子ども寺子屋カフェニュースのエッセイ
「代表のつれづれなるひとり言」1

驚愕のチーズ!

 

 毎月一回、親子で料理する「家族ダイニング・さんさん」。この場にいあわせると、食にまつわる家族のいろいろな思い出がよみがえる。

 私の両親ともすでに他界して久しい。私は対馬の漁村育ちで、父親は貧しい漁師だった。サラリーマン家庭ではないので、親子で料理することはほとんどなかった。年末のもちつきを手伝ったくらいだ。その代わり仕事は子どもでもいっしょにした。冬のスルメイカの皮むき、乾燥作業は子どもの役目だった。

 小学生時は学校給食がなく、弁当持参だった。母は料理自体は得意で、地区の冠婚葬祭時には女性たちの料理班のリーダーとして活躍するほどだった。とくに巻き寿司、ちらし寿司などの味がよいとの評判だったが、都会的センスはゼロだった。サラリーマン家庭(田舎だからほとんど公務員)の子どもの弁当はおしゃれで、ニンジンが花形に切ってあったり、ソーセージがタコになっていたりした。何よりもおかずの種類が多くて、盛りつけがおしゃれだった。

 漁師の妻は早朝から夜遅くまで男性なみに働く。忙しい母の弁当は質素だった。今思えば、煮込みも魚料理も手がかかりおいしいものなのに、子どもの私には、友だちの弁当のおかずの赤いウィンナ、スパゲッティ、ハンバーグの方がハイカラで魅力的だった。

 何年生のときかおぼえていないが、ある日弁当のふたを開けると驚愕した。おかずがない!ただチーズのかたまりとご飯があるだけだった。どうやって食べればいいのかと途方にくれた。

 これには伏線があった。その数日前、どこからかナチュラルチーズをもらった。田舎育ちゆえ食べるのは魚だけで、都会的な食べものを絶対に食べなかった父が、なんとこのチーズを食べたのだ。そのとき「これは栄養が豊かでタンパク質やカルシウムを取るのにとてもいい」と解説までつけた。私の家庭ではそれまでプロセスチーズを含めて、チーズを食べたことがなかった。

 父は徴兵でビルマ(ミャンマー)で戦い、イギリス軍の捕虜になった人だ。シベリアでの捕虜と異なり、イギリス軍は人権を尊重し、捕虜の食事にも本場のナチュラルチーズ、バター、パンが出た。粗末な日本軍の食事とぜんぜん質が違う。豆コーヒー、ココアも出ることがあり、ココアはバンホーテンだったという。子どもの頃、私たちが安物ココアを飲むとき父は飲まなかったのに、バンホーテンをもらったときは飲んでいたのも、ほんものの味を知っていたからだ。皮肉にもそれは戦争のせいだった。

 友だちが私の弁当をみて「何だそれ!」という。こんなのおかずにはならないと私はご飯だけかき込んだ。とても恥ずかしくて情けない気持ちがしたことをおぼえている。だが、母は父が「栄養が豊か」といったので、子どもに少しでもいいものを、という思いでチーズだけを入れたのだ。子どもの私にはそれがわからなかった。戻って文句をいうと、母は「そうか」とだけいって二度と入れることはなかった。

 今もスーパーや生協で、子どもの身体にいいものを、できるだけ添加物が少ないものを、とお母さんたちがかけ回っている。そういう思いを知らない子どもは、せっかくつくったものでも「これ嫌い」とそっぽを向く。でも、子どもたちが大人になったとき、きっと親の思いをわかる日がくるだろう。そんなとき「さんさん」の一場面を思い出してくれるといいなと思っている。(2021年1月29日記)

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