画像がでないときはリロード(再読み込み)をして下さい。

2019年12月31日

門司港

 12月もあっというまに終わる。忙しくて日記を全然更新していなかったので、まとめて掲載する。

 今年はイルミネーションは早くに写真撮影したが、門司港はまだ訪れていなかったので、31日の大晦日に門司港駅を見るついでにいってみた。

 門司港駅は12年から改修工事が始まり、13年から全面的に覆いをして見ることができなかった。それが今年3月ようやく終わった。東京駅と並ぶ国の文化財になっているので、ここまで予算をかけて100年前の創建当時の駅舎に戻った。色は前の白の方が好みだが、まぁ文句はいえない。

改修なった門司港駅

改修前の門司港駅(2012年)

門司港駅構内

門司港駅ホーム

 ここに来ると大晦日という実感がわく。深夜0時にはカウントダウンショーがある。港の正月は新年になると船の汽笛が一斉に鳴るのが売りだ。しかし、そこまで遅く残る元気がない。

旧門司港税関

門司港ホテル前

小倉のイルミネーション

 10日には、徳山大の教職特別講義に呼ばれていたので、新幹線で行く。後輩の渡部君が徳山大の教授をしており、今では学長補佐、図書館長、研究所長を兼ねる重鎮になっている。彼の出迎えを受けて、学生の前でデンマークの教育について話した。渡辺君とは20数年ぶりに会う。年賀状のやりとりしかつきあいがなかったが、前とほとんど変わりなく、人当たりのよい性格もそのままだった。久しぶりの再会を互いに喜ぶ。

 11日は、川内原発行政裁判の第一回の控訴審に原告として出た。横断幕をもつ役をやらされたので、テレビニュースではしっかり映っていた。次回の公判が5月という。半年近い間隔を開けるので、二回くらいで判決を出すのかもしれない。原発裁判は福島原発事故以降は少しは内容にかかわる審理をしたが、あっというまに伊方判決にもどり手続き論になってしまった。

川内原発控訴審集会であいさつする海渡弁護士

 この日は夜に九響の定演があった。指揮者がポリャンスキーなので、楽しみにしていた。7月28日に手兵のモスクワ国立響のコンサートがあってこれも行く予定だったが、前田裕さんの一年祭で行けなかった。チャイコフスキーの1番「冬の日の幻想」を聴いたが、期待に応えるすばらしい演奏だった。今後も九響に来てほしい人だ。

ポリャンスキーと九響

 14日は北九州大で行われた子ども食堂サミットに出た。分科会のみだけだったが。子ども寺子屋カフェに来てくれている教育大生のSくんとMさんも来ていた。地元の北九大生は来てなかったのに、感心なことだ。天草と鹿児島の報告例を聴く。子ども寺子屋カフェも劣るところはないと確信できた。

北九大子ども食堂サミット

 15日はその子ども寺子屋カフェで「北欧とドイツのクリスマス」と題して実施した。サンタクロースが来てアドベンツカレンダーを子どもたちにプレゼントするところが一番盛り上がる。子どもたちがサンタクロースに握手を求めるのが可愛かった。子どもの心には最も印象的に残る瞬間だろう。

サンタが来た瞬間

 年末は予備校の講習会に追われて忙しかった。大掃除も満足にできない。部屋は書物がたまりすぎて少しでもモノを動かすと崩壊してカオスになる。いつになったら本格的に片づけられるのだろうか。

 2019年も終わるが、今年はとにかく仕事に追われたという印象しかない。3月のイタリアへの旅はとてもよかったので、次回も行こうと計画を立てている。来年は予備校も定年となり、いったんはお払い箱になる。大学の非常勤は70歳までは続くと思うが、長年の非常勤務めなので年金も非常に少ない。ヨーロッパへの旅などできない節約暮らしが老後の生活になるが、あまり危機感も感じないので困ったものだ。

 定年一年前ということで、これまでのクレジットカードを整理し、新しく新規のものを契約した。整理にならず、逆に枚数が増えてしまった。セゾンアメックスのブルーカードを夏に契約したが、12月に永年無料会費のゴールドカード特権にあずかり、一万円の会費がずっと無料になる。このカードは旅行の保障が手厚く、タダでは申し訳ないほどだ。

 クレジットカードには興味がなく、これまで海外でのキャッシングに定評のあるセディナマスターとVISAカードの二枚でやってきたが、換えるとポイントなどがたまり、すぐに一月数千円のメリットがあることに気づいた。

 20年も仕事に追われ、本だらけで足の踏み場もない部屋で、捜し物に追われる日々が待っているだろう。

11月の日記

太宰府の紅葉

 11月も仕事に追われる毎日だった。例年は勤労感謝の日のあたりで少し連休があるが、今年の暦では土曜日になり、一日減ったので効果がなかった。11月の下旬は下関の長府などにいき、紅葉を楽しむのが毎年の行事だが、今年は行くと決めた日に小雨になりあきらめた。宗像でも太宰府でも、今年のカエデは台風による塩害のせいか、葉が縮み色も美しくなかった。外れの年になったようだ。

 10月27日と11月16日は、この時期恒例の鐘崎散策と宗像大社の菊花展に行った。織幡神社を十年ぶりに訪れた。

鐘崎

織幡神社

宗像大社

菊花展

 9日は九響の午後の名曲コンサートを聴いた。北欧のプログラムで期待したが、フィンランディアはよかったもののあとはそこまで印象には残らなかった。弾き振りのコンサートは経験が少ないので、興味深かった。北欧といえばすぐにグリーク、シベリウスばかりになるが、ニールセンをもう少し演奏してほしい。

九響とマルディロシアン

 コンサートでは、他に24日に、北九州国際音楽祭のメインイベントのケルン放送交響楽団のコンサートと、28日のアクロスでのマリンスキー劇場オケのコンサートにいった。ケルン放送交響楽団は前回アクロスで、ビシュコフの指揮でたいへん感銘を受けて以来、うまいオケと期待していたが、今回はあっさりとした演奏であまり感動がなかった。指揮者のヤノフスキも淡々と公演をこなしたという感じで、あまり気持ちが入っていなかった。そういうタイプの指揮者らしいが。

ケルン放送交響楽団

マリンスキー劇場オケ

 ゲルギエフとマリンスキー劇場オケは、期待通りのよい演奏だった。前に来たときはそこまでうまいオケとは思わなかったが、今回は隙のない演奏だった。日本ツアー最初の公演だったので、あまり力は入れずにまずは小手試しという雰囲気だった。ただし、バイオリンの五嶋龍君はいただけなかった。演奏がそこまでいいとは思えなかったし、彼を目当ての観客のおばさんが多く、マナーが悪かった。ゲルギエフとマリンスキー劇場オケというだけで、観客は入るはず。客入りをよくしようと彼や辻井伸行くん、千住真理子、フジコ・ヘミングなどを組み合わせるのは止めてほしい。辻井君はさておき、他の人はとてもソロをやれる実力がないと思う。

10月の日記

家の近くの森と池

 10月は目一杯仕事をさせられた。子ども寺子屋カフェの方は、月例講座を始めた。毎月第三日曜日の午後1〜3時に、メイトム宗像の会議室を使い、子どもの教育、福祉にかんする話を私がする。10回の講座で、連続して聴けば、大学などでの「子ども論」が学べるようになっている。

 目的は、子ども寺子屋カフェにかかわる人たちのスタッフ研修と関心ある一般市民を集めて、寺子屋カフェに積極的に関与してもらうことだ。寺子屋カフェをになう事務局委員は50代後半が一人であとは60代、70代と高齢化が激しい。30〜40代の現役の親が中心になると後継者ができる。長く継続したいという思いはそこまではないが、比較的若い世代が関与するようになれば、また新鮮な動きが生まれるかもしれない。

 初回の20日は「デンマークの教育」のテーマで、デンマークの教育を紹介した。学生が4人、一般市民1人、事務局委員1人で、学生の研修会にはなったようだ。

 その後の3時からは、年に一回の「芋煮会」である。地域の人を招いて、子どもたちも手伝って芋煮をつくり、子どもも大人も保護者もいっしょに芋煮を食べる。東北地方の秋の行事で、前からいいなと思っていたので、昨年から子ども寺子屋カフェの秋の行事として組み込んだ。40人集まって楽しい時間を過ごした。最後はみんなでできるダンスで終わるのが、この会の特色である。今年は「夢のカリフォルニア」だった。年寄りが多いので、このくらい古くてもいい。

芋煮をつくる

みんなで芋煮会

 25日は、福岡市の「よりあいの森」で、劇団道化の博多にわかの公演を行った。これはチューラの訪問と交流が中止になったので、その代替でお詫びをかねてグルントヴィ協会とよりあいの森の共催という形で実施した。「よりあい」「第二よりあい」からもお年寄りとスタッフが来た。六割以上が程度の差はあれ認知症があるが、それでも動きのある「にわか」は楽しかったようで、みなさん大いに喜んだ。

「よりあいの森」で道化のにわか

よりあいの観客のみなさん

 よりあいのスタッフ、よりあいの森にボランティアで来ている地域の住民も鑑賞者になり、「久しぶりにたくさん笑った」と喜んでいたそうだ。理事長の村瀬孝生さんもぜひまたやりたいということで、道化とよりあいの結びつきは成功したようだ。

 それが終わって予備校の仕事に行くと、茅島洋一さんが亡くなったので、今日通夜をするという連絡があって驚いた。私が河合塾で働くようになったのは、茅島さんの紹介である。そういう意味では仕事上の恩人になる。ヘビースモーカーで酒も大好きという人で、いまどきの生活習慣病をなくし、長生きしようという風潮に逆らっていた。健康診断も受けたことがなかったという。そしてやはり肺ガンになり、すでに全身に転移して手遅れで、ガンとわかって半年も経たないうちに亡くなった。寝たきりになったり認知症になったりせずにあっというまに亡くなったというのは茅島さんらしいというべきか。仕事を終えて通夜に行き、遺体を前に冥福を祈った。

9月の日記

 9月になるとまた仕事が始まり、忙しくなった。大学は三週目からなので、前半は少し余裕があった。

 15日の子ども寺子屋カフェは子どもが14人も参加して、大盛況だった。市の広報に案内を載せたこととと自由ヶ丘小学校でのリーフレットの全児童への配布もある。劇団道化の「何ができるかな」をメインのワークショップとした。去年は子どもが一人だけだったが、今年は14人もいて、保護者も4人参加した。道化としてはやりがいがあったに違いない。NPO・市民活動センターからも取材に訪れて、市役所のフェイスブックに報告を書いてくれた。

道化の「何ができるかな」

みんなでご飯を食べる

 28日は何有荘で美学ゼミをして、フランチェスコ教皇について話し、映画『ローマ法王となる日まで』を鑑賞した。昨年12月、宗像の暖で「ヒュッゲなカフェ」映画会としてやったもので、そのとき来られなかった人が見たいという理由で、今回再度何有荘で実施した。10人ほど集まり、ぴのきおの河野さんは私がなぜフランチェスコ教皇を評価するのか、その理由がわかったと納得していた。

 河野さんとぴのきおの住人の重度の障碍者Kさん、そして私が長崎市に行ってフランチェスコ教皇の来日ミサに出る計画を立てていたのだが、すでにこの時点で申し込み締切で行けなくなった。最初、地元のカトリック教会のバスに乗せてもらうように働きかけたが、信徒さんで全部埋まった。直接、長崎のカトリック協議会に申し込めばよかったのだが、気づいた時点で定員一杯で締め切られていた。広島のカトリック協議会にも電話すると信徒だけの参加で一般参加者はないという。まぁ3月20日にバチカンの教皇一般謁見で朝7時から並んで場所を確保し、1メートル近くで見ることができたので、それでよしとするしかない。

8月の日記

庭のカノコユリ

 8月は17-18日の子ども寺子屋カフェ主催の「海辺の子どもアートキャンプ・フリルフト」で忙しかった。会場の「ぴのきお」で1日に打ち合わせをするが、その後だいぶ打ち合わせと違うことがでてきて対応に追われる。しかし、「ぴのきお」の全面的な協力で、無事一泊二日のキャンプを終えた。

 今年はこれまでと違い子ども寺子屋カフェの8月の行事として実施した。子どもの数は多くても7人になるはずだったが、これまで3回実施してきたので、それに参加した子どもたちにも案内状を送ると、多くが参加を希望し、結果的に子どもが11人、保護者や大人、それにぴのきおの住人を入れると34人の大所帯になった。

 去年までの二泊三日ではなく、一泊二日であるが、時間的には長く取ったので、海遊び、ビーチバレー、インスタレーション、胆試し、コンサート、花火などたっぷり楽しむことができた。まだ4歳のちかちゃんは、キャンプファイアーの火が珍しいらしく、やけどをしそうになるくらいまで火に近づく。家庭でこのような火をたくことがなくなったせいもある。

ビーチバレー

バーベキュー

ぴのきおのKさん

コンサート

 主催者として中心的に動き、終わったあとはすっかり疲れてしまった。しかし、子ども寺子屋カフェの行事でも子どもたちが一番楽しみにしているものなので、それだけ子どもたちには楽しく充実した非日常の経験になっているのだろう。

 8月は他には、来年の2月に実施のチューラ・フランクの講演会や交流会で、準備の会議、会場の確保などで忙しく動いた。会議自体は協力してくれる人たちに心強く感じ、とても意義があったが、最終確認を本人に取ると、半年後にダイエットをして飛行機に乗れる自信がないということで、結局中止になった。

 チューラは体重が120キロ以上あり、高血圧で体重を減らさないと長時間のフライトはできないと医者からいわれている。前回もそれでダメになったのだが、今回もこの壁をクリアできなかった。本人にたぶんダイエットをする気があまりないのだろう。

 あれこれ準備してきたことがムダにはなったけれども、いろんな人に協力をもらい、交流できたのはよかったことだ。

 23日は、「ぴのきお」の金曜フォーラムで「「懐かしく新しい共同体」を求めて―なぜデンマークにいきあたったか?」というタイトルで話をした。20名ほどの参加者で夕食つきである。

 自分自身のこれまでの人生を振り返って、故郷の対馬の小さな漁村の集落の共同体、九州住民闘争合宿運動、川内原発を見下ろす開拓民集落、デンマークのホイスコーレ、ドイツでのオルタナティヴ・センターなど、人々が生き生きと心から交流できる疎外されない共同体を求めてきたのではないかという話を体験談、当時の映像や記録をスライドで見せながら、話した。わりと私小説的な内容なので、どこまでわかってもらえたかは不明である。

 27日は、久留米市美術館へ行き、ウィリアム・モリス展を見た。これはあくまでもついでで、本来の目的は川内原発反対運動の仲間たちとの交流がメインである。2月にのぞえ総合心療病院の見学時にはあまりじっくり話す時間がなかったので、夏に再度機会を設けた。モリスは私自身の趣味であるが、東郷さんは展示を見たあと興味をもったようで、売店で解説書などを購入した。民衆工芸が残る筑後にはモリスはふさわしい。バイキング・レストランでゆっくりと昼食を食べ、話に花を咲かせた。

 30日は九響の定演に行った。今回はラテン音楽の特集である。ブラジルのマルチェロ・レーニンガー指揮で、ギターはラファエロ・アギーレ。ファリアの三角帽子に、アランフェス協奏曲、そしてヒナステラの「エスタンシア」が演奏された。

レーニンガーと九響

 アランフェス協奏曲は日本人おなじみであるが、マイクを使ったものの、やはり大ホールではガットギターの音量がどうしても小さくなる。アギーレはアンコールの中で「アルハンブラの思い出」も演奏し、あまりなじみがない曲が多かった観衆にたいへん受けていた。「エスタンシア」はドゥダメルのCDで有名になり、打楽器が活躍するので、最後はクラシックのコンサートとは思えぬほどに盛り上がった。

7月の日記

川内市高江

 7月は大学の試験などに追われた。それ以外にもいろいろな会議があり、事務作業で忙しい。月末にようやく梅雨も明け、海へ行ってみた。

さつき松原

 27日と28日は、コンサートが連続であったが、28日は鹿児島の川内市に行ったので、チケットは知人のKさんに譲った。ポリャンスキーのチャイコフスキー4、5、6番の三本立てだが、ポリャンスキーは秋にまた九響で聞くからいいだろう。Kさんは大満足のようだった。

 27日は九響の定演で、マーラーの3番だった。去年の8番に続いて、これもいい出来で、このところの九響の充実ぶりを感じることができた。

九響と合唱団

 28日は、前田裕さんの一周忌だった。川内原発反対運動でいっしょに活動し、裕さんは川内原発反対現地青年部の中心的メンバーだった。ガンで長い闘病生活を送り、昨年7月に亡くなった。前田家は神道なので、まず新田神社で「一年祭」を行った。神道は死者は神になるので、お祝いのお祭りをすることになる。仏教と異なり、不祝儀にはならない。生前の裕さんの話などで参列者が盛り上がる。

新田神社

 その後、墓参りをして、川内原発現地でテントを張っている反対派の人たちといっしょに小さな宴をもった。テントの人たちは仙台や鹿児島の人ではなく、遠くは東京などから来ている。高江に民家も借りて、そこに住み、テントに通うという感じである。年齢的には自由な時間と金銭的な余裕のある退職者ばかりだ。地元の住民がしたくてもできないことを継続してくれるので、ありがたいことだ。

テントにある看板

みんなで裕さんをしのぶ

 

6月の日記

山田

 6月は仕事がいっぱいにつまって、息が詰まる日々が続いた。週末に行事が入ると2〜3週間、休みなしで動くことになる。年を重ねて無理もきかなくなっているというのに、昨年からこういうことが多くなった。この日記の更新などできる余裕はとうに失っていた。

 6月7日は、九響の天神でクラシックに行った。鈴木優人氏の指揮で、イタリアをテーマにしていた。ちょうど3月に行き、その後もシエナやローマ、フィレンツェ関係の書籍を読み続けているので、うまく関心が合った。ヴィバルディの協奏曲とアンコールのレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第三組曲の1が一番よかった。その二つのもつ清涼な響きが、たまった疲れを落としてくれるような気がした。

九響と鈴木優人さん

 26日は同じくイタリアのボローニャ歌劇場の福岡公演「セヴィリアの理髪師」があり、行く予定でいたが、仕事の準備が間に合わず、私の分は妻の友人に代わっていってもらった。「セヴィリアの理髪師」は、3月にフィレンツェ歌劇場で見たからいいやといいきかせた。

 30日は、デンマークから来ている友人のリーネと娘のイーダ・マリーと会った。息子のラスムスが日本にいるうちにと、二週間の旅行を組んだのである。8月や2、3月であれば時間があるので、家に招いて何日か相手もできるのだが、よりによって一年で一番忙しいときなので、30日の日曜日を空けるのが精一杯だった。

花公園の仁田坂さん、リーネとイダ=マリー

 協会会員でボルンホルム・ホイスコーレでアートを学んだ仁田坂さんも相手できるというので、仁田坂さんの車でまずは直方の高取焼永満寺窯へ行くことになった。当初は小石原や日田の皿山も考えていたが、天気予報では大雨の可能性もあり、両者とも過去の豪雨時には通行止めになっている。とりあえずは、雨が降っても影響が少ないと思われる直方を選んだ。

 博多駅で乗せたので、篠栗経由で行くルートになり、ついでに釈迦涅槃像で有名な南蔵院にも寄った。この釈迦涅槃像は宝くじで当たったお金を使い建造されたということで、比較的新しく、史跡としての価値は低い。そのためにこれまで行きたいと思ったこともなく、初めての訪問になった。

 たしかに釈迦涅槃像はそうだとしても、寺院自体の歴史があり、趣はあった。リーネとイーダ・マリーは、像の大きさにさすがに喜んでいた。

釈迦涅槃像の前で

 永満寺窯は、高取焼の発祥地近くにあるが、昭和になって今の陶工である清水さんの父が新たに始めたものである。落ち着いた意匠で、通好みの作品が多かった気がする。リーネも興味をもって個々の作品を眺めていた。

永満寺窯の作品を見る

 外に出ると「福知山ろく花公園」への道路標示があり、ついでだからと訪ねた。ちょうど花の端境期でアジサイとユリくらいしか咲いている花がなかったが、手入れの行き届いたよい公園で、春や秋はきっとすばらしい花園になるのではないかと思われた。

 そのあとは、直方谷尾美術館に行く。ここはもとは医院跡を改修した谷尾欽也氏の個人美術館であったが、谷尾氏が亡くなったあと遺族が直方市に寄贈し、市立美術館となった。訪問はしたものの、ちょうど展示入れ換えのため、二週間の休館中になっていた。

 残念と入口に立っていると、係員が出入りする。こちらの姿を見た女性係員が用件を尋ねた。「デンマークからここの作品をわざわざ見に来たのに、休館とは残念」というと、まだ準備中で途中ではあるが、それでもよければ見ていいですよという。デンマークから見に来たのは事実ではある。彼女だけではなく、他の職員もみな親切で、製作中のインスタレーション、所蔵作品など、説明つきでじっくり見せてくれた。

 小さな美術館であるが、みな生き生きと働いていて、とてもいい雰囲気だった。指定管理者制度で青年文化協会が委託されて運営しているせいもあって、子どもたちに美術の面白さを知ってもらうための企画が充実していた。地方都市で予算があまりなくとも、工夫次第でいくらでも充実した試みはできることを示していた。直方市の文化に対する姿勢を見せてもらった気がした。

 

2019年5月26日

カキツバタ

 仕事に追われる日々が続く。この二年、年はとるのに仕事量が増えて、体力的に厳しい状態だ。ちょっとでも風邪を引くと疲労感がこの上ない。5月の最初の一週間はやや肌寒かったので、鼻風邪を引いたが、きついところを乗り切るときにとても苦労した。

 こういうときは、緑陰の中に身を置くと気分的にも癒やされる。近所の散歩道で、ゆったりとリラックスして、夜はぐっすり寝る。それで風邪は治した。

山田

 10日朝は、南郷小学校を訪問して、子ども寺子屋カフェのリーフレットの子どもへの配布をお願いした。今年度は宗像市と宗像市教育委員会の後援を取っているので、断れないはずという見込み通りだった。後日配布があり、19日の寺子屋カフェにはさっそく3人が新規に来た。

 その前日の18日は、ラスムスを招いての「ヒュッゲなカフェ」を実施した。彼は用意したスライドをもとに、自己紹介、デンマークの話、ホイスコーレについて語った。私自身はみなよく知っている内容であるが、参加者には目新しいものだったに違いない。

話をするラスムス(左)

 子どもたちに遊びやアウトドアなどを教えて、仲間づくりや自己成長を促すコーチングというものを、スポーツ科学部で学ぶというのがデンマークらしい。

 日本の大学の体育学部はオリンピックやワールドカップを最終目標にして、その前の国内の試合などで勝ち抜く選手育成、アスリート育成が主になっている。それだけでは生活できない者の方が多くなるので、生涯スポーツを喧伝し、そのための指導者、コーチ、トレーナーの養成教育などもあることはあるが、メインストリームではない。しかし、デンマークではアスリート養成がメインではなく、多様性に富んでいる。

 参加者との懇親会のあと、ラスムスは私の家に泊まり、翌日の19日午前は、宗像観光をした。世界遺産関連の宗像大社の神宝館や鎮国寺の奥の院を散歩して、さつき松原で海を見た。いま熊本の御船にいるので、海を見ることがない。その後は、大好きというお好み焼きを食べて昼食とした。

鎮国寺

ラスムスと娘

 午後は子ども寺子屋カフェの日なので、まずは準備に行く。と途中までつくっておいたポールに花や木の葉をつける。この頃にはスタッフや学生も集まり、互いに自己紹介。ラスムスは28歳でまだ二十代でもあるので、われわれ年寄りよりは若者がいいようだ。

花輪の準備するラスムスと学生たち

 一時間ほどの学習支援タイムは、子どもたちのよい英会話の練習相手になった。その後は、近くの公園で「イドラット・レーゲ」をする。子どもたちは最初はおとなしかったが、途中から夢中になって楽しんでいた。

みんなでイドラット

集合写真

 よい汗をかいた後は、夕食をみなで食べて、コーヒーやケーキでのんびりして、8時頃に駅まで送った。「とてもヒュッゲな場所だった」と感想を述べていた。

 この二日間の集まりに、毎日新聞の前田敏郎記者も参加し、記事にしてくれた。いつも応援して下さる前田さんに感謝である。また、二日間とも通訳を昔の教え子のMさんがしてくれた。これもありがたいことだった。

2019年5月2日

八所宮の藤棚

 あっというまに4月もすぎた。旅日記を書こうと思うが、まだ書いていない。先に4月の分を書くことにする。

 最初の一週間は旅から戻って、リズムを取り戻し、新学期の準備に充てた。子ども寺子屋カフェで市の助成金を申請することになり、書類を書くと行政らしい煩瑣事が多く、面倒くさい思いをする。昨年、市民団体の助成金申請とはだいぶ違う。

 5日には、ヒュッゲなカフェで旅のスライドをみなに見せた。6日は、福岡市で山口祐二さんが主催する連続講座の第一回目に当たる映画会にいった。大阪の釜ヶ崎(今は西成というらしいが)にある市民がつくった児童養護の場「子どもの里」の映画で「さとにきたらええやん」を見た。「子どもの里」の評判はいろいろな文献で見るので関心があった。映画は淡々とした内容であったが、それだけ「子どもの里」の日常が虚飾なく描かれており、印象深かった。寺子屋カフェもこんな場所になれるといいと思った。

 13日は会議が予定より早く終わったので、行けないとあきらめていた天神でクラシックにいった。会員なのでムダにはしたくなかった。ショスタコーヴィチに焦点をあてたプログラムで、なかなか興味深かった。彼に影響を受けたという芥川也寸志の「トリプティーク」も表現主義というべきか二十世紀の作法がよく反映されていることがわかった。3月にトリーア管弦楽団とボーフム交響楽団の演奏を聴いたが、九響も彼らに負けてはいない。

九響

 21日の寺子屋カフェのワークショップは、「世界を知る」と題して3月の旅のスライドや動画を見せた。クイズ形式にしたので、子どもたちには楽しかったようだ。感想で一人の子が「知らない場所ばかりだった」といったが、まさにそれが狙いである。

寺子屋カフェの学習支援

 日本のテレビでは、東京かアメリカの場所の映像が主で、ヨーロッパはあまり出ない。ましてやアフリカ、インド、南米なども出ることはない。私のフィールドはヨーロッパしかないが、それでもイタリアのシエナ、アッシジなどを知ってもらえたのは意味があるだろう。シエナの市庁舎博物館でロレンツェッティ兄弟の絵が印刷された鉛筆やペンケースを子どもたちへのお土産に買っていた。それらをクイズの賞品、参加賞として渡した。

 シエナへの訪問は直観的に決めたが、帰ってきて改めて池上俊一さんの大著『公共善の彼方に』(名古屋大学出版会)を読むと、自分の勘がまちがっていなかったことを確信した。たった一日しかいなかったが、宿のアンドレアとの会話、アンドレアに勧められていったトラットリア「パペイ」でのウェイターとの楽しいやりとり、朝のバールでの朝食などで、この街が特別であることは気づいていた。次回は何日も滞在して、路地裏をくまなく歩いてみよう。

 27日と28日は京都にいった。28日にフィヒテ協会の委員会があるためである。事務的な仕事だけに高い旅費と長い時間を使うのもうんざりだったので、前日からいって少し観光をし、工藤先生を訪問することも入れた。さすがに今年の10連休の初日だけあって、新幹線はけっこうな混み具合である。向こうにいる知り合いのMさんにも来てもらった。

 有名な観光地はきっと多いだろうと思い、比較的少ないと思われた広隆寺にまず寄った。有名な弥勒菩薩像を見ようと思ったのである。しかし、期待ほどではなく奈良の中宮寺の弥勒菩薩像がやはり好みである。その後は嵐山電鉄に乗り、妙心寺にいく。塔頭の退蔵院の庭を見た。2000年12月に寄って以来、何と19年ぶりである。そのことをMさんに話すと「私の生まれたときです」といわれた。たしかにそうで、年月の過ぎるのは早い。とても春満開とはいえない肌寒い日であったが、日常とは違う時間の流れを感じることができた。

広隆寺

退蔵院の庭

退蔵院の庭

 旅行社で購入した宿つきの切符で、指定の宿にいく。ホテルギンモンド京都というビジネスホテルだった。いつもはシティホテルクラスを取るが、連休ですべて満室で、ここしか空いていなかった。たしかに部屋はビジネスホテルの広さであるが、ツインの一人利用なので広く感じた。特筆すべきはスタッフの対応で、洗練され親切だった。外国人への英語対応も見事なもので、この接客は三つ星クラスといっていい。観光客の多い京都の老舗のホテルのプライドを見た気がした。価格からすればこれほど質のよいホテルはないだろう。次回もぜひ利用したいと思う。

 28日午前は工藤先生宅を訪問し、楽しい会話においしい昼食をいただく。工藤先生は同志社大を定年退職されたあと、京都と故郷の北海道に交替で住む暮らしをしておられる。悠々自適だが、それでも関西倫理学会の会長をされるなどしている。ようやく任期が終わるので、ゆっくりできるといっておられた。

同志社大学クラーク記念館

 午後1時から、同志社大で行われたフィヒテ協会の委員会に出る。学会の委員はふつう専任教員がやるもので、私のような非常勤講師がなることはめずらしい。自分には縁のない役職と思い、出身の九大の学会ですらなったこともなく、投票したこともされたこともない。フィヒテ協会も学会には数えるほどしか出たことはない。なのに、今回3人も私に投票してくれた奇特な方がいて、研究費などなく旅費も自費の非専任だから辞退することも考えたが、投票してくださった3人の方の期待に応えてみようということで、引き受けてみた。小さな学会だから、雰囲気はアットホームでよかった。微力であまり役立つこともないかと思うが、少しでも貢献できればと思う。

 翌日の29日は、子ども寺子屋カフェの会員総会兼地域交流会である。これがあるので、27、28日の週末は準備にとっておきたかったが、上に書いたように京都出張である。少ない時間を必死で準備に充てる。交流会は24名ほど来て、とくにメインの劇団道化の「博多にわか」は抜群の内容で、大いに盛り上がった。実施してよかったなと心から思える交流会になった。

交流会

劇団道化の「博多にわか」

 この間、イラストレーターの竹藤さんと打ち合わせながら作成したリーフレットもお披露目した。かわいい絵柄が好評だった。私の役目は映像を見せながらの18年度の活動報告である。ワークショップの充実ぶりは自画自賛になるが、デンマークの学校にひけはとらないと思う。アンケートをすると子どもたちには評価はされていると思われるが、本音はわからない。自己満足といわれそうだが、月一回とはいえ、自分のしたかった教育を実行できる場として、非常に満足している。座学だけで制約の多い予備校や大学での講義とはそこが一番違う。

 4月の最後の週は、書いてきたように仕事以外にいろいろな行事が重なり、その上寒さで風邪を引いて、精神的にも体力的にもたいへんだった。連休になってようやく休息がとれ、ほっとしている。寒かったわりには、藤の花はすでに散りかけで、毎年訪れる二ヶ所の藤棚を楽しむにはやや遅かった。

八所宮の藤

正助村の藤

 5月は、デンマークから来ているラスムスが寺子屋カフェにやってくる。よい交流になればと期待する。

 

2019年4月4日

 

山田の桜

 8〜27日、ドイツとイタリアを旅した。報告は後日。桜が満開で気持ちがいい。

 新学期も始まり、いよいよ忙しい日々が始まる。

山田地蔵

2019年3月7日

 

承福寺の緋寒桜

 

 2019年が明けてもう二ヶ月すぎた。早いものである。この時期は予備校の授業が減るので、比較的楽な時期だが、その分いろいろな動きを入れるので、実はかえって忙しかったりする。今年もあれやこれやで更新もできなかった。

 気がつけばまわりはすっかり春の装いで、緋寒桜やチューリップなどがもう咲いている。菜の花も畑を覆い始めた。

田島の菜の花畑

 正月には芦屋に住む弟一家が遊びに来た。双子の男の子は二人とも知的障碍をもつが、元気に育っている。親の手がかかるのであまり外に遊びに行けていないこともあり、今回はうちの家族を含め大人が多くいるので、近くの公園に遊びに行った。日差しも暖かく気分が晴れたことだろう。

公園で遊ぶ

 1月13日は、何有荘で「美学ゼミ」の第三回をした。今回はヘーゲル美学をやる予定だったが、そこまで進まず、シラー美学の続きとドイツの思想に顕著な「美しき国家」について、リーフェンシュタールの映画などを使ってレクチューする。実作家の方があまり聞かない話のようで、興味深いという感想だった。

 14日は「ヒュッゲなカフェ・エクスカージョン」で北九州市立美術館本館で行われていた「ルオー展」に行く。最初にガイドを私がした。ルオーの初期の絵、庶民の暮らしを共感的に描き、裁判官や銀行家などをシニカルに見る彼のまなざし、戦争の犠牲者への思い、そして敬虔な信仰などを解説する。展示されている絵も「ミザーレ」や「ヴェロニカ」「キリスト教的風景」など傑作ぞろいで、非常に見応えのある展覧会だった。去年の「ターナー展」よりも来ている絵の価値が高かった。

 15日は、妻とプラハ歌劇場オペラ「フィガロの結婚」を見にいった。スタヴォフォケー劇場でモーツァルトのオペラだけをしている人たちによるもの。すでにプラハで三度も見ている。今回は、2014年にプラハで「コジ・ファン・トゥッテ」を見たときにデスピーナ役をしていた金城さんが出るというので楽しみにしていた。金城さんはスザンナ役である。

「フィガロの結婚」カーテンコール

 前もプラハ国立歌劇場の「フィガロの結婚」を見たが、新演出とはいうものの、私には前の演出の方がよかったような気がした。有名なケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」は前は動きながら楽しく歌っていたが、今回はじっと立たせてしっとりと歌い上げる演出になっていた。それでも全体的に歌はすばらしく満足できる出来だった。

 1月27日は、キャンプの会議をしたあと、ヒュッゲなカフェの映画会で「ふたつめの影」をみんなで見た。シルヴァーノ・アゴスティの映画でフランコ・バザーリアのゴリッツアでの実践を描いたものである。この間ずっとバザーリアや日本の「精神病院」のあり方を調べてきたこともあり、その途中経過報告も兼ねた。映画はなんといってもバザーリアの患者たちだった精神障がい者たちが当事者として出演している点がよかった。

 終わって解説を詳しくして、2月18日に「ヒュッゲなカフェ・エクスカージョン」の第二弾、久留米市ののぞえ総合心療病院見学につなげた。18日の「のぞえ」見学は、事前に障害者支援センターの松下さんと準備していたこともあり、たいへん内容のある訪問になった。

のぞえ総合心療病院玄関

 9人の参加者で、最初はスタッフ・ミーティングから同席させてもらう。9時から10時半まで、病院内の医師、看護師、精神保健福祉士、臨床心理士、作業療法士、介護福祉士、社会福祉士、事務職員など、すべてのスタッフがそろい、担当している患者たちの報告、情報などを共有する。白衣を着ないので、部外者にはまったく職分の違いがわからない。医師も看護師もソーシャルワーカーなど他のスタッフもいっさい区別しないという発想からやっている。これだけでもすばらしさがわかる。

スタッフミーティング

 その後は病棟見学で、患者が案内と説明をしてくれる。ここは患者の自律性を尊重し、投薬なども本人の管理を促している。院内にある患者たちのグループホームも二ヶ所見学する。デイサービスのワークショップに出ているので、人はいないが、自主的にホームを運営している。

院内にあるグループホーム

 その後は、病院の外の一般の住宅地に住んでいる患者の住まいを訪問する。Tさんが相手をしてくれて、30年以上にわたる入院生活の苦しさ、そこから解放されてふつうに地域で暮らすことのよさを話してくれた。心暖まる交流ができた時間だった。

地域のアパートに住むTさん

 昼食は、ここが社会福祉法人として運営しているレストラン「風と虹の丘」で食べる。毎日6人程度、精神障がい者も働いている。野菜中心のバイキングで手づくり天然酵母パンも売りだ。客は多く、一般の市民に精神障がい者があたりまえに働き、地域でともに生きる仲間だと意識してもらうことが狙いの一つだという。

レストラン

 昼食後は、スタッフ・患者ミーティングに参加。ここで悩みや問題を話し、他の患者、スタッフにどう見えているか客観的な視点を教えてもらい、フィードバックする。

院長(中央)と話す

 最後は、堀川公平院長が見学者と話し、質問などを受ける。ざっくばらんな話し方の院長で、自分のしていることの素晴らしさを誇ることもなく、あくまでも運営をしているにすぎないという卑下したいい方が印象に残った。だが、実際に見学してみて、隠すところなくすべてを見せるところに自信があらわれている。少なくともここは精神障がい者たちへの尊敬があり、彼・彼女らといっしょに生きようとする姿勢がよく出ている。参加者全員が感銘し、満足したエクスカージョンだった。

 2月11日は、子ども寺子屋カフェの研修会を開き、廣岡逸樹さんを呼んで、「社会的養護」について学んだ。とくに子どもの意見を聞く「アドボカシー」に力点が置かれた。参加者は札幌から協会会員のTさんが来て、柳川からもかつての教え子で会員のMさんも来た。19名も参加して盛況だった。おもしろかったのは、参加者に親権を奪われた夫たちのグループが来ていて、日本の司法のおかしさを指摘したことだ。妻が勝手に子どもを連れていなくなり、裁判所に夫のDVで逃げた旨をウソであってもいうと親権が認められるという。終わってからも暖でコーヒーとケーキの交流会が続き、勉強と交流のよい時間だった。

研修会での廣岡さんのお話

 13日は、予備校の同僚が辞めるので、二人だけの小さな送別会をした。3月2日は、子ども寺子屋カフェにかかわった大学生ボランティアの送別会もした。二人が卒業するので、有志が集まり、記念品を贈って、いっしょに飲食をする。おもしろおかしく書いた感謝状の贈呈、ギターやピアノ伴奏で歌も出て、盛り上がった。3月はこういう別れや巣立ちの季節でもある。

送別会の様子

 コンサートは、せっかく九響の定期や天神でクラシックの会員だというのに、会議などで行けないものが多かった。2月は12日の定演と、23日の午後の名曲コンサートにいった。後者は会議などで天神でクラシックに行けないので、やむなく新たに購入した。

 12日はシベリウスの交響曲6番をするので、前から楽しみにしていたものだ。演奏は十分にすばらしかったが、これは普通の交響曲のようにコーダが盛り上がるということがないので、「フィンランディア」を最後にしていた。これなら管楽器、打楽器を鳴らし、終わりが昂揚する。でも、私には6番を生で聴けたことが一番の収穫だ。帰りに団員あいさつで、一年ぶりに大山佳織さんに花を渡した。今回は少し長めに話せた。いつもながらほれぼれするほどすてきな人だ。この時間があっただけでも2月はよい月だった。

九響のカーテンコール

 23日のコンサートは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーの交響曲5番という定番のものだが、これもよい演奏だった。とくに5番はすばらしかった。今年度は、7月の「惑星」がいちばんよく、次に10月の「千人の交響曲」とこの5番が来るような気がする。いや、5月の天神でクラシックのブラ2もよかった。ほとんどミスのない演奏が続き、九響のレベルの高さがわかる。

 NHKのFM放送で、2017年の10月の定期の放送のYoutubeを九響が挙げている。このときも会場にいたが、改めて録音で聞くと外国の著名オケに負けないレベルの演奏をしていることがわかる。もうドイツで聞かなくてもいいほどだ。

 8日から、ドイツに行き、友人と会い、トリーアを訪れる。また、ローマ、アッシジ、シエナ、フィレンツェと廻り、授業の素材や資料、写真などを撮ってくる。ローマはずっと避けていたが、結局ヨーロッパの思想、とくに政治思想をやるといきつく先はローマになる。帝国時代も教皇庁も、である。どんな旅になるのか、二年前のようなハプニングがあるのか、期待と不安が交差する。

[2000年2月の日記][2000年3月の日記][2000年4月ー6月の日記]
[2000年7ー8月の日記] [2000年9-11月の日記] [2001年1-2月の日記]

[2001年3-10月の日記] [2001年11月-2002年1月の日記]
[2002年2月-4月の日記] [2002年5月-7月の日記]
[2002年8月-10月の日記][2002年10-12月の日記]
[2003年1月-3月の日記][2003年4-7月の日記][2003年8月-12月の日記]
[2004年1-6月の日記] [2004年7-12月の日記]
[2005年1-6月の日記][2005年7-12月の日記]
[2006年1-6月の日記][2006年7-12月の日記]
[2007年1-6月の日記}[2007年7-12月の日記]
[2008年1-6月の日記]
[2008年7-12月の日記]
[2009年1-6月の日記][2009年7月-12月の日記]
[2010年1-6月の日記][2010年7-12月の日記]
[2011年1月-6月の日記][2011年7-12月の日記]
[2012年1-6月の日記][2012年7-12月の日記]
[2013年1-6月の日記][2013年7-12月の日記]
[2014年1-6月の日記]
[2014年7-12月の日記]
[2015年の日記][2016年の日記][2017年の日記]
[2018年の日記]
[日記特別篇][日記特別篇その2] [日記特別篇その3]
[日記特別篇その4 ]
[日記特別編その5]
[日記特別編その6]「日記特別編その7」
[日記特別篇その8][日記特別篇その9][日記特別篇その10][日記特別篇その11]

[日記特別篇その12][日記特別篇その13][日記特別篇その14」

 

inserted by FC2 system