子ども寺子屋カフェニュースのエッセイ
「代表のつれづれなるひとり言」7

サンタが寺子屋カフェにやってくる!

 

門司港・旧大阪商船ビル

 12月になり、商店街はクリスマスの飾りと音楽であふれている。博多駅や小倉はイルミネーションが華やかで、雰囲気を醸し出す(小倉は10月からやっていた。早すぎ!)。趣きのあるのは門司港だ。博多駅や小倉ほどの派手さはないが、洋館と港町にマッチしたイルミネーションで、どこか西欧の町を思い出させる。旧大阪商船ビルは、デンマークのヘアニングにあった建物とそっくりで、個人的にはなつかしい。東京駅と並んで、歴史的な価値がある二大駅の一つ門司港駅もすばらしい。ぜひ子どもを連れて家族で訪ねてみることをお勧めする。

 できれば、31日の大晦日がいい。午前0時になって新年を迎えると港に停泊している船がみないっせいに汽笛を鳴らす。これは圧巻だ。昔から港町の慣習で大きな港ならどこでもする。船乗りや港町の住民ならみな知っていることだが、長崎港、神戸港など観光地のホテルに12月31日、家族などで宿泊したことがあれば、体験した人もいるかもしれない。コロナ前は門司港では、カウントダウンショーもあり、店も開いていて、花火も上がり、0時を過ぎても年末特別列車があったが、今年は列車はないようだ。

 私の子どもの頃は、対馬の貧しい漁師の家だったので、クリスマスなど関係なかった。それでもテレビなどが普及し、クリスマスの雰囲気を画面で流すから、母は24日にケーキを子どものために買うようになった。地元の和菓子屋がつくったバタークリームのスポンジケーキをチョコレートでコーティングしたもので、上にはサンタやトナカイの形のチョコやウエハース、ろうそくがあり、Merry Christmasと粉糖で白い文字が書いてある。

 小倉駅前にある人気のパン屋「シロヤ」の「チョコロール」が、これとそっくり同じつくりで同じ味だ。たまに買って帰る。豊かになった(が、また貧しくなりつつある)今は、ケーキは生クリームで素材もはるかにいいものを使って値段も高いが、「シロヤ」の「チョコロール」は、高度成長期で日本が明るく精神的には今よりも満ちていたあの時代のバタークリームの味だから、よけいにおいしい(値段も高度成長期のままか?300円である)。

 母はクリスマスケーキは買ってくれても、クリスマスツリーは買ってくれなかった。プレゼントなんかも当然ない。へんぴな離島の漁村だから都会的なクリスマスの消費文化がなかった。町中心部にある卸問屋がクリスマスツリーのオーナメントを売ってはいたが、これは商店などがクリスマスの時期に店用の飾りを買うから、仕入れていたようだ。私の住む集落で、飾りをつけたモミの木のクリスマスツリーがあったのは、母の実家でお金持ちの伯父の家だけだった。そこの子どもたちは従兄弟だからよくいっしょに遊んだが、家に行くとこの時期は華やかなクリスマスツリーがあって、いつもうらやましく思ったものだ。

 幼稚園は年長組の一年間だけあり、小学校の体育館の一区画を使っていた。12月の後半のある日、私はクリスマスの物語の紙芝居をみんなの前で朗読させられた。この頃までは私も「できる子」だったようだ。だが、本文のあとに括弧付きで小さく書いてある「紙を引き次を読む」という指示まで読んだのはご愛敬だ。

 読み終えて紙芝居をたたんでいると、戸をがらがらと開ける音がして、白い髭と赤い服のサンタクロースが登場した。私も含めて、何も知らなかった子どもたちは大喜びで声を挙げた。そしてサンタが白い大きな布袋から取り出すプレゼントを満面の笑みで受けとった。私自身はサンタが誰かすぐにわかった。小学校の近くにある鶴商店の親父さんだった。それでもサンタはサンタだ。子どもには特別の存在なのだ。このときの幸福感は今でもよくおぼえていて、人生の中で大事な思い出の一つになっている。

 そういうこともあって、2017年4月に子ども寺子屋カフェを始め、12月に「北欧のクリスマス」をするとなったときに、サンタの登場は絶対に欠かせないものだった。A川さんに無理に頼んで、サンタクロースになっていただいた。毎年「サンタさん、おいで!」と子どもたちが声を挙げ、登場したときの興奮、プレゼントをもらうときのうれしそうな笑顔、あのときの私の幸福な一瞬を子どもたちが再現してくれている。いわば、私にはつかの間のタイムマシーンの旅だ。子どもたちが「サンタさん、ありがとう!」というとき、「こちらこそありがとう!」と心の中で子どもたちに礼をいっている(たぶんA川さんも)。また、今年も19日、その時間がやってくる。(2021年12月4日記)

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