 女性が一人写真をとっていた

覚苑寺 墓地へ行く途中

覚苑寺

 下関住民にとっても長府は繁華街や勤め先から離れたさびれつつある町という意識があるようで、空き家、空き部屋などが目立つ。ここに一部屋借りて、芸術家風にアトリエとして、春秋にでも滞在できるようにしようかと思ったほど部外者にはいい街なのであるが。

 その後は八幡の響ホールへ行き、九響の北九州定期演奏会を聴く。シューマンのピアノ協奏曲が目当てであったが、一般向けの親しみやすいプログラムにしてあるので、家族と聴くにはいいと参加したのである。

 シューマンのコンチェルトは、最初ピアニストの坂垣純代さんが緊張してか、あまり指が動いていない感じだった。いまいちだなと思いつつ、本人の身になってがんばれと心の中で応援していたら、第三楽章に入ると緊張もとれたようで、本来の実力が発揮されて、情熱的ないい演奏になった。まるで公演で一人の演奏者が育ったという感じで、心から拍手を送った。ソプラノの白川美雪さんはにこやかな笑顔で会場の視線を集め、大人気だった。最後の「レオノーレ序曲」も熱意あふれるよい演奏で感銘を与え、寺岡清高氏の指揮もすばらしかった。

 九響も、プラハのオケみたいに技術はたとえ超一流でなくとも(とはいえもちろん十分なレベルにある)、聴衆に感動を与えることができるオーケストラになっていると思う。地域にこのような優れたオーケストラがあるということは誇りでもあり、地域がいっしょになって支えていくべきものだと改めて感じた。

 

2009年11月15日

 11月になり、秋も深まった。7日は楽しくない職場の会議のあと口直し(?)に県立美術館大原美術館展に寄った。倉敷の大原美術館の名品を福岡で展示するというもの。

 看板の絵であるエル・グレコの『受胎告知』やゴーギャンの『かぐわしき大地』はさすがに来てなかったが、モジリアニやビュッフェなど私の好みの絵や、モネ、マティスなどの有名画家の小品があった。

 創立の立役者、児島虎次郎の絵もたしかに西洋のさまざまな画家のスタイルの習作といえるのだろうが、清冽な印象を残すよい絵だった。半分程度の展示で、有名なものは来ていないので、次は本館に行こうと思わせた。意外とそういう仕掛けの美術展なのかもしれない。

児島虎次郎『ベゴニアの畠』(1910)

 美術館による前に久々にロシア・レストラン「ツンドラ」でボルシチ・ランチを食べた。ここのボルシチはほんとうにおいしく、ヨーロッパ風の味つけで、ザワークラウトもドイツを思い出させて、お気に入りの場所である。とくにロシアン・ティーが絶妙で、これを飲むときは至福の一瞬だった。お気に入りの古くからのレストランがどんどんなくなっていく中で、この老舗はずっと残り続けてほしいと切に思う。

ボルシチ・ランチ

 地元の宗像大社では恒例の菊花展が開催されている。花よりも団子で、神社の中の臨時の茶店が面白く、ここで巫女さんの出すコーヒーなどを飲んでみた。神社らしく抹茶と甘酒もある。

宗像大社の菊花展

宗像大社の茶店

 15日は山口の防府で、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを聴いた。去年プラハでFOK(プラハ交響楽団)などのコンサートを聴き、チェコにはクラシック音楽が日常生活として生きているのを実感し、チェコのオーケストラは技術云々以前に音楽を愛する心があると感じて、機会があればまた聴いてみたいと思っていたからである。そしてブルノという都市も次にチェコに行くことがあれば寄りたいと考えていたので、そこのオケということで関心があり、わざわざ防府まで出向いたというわけである。

ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団のカーテンコール

 しかし、席が悪く(会場の右端)また会場もおせじにもいい音響ではないため、音がいい形で聞こえてこない。チェロやコントラバスなどが近いのでこればかり目立ち、バイオリンは遠い音で、管楽器の音も天井に向かう感じで何かバラバラに聞こえた。

 技術的には弦をのぞけば九州交響楽団とあまり変わらない気がした。でも何か一味違うということはわかる。すごくうまいというわけではないけれども、やはり音楽が生きている印象があるのである。「モルダウ」さすがに本場の音だし、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番も最初はうまくピアノと合ってなかったが、後半はうっとりする出来になった。ドヴォルザークの「新世界」は私とはなぜか馬が合わない曲で、どんなオケのそれを聴いてもいいとは感じないので、これは仕方ない。

 会場が広く、人口の少ない防府のような地方都市だと半分くらいしか入っていなかったのがオケには気の毒だった。しかし、来た客は熱烈な拍手を送ったので、気持ちは伝わったと思う。

2009年10月30日

 10月は天気のよい日が多く、さわやかな日々が続いた。

 9日に親友のクリスチャンがデンマークから娘3人、弟とその息子、隣人の父子を連れて、木曽路のウォーキングにやってきた。デンマークでは10月10日以降の一週間は秋休みとかで、例年はスペインのサンチャゴの有名な巡礼路を歩くのだが、今年は日本の古い道を歩きたいということで、やってきたのである。

 協会の会員のみなさんの協力も仰いで、あれこれ手配し、10日から17日の日本滞在を楽しめるようにした。メインは11日から15日の木曽路のウォーキングだ。これは協会会員でウォーキングの大家山浦正昭さんのプランによるもの。落合川から馬籠、妻籠、木曽福島、奈良井、日出塩まで88キロを歩いた。私は10日に名古屋で会い、落合川のユースまで行き、翌11日のコースを22キロいっしょに歩いた。

馬籠

妻籠で中央がメアレ

 クリスチャンの娘たちもすっかり大きくなり、幼児のときに私たちのスタディツアーにつきあった長女メアレも20歳の大人である。とても性格のよい子で、私も自分の娘のように感じるときもあるほど、前からなついている。

 22キロを歩いてもそれほど疲れはない。これは自然の中を気持ちのいい仲間と歩くからだろうか。あと数日は楽に行けそうだったが、休みがとれずやむなく12日に戻った。その後の旅も山浦さんの案内で楽しい旅だったようで、クリスチャンのフォトアルバムを見ると、いっしょに行きたかったなと思うほど充実していた。デンマーク在住のKさんも参加し、結局4日同行された。

 11日は祝日だったので、妻籠は人出も多かったが、平日に来ればここはひなびた宿場町という感じでいい場所に思えた。写真を見るとさほど有名ではない奈良井宿は人も少なくていい感じで、次回はここを歩いてみたいと思う。

 29日は小倉でゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートに行った。恒例の北九州国際音楽祭の一環である。指揮者のシャイーはあまり好みではないので、さほど期待してもいなかったが、メインのマーラーの一番「巨人」は集中したとてもいい演奏だった。今年聴いた外国のオケは2月のケルン放送響、9月のウィーンフィル、そしてこのゲヴァントハウスとはずれがない。さすがに本場のオケの力量を感じさせてくれる。いつもだとはずれもあるというのに。

カーテンコール時のゲヴァントハウス管弦楽団

 ライプツィッヒは2度ほど通りすぎたことがあるが、空襲で歴史的な建物が少なく、商業都市という雰囲気なので、ゲヴァントハウスには心惹かれるものの、寄ったことがない。しかし次の機会にはぜひ立ち寄ってみようと思わせた。

 

2009年9月29日

 9月になり、ずっと仕事に追われる毎日はあいかわらずだが、最近、続けていろいろな人の面会や講演依頼などが続いた。デンマークやグルントヴィ協会関係のことが多いが、何かそういう風向きになっているのだろうか。これまでもそういうことはときどきあったが、私は風を読み、一気に上昇気流に乗るということはしない。そもそもがそうなりたいという意欲に乏しいからだ。今回も学術的なシンポジウムでの講演や市民団体での講演依頼もあったが、自分には出る幕ではないといったんは断った。しかし、新たな働きかけもあり、どうなるかはわからない。

 22日は久しぶりにコンサートに行った。ウィーンフィルの福岡公演である。ウィーンフィルは初めて聴く。ほんとかどうかは知らないが、現地ウィーンのムジークフェラインは会員でないと入れないとか知人に聞いたので、外部でのコンサートの機会に行かねばならないと思っていたら、今回そういう場があったというわけだ。もともとメジャー好みではないので、さほどのこだわりもなく聴く。

 リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」は迫力もあり、いい演奏だった。とくにショトイデ氏のバイオリン・ソロの美しさはまさに一級品だった。しかし、チケットの高さからすると、このくらいの演奏はしてもあたりまえという気もする。これまでの経験では、演奏のレベルとチケットの価格のコストパフォーマンスはチェコのオケが一番よいのではないだろうか。今度はチェコの国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団が防府に来るので、行ってみようと考えている。

 

2009年8月31日

 前回書いたように、8月26日から28日まで、二泊三日の旅に息子といってきた。SUNQパスという1万円で三日間九州・下関のバス、連絡船乗り放題という切符を使ったが、総額でいうとあまり変わらなかったかもしれない。

 26日は早朝に家を出て博多駅から佐世保行きの高速バスに乗る。9時前に着いて、その後送迎の車に乗って鹿子前のカヤック・センターに行き、九十九島カヤックツアー・コースに参加した。最初にかんたんな講習を受けて、二人乗りシーカヤックで海に繰り出す。私たち以外には同じく福岡の須恵から来た息子と父の親子、そして定期会員(期間中乗り放題)の人の5人が参加者である。九十九島を往復6〜7キロ周遊し、途中無人島で焼肉バーベキューの昼食をとった。私は今年初めて泳いでみた。

九十九島をカヤックでめぐる

遊覧船とすれ違う

 天気は快晴、景色は絶景で海もないで申し分ない状況であったが、私は故郷対馬の浅茅湾を知っているせいもあってか、多分人よりは感動しなかったかもしれない。すばらしいというよりは懐かしい感じで漕いでいた。観光遊覧船が何度もかたわらを通りすぎる。どちらともなく手を振り、笑顔で答える。ヨーロッパで運河ツアーの遊覧船に乗ったとき、カヤックやボートの人たちとあいさつを交わし、こんなふうにできるといいなと思っていたが、今度は自分がその立場になった。気分がいい。

 終わって温泉で塩気をとり、疲れを癒す。その後、また高速バスに乗り、熊本へ向かい、そこで宿泊した。27日朝に熊本駅から普通列車で水俣へ行く。水俣には古い友人の永野隆文さんがいるので、彼に頼んで水俣病関連の場所を案内してもらうことになっていた。永野さんは、川内原発反対運動の仲間であり、川内を離れてからは水俣にもう30年近く住んでいる。

水俣湾に浮かぶ恋路島 かつてはこのあたりに有機水銀ヘドロがあった

 排水溝から埋め立て地、資料館、そして砂田明さんのいた乙女塚などを回る。私自身は知っている場所だが、今回は息子に少しでも知ってもらうことが目的だった。それでも若い頃以来でもあり、また資料館や埋め立て地は昔はなかったものなので、それなりに新鮮であった。

 永野さんは水俣石けん工場の代表格として活躍し、水俣病関係のイベントがあるときはリーダーの一人として活躍している。5月に佐賀市の反プルサーマル集会で会ったので、久しぶりというわけではないが、尊敬する友人に再会できてうれしく思うとともに自分もしっかりせねばと学ぶことが多かった。

 午後にはバスで大口へ向かい、骨折で入院中の義母を見舞う。79歳であるが、退院も近いということで元気そうであった。たった一人残った親であり、好きな母であるので、長生きしてほしく思う。

 その後は義姉の車で人吉まで送ってもらい、人吉の市内を観光する。妻の故郷に近いところなので、何度かいったことはある町だが、じっくりと回ったのは今回が初めてか。城下町で小京都と称されるわりには古い建物はあまり残っていない。城下町ということなら、宮崎の飫肥や去年寄った臼杵の方がまだ雰囲気がいい。しかし、人口3万人のこぢんまりとした地方都市で、おだやかな情緒がただよっている。道行く中学生などがあいさつをしてくるのも気持ちがいい。道を尋ねても電話をしても、みなさんとても親切でていねいに答えてくれる。大都市では消えつつあるこういうコミュニケーションこそが旅の醍醐味だろう。

青井阿蘇神社(昨年国宝に指定された)

武家蔵、わずかに残る昔の家である

 宿は小さな安い旅館(一富士旅館)にしたが、部屋は値段相応としても、料理がすばらしく、馬刺し、鮎の塩焼き、ゴボウ鍋、山菜料理など地域の味もりだくさんで食べきれないほどだった。一番近い「新温泉」のチケットをもらい、そこへ行くが、「新温泉」なのに地域でも最も古い建物(昭和最初の木造建築)で、レトロな情緒を味わった。いい宿と味わいのある温泉でまったく申し分ない。

一富士旅館

 翌28日は球磨川急流下りの観光船に乗る。はやりのラフティングもいいかなと思ったが、カヤック派の私は次回カヤックで球磨川下りをしようと思うので、今回はふつうの観光船にした。急流の瀬では水しぶきを浴び、緩やかな流れではゆったりと川の旅を楽しむ。ヨーロッパの運河ツアーもそうであるが、水辺の光景をゆるやかな流れで見るのは心が癒される。ぜいたくな旅である。

球磨川急流下り

 午後は大きな鍾乳洞である球泉洞を見学する。小さな鍾乳洞は入ったことがあるが、本格的な鍾乳洞は初めてで見るものみな興味深かった。入口に張ってあった標語の「理屈より洞窟」には思わず笑ってしまった。これはお土産用のTシャツのロゴにして売れば受けると思うのだが。

球泉洞のつらら石

 大学一年生になった息子は、私と違ってあちこち旅をするタイプではない。というか、私も高校生まではあまり世間を知らなかったので、経験自体が少ないだけかもしれない。そう思って今回は息子連れで旅をしてみたが、さてどう感じただろうか。私自身は忙しい夏ではあったが、これでリラックスできたので、また9月からの多忙な日々へのそなえはできたのではないか。

 

2009年8月24日

 日本全国、今年は夏らしい夏が来なかったといわれている。遅い梅雨明け以後も晴れても秋のような天気で、夏らしい入道雲を見ることが少なかった。夏の空を見るのが好きなので、これは少し残念だ。庭のカノコユリとヒマワリがきれいに咲いて夏らしさを示してくれたのがわずかな慰めになった。

カノコユリ

 仕事も今年は8月21日まで毎日のようにあり、休みらしい休みもなかった。26日から息子と三日間の旅行に出てみる予定で、これが唯一の息抜きになるだろう。

 7日には生まれて初めて交通事故にあった。交差点で私のスクーターと大学生の自動二輪がぶつかってしまった。私はあぶない運転はまずしないので、事故はあるまいと思っていたが、いわゆるサンキュー事故で、相手は歩道をすりぬけてきたこともあり、避けようがなかった。お互い打撲程度のケガですんだのが幸いだが、これを機に交通事故のことでいろいろ学ぶことができ、ある意味事故でメシを食っている人たちの存在を知り、現代社会の理不尽さをつくづく感じた。

 26日からの旅は佐世保、水俣、大口、人吉と回ってくる。佐世保ではシーカヤックで九十九島をめぐるツアーに参加するつもりだ。息子は初めてなので、その練習も兼ねて近くの川でカヤックに乗せた。晩夏のささやかなひとときである。

カヤックを漕ぐ息子

 デンマークの親友クリスチャンより連絡があり、前からあたためていた中山道のウォーキングに10月8人で来るという。ウォーキングでは日本を代表する専門家の山浦正昭さんに相談し、コースを決め、木曽路を馬籠から諏訪まで歩くことにして、その準備を進めた。私は仕事が一番忙しい時期なので、一日か二日しか参加できないが、どんな旅になるだろうか。

 

2009年7月19日

 ずっと仕事に追われる日々が続いた。前にも書いたが、5月までは体も心も軽く、忙しくても充実した感じで苦にならなかったのに、6月に入るとそういう軽快さも消え、ただひたすら日々の仕事をこなすのに精一杯という状態になった。まぁ例年のことだが、この時期に予備校の小論文テキストの作成、梅雨に入り体調にも変化があること、休日がまったくなく、疲れもたまる時期であることなどが原因と思われる。

 7月の17日で予備校の学期終了を迎え、ようやくわずか3日間の休みになり、ほっと一息をついている。まだ大学は学期末試験などがあり、すぐに予備校の夏期講習が始まるので、来週からまた多忙な日々が待っているのだが。

 6月28日には、協会の会合で東京へ行き、会員のみなさんと楽しいひとときをすごすことができた。相模のさおりさんはこの5〜6年会うことがなく、久しぶりに再会できたのがうれしいことの一つだ。高校生のときに上陽セミナーに参加し、それから17年。女子高生まっさかりの人も今ではいい大人になった。年月を感じる。

 18日は梅雨の晴れ間をぬって、久しぶりにカヤックを漕いだ。宗像を流れる釣川は水質も風景もとくにきれいな川ではないが、それでも水面に近いところから見る光景はのどかで美しい。空の青、山の緑、岸辺の雑草や木々もアスファルト道路から見るものとは全然違う味わいがある。歩くぐらいのスピードというのもいい(早く漕げばもう少しスピードは出るが)。水や船は自分の原風景なので、何ともいえない帰属感を感じる。35度を超える真夏日だったそうだが、水辺はたえず涼しい風が吹いているので、ほとんど暑さも感じなかった。

 途中、陸に上がり、休憩がてら売店でかき氷を食べた。懐かしい夏の休日である。そういえば今年初めてのかき氷だ。心地よい疲れを感じながら、夕方はビールを妻の手づくりのおつまみで飲む。酒はほとんど飲めないが、こういうときのビールはほんとうにうまい。この日は夏の醍醐味が凝縮されていた。

カヤックから見る水辺の風景

 カヤックを漕ぐといかに日頃の身体がなまっているかを痛感する。腕の筋肉が落ちているし、パドルを握る手の皮がすぐに痛くなり、カヤックを運ぶ重さにバテが来る。日向で組み立てるだけで暑さで体力を消耗する。エアコンの中で、チョークや本などしかもたず、通勤でカバンぐらいしか運ばなければ、筋力が鍛えられるどころか、どんどん衰えてくるのだ。古代にはこの釣川を多くの人々が船でいきかい、大陸に使節や兵士を運んだのであるが、その頃の宗像族の人々はさぞたくましい体つきをしていたに違いない。

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