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2014年6月29日

 美しい5月も過ぎて、うっとおしい6月ももう終わりを迎えた。仕事ばかりで息が詰まる毎日だ。年齢的にも無理がきかないので、肩こりなどに悩まされる。

 5月の終わりには二年ぶりに家族で蛍を見にいく。数はまだ多くはなかったが、子ども時代を思い出す光景だ。

 5月20日は九響の定演に行った。小泉和裕さんの指揮でリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」などのプログラムである。ヘンデルの「トランペットと弦楽のための組曲」が一番よかった。「英雄の生涯」は席が前にあるせいか管楽器、とくにホルンの音があまり聞こえず、リヒャルト・シュトラウスの醍醐味である圧倒的なオーケストレーションを感じることができなかった。九響の技量がまだそこまで達していないのかもしれない。

 コンサートでは、他に6月8日のプラジャーク・カルテットも聴いてみた。地元の宗像市であるので、気軽に行ける。モーツアルト、シューベルトの弦楽四重奏の代表的な曲とシューマンのこれまた代表的なピアノ五重奏である。

プラジャーク・カルテット

 シューマンのこの作品は、前はそれこそ世界的なアルゲリッチやミッシャ・マイスキーらで二度ほど(別府、小倉)聴いたことがあるが、今回の演奏はなぜかそれよりも感銘を受けた。仕事で枯れていた日々にはちょうどよい癒やしの時間になった。

 毎週、月曜日は九州歯科大での講義だ。先輩のNさんに、彼が講義時に行っていた定食屋、松月に「後期から来ますとあいさつしておいてくれ」といわれて、寄ってみた。Nさんのいうとおり、料理に細かな工夫がしてあっておいしい上に、値段も手頃である。それからは毎週通っている。また一つ良心的な店を知ってうれしい。主人は鹿児島の出水出身ということだ。

 出水といえば、グルントヴィ協会の会員でもあった宮田さんが亡くなったとウィンドファームの中村さんから6月24日電話で知らせを受けた。正直、かなり堪えた。前には、大阪、四條畷市の西山さんが1月に亡くなったと知らせを受けた。そして今月は従姉妹の死もあった。いい人ほど早く逝ってしまうとつくづく思う。

 私とて8月には59歳になる。あと15年か20年くらいしか活動はできないと思うと焦りも出てくる。10年なんてこの年になれば無為のうちにあっという間に過ぎてしまうからだ。焦ったところで何かができるわけではないが、思い残すことのないように日々誠実に生きるしかない。

 6月21日には、小倉で「北九州の共生ケアを考える会」の主催でデンマークの教育と社会についての講演をした。いつもやっている話であるが、今回は参加者の方がよほどすごい活動をしている人ばかりで、懇親会で紹介されて、こちらがかしこまるばかりだった。北九州の障害者支援、ホームレス支援などの組織、NPOのリーダー格の人が多く、社会的に有名な組織もある。しかし、これで顔がつながったので、今後はいろいろ取材や見学をして、勉強をさせてもらえる。その意味ではいい会合だったのではないか。

小倉での講演

懇親会の様子

 忙しいさなかに、8月31日の川内原発再稼働反対の集会の準備も入ってくる。川内の反対運動の歴史を知る人間の一人として、中心的な役割を果たせといわれて、動かざるをえない。だが、かつて川内で知り合った住民のみなさんのことを思えば、彼らのためにも当然関与すべきだろう。9月26日の小出裕章さんの福岡での講演会も、彼と面識があるということで私が連絡役である。

 7月終わりにはラダック(インド領チベット)に行き、8月に戻ると廣岡さんの裁判支援の決起集会をして、岩手の陸前高田市の高田高校支援ワークショップに行き、盛岡や山口県の周南市で話をして、名古屋市のわっぱの会の取材もするという日々が待っている。仕事が忙しい中で何とか切り盛りして乗り超えなければならないが、まぁいろいろな出会いがあるということは感謝すべきなのだろう。

 

2014年5月18日

庭の花

 連休の頃はまだ風もひんやりしてちょうどいいくらいの気候だったのだが、さわやかな日々ももう過ぎ去り、暑さを感じる季節になってきた。とにかく九州は冬と夏ばかりで春と秋が短いのが残念だ。

 連休も予備校の仕事があり、休めなかった。わずかな休みの日であった4日は、グルントヴィ協会の会員でもある若松のグループホーム「共働の家・ぴのきお」の恒例の春のコンサートに誘われたので、妻といってみた。初めての参加になる。

 アマチュアバンドが三組ほど演奏と歌を発表し、夕方からはバーベキューパーティの懇親会である。バンドのメンバーは、看護師など医療、福祉などに携わる人もいた。参加者もいろいろで、福祉関係者もおれば、出入りの業者さんもいた。50名ほどが楽しく集っていた。最後は、「ぴのきお」に通う障害者、そしてスタッフの踊りもあり、たいへんに楽しかった。

「海辺の音楽」

フォトアルバム

 リーダーの河野さんは、全体を切り盛りし、あいさつもし、最後は肉を焼く係と大活躍である。あいさつの中でいきなり私に紹介をしろとふるものだから、あわてて壇上に上がる羽目になった。しかし、おかげで北九州の福祉で活躍する方々と知り合いになり、デンマークの話をする会合まで設定していただいた。

 連休は、ここ三年、鳥栖のラ・フォル・ジュルネ・コンサートにいっていたが、これがなくなってがっかりしていた。しかし、この「海辺の音楽」コンサートもそれに劣らずすばらしく、何よりも障害者と健全者、それを支える人々が集まり、分け隔てない空間をつくるのがいい。毎年の恒例行事になりそうである。

平等寺

青葉濃い山田地蔵

 仕事はあいかわらず忙しく、その合間を縫って翻訳などの原稿に追われる。多忙なのだが、しかし、何かしらの充実感はある。今はまだ季節がよいので、貴重な休みには青葉茂る場所に行き、緑陰の下で弁当を食べたりもする。鳥のさえずり、木陰を吹き抜ける風が最高で、幸福感に包まれると、たまった疲れも癒される気がする。

 

2014年4月27日

八所宮の藤

 新学期も始まり、多忙な日々が続く。今年は大学の講義が増えた。予備校でリストラ対象のために、コマ数を年々削減されているので、その防衛策だったのだが、今年度は講習会だけの削減で、レギュラー授業は変化がなかった。だからかなり忙しい。週休は一日しかなく、毎日ほぼ12時間の拘束である。9時に出れば帰りは夜の9時以後になる。

 このペースが7月半ばまで続き、その後は講習会をしたあと、休む間もなくラダック(インド領チベット)に二週間行く。8月半ばになってようやく数日休日があってほっとできる。年齢もあって、身体がもつだろうかと心配になる。いろんな企画のお誘いがあるが、時間と余裕がないので、お断りせざるをえない。動けるのは8月以降だろう。

 ヨーロッパでコンサートやオペラ、バレエを堪能したが、4月も引き続き、11日にはジンマン率いるチューリヒ・トーンハレ管弦楽団のコンサートにいった。

 このコンビはこの十年以上、活発にCDを出し、それが比較的安価なので私もけっこう所持している。古楽の解釈を参考にして軽快でスタイリッシュな演奏が多い。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は名盤と密かに思っている。チューリヒは産業都市、金融都市でスイスにありながら観光的にはあまり見るべき場所がないので、わざわざ訪ねることはない場所だ。だから博多に来てくれるなら、好都合だった。

 「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快な悪戯」はすばらしい演奏で、さらにギドン・クレーメルとのモーツアルトのヴァイオリン協奏曲5番はもっとよかった。オケの音がとにかくきれいで整然としており、また気品もある。ジンマンが来る以前はスイスやドイツにたくさんある公立オケの一つといった評価ではないかと思うが、これほどの上手いオケはあまりないといえるほどの技量だった。少なくとも3月のベルリン・フィルよりもいい音を出していた。

 クレーメルのモツコンは実をいえばあまり期待していなかった。5番をあまり好きではないというのもあるが、名盤といわれるクレーメルとアーノンクールのモーツアルトのヴァイオリン協奏曲集の解釈は気に入らず、あんなスタイルなら聴かなくてもいいなと思っていたからである。クレーメルが70年代後半に颯爽とデビューしたときにもモーツアルトのヴァイオリン協奏曲集はたいへんな評判を呼んだが、私はこの若々しくはつらつとした演奏がモーツアルトらしいと思っていた。

 当日の5番はたしかに若々しく元気な演奏ではなかったが、幽玄とでもいうべきか、か細い音を出しながらもこの世のものとはいえない響きをもち、モーツアルトのコンチェルトとは思えない高い精神性を感じさせた。こんな凄い演奏があるのかと何か歴史的な場面に出くわしたような気持ちがした。さすがはクレーメルというしかない。

 これまでの演奏がすばらしいので、メインのブラームスの4番は大いに期待したが、演奏はもちろん際立つ技術、美しい音を出しながらも、なぜかあっさりして感動するものがなかった。今後の関西や首都圏での公演に備えて体力を温存したのか、とりあえずプログラムをこなしたという感じの演奏だった。

 13日は、九響の第一回の定演だった。例年、九響の定演は金曜日夜が多かった。この夕は仕事が入ることが多く、定期会員になって支援したくとも、行けない日がほとんどなので、あきらめていた。しかし、今年度はなぜか木曜日や火曜日が多い。これは好都合とさっそく定期会員になった。

九響第一回定演(カーテンコール)

 今年は新しい若手の指揮者を呼ぶという趣向で、第一回もイタリアのルスティオーニという若いイケメン指揮者である。ふだんはオペラを多く振っていることもあるのか、若々しいダイナミックな指揮であっても見事な統率ぶりで、すばらしい演奏だった。音量があって九響がヨーロッパのオケのようにきこえたくらいである。

 終わってから、楽団員が恒例のお見送りをする。第一ヴァイオリン首席の大山香織さんが出ていたので、さっそく近寄って「よかったです」と握手する。演奏もさることながら、これが一番の収穫だった。

 夏に出る予定の翻訳に必要な文献を探しに、そうとうに久しぶりに九大へいった。工学部などはすでに糸島へ移転しているが、文系学部はまだ残っている。雰囲気も昔とほとんど変わらない。九大のシンボルである工学部本館は博物館になっているようだった。

九大工学部本館

 文学部所属でありながら、工学部道路研メンバーでもあったので、倫理の研究室よりは道路研にいることが多かった。ここは本館の中にあり、伝統ある昔の建築物のよさを十分に味わえる場所だった。コストから設計を決める現代と違って、建築資材、設計、天井の高さなど、人間がその空間の中にいることの心地よさ、精神的な豊かさを配慮した設計だったと思う。

 連休に入っても、予備校は休みがない。貴重な日曜日、雨という予報がはずれて、薄曇りになったので、恒例の八所宮の藤の花を見にいく。一年で一番好きな時間だ。ついでにだいぶ前になるが、今年の桜の写真もつけておこう。

八所宮の藤棚

八所宮

藤のフォトアルバム

山田地蔵の桜

小倉城の桜

桜のフォトアルバム

2014年4月8日

 今回の旅の日記を日記特別篇に加えた。今回の作業で、2012年の旅は記録を書いていないことに気づいた。2012年は協会のHPに以下の報告二つを書いている(ドイツ報告 デンマーク報告)。またひまがあれば書こうとは思うが、新学期も始まり、いつになるかわからない。

 

2014年4月1日

 24日に帰国した。ドイツのハッティンゲン、エッセン、デュッセルドルフヴィッテンベルクライプツィッヒ、ベルリン、チェコのプラハ、そしてデンマークのコペンハーゲン、ヘルシンオアと回ってきた。ドイツとチェコの写真はリンク先にある。詳しくはまた書くことにしよう。

 

2014年3月7日

鎮国寺の梅

 前回の更新から一ヶ月たった。時間があっという間に過ぎ去る。夏に出るマイアーのシュミット研究書を訳すことに追われているが、明日はもうドイツへ旅立つ日である。

 今年の二月は寒かった。一月の大寒のときも寒かったが、一時期暖かくなったかと思うと、また寒い冬に逆戻りである。東日本のように大雪はなかったにせよ、一月と変わらない厳寒の二月だった。

 それでも梅の花は咲き、春を告げ知らせる。二月の24日に近くの鎮国寺にいくと、梅の花見に多くの人が訪れていた。なかでも高齢者のデイサービス施設がいくつもやってきた。のどかで心暖まる光景である。

鎮国寺の梅

 三月の5日には、息子と一緒に九響の特別コンサートにいった。秋山さんがレスピーギのローマ三部作を指揮する。ローマ三部作は日頃はあまり使われないいろいろな楽器が登場し、管楽器、打楽器の圧倒的な音量のオンパレードなので、視覚的に楽しめる。また、哀愁感のあるメロディーがすばらしい「リュートのための古風な舞曲とアリア」第三組曲のイタリアーノも大好きな曲だ。

 だいぶ前に、レスピーギ自身が教え、指揮をした本場のローマ・サンタ・チェチェーリア音楽院管弦楽団が福岡に来て十八番の三部作をやったとき、ぜひ行きたかったのだが、あいにく仕事でいけなかった。その後も大がかりなこの曲をやるオケはなかったが、九響が演奏するというので期待していた。チェレスタ、ハープ、ピアノ、マンドリン、シロフォン、はてはナイチンゲールの鳴き声のテープ(CD?)まで、たいへんににぎやかで楽しい。

カーテンコール

 息子はあまりクラシックを日頃聴くことはなく、前に年末の第九を聴きにいったときは、第四楽章の合唱が出るまでは寝ていた。今回も同じ体たらくで管楽器の大音量のときだけ目を覚ますかなと思っていたら、ほとんど全部聴いていた。やはりバラエティに富んだこの曲の面白さが惹きつけたのだろう。この時期は仕事が暇なので、前日のリハーサルもいってみた。二日間にわたって大いに楽しめた。

 ベルリン、プラハ、デュッセルドルフ、エッセンでは、コンサート、オペラ、バレエを妻と見聞きする予定だ。

 

2014年2月8日

長崎港

 2014年も明けて40日くらいたってしまった。正月の2日から仕事で、最初の一週間はあわただしく過ぎた。落ち着いた頃はすでに正月気分は世間からも消えてしまう。初詣は仕事にいく途中にある住吉神社というのがこの数年の定番である。まぁ故郷の町にも同じ住吉神社があり、漁師の神様なので、それなりの縁はある。

住吉神社

 13日は、九電前のテント村「原発止めよう!九電本店前広場」の1000日記念の集いに、友人の東郷さんと出かける。私自身もこのテントが立った一日目である2011年4月20日に参加し、週一日程度設営を手伝うなどしてきた。

テント村1000日集会

 村長役である青柳さんでもっている活動であるが、三年に近い日々を彼のがんばりで継続してきた。そのことはみなよく知っているので、集まった100名ほどの参加者が、青柳さんをねぎらうプログラムになった。寸劇あり、これまでの活動のスライドショーありといろんな工夫がなされて、みんなの思いがよくあらわれたいい会合だった。終わりの方で青柳さんから「一言いってくれ」といわれ、挨拶も何も用意していなかったので大いに慌てた。すてきな会合を準備し、演出した実行委員のみなさんに感謝したい。

 19日は中学校の同窓会があった。対馬の美津島町鶏知中学校出身者で、福岡在住の者の有志の会であったが、対馬だけでなく、遠くは神奈川の葉山町からも参加する者がいた。中学の同窓会は、私が20歳の頃に一度あっただけと思うが、それからすると何と38年ぶりの同窓会である。

中学同窓会

 2011年にあった高校の同窓会で会った仲間たちも多いが、中学以来初めて会う人もいる。みなすっかり顔も姿も変わっており、誰やら見当もつかない。女性陣は、男性をつかまえては「中学のとき、誰が好きだった?」という話で盛り上がる。ちなみに、私が好きだった女性は、今は対馬に戻っているそうである。還暦を迎える来年には、ぜひ対馬できちんとした同窓会をしようと約束して別れた。

 20日と27日には、毎年恒例の北九州市の年長者大学校「周望学舎」での講義をした。60歳以上のみなさんを相手にデンマークの話をする。例年好評で、反応もよく、講義をするのが楽しい時間である。去年勉強した高齢者福祉の内容も取り入れたせいもあり、最後の拍手はとても熱くて暖かいものだった。

 25日と2月3日は、長崎市の高校へ小論文の講演に行った。これも毎年の行事である。25日には帰りに近くの浦上天主堂に寄り、2月3日は兄といっしょに新地町のランタン・フェスティヴァルを見た。どちらも天気がいまひとつだったが、福岡に比べるとどこかのどかな長崎の街の早春の雰囲気を感じとれた。

浦上教会

新地町ランタン・フェスティヴァル

土神堂

 30日の政治思想カフェでは、デンマークの社会について講演するスタイルをとった。これまではカール・シュミットの書物のゼミであったが、私がデンマークのことを話しても今ひとつ参加者にピンと来ない様子があったので、一度きちんと説明をしておこうと思い、特別企画にしたのである。

 2月5日には、グルントヴィ協会の新年会を兼ねて、廣岡夫妻の裁判報告と今後の展開をみなで語る。会員の山口祐二さんが書物を出して、一冊いただく。とてもよい本で、時代に合っている。場所になったアイリッシュ・パブもいい雰囲気で、ビールはもちろん料理も本場に近くておいしかった。

 今年は、廣岡さんが県と戦う裁判を応援し、抗議行動もすることになる。忙しくなるが、孤立無援で戦う二人を応援する甲斐はあるだろう。

 2月1日には、サンクト・ペテルブクル・フィルのコンサートにいった。ムラヴィンスキーの旧レニングラード・フィル時代は、ベルリン・フィルやウィーン・フィルよりもうまく、実は世界最高といわれたオケであるので期待して行ったが、指揮者のテミルカーノフの体調が名古屋で悪かったらしく、福岡でも無理せずあっさり演奏という感じで終わった。技術の高さはたしかにあるように思えた。

 2月7日は、九響の定演に行く。小泉さんが人気があるのか、それともベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」という定番のプログラムのせいか、95パーセントくらいの入りだった。「皇帝」はピアニストはもちろん、日頃はコンチェルトが不得意に思えた九響もミスがほとんどなく、CD録音してもいいくらいのよい出来だった。

九響定演(カーテンコール時)

 「英雄」は第一楽章が乱れ、第二楽章の葬送行進曲もテンポがかなり遅く(これでは行進できないだろう)、終わりになるにしたがって音は溶けあったが、全体には今ひとつ感動がなかった。

 3月には妻とドイツ・デンマーク・プラハと旅をする。ベルリンでは幸い、ハイティンクとベルリン・フィルのコンサートと日程が合ったので、さっそくチケットを購入した。ベルリン・フィルというよりもハイティンクが好きなので、これは楽しみだ。

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