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2018年12月31日

夜の小倉城

 2018年も終わりを迎えた。8日以後は予備校が一段落したので、比較的時間の余裕はできたが、忙しかったときにできなかった諸連絡、会議の準備などをしたので、結局はあれこれと追われることが多かった。ろくに年末の片づけもできないほどだった。最近になってようやく例年動ける1月と2月のさまざまな企画に手をつけ、3月の旅の準備も始めた。

 15日は、子ども寺子屋カフェのクリスマスをした。クリスマスツリーを子どもたちと飾りつけ、ハンドベルをいっしょに演奏した。事前の練習もないままであるので、ぶっつけ本番である。それでも何とか曲にはなったという感じか。昨年同様にサンタクロースも登場。みんなにプレゼントを配って回る。このサンタはギターを使って「ホワイト・クリスマス」を歌うなど、なかなか粋である。子どもたちが一番楽しみにしていた瞬間で、登場の際には自然と拍手が起きた。

サンタの登場

寺子屋カフェ

 21日は、久しぶりに九響の第九の演奏会にいった。ほんとうは九響の12月の定演に行ければそれでよかったのだが、あいにく寺子屋カフェの活動「レアプラッズ」で行けない。12月は何も聞かないままに終わるために、それなら第九でもいくかと決めた。

九響の第九演奏会

 福岡でのコンサートが完売だったので、やむなく小倉のコンサートにした。合唱団は福岡は九響合唱団で、だんとつにうまい。小倉はアマチュアの合唱団なので、やや落ちる。指揮者は下野竜也さんだった。演奏は好みのテンポだったが、ややぬるい感じがした。しかし、それはそれで感動もあり、よかった。

 帰りに小倉のイルミネーションを見た。今年はついに一番の売りだった橋のイルミネーションが簡略化され、光のトンネルになっていない。去年はやや質素になり、予算がないのだなと思わせたが、今年はとうとうなくなった。かわりにクラウンパレスホテルがわりと大きなイルミネーションを出したので、少しだけ相殺したか。井筒屋も去年と同じものである。前は少しずつ毎年変えていた。

クラウンパレスホテル

橋の光のトンネルがない

 井筒屋に代表されるように、小倉は消費の景気が悪い。生産加工が主の企業自体は中国との関係で、そこまで悪いはずがなく、地理的な近さを生かして景気がいいと推測するが、消費にかんしてはスペースワールドの閉園、コレットの閉鎖など近年にない苦しさである。福岡市に客を取られる傾向がさらに強まっている。イルミネーションは小倉の方がずっときれいだったのに、この数年は博多や天神のイルミネーションが豪華になってきている。昭和の町の雰囲気が残る北九州はたしかに今風ではないが、人間的な町として残ってほしいと願う。

紫川のイルミネーション

井筒屋のイルミネーション

 今年も終わるが、自分にとってどんな一年だったか。例年通り1〜3月はいろいろ動いて充実していたが、4月から7月まではとにかく仕事だけという記憶しかない。後半の9〜12月は前期よりは時間の余裕はあるが、やはり仕事に追われた。合間をぬって会報編集などがあり、これにも時間をとられた。子ども寺子屋カフェも月二回になって、今年はこればかりしたという印象だ。

 とはいえ、新しい分野を発見する契機もあり、今後の展開も期待されるところもある。今年は論文や本を書くことがなかったが、来年は少し書いてみようと思う。論文はともかく、手出しすることなく専門書を刊行してくれる出版社がないので、それが悩みの種である。

2018年12月8日

太宰府の紅葉

  2018年も12月に入った。予備校の授業は一段落ついて少しほっとできるが、大学の授業がまだ残っている。年齢は63歳になり、18〜19歳の予備校生とは毎年差が広がり、孫に近い年齢差になっているというのに、それでも毎年数は少ないがなついてくれる子はいる。去年からは、子ども寺子屋カフェで小学生や幼児を相手にするようになり、ますます年齢差は開いている。

 11月17日は、その子ども寺子屋カフェをしたが、子どもたちは5人来てくれて、支援者の手入れしている山に行き、みんなでミカン狩りをした。夕方ではあったが、里山が美しく、空気がとてもすんでいて、気持ちのよいひとときだった。

里山を歩く

 18日は、恒例の北九州国際音楽祭のメインイベントであるサンクトペテルブルク・オケのコンサートにいった。テミルカーノフが体調不良で指揮者が変わったが、副指揮者でいつも練習は彼としているはずだから、気のあった演奏だった。しかし、シベリウスのヴァイオリン協奏曲はオケがぬるい感じで、これはいまいちだった。ラフマニノフの交響曲2番は手慣れた演奏でこれは満足できた。

サンクト・ペテルブルク・フィル

 例年、勤労感謝の日前後は予備校の授業が休みで週末の休日とあわせて余裕ができ、紅葉狩りにいくのだが、今年は模試の採点などで日にちがつぶれてしまった。毎年寄る長府には行けず、仕事帰りに太宰府の光明寺を見る程度に終わった。

光明寺の庭

 23日は若松の個人ギャラリー「何有荘」で第二回の美学ゼミをする。今回はシラーの美学を扱い、参加者も8名で、根づいてきたようで、今後も続けてほしいと頼まれる。次はシラーの公共性、その次はヘーゲル、さらにはウィリアム・モリスやバウハウスと続き、ハイデガーあたりまで継続することになった。しばらく美学研究から離れていたので、戻るにはよい契機になるだろう。

 25日も、小倉での小児科多職種研究会の一般講演に行き、夜は暖の8周年コンサートで、一日つまってしまった。小児科多職種研究会は、金原洋治先生に来ないかと誘われて、彼の緘黙についての講演、そして金子淳子医師による宇部市の子ども食堂「みんにゃ食堂」の報告講演を聴いた。どちらもためになるもので、勉強になった。これは医療学会であるために一般の参加が少なく、それがもったいない気がした。

みんにゃ食堂の講演

 暖のコンサートは、中島聖子さんの歌と緒方公司さんのピアノ伴奏で、バラードや有名曲を聴いた。中島さんの声はメゾソプラノ的な落ち着いた声で、緒方さんのピアノもジャズの香り高く、いい時間を過ごせた。中島さんには、声の質からして、ロバータ・フラックの「愛は面影の中に」を次はぜひ歌ってほしいと希望した。この曲はよく知らなかったようだ。

中島聖子さんの歌

 12月1日は、ヒュッゲなカフェの映画会で「ローマ法王になる日まで」を上映した。この間いろいろ調べていたこともあり、フランチェスコ教皇の半生について解説もする。この映画は彼のことを知らないと話のつながりがわかりにくいが、事前に解説することでみなもよく流れが理解できたようだ。彼の民衆の側に立つ姿勢、民衆の神学がアルゼンチンの軍政下で鍛えられた骨太なものであることがよくわかる。

県立美術館のバレル展

ドガの「リハーサル」

 7日は、バレル展にいく。早くに招待券を手に入れ、友人たちにも配ったというのに、本人が行くのは最終日二日前というていたらくである。いくつかいい絵はあったものの、同傾向の小品が多いのであまり印象が残らない展覧会だった。そもそも県立美術館が老朽化し、ここは照明が異常に暗いので、絵がよく見えない。いまどきこんな照明をしている美術館はどこにもない。

 一番よい絵であるドガの「リハーサル」を含む二枚の絵だけは写真撮影を許可していたのが、福岡では珍しいことか。ヨーロッパの美術館ではあたりまえなのに、日本はなぜかやたらとうるさい。パリのオペラ座バレエを知る者からすれば、ドガのバレリーナたちの絵は親しみをもちやすい。それを抜きにしても動的ですぐれた絵であると思う。

 

2018年11月11日

太宰府の紅葉

 10月、11月と比較的穏やかな天候が続いた。秋晴れのよい日に恵まれた気がする。こういう一番よい季節に仕事に追われ、家と職場を往復するだけというのがいつもながら情けない。

 10月10日は、床田さんたちの「第二回あかま病院アート」にヒュッゲなカフェメンバーと訪れた。去年に続いて二度目の開催である。ここには特養もあり、高齢者たちに無意識的にもよい効果を挙げていることはまちがない。

床田さんの作品

 13日は北九州国際音楽祭の一つ、響ホールであった竹澤恭子さん、萩原麻未さん、原田禎夫さんの室内楽コンサートに行った。萩原さんのファンでもあるし、竹澤さんはコリン・デイビスとロンドン響とのブラームスのバイオリン協奏曲のCDは愛聴盤で、九響と定演でも共演したとき、その技術の高さに感服した記憶があるので、忙しい中を足を運んだ。よく知られた曲を間に挟みつつ、メンデルスゾーンの三重奏がメインであったが、萩原さんの愛くるしさに満足して帰った。

響ホール

竹澤、萩原、原田さん

 14日は北九州市門司港で行われた子ども食堂シンポジウムにHさんといってみた。よその活動を聴くのは参考になる。基調講演をプレイパークと居場所で全国的に知られる渡部夫妻が行った。今の子どもの状況をよく知る人だけにうなずく点が多かった。終わってからはHさんを下関唐戸の連絡船に乗せ、つかの間の潮の香り、波のしぶきを楽しんだ。

門司港での子ども食堂シンポ

 20日は子ども寺子屋カフェで、今回は「芋煮会」をした。地域の住民との交流もかねて、みんなで料理をしてみんなで食べる。40名近く集まり、盛況だった。後期が始まり、大学で呼びかけたボランティアも新しい人が来てくれた。久しぶりに参加したYさんはバイオリン演奏をしてくれて盛り上がりに一役買ってくれた。

 28日はアクロス福岡であった古楽祭の一つ「Possente spirito」と名づけられたモンテヴェルディのマドリガルコンサートに行く。寺子屋カフェを手伝ってくれるMさんへのお礼も兼ねた。寺神戸さんを初めとする腕達者な演奏家にテノールの二人はすばらしかった。ソプラノの女性が少し声が出ていなかった。美人で映画女優もこなすという才人であるが、その分歌唱が弱いのかもしれない。終わってからは福岡オクトバーフェストに行き、バイツェンビアを楽しんだ。これに寄るのは3年ぶりか。

アクロス福岡(左)

コンサートメンバー

福岡オクトバーフェスト

 11月10日は、久しぶりに休めたので、毎年恒例の宗像大社の菊花展と鐘崎漁港に寄る。世界遺産になって一年経つが、たしかに以前よりは観光客が途切れずに訪れている。とはいえ、岩手の平泉のように一大観光地になったかというとそうでもない。対象の沖ノ島は入れない上に、宗像大社は宇佐神宮などに比べるとそこまで魅力ある神社でもない。田舎にある大きな神社というだけだ。宿泊施設もあまりなく、訪れる人はおそらく車で日帰りできる範囲の北部九州・山口からではないかと思う。

鐘崎漁港

宗像大社

 人は増えているせいもあり、かつて宗像だけの小さな行事であった頃にあった巫女が給仕するカフェなどがなくなっている。菊花展も規模は小さくなって、賞を受けたすぐれたものだけで、住民の手になる出品もない。世界遺産化して、かえってダメになった事例の一つだ。

菊花展

 授業の素材として、イタリアで精神病院を廃止したバザーリア、アッシジのフランチェスコ、そして彼の名を冠した現教皇のフランチェスコ教皇の資料を集めていると、これはイタリアに行かねばならないなということになってきた。アッシジは前から寄りたいと思っていた場所だったが、交通がやや不便なので、行けずじまいだった。下村寅太郎はアッシジを訪ねたときにインスピレーションを得て、わが国で最初の評伝「アッシジのフランシスコ」を執筆した。行けば何か得るものがあるかもしれない。

 フランチェスコ教皇の伝記などを読むと、彼がアルゼンチンの軍政の時代を、友人を弾圧で失うなど苦労して生き抜いてきたことがわかる。貧しき者、抑圧される者への思いがポーズではなく筋金入りであることも疑いない。彼が青年時代に来たいと願った日本、来年、ぜひ長崎へ来てほしいと思う。

 

2018年10月6日

 何のかんのしているうちに秋を迎えた。まだ秋らしいという空気と景色ではないが、気候はだいぶ過ごしやすくなり、体も動かしやすい。

 8月後半は、休みの日が多かったが、やるべきことも多くて、予定通り進まなかった。8月17日-19日は恒例の「海辺の子どもアートキャンプ・フリルフト」があった。主催者としていろいろと忙しい。今年は子どもの参加が34名で大人を入れて総勢57名でおおにぎわいだった。農作業、カヤック、海遊び、森で竹の輪のインスタレーション、絵画パフォーマンス、コンサート、キャンプファイアーなど盛りだくさんの内容だ。

農作業

インスタレーション

海遊びとカヤック

 キャンプ自体はスムーズに行き、大きな問題もなく終えた。とてもよいキャンプと思うが、しかし反省すべき点も多々ある。来年するかどうかは1月に会議で決定するが、それまでにいろいろ考えねば。

 子ども寺子屋カフェでは、炎天下で27日に宮田地区でのチラシまきをし、9月1日は「レアプラッズ」、6日には市民政治ネットワーク・ふくおかの助成金にかんするヒアリング、8日は福岡市の「マナビバ」見学、11日にはグリーンコープの助成金のプレゼンテーション、15日の「子ども寺子屋カフェ」といろいろ続いた。

 グリーンコープの助成金のプレゼンテーションは、説明のポイントをはずし、そのためあちらの委員の質問もずれた内容になってしまい、失敗したと思っていたが、21日に全額助成が決まったという連絡を受けた。意外である。それなりに評価されたのかもしれない。

 「マナビバ」見学は本拠地といえる福岡市西区の下山門教室を訪問した。代表の田口さんも来て説明をしてくれた。来る子どものほとんどが就学援助費を支給してもらっているそうだ。そうした家庭にとって、子どもが学費無料の公立高校に行くか、そこに通らずやむなく学費を払う私立高校に行かざるをえないかは天と地ほど違う。それゆえ、「マナビバ」は子どもの居場所ではなく、あくまでも学力向上に狙いを定めている。実質的な効果を意図しているのだ。「子ども寺子屋カフェ」とは方向性が違うが、大いに参考になった。

マナビバの様子

 「レアプラッズ」も「子ども寺子屋カフェ」も9月は太宰府の劇団道化が来てくれて、15日は「何ができるかな?」をしてもらった。とても楽しい時間だったが、15日は子どもの参加者が一人だけだった。いろいろな事情が重なり、たまたまそうなってしまったが、今までにない少なさでせっかくメインの企画であった道化のみなさんには申し訳なかった。しかし、集まった大人のメンバー相手に、日常の身の回りのもの、タオルやスポンジなど使って動物などに見立てて遊んだ。2004年にいっしょにタイの児童養護施設を訪問したときを思い出した。

道化の「何ができるかな?」

手ぬぐいで人形

 9月23日は、若松区安屋の何有荘ギャラリーで美学レクチュアをした。これはこの時期に開かれていた鷲崎公彦さんの個展とセットで、鷲崎さんとの対談も組み込まれた。何有荘の支配人牧野さんの依頼で、毎年キャンプでスタッフの宿泊場所として利用させていただいているので、断るわけにもいかない。もともど美学は専門でもあったので、何回か連続で美学講義を行うことにした。

鷲崎さんのコメント

 この日は第一回でカントの美学を「判断力批判」を中心にわかりやすく話した。ヨーロッパの美術館で撮った絵画の写真入りである。画家の方の参加が多く、実作家の方が理論の話にどういう反応をするか不明だったが、後日談ではよかったとのことだった。若い鷲崎さんは刺激的だったようで「改めて原点を再確認できた」ということだった。この10年は社会哲学、国家論などに移行して、美学とはごぶさただったが、久々に資料などを読み返すのは楽しかった。

 9月2日は妻とキエフ・バレエの「眠れる森の美女」を小倉まで見に行った。キエフ国立バレエかと思っていたら勘違いでアカデミーの方だった。それゆえオーケストラもなく、録音演奏で、人数もかぎりがあった。しかし、プリンシパルのみなさんはさすがにすばらしい踊りで、それなりに堪能できた。

キエフ・バレエ

 22日は九響の定演で「千人の交響曲」を聴いた。今年度の一番の目玉で、めったにない機会なので楽しみにしていた。アクロス自体が狭いので、千人も舞台にあがることができないけれども、500人以上の混合の合唱団が歌うのはさすがに迫力がある。

 「千人の交響曲」は演奏者と歌手の数の多さから、圧倒的な迫力、爆音というイメージがあるが、どちらかというとオペラ的な曲だ。緩やかな美しいメロディーの組み合わせで、ソリストの歌手が歌い上げ、それに合唱がからむ。とくに第二部はそうである。そういう意味ではソリストが重要だ。一番出番の多いテノールの声と声量がいまいちで(風邪気味だったような気がする)、その点だけが惜しかった。聖母マリアの天上のアリアはとても甘美だった。九響の演奏はミスらしいミスもなく、秀逸だった。やはり今年一番の演奏会になるか。

九響のカーテンコール

 9月30日にグルントヴィ協会の会報「ハイムダール」を会員に発送した。今回の会報は4月から7月までの忙しさでなかなか進まず、編集・レイアウトも時間がかかった。おまけに印刷に回してできてから家にくるまでに一週間かかった。佐川急便だったが、途中列車事故でフェリーに変えると余計に時間がかかって遅れたという。いろいろアクシデントがつきまとった今回の会報だ。しかし、届いてから記事の著者からのお礼や会員の感想などがあり、これが一番よい時間だ。

2018年8月15日

庭のカノコユリ

 あっというまにお盆になった。7月もひたすら仕事に追われ、息つく暇もなかった。下旬は大学の試験採点でこれも時間がかかる。寺子屋カフェに来てくれている学生ボランティアの慰労をかねて、松屋のカフェ「維新の庵」で、好物の小倉アイスを食べたのが数少ないホッとした時間か。

小倉アイス

 今年の4月からの忙しさで、あちこち身体にガタが来ている。右手の中指に痛みがあり、また腰も痛めた。痛めた腰で、7月28日には福島からの保養キャンプでカヤックを教え、スタッフが足りず、重いカヤックを運んだせいでよけいに痛めてしまった。腰をかばって歩くうちに、右足の神経を少し痛めるという連鎖反応も生じた。

 とはいえ、7月はコンサートはよい演奏が多く、その点はよい月だった。8日のプラハ放送交響楽団のコンサートは、2014年の3月に彼らの本拠地プラハのドヴォルザーク・ホールで妻と聞いて以来だ。プラハ放送響は「のだめカンタービレ」ヨーロッパ編で、ウィルトール・オケとして出演したオケなので、一部のファンにはなじみがある。

プラハ放送響

 プラハには、チェコ・フィル、プラハ響(FOK)、そしてこの放送響とレベルの高いオケが三つもあり、この三つとも日本でもプラハでも聞いた。とくにプラハで聞くとチケット代が格安なのでありがたい。チェコのオケが来ると必ず「新世界」をやらされるので、毎回うんざりだが、レナルトのテンポは遅めでも、味わい深い演奏を聴くことができたのはよかった。

 しかし、プラハ放送響よりも、7月は二度あった九響の演奏がすばらしかった。14日は「天神でクラシック」で、沼尻竜典氏の指揮で、本人作のオペラ「かぐや姫」抜粋とブラームスの2番があった。前者はともかく、ブラームスの2番の出来がすばらしく、手持ちのCDやこれまでの2番の演奏と比べても、一番よいと感じたものだった。

天神でクラシック

 九響ではだいぶ前に宮本文昭氏の指揮で聴いたが、これがひどい演奏だった。九響のせいというよりも、宮本氏の技量によるものとは思っていたけれど、無意識に九響では2番はむずかしいかなと思わされていた。それがこの演奏である。2番は二年前に、ベルリン歌劇場オケの演奏を聴いて以来と思うが、これもよかったものの、九響はベルリン・シュターツ・カペレを凌駕する演奏をした。これはすごいことである。沼尻氏の指揮を初めて聴いたが、かなりの力量がある人だと思った。

 このコンサートの帰りに、ちょうど山笠の流れ舁に遭遇した。翌朝に本番である追い山があるが、それに備えての最後の練習になる。博多の街の各町の舁き山が自分の町内を走る。山笠は伝統を大事にしながら、誰にも開かれたオープンさをもち、礼儀正しさを備えた爽快な祭りだ。いい光景を見せてもらった。

大黒流れの流れ舁

中州を走る流れ舁

飾り山笠

 27日にあった九響定演のホルスト「惑星」はもっとすばらしくて、数年ぶりに「ブラボー」と叫んだほどだ。指揮者はアレホ・ペレスだったが、彼もよい指揮者だった。このところ、九響は若い有望な指揮者を呼ぶのがうまい。

 これなら9月の定演の「千人の交響曲」が楽しみだ。九州でこういう規模のコンサートがないこともあって、早くからチケットは完売状態だ。定演会員なので聞き逃すことはなくてよかった。

九響の定演「惑星」のカーテンコール

 7月の子ども寺子屋カフェは「北欧の夏至祭」をした。花と葉をかざったポールや花冠づくりのために事前に準備をした。当日はやはり暑くて長くできなかったけれど、自然の恵みに感謝する北欧の夏の雰囲気は出たと思う。

7月の子ども寺子屋カフェ

北欧の夏至祭をする

 子ども寺子屋カフェ関係では、活動の助成金を申請したので、それのプレゼンテーションもあった。他の市民団体もそれぞれすごい活動をしているところばかりで、当会が一番小規模で地味だったが、審査員やオブザーバーの反応は悪くなかった。去年の「海辺のアートキャンプ・フリルフト」の映像を見せると、今年のキャンプに参加したいという人も出てきた。17日から始まるそのキャンプの準備で、このところ忙しい。キャンプが終わるとやっとまとまった休みになる。

狩宿(鹿児島県さつま町)

 12日は、義母の初盆で、妻の実家に帰る。だんだんと親戚も亡くなり、知っている人も減っている。お寺での法事に来たのは子どもの世代で、あまりよく知らない人が増えていた。自分たちも含め、みんな遠方に住んでいる。村が消えるということを改めて実感できる。

 

2018年7月1日

田んぼの中のひまわり畑

 5月と6月は仕事で忙しく、それ以外のことがあまりできなかった。週末は大学と予備校の講義の準備やスライドづくりなどでつぶれ、週日は授業と列車の移動で多い日は12時間以上拘束された。あと一週間経つと予備校の授業が終わるので、その分時間的余裕ができる。

 年齢が上がったのに拘束時間が増えて、疲れのせいかあちこち体に変調をきたしている。凝りや指の痛みのたぐいでひどいものではないが。

 6月3日は、YさんとU君の結婚祝いの会があった。堅苦しい結婚式に出ない気楽な友人だけの集まりでアットホームな雰囲気でよい会合だった。私も今回だけは特別ということで、ギターをもってラブソングをいくつか歌った。

結婚祝いの会

 それ以外では、子ども寺子屋カフェがメインの活動だった。5月の5日は「レアプラッズ」で子どもたちとバドミントンをする。緑陰の下で気持ちのよい風に吹かれながら、みんなでお茶を飲むのが最高だった。

梅雨の晴れ間の住吉神社境内

 5月21日の子ども寺子屋カフェは友人の床田明夫さんに「風の絵」インスタレーションをしてもらう。プラスチック板に絵を描いて、風を受けてくるくる回ると絵が動くというもの。いろいろな傑作ができあがった。6月16日の子ども寺子屋カフェは、大学生ボランティアのUさんが「世界一大きな授業2018」をした。世界の子どもたちの状況をクイズ形式で学ぶ。子どもたちの活発な発言を聞きながら、とてもよいインターアクションの時間になった。

6月の子ども寺子屋カフェ

 6月24日は3ヶ月ぶりにコンサートに行った。ハイドン・フィルの演奏で、オケの芸術監督になったアルトシュテットがチェロの独奏もした。ハイドンのチェロ協奏曲1番はかなり期待していたが、アルトシュテットの演奏はイル・ジャルディーノ・アルニコモ風の演奏でユニークではあるものの、あまり心に響かなかった。いつもはジャン・ギアン・ケラスの演奏で聞いているので、その影響もあったかもしれない。「驚愕」はよい演奏だった。

ハイドン・フィル

 仕事で忙しく、本を読む暇もないが、通勤の列車で時間つぶしに中公新書の「地球の歴史」三巻や「生物多様性」などを読む。Netflixで「コスモス」などの科学ドキュメンタリーを見て、文献もと手に取ったが、これが相当におもしろい。学生の頃学んだものとかなり違っている。この30年、地球科学の進歩はものすごいから、若い頃はトンデモ仮説扱いだったウェーゲナーの大陸移動説が検証済みの理論となっている。エディアカラ生物群も地球の生物とは思えない形態であるのに、その時代の地球にはふさわしいものだった。科学の進歩というものを実感できる機会だった。

 それにしても、数十億年という時間を思えば、地球温暖化などで騒ぐ人間中心主義のせせこましさを痛感する。なぜ日本が地震列島であるかを知り、地球上でも最も危ないところに日本人の先祖が住みついてしまった皮肉を実感する。

 つかの間の休みの息抜きは近くを散歩するくらいだ。しかし、季節の移り変わりを味わえて、それはそれでホッとする時間になる。

山田

あじさい

 

2018年5月6日

正助村の藤の花

 一年で一番いい季節を迎えた。時間を惜しんで、藤の花やツツジを楽しむ。休日は緑陰の下で弁当を食べて、のんびりお茶を飲む。そよぐ風がさわやかで気持ちがいい。至福の時間である。

正助村のツツジの花

山田地蔵の若葉

山田の村

桜の時期の山田地蔵

 この間、いろいろ忙しくて日記の更新ができなかった。二ヶ月ぶりになる。

 3月は仕事がないので、自由な時間が多いのだが、今年は日本にいるのでいろいろな日程を入れてかえって忙しくなってしまった。


 3月14日には、大坪克也さんの建築事務所を訪問した。大学での講義と会報の記事のための取材である。大坪さんはもやいバンクの2015年の総会で私が講演したときにお会いしたが、それ以前から「よりあいの森」を通して活躍を聞いていた。じっくりお話を聞くのは今回が初めてだ。堅実な建築家として実績を重ね、環境問題とよりあいとの出会いで大きく人生が変化したということだ。

大坪克也さん


 3月18日は「おもちゃ病院・宗像」の開催があり、訪問して取材した。これも上と同じ理由だ。川崎正彦さんがリーダーで、4人のおもちゃドクターが子どもたちのもってきたおもちゃをボランティアで修理する。川崎さんを含め、みなさん技術者で退職してからの社会貢献活動である。地域のPR誌「むなふ」2月号に掲載されたので、今回はいつもの4倍の訪問者だという。おもちゃには子どものいろいろな大事な思い出が重なっている。だから、子どもだけではなく、いい年をした大人もやってきた。大事にしてきたものが壊れたが、かけがえのないものだから、何とか治したいのだ。お話を聞き、おもちゃのもち主たちの話も聞くと、ささやかなものではあるけれど、そこには一つ一つドラマがある。味わい深い時間だった。

おもちゃ病院・宗像


 3月21日は、子ども寺子屋カフェの会員総会と地域交流会をした。40名以上の参加で大盛況だった。会員外に地域の住民も参加してくれた。毎日新聞も取材に来て記事を書いて下さった。会員総会後、地域住民向けにデンマークの教育と子ども寺子屋カフェの一年のスライドをした。「季節感が出ている」「ほのぼのしていいね」などの感想が上がった。昼食をみなでいっしょに食べて交流し、午後はフランス映画「コーラス」を見た。雨風の強い日で寒かったが、会場はほっこり暖かい雰囲気で一杯だった。

寺子屋カフェ総会で歌う

寺子屋カフェ地域交流会


 3月22日には、下関のかねはら小児科を訪問した。10年ぶりである。これもまた取材をかねてだが「ヒュッゲなカフェ」メンバーも来て、エクスカージョンとした。

 金原先生は10年前と変わらず、きさくで親切に対応して下さる。専門医学会や県の小児科医師会の会長などを歴任した偉い方なのに権威主義はみじんもない。

カルテを書く金原先生

 今回は時間がたっぷりあって、社会福祉法人「じねんじょ」の施設やスタッフ、利用者の方たちとの交流もできた。病児保育「ここいえ」も見学した。スタッフの方も明るく、働きやすい職場であることがわかる。

じねんじょの一部

病児保育室「ここいえ」

 金原先生の理念は、障がい者が地域であたりまえに暮らし、地域の人々と交流することだ。障がいをもつ人、どんな子どもにも幸福に生きる権利があると考え、一生懸命にサポートする。その姿勢に頭が下がるが、同時に気持ちを明るくしてくれる希望を与えてくれる。今回も、重い病気が治りこの施設を巣立っていく子どもに会えて、何ともいえない喜びをわかちあえた。


 3月23日夜は、久しぶりに「トヨタマスターズ・プレイヤー・ウィーン」のコンサートに行った。1日にBBC交響楽団のコンサートに行くはずだったのだが、肝心の切符を忘れ聴けなかった。3月は何もないことになるので、やむなくこれだけでもということで出かけたのだ。このコンサートは5年ぶりになる。

トヨタ・マスターズ・プレイヤー・ウィーンのコンサート

 前回のトリプル・コンチェルトの出来がひどく、指揮者なしでは乱れたときに収拾がつかなくなることを間近で見て、その後はまったく行く気をなくしていた。期待をしていない分コンサートはよかった。いや、かなりのいい出来だった。ベートーヴェンの交響曲7番は、ガーディナーばりの相当に速いテンポで古楽的なアプローチだった。演奏者は一流の人たちであるから、うまくそろえば抜群だ。少し見直した。


 3月29日は福岡教育大に「みんなの学校」を子ども寺子屋カフェメンバーで見に行った。子どもたちへの対応のあり方で学ぶべきことがたくさんあった。大阪の大空小学校の実践であるが、実際に小学校校長らと話すことがあると、大空小学校の木村前校長がいかに今の教育界で異端であるかが痛感できた。こういう教員がもっと増えてほしいものだ。


 4月3日は、みやま市のみやまスマートエネルギーを訪問し、社長直々のレクチュアを受けた。そしてさくらテラスでバイキングランチを食べ、午後は関連会社のみやまエネルギー開発機構の太陽光発電所を見学した。私自身がみやまスマートエネルギーの契約者でもある。いつも春のこの時期に、筑後在住の旧友の東郷さん、Mくん、Tくんと会っているが、今回はヒュッゲなカフェのメンバーも連れて、エクスカージョンにし、総勢7名となった。


 みやまスマートエネルギーはいわば第三セクターで、みやま市長の肝いりで、エネルギーの地産地消、再生可能エネルギーでの雇用の促進、町おこしとして始められた。日本のシュタットヴェルケをめざし、その意気や盛んであった。みやまエネルギー開発機構の太陽光発電所も福島原発事故直後の建設だったので、売電価格が一番高いときのままである。スタッフのみなさんも親切で、みやまエネルギー開発機構の役職の二人は、最後の目的地の清水寺まで案内してくれるほどだった。

みやまスマートエネルギー・さくらテラス

磯部社長のレクチュア

みやまエネルギー開発の発電所


 この日の最後は花見をかねて、筑後の名刹清水寺を訪ねた。初めての訪問であるが、いい場所と聞いていた上に、みやま市にあるのでここしかないと思っていた。あいにく桜はもうあらかた散っていたが、名高い三重塔と本堂は素晴らしく、私の住む宗像の鎮国寺に比べてもこちらが美しく歴史ある寺だった。本坊庭園でゆっくりして、いっしょにきた友人たちも満足していた。

本吉山 清水寺

清水寺三重塔


 4月7日は「レアプラッズ(学びの場)」21日は「子ども寺子屋カフェ」をしたが、これは協会のサイトで報告するので、ここには書かない。4月から月二回の開催になり、忙しくなったが、その分子どもたちとの距離がまた近くなった。62歳にもなって、また小学生の子どもたちと話すとは思わなかったが、なかなかに楽しいものである。


 その後は、大学の講義、予備校の講義が始まり、忙しい日々となった。子ども、若者(大学生)、中高年とまんべんなくいろいろな世代と交流できる場にいるのは、幸運なことなのかもしれない。

 

2018年3月4日

庭の梅の花

 2018年が明けて、もう二ヶ月以上が過ぎた。早いものである。今年は遅かった梅がようやく咲き、陽光も強くなって春らしさを告げている。

 一月と二月は例年になく寒い日が多く、昼間になっても外は零下という日が何日かあった。九州では珍しいことだ。冷蔵庫の中に入っているようなものだ。北海道と違い、二重窓はなく、壁も断熱材などない薄い壁なので、外気が冷えると部屋の中も冷える。暖房の出力を上げるしかない。

 一月は二度も熱を出して寝込み、そのたびにインフルエンザではないかとかかりつけの医院で検査するが、陰性だった。喉が痛く、咳がひどかったので、アデノウイルスではないかとも思ったが、原因はわからない。娘が年末にこれにかかり、それをもらったようである。

 12日は、北九州シティオペラの公演に妻と行った。プッチーニの三部作の一つである「修道女アンジェリカ」である。一昨年に「ジャンニ・スキッキ」を見たので、残るは「外套」だけである。これもきっと将来公演するだろう。

修道女アンジェリカのカーテンコール

 女性しか出ない一幕物であるが、演出次第では盛り上がるはずと期待していった。しかし、予想に反してあまり劇的な演出ではなかった。北九州シティオペラの公演としてはあまり印象に残らないものとなった。後半の名曲パレードは熱が下がったばかりなので、体調を考慮して途中で帰った。

 20日は一月の子ども寺子屋カフェであるが、これは協会の方で報告しているので、ここには書かない。

 23日はヒュッゲなカフェのエクスカージョンで、北九州市立美術館のターナー展にいった。テート・ギャラリーやロイヤル・ギャラリーにある有名な絵ではなく、スコットランド美術館などにある絵と版画や挿絵が主である。私が解説をして、みなで鑑賞するが、イギリス絵画の特色である「ピクチャレスク」や風景のロマン主義的な把握などを理解して見るとよさがわかったのではないかと思う。小品ではあるが、ターナーの絵の特徴はよく出ており、十分に魅力はあった。

ターナーの「セント・オーバー・ヘッド沖」

 27日は、九響の天神でクラシックの四回目。毎年1月27日のモーツァルトの誕生日に行い、演目もモーツァルトを主とする。今年はピアノ協奏曲第27番と交響曲第40番がメインだった。二年に一度は、安永徹さんと妻の市野あゆみさんが出るが、今年がその年だ。ベルリン・フィルのコンマスを長く務め、モダンオケの演奏が主だった安永さんであるので、40番はテンポの遅い昔風の演奏かと思っていたが、意外や古楽風な軽快なテンポと演奏で、その点はよかった。

九響の「モーツァルトをあなたに」

 2月3日は、毎年恒例の長崎北高での小論文講演。午前は兄と会い、出島を見物した。5年ぶりか。去年橋が完成して、その記念コンサートで11月にコンセルトヘボウを聴きに来たので、その橋がどんなものかと思って見に来たのだが、とくにたいしたことはなかった。5年前と比べて建物や展示が増えて、少しずつ計画に沿って増やしている。新たな観光名所にするのだろう。

出島

新しくつくられた橋

発掘された磁器

 7日は、ぴのきおの主宰者河野修三さんのお母さんがお亡くなりになったので、教会での葬儀に行く。二年前のキャンプには参加もして下さった。昨年末から弔事が続くが、これも人生であるから、受け入れるだけである。

 9日は九響の定演に行く。ワグナーの「ニーベルングの指輪」四部作からの抜粋集である。数年前のワグナーよりはよかったが、まだまだ九響にはワグナーは敷居が高い。管楽器のレベルを上げないと欧米のオケにはかなわない。今回は、一年ぶりにヴァイオリン主席の大山佳織さんにスイトピーの花束をあげることができた。一年ぶりだから、握手も強かった。演奏も容姿もいつもながらほれぼれするほどすてきである。

九響定演のカーテンコール

 14日は、日フィルの北九州公演にいった。マーラーの5番で指揮者は井上道義さんだったから期待していたが、演奏はばらついた感があり、もう一つだった。アダージェットはよかった。

日フィルのカーテンコール

 14日は、中国からのゲスト梁艶萍さんを招いて「ヒュッゲなカフェ談話会」をした。梁さんは中国の湖北大学教授で美学が専門である。このサイトの論文のページにある「シラーの美的観念論」をお読みになり、連絡をくれたのが始まり。2007年には東大文学部美学科に在外研究で一年滞在し、そのときグルントヴィ協会の関東の会でウォーキングに参加してくれた。今回もまた東大で一ヶ月滞在するので、お会いしたいという連絡があり、広島大学での合同学会での講演で西日本に来たので、ついでに福岡まで足を伸ばしたわけである。

鎮国寺

宗像大社前で(右が梁さん)

スライドで解説する梁さん(中央)

 10時半について、宗像大社、鎮国寺を観光し、さつき松原のイタリアン・レストランで昼食をとる。生まれも職場も内陸部なので、海が珍しいという。午後から談話会で、中国の美学の話、故郷の大同市のことなどを話してくれた。よい一日になったのではないかと思う。

 17日は二月の「子ども寺子屋カフェ」をした。デンマークでは二月に子どものお祭り「ファステラウン」をする。クロネコを描いた樽をたたいて、壊れると中にあるお菓子が落ちて、それをみんなで拾うというものだ。子どもたちは魔女やクロネコの仮装をする。

 この会では、本物の樽ではなく、段ボール製の樽にした。Nさんの製作した樽がすばらしく、お菓子を入れて子どもたちが棒でたたく。しばらくはもつだろうと思っていたら、5〜6分ほどで底が抜けてあっさりお菓子が落ちてしまった。それでも樽をたたく子どもたちの顔、それを見守る学生や大人たちがみんな笑顔で、お菓子が落ちると思わず拍手が起きる。珍しさもあって、たいへん楽しかったようだ。

ファステラウン

 翌日の18日は、福岡県社協による「ふくおか・絆・フェスティヴァル」の子育て・子ども支援分科会で「子ども寺子屋カフェ」の事例報告をする。10分という短い時間だったので、話よりも以下の映像を見せた。ジュークまじりで好評だったようだ。

子ども育成分科会

 

子ども寺子屋カフェの紹介映像

 1〜2月は予備校の授業がないので、時間的には楽なのだが、大学の試験採点があり、125名、175名という大人数の講義もあるために、採点業務に時間をとられて余裕はなかった。24日に最後の試験の採点を終え、ようやくホッとできる。

大穂の梅

 寒さも弱まり、日差しは春先のそれとなり、春の訪れの早い九州のよさをこれから味わえる。3月はあちこち取材などで訪れる予定があり、忙しくなりそうだ。子ども寺子屋カフェも新年度の計画をみなで立てる。充実した内容になりそうなのはうれしいが、大学の授業も忙しくなり、夏まではまた追われる日々になるかと思うと少しため息が出る。その忙しさを少しでもなくすべく、今のうちから授業のスライドを準備する。

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