美と人倫
シラー美学の社会哲学的考察(1)

 

 近代の芸術は、そのあけぼのに、宗教性をふり落とし、人間性の理念に支えられて、開花をつかの間みせた。ルネサンスの大輪はその成果 である。しかし、時代を経るにつれ、おのれが勝ちえた自律性によって、逆に他の者との関連を失い、ひたすら反省的になり、自己を貧しくしてしまった。あらゆるものからの束縛を嫌い、伝統的な形式を否定することで、自己の創造を成立させる現代芸術は、自己のリソースを汲み尽くしてしまい、芸術がもつ社会的連帯力を失って久しい。

  美は社会とどのようにかかわるものであるのか、私は、ここで、シラ−の美学を題材にとり、考察してみたい。シラーこそは、近代芸術の完成時に生き、そして、自ら、(古典主義的)芸術の終焉を予感した人だ。彼の芸術観には近代の芸術の栄光と没落の双方が凝縮されて、一瞥するにははなはだ手頃であり、ヘーゲルの美学もシラー美学の体系的焼き直しにすぎないとさえいえるからである。

  ところで、彼の時代には、美学はまだ、趣味判断の学でしかなかった。だがしかし、今日的意味での芸術学ではないということはむしろポジティヴな意味をもっていた。

 

1、趣味と判断力の概念史

 西欧近代における趣味概念と判断力概念の成立史は、近代的個人というものの自己内反省の深まりの歴史である(ボイムラー)とともに、近代社会における「市民的公共性」(ハーバマス)や「教養社会」(ガダマー)の成立史にも深くかかわる。たとえばガダマーは、「趣味概念の歴史は、スペインに始まりフランスとイギリスに至る絶対主義の歴史に随伴し、第三身分の前史と一致する」のであり、良き趣味を旗じるしとして、良き社会が形成されるとしている(2)。

  このように趣味や、判断力の概念の展開が西欧近代の精神史、社会史に密接な関係をもつものであれば、それは当然にカントやシラーの趣味概念にも影を落としているはずである。ここでは、主として、ポイムラー(3)やガダマーらの研究によりながら、趣味と判断力の概念史を追っていきたい。

  まず、趣味概念は、十七世紀中葉にスペインにあらわれ、バルタザール・グラシアンにその源を発する。グラシアンの趣味概念は、本来、美的な問題というよりも、倫理や政治の次元に属していた(B. 19)。  

 趣味ある人というのは円満な世間人であり、ところをわきまえた人のことで、人生や社会のあらゆる事物に対して、自由に適切な距離をとれるような人のことを言うとされる(G. 41)。すなわち、彼はおのれの関心や利害に対し距離をとることができ、趣味の名のもとにあるある種の普遍性、共通 性をもった価値判断に自らをおくことができるわけである。そこには、身分や階級の共通 性によってというよりも、共通の価値判断、コミュニケーションの風通しの良い広場に立つことによって、ある種の公共性を形成しようという志向性があった(G.41f.)。

  しかし、当時、スペインでは、ルネサンス以後の人文主義的教養が宮廷に統合され、「宮廷文士(cortegiano)」が幅をきかせていた。彼らの流儀は後にフランスとイギリスにひきつがれ、宮廷を中心とした社交界を形成することになる(4)。

  グラシアンの趣味ある人、思慮ある人(discreto)という人間像は、ためにスペインでは大きな影響力をもつことなく終わり、むしろフランスで受け入れられた。というのも、そこでは、デカルトらの合理主義、真理と理性のオーソリティの支配が強く、これに具体的で歴史的、感性的な古代とルネサンスのオーソリティを加えようとするボワローの詩学や、信仰の優位 を説くパスカルなどの対抗勢力が存したからである(B. 25)。彼らやラ・ロシュフコーらの著作にグラシアンの言う意味での「趣味」概念が登場したけれども、それを趣味の理論にまで高めたのはイタリア人であった。

  代表的なものがムラトーリのそれである。彼の理論をボイムラーに従って(B. 51ff.)、見てみよう。すでにフランスのパスカルやデュボスにおいて判断と感情との密接な関係が言われていたが、ムラトーリはよりはっきりと、判断力(il giudizio)が良き趣味の主要部分であるとした。判断力と趣味が結びつくことによって、はなはだ大事な次の三つのことが言われうるようになった。

(1)趣味判断は物事の「価値」の判定にかかわるものであり、それらの価値というものは知性的に認識できないので、「主観的なもの」にかかわる。

(2)この判断は、個人や個物の考察にもとづくものではあるけれど、それらは無数にあるので「何らかの普遍的な規則や法則に包摂する必要」がある。判断力は、こうした、ふさわしいものを選ぶ働きをもっており、いわば、「詩の経済学(L'economia poetica)」である。

(3)何らかの普遍性に立つということは、判断力は、「自己を他者のうちへと移しおき」、他人ならばどう感じ、どう表現するかと問うことである(ここの「」は筆者の強調)。

  近代の歴史意識の高揚は、さらに趣味判断に歴史性の要素をつけくわえる。ヴィーコを先達にもつムラトーリは、人間が国や環境、時代によって制約されていることから、国々や時代による趣味の違いに着目するが、さらに、趣味と美的批判の成長こそが国民意識の強化につながるとする。芸術と言語こそは、近代の「国民的個人」というものを意識させたものにほかならないからである。

  このように見てくると、趣味判断の場というものはある種の公共性を形成していることがわかるだろう。

 遠くはグラシアンにさかのぼり、近くはムラトーリに類縁性をもつ趣味判断の公共性を完成したのはフランスのデュボスである(B. 55)。彼がなしたことは、デカルトの抽象的なコギトを具体的な個人でもっておきかえ、ボワローの、理性を具現化した観客に対して、具体的な、公衆、土間の観客(parterre)(B. 55, H. 55)をあてることであった。ボワローは、たしかに演劇における公共性を認め、観客を通 じてのみ、絶対的なものがあらわれるとしたが、デュボスはそれに対して、一定の歴史的な社会状態、現実的な観客(市民)こそが最高の法廷であるとした。ボワローのときには、まだ理念的な存在でしかなかった理性をもつ観客(それは多分に宮廷貴族の投影であったのだろうが)は、デュボスのときには、現実の目に見える観客(第三階級)として形成されていたのである。

  しかし、フランス、イタリアでの公共性形成に密接に関係ある趣味判断の展開に対して、ドイツには特有の後進性、社会的・政治的条件の未成熟ゆえの特徴があった。趣味と判断力概念の関係にかんし、ドイツでは大きな力のあったのは、バウムガルテンであるが、彼の判断力概念は、ものの完全性、不完全性を判定する能力とされ、認識の側面 が強調された。そのことにより、ヨーロッパの判断力概念が持ってきた伝統的な、ギリシャ・ローマに起源をもつ実践的な「共通 感覚」の意味を失い、スコラの伝統にしたがって、論理的な能力となってしまったのである。

(1) 拙論『美と人倫 - シラー美学の社会哲学的考察』(社会思想史学会編『社会思想史研究』第15巻 1991年)に字数の制約で書けなかった部分を一部加筆している。
(2) H.G.Gadamer, Wahrheit und Methode, Gesammeltwerke Bd. 1, Tuebingen, 1986. 5. Aufl. (轡田収他訳『真理と方法』法政大学出版局)以下略号Gとし、本文中にページを示す。
(3) A. Baeumler, Das Irrationalitaetsproblem in der Aesthetik und Logik des 18, Jahrhunderts bis zur Kritik der Urteilskraft, Darmstadt, 1981 以下略号はBとする。
(4) J.Habermas, Strukturwandel der Oeffentlichkeit, Neuwied u. Berlin, 1974, 6 Aufl.  S. 22(細谷貞雄訳『公共性の構造転換』未来社)以下略号をHとする。

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