2009年6月15日

 ずっと仕事に追われている。5月まではいい感じで過ごせたが、さすがに6月になると疲れがたまって、何とか一日を乗り越えるだけで精一杯というありさまだ。今年は週のうち5日に夜の仕事が入っているので、息抜きのコンサートなどにも行けない。なかなか楽しみのない日々を送っている。

 そんな中、9日に九州国立博物館の特別展「聖地チベット」に大学の授業帰りに寄ってみた。その日も疲れからか体調いまいちで、じっくり見る余裕がなかったのが惜しまれるが、内容は予想に反して心に響くものが多く、大きな刺激を受けた。

 チベット仏教との縁はドイツ留学時代(88-89年)にあった。ドイツ在住の日本人で自らも信者であるTさんに誘われて、ケルンのチベット仏教センターに行き、高僧リンポチェと面会したことがある。そのときのお伴の若い僧たち十数人が私を見るやいなや駆け寄ってきて、私の手を取り口々にチベット語で何かいった。チベット語のわかるTさんに訊くと、私をチベット人だと思っているとのこと。私の隣には日本人であるTさんもいるというのに、私だけに集まるのである。Tさんはインドのダラムサラ(チベット亡命政府があるところ)にも滞在した経験をおもちで、私はたしかにチベット人に似ているとのことだった。

 それ以来、ドイツでは当時日本人が評判いまいちだったので、仲間内ではチベット人で通したものだった。ちょうど滞在時にダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したこともあって評判がよかった。だからチベットとチベット仏教には親しみを感じていたが、日本に戻ると精神世界での商品化が進み、薄っぺらなものに見えたので、かえって関心を失ってしまった。中沢新一の書籍やオウム真理教などのブームがその風潮をになっていた。

 このチベット展を契機に、昔購入して読まずじまいになっていた何冊かの書物をいっき読みしたり、映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」のDVDを見たりして、すっかりはまってしまった。「セブンイヤーズ・イン・チベット」には公開当時から関心があったのに、ブラッド・ピットのアイドル映画、自分探しの映画という売り方だったので、そんなものかと誤解して避けていたのだ。また、私には十年ごとに仏教に関心が戻るという変なリズムがあり、最近も「華厳の思想」とか「空の思想史」などという本を買うなどしていて、それも重なったのかとも思う。

 それにしても改めて思うのは、中国のチベットでの人権侵害のひどさである。日本も含めて欧米諸国は中国との関係重視で、この問題に触れようとしない。天安門事件とチベット侵略だけでも中国の民主化はまだまだほど遠いことを痛感する。

 ひょっとして自分の先祖の場所でもあるかもしれないチベット(あるいは雲南省?)に行ってみたいという気持ちもないではないが、中国の弾圧によってチベットが中国化しているのであれば、あまりいく意味はないのかもしれない。去年行こうかなと思い、結局行かなかった小倉での「ダライ・ラマ14世の法話」も、今にして思えばいくべきだったと悔しがる。

 13日には、門司港にある出光美術館ルオー展に行ってみた。この時代の絵画はあまり見ることはないが、ルオーの絵には何か惹かれるものがあったからだ。こちらは期待したほどのインパクトはなかった。個々の独立した作品はよかったので、本の挿絵になったものの連作というスタイルのせいかもしれない。それでも疲れ気味のうっとおしい毎日の中ではいっときの涼風を感じさせてくれた。

出光美術館(門司港)

「シエールの思い出」(1930年)

門司港のレンガ倉庫

 

2009年5月18日

 10日に佐賀市で「ストップ・プルサーマル・人文字フェスタ」があった。地元佐賀を中心に全九州から原発に反対する市民1500人が集まり、「NO MOX(ノー・モックス燃料)」の文字を大地に描いた。私も友人の東郷さんを誘って参加し、各地の旧友たちと交流した。こういう仲間と会うのは味気ない日々の中でほんとうに励みになる。グルントヴィ協会会員や関係者も10人近くは来ていた。

NO MOXの人文字

デモに出る

 人文字を描いたあとは県庁までデモ行進。久々のデモだったが、平和的なものでさほどの緊張感もない。佐賀のみなさんにこのメッセージが伝わればよいのだが。

 17日には、大分市に行き、「アルゲリッチ音楽祭」のマラソン・コンサートを聴いた。前から聞き知ってはいたが、日程などが合わず行きそびれていた。
  アルゲリッチ女史のDVDはもっているものの、生を聴くのは初めてだ。リヒテルと並び称されるだけあって、技術もパッションもすばらしく、また聴こうと思わせるほどだった。ハイドンのピアノ協奏曲(HOB VIII 11)だが、もっているCDはあまり名曲というほどの印象はなかったのに、彼女が弾くとがぜん魅力が増す。聴衆の反応も熱狂的で、アルゲリッチ女史が県民にいかに愛されているかがよくわかった。

アルゲリッチ音楽祭のマラソン・コンサート

 こういう大物が毎年別府に来て、質のよいコンサートを開いたり、子どもに音楽の楽しさを知ってもらう企画をしているのは、ほんとうにいいことだと思う。季節も4月下旬、5月上旬というのがいい。地方都市別府と大分市で、新緑の時季にそれにふさわしいさわやかなコンサートが繰り広げられる。県の名士が理事を務め、行政がだいぶ関与しているようで、市民が全面に出ていない点が福岡の古楽祭と違う点だ。そこだけ少し残念な気がする。

 そういえば前回書き忘れたが、1日には三井寺展(福岡市博物館)に行ってみた。仏像をありがたく拝観するのを趣味にするほどまだ老けてはいない。しかし、三井寺と聞くと昔読んだ山本ひろ子の『異神』(現在はちくま学芸文庫)で、新羅明神など独自の中世神をつくりだし、朝廷の権力闘争に加持祈祷で関与したという話を思い出し、そのいかがわしさというかドロドロとした側面の一部でも伺えるかもしれないと思っていってみたわけだ。でももちろんそういうスキャンダラスなところは展示では出ない。ただ円珍像の不気味さはそういう期待にそうものだった気もする。

 

2009年5月4日

 新年度が始まり、忙しい日々を送っている。今年は休日が一日しかなく、時間的な余裕がない。新学期の開始から半月ほど経ったが、それでも疲れはたまってはいないので、とりあえずは快適に過ごせている。季節も気持ちがいいこともある。

 異動や引っ越し、あるいは新しい展開のあった人からの便りなどが届く。新しい人生が始まったという感じで、何かこちらもうれしく思う。私も今年は新しいチャレンジをしているので、それなりの充実感がある。

 毎年の楽しみである八所宮の藤の花見だが、4月の19日にいったときは、まだ三部咲きという感じで、一週間後を楽しみにしていたら、雨が降り、すっかり色あせてしぼんでしまった。桜よりも藤は雨に弱いのだ。満開になる前の雨だったので、今年は一番きれいなときがなくなってしまった。しかし、三分咲きとはいえ、ツツジと相ならんですばらしい初夏の楽園を楽しませてくれたことはありがたく感謝しなければならない。

八所宮の藤

藤とツツジ

新緑がまぶしい

 4月の初めに職場の人間ドックを受け、その結果が送られてきた。すぐに眼科に行けと書いてある。緑内障につながる怖れありということだ。あわてて眼科に行くと、異常はないそうだ。全体的にとても良好だそう。ただ視床の画像が専門医でなければ、私のはもともとまぎらわしいそうで、それでこういう判断になったらしい。

 そういえば耳も人間ドックの検査のときにとてもすばらしいといわれた。ただ甘いものの摂りすぎの徴候が出ており、いまのペースだと生活習慣病になるそうだ。なにしろ徳用チョコレート一袋を一日で食べてしまうくらいなので、自分でもいかんなとは思っていた。改めるいい契機になった。

 

2009年4月10日

 4月になり、新年度を迎えた。息子も大学生となり、私も新しい生活が一部始まる。

 今年は桜が早く、3月の終わりには満開になった。小倉城や博多の桜、それに近所の浄土寺の桜など、たくさん楽しむことができた。しかし家族いろいろ仕事や学校などの用件があるので、家族そろっての花見はできなかった。

小倉城の桜

 4日-5日とグルントヴィ協会の春のセミナーがあった。3日は、大阪からユニットを組む未奈子さんがやってきて、家に泊まる。妻が熊本へいっていたので、私が夕食を用意する。相当に久しぶりのオイル・フォンデュにしたが、大阪風にいえば、欧風串揚げという感じで喜んでくれた。子どもたちも久々ということで楽しんで食べてくれた。

 翌日会場にいって練習し、午後のセミナーに備える。セミナーはアヒムナ平和学校を語る金令順さんの話も面白く、われわれのユニット「みなみのうお座」の宮沢賢治の童話朗読パフォーマンスもまた長い拍手で大いに好評だったことがわかった。今回は「十力の金剛石」のほかに、新作「虔十公園林」も披露した。夜も翌日も心の通ういい談話が続き、いつもながらよい仲間とよい会合をもって、彼らから元気をいただくことができた。

賢治の朗読パフォーマンス

 7日には日帰りの人間ドックを初めて受ける。すこぶる健康でメタボにもなってはいないが、やや肝臓に脂肪がついているそうだ。原因は甘いもの、とくにチョコレートやケーキの食べ過ぎで、今年はこれを大幅に減らさなければならないことがわかった。たしかに自分でも食べすぎということは自覚していたので、節制するよい契機になった。

 この春にうれしかったことの一つは、選抜高校野球で長崎県の高校(清峰高校)が初めて優勝したことだ。福岡県に住み、また経済的にも生まれ育った対馬は福岡市とつながりが強いにもかかわらず、意識は長崎県にある。これは私だけではないようだ。博多はいいところで、人情もあり、不満はないが、いろいろと恵まれていないマイナーな長崎の方を応援したくなるのである。

 桜の季節がすぎるとすぐに初夏の日差しになるのが九州だ。あっという間に日焼けしてしまった。新芽や青葉がまぶしく、気持ちのよい風が吹く。近くの森の散歩もすっかり風景が変わってしまった。

森の散歩道の新緑

 知人の送別会を兼ねて、門司港に寄ってみると潮風が心地よい。多忙な仕事が始まるまでのつかの間のやすらぎである。

門司港の下関への連絡船

大連友好図書館

 

2009年3月14日 

 3月に入り、もう半月近く経つ。2月が暖かかったので、3月に入ってもそれほど春が来たという感じがしない。意外と雨や曇りの日が多く、陽光の中を散策するよさを味わえないのがややさみしい。それでも晴れた日はバイクで少し外へ出て、春の風情を楽しんでいる。先日は、鐘崎で学校帰りの子どもたちに出会い、自分の子ども時代と変わらぬ下校風景に頬が緩んだ。

菜の花畑の道を帰る子どもたち

 4日には熊本大津で高校講演があり、熊本城近くの植物園を知人のFさんと歩き、その後古民家を改造した瀟洒なフレンチ・レストランでランチを食べた。日頃、鶏肉が苦手なのだが、ここのメインの肉料理はトリであってもおいしく食べられた。あれはひょっとしてハトだったのかもしれない。

 12日には、協会の会報の記事の取材を兼ねて、山口の俵山温泉にいった。ここに児童援護施設「俵山湯の家」があり、協会会員で友人の廣岡さんが施設長をしているからだ。彼にいろいろと今日の児童虐待の問題などの話を訊き、夜にはひなびた温泉宿に泊まった。

施設内を案内する廣岡さん

 温泉にはあまり関心がないのでまったく知らなかったが、俵山温泉は昔からの由緒ある温泉地らしい。へんぴな山奥に38軒もの温泉宿が軒を重ね、2つある共同浴場で人々が温泉を楽しんでいる。宿には浴槽はなく、ここはすべてこの共同温泉に行くという外湯の伝統だそうだ。しかも、この外湯こそが本来の日本の温泉の形で、宿の中に浴場がある内湯は近代の姿らしい。客は旅館の浴衣と羽織に着替え、下駄やサンダルを履いて、タオルをもって二つの共同浴場「町の湯」と「白猿の湯」に行く。その風情たるや昔懐かしい明治・大正の風景で、実に味わいがある。有名な温泉地なのに、温泉街につきものの歓楽街がない。あるのはお土産屋さんと普通の商店だけである。純粋にここは湯治の町なのである。

俵山温泉の宿屋街

右が「町の湯」

 宿は「さくらや旅館」というところであったが、宿の人もとても親切で、料理も食べきれないほどのサービス。同宿の客とも食事しながら談笑するという具合で、実に楽しく人情豊かでゆったりした時間を楽しむことができた。このお年寄りのお客は大阪から来た方であったが、日本全国の温泉を回っているとかで、ここの前が別府、この後には鹿児島川内の高城温泉に行くという。北海道から鹿児島まで、ほとんどの温泉に行ったことがあるそうだ。

 私は体質的に温泉には合わないようなので、温泉にはまったく興味はないが、この会話の中では、私もけっこう温泉地にいっていることがわかった。湯布院、耶馬溪、阿蘇、別府、嬉野、霧島、日奈久、玉名、浮羽、杷木、川棚、鹿児島、桜島、雲仙、浅間、乳頭、榛名湖などである。多くは会合やセミナー、合宿で寄った場所だ。

 去年の臼杵以来、地方では積極的に旅館に泊まるようにしているが、ホテルなどよりもはるかに旅の醍醐味があっていい。ヨーロッパで個人がやる民宿(ペンション)に泊まるのと同じで、安くて人情がある。

 

2009年2月26日 

 あいかわらず忙しくしているが、2月は行くコンサートがほかにもあって、21日と25日の二度行く機会があった。21日は八幡の響ホールで、紀尾井シンフォニエッタ、25日は福岡市のアクロスでWDRケルン交響楽団のコンサートである。どちらもたいへん技量が高く、満足できるものだった。とくにWDRケルン交響楽団の方は、フルオーケストラとしては初めて満足できるコンサートになった。

響ホール

WDRケルン交響楽団のカーテンコール

 これまでも外国からの名の知られたオーケストラの来日公演やドイツ・デンマークでの地元オケのコンサートを聴いてきたが、生演奏のよさはあるものの、CDで聴くほど完璧な出来ではなく、場合によってはかなり乱れているものもある。移動や演奏の疲れなどが一因であり、去年のシュトゥットゥガルト放送交響楽団などはおせじにも上手とはいえなかったし、一昨年のゲルギエフ率いたマリンスキー歌劇場オケもそんなに整ってはいなかった。ところが今回のWDRケルン交響楽団の演奏はかなりの完成度を誇り、弦もきれいでホルンも目立つミスなく安定した音を奏でていた。

 指揮者のセミヨン・ビシュコフは中堅であまりCDが多くはないので、これまで聴いたことがなかったが、見事な統率ぶりで、力量のある人だと思った。将来は巨匠と呼ばれるかもしれない。

 ただ惜しむらくはベートヴェンのヴァイオリン協奏曲のテンポがゆったりした昔風のいかにもベートーヴェンのそれで、古楽的な軽やかな演奏スタイルのCDを聴いてきただけに、やや物足りなかった。いくら深刻好きのベートーヴェンでもこの曲だけは作曲の経緯からも、明るく軽やかに演奏した方がいいのだ。

 24日には賛同団体にもなった反原発の講演会に出た。広瀬隆さんと藤田祐幸さんという第一人者二人が九州をいわば巡業して回るのだが、内容的には私自身はすでに知っているようなことでも、一般の人が聴くとけっこうショッキングでもあるだろう。

反原発講演会

 25日には上のコンサートがあったので、前の日の小倉の会場に行った。百人以上を集めた盛況ぶりであったが、白髪の中高年が多く、市民運動の会合でいつも感じる高齢化を改めて感じた。それはまた団塊の世代の勢力のすごさでもあり、また、彼らが消えていけばこういう人たちがいなくなるということでもある。ヨーロッパでは若者の抗議行動も内容によっては盛んである。イタリアなどでは今も社会変革の熱は冷めていないと思われる。しかし、日本は今後どうなるのであろうかと心配になった。

家の近くの菜の花畑

 ずっと天気がいまいちの日が続いた。今日は久しぶりに少し晴れ間があり、散歩に出てみた。菜の花がすっかり満開になっていた。

 

2009年2月17日 

 2月に入ってずっと忙しい日が続いた。4月から12月まで続いた朝から夜遅くまで全部仕事という日程ではないが、それでも毎日何かがあり、ゆっくり休む間がない。

 7日には長崎へ行った。高校講演の仕事である。前の日から行き、7日の午前はグラバー園などを見てまわる。長崎在住の兄と昼食をいっしょに食べ、午後に講演を行った。あいにく観光をしているときには晴れ間がなく、写真もいまいちだった。グラバー園を見たのは99年以来ではないかと思う。

グラバー邸

スチイル記念学校(E-30のファンタジックフォーカス)

大浦天主堂

オランダ坂界隈にある民家の鉢植

 12日には恒例の日フィル九州公演の大牟田でのコンサートに行った。前日に福岡市で同じプログラムがあるのだが、仕事で行けず、翌日大牟田まで出向いたのである。他にも佐賀、唐津、小倉などであるとはいえ、そのときは別のプログラムで聴きたいものではない。今回は福岡、大牟田などでは、いわゆるコバケン(小林研一郎氏)スメタナの『わが祖国』を振ると聞いて、ぜひ聴きたいと思ったのである。

日フィル大牟田公演の会場

 小林氏は2004年に「プラハの春」音楽祭のオープニング・コンサートで外国人指揮者として初めて『わが祖国』を指揮した。チェコ人の魂ともいえるこの重要なコンサートで、好評を博したということなので、前から関心があった。チェコ・フィルの首席指揮者の可能性もあった人であり、本場のチェコの人たちの支持が厚いなら、きっとスメタナのよさを出せるだろうと考えたのである。

 結果は期待に違わず、感動的なものだった。日フィルも細かなミスなどどうでもよいと思わせる熱演で応えてくれた。一番チェコらしさを出していると思われる「ヴィシェフラッド」などは、去年プラハの街を歩いたときを思い出したほどだった。

 ただ横坂君とのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」はいただけなかった。オケには不満はないが、若い横坂君はただミスをせず弾くことだけを考えたようで、技術的にはすばらしいものかもしれないが、感動させる何かがなかった。ただ演奏しただけという形式的なものだった。この曲は本来は人の心を揺さぶるものをもっており、それがまるでないということは、やはり何かが足りないのだろう。よく日本人演奏者が海外のコンクールでいわれるきまり文句「正確でミスのない演奏だが、心がない」というのを如実に感じた気がする。

 非常勤で行っている九州歯科大の講義が終わり、来年は先輩が行くことになるので、今年で最後になった。哲学の最後の講義では毎年映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を見せているのだが、今年はゲバラの映画が二本上映されていることもあり、学生は関心をもって見たようだ。いまどきの学生気質にうまく対応できず、いつも味気ない思いをしながら講義してきたが、倫理学の講義で2年生が「この映画を見て何かをしなければという思いになり、ネパールの歯科治療支援(九州歯科大の行っているすぐれたプロジェクト)に参加した」といった内容を感想に書いており、それなりに反応はあったのだなと気づかされた。

 ところで私も『チェ28歳の革命』を見にいった。良心的な映画であると思うが、あくまでも人間ゲバラに視点があり、革命の背景、社会的な問題はドキュメンタリー調の展開の中ではいわば効果音楽的というか、断片的にそれ自体が背景化していた。『チェ36歳の手紙』をまだ見ていないのでまだ何ともいえないところがあるにしても、ゲバラをあまり知らない人にはわかりにくい映画かもしれないと思う。

 多忙な時間の合間を縫って、鎮国寺に梅を見にいく。日差しは日々に春の勢いを増している。秋から冬への移り変わりと並んで好きな時季だ。去年、一昨年はデンマークやドイツにいて、冬に戻った感もあったが、今年は久しぶりに日々の陽春の訪れを楽しめそうだ。

鎮国寺の梅

 

2009年1月22日

 2009年になった。今年は大晦日、元旦と朝から晩まで予備校の授業があり、おまけに2日から7日まで毎日仕事で、新春気分まるでなしの正月だった。それでも2日に学校への行きがけに通る住吉神社に初詣をした。故郷の対馬の町も住吉神社だったし、漁師の神様でもあるので、縁がないわけではない。しかし地元の宗像の神社にはまだ行っていないというのが情けない。

住吉大社

 その後は大学の授業も始まり、あわただしく日々がすぎ、もう22日になってしまった。その間を縫って、児童劇団「道化」の公演の招待を受けたので、その出し物「知覧・青春」を見にいった。2年前に初演をした新作であり、その稽古場面を見たこともあるというのに、今日までなかなか見ることができなかったものだ。

芝居の始まる前の会場

 重くなりがちな特攻隊をテーマにした反戦劇であるが、道化らしくユーモアたっぷりにして重さ、暗さがない。南薩のあの独得ののどかさ、明るさまで感じさせる演出で、それでいてしんみりさせる内容だった。

 しかし道化の力量は「ボタ山に咲くムクゲたち」で知っており、あの作品の質の高さ、演技力の域にまで達していないような気もした。まだまだよい芝居にできる可能性があると思う。

 ところで、去年秋以降は一眼レフに興味をもち、購入したことはここにも書いたが、カメラの泥沼に入りつつあるのか、新年になって10日もたたないうちに、今度はオリンパスの最新機であるE-30を衝動買いしてしまった。

 もともと買う気もなく、もし買うのなら同じくらいの値段に下がったフラッグシップ機のE-3がいいと思っていた。しかし、中級機でありながらE-3よりも画質が向上して、使いやすさも改善されているという評判を聞き、また店頭でさわってみるとE-3は重くて大きすぎ、E-30は一番しっくりくる大きさだった。がぜんこれはいいかも、と思い始めたのである。しかも定評あるZD 14-54 II がついたレンズキットだとかなりお買い得感が高く、自分へのお年玉(何もいいことはしてないが)として購入してしまった。

太宰府天満宮

 このカメラで大学の授業の帰りに太宰府天満宮などを撮ってみたが、ほんとに撮るのが楽しくなるカメラである。惜しむらくはファインダーの像に少し歪みがあるのが欠点だが、これは初期不良かもしれない。気をつけていたのに、新年早々カメラの泥沼に陥りつつあるこの現状。何とかしなければならぬ。

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