デンマークの教育の根本にあるもの

Landsgrav Friskole(Denmark)

 10月、11月と集中的に6回の講演依頼があり、デンマークの教育を中心に、教育にかんする話をする機会が多くありました。主催は『子ども劇場』や幼稚園、大学、それに市民運動団体などさまざまですが、みなさん熱心で、話の内容も幸い好評でした。私にとっても、デンマークや自分の教育観を見直すよい機会で、とくに『表現』というテーマで整理ができました。当日これなかった人から何か記録があればほしいとの声も多くあがりましたので、ここにその原稿の一部を採録したいと思います。

1、はじめに

 デンマークではこういう集会があるときは、必ず歌をもって始まります。それは人が集うときは独特の雰囲気があり、それをなごやかにし、人々の心を結びつけやすくする効果 があるからでしょうか。でもデンマークの歌は私しか知りませんので、ここはひとつデンマークで習った楽しい遊びをして始まりたいと思います。(デンマークの民衆に伝わる手遊びでスタート)。

  デンマークの教育については、いろいろと話す機会もあったのですが制度的なこと、カリキュラム、授業の様子を話しても、瑣末になりピンと来てもらえないことが多かったので、今日はポイントを絞り、デンマークの教育の根本にあるものを三つお話したいと思います。

 もちろんこれは、あくまで私が見聞を重ねる中で得たことで、私の主観を免れません。人はどうしても自分の好きなこと、気にいる部分だけが強く目に入るものです。私が教育で大事と思っていることがデンマークの学校の様子を見でより強調されただけのことで、その意味では私の教育観でもあります。その旨あらかじめご承知おき下さい。

2、デンマークの教育の根本にあるもの

 デンマークの『フリースクール(私立学校)』の最大の特色は「ワークショップ」の重視ということです。1年生のときから、木工、絵画、音楽、踊り、染色、料理、合唱なとたくさんのワークショップが用意されています。公立学校よりも、こうした自由な創造活動の時間が多いというのがフリースクールの自慢です。

  でもデンマークの公立学校ですら、日本の学校よりはるかにワークショップが多く、必修になっています。公立・私立をとわず、学科よりも表現・創作活動に力を入れているわけです。 授業にしましても、手仕事中心。

 たとえば私が見た公立学校の英語の授業(4年生)では、生徒に家から古くなった靴下を持ってこさせ、それにボタンを縫いつけて、ちょうどテレビの『セサミ・ストリート』に出てくるような人形を作らせ、それと英語会話をして楽しむという具合です。授業時間のほとんどはこの人形製作。教員にいわせると「英語会話をさせても子どもは恥ずかしがるが、こうして人形と話させると抵抗なく英語を使うから」との理由。でも手先を使う針仕事などして授業への集中力を高め、楽しみながら勉強するという効果 もあるようです。

  こうした背景にはデンマークの身体表現文化の伝統があるのではないでしょうか。彼らの表現を見ておりますと、技術的にうまくなることを目的とはしていません。絵や工芸、演劇、スポーツなどそれ自体を目的としていないのです。それらはあくまで自己を表現する手段であり、それゆえ新しい表現手段が出てくれば、それを使います。ビデオやコンピューターグラフィックスなどもとりいれられています。

  表現とは自己を封家化することです。一生懸命に何かを作ったら、下手でもいとおしくなるのは、そこに自分の姿が現れているからです。もちろん強制で作らされたのでは愛着もなくなります。日本では技術のうまさを教えることが教員の仕事と勘違いしている人が多く、あれこれと指図をしますがデンマークでは教員は価値観や審美観の押しつけをしません。表現とはなによりも自由がそこになければなりません。(2へ)

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